✨️第030季 紙片に閉じた秘密✨️
私は
「胸の内側のこと」
をすぐ紙に
閉じ込めてしまう
言葉にして
口から出してしまえば
もう二度と
戻ってはこない
気がして
怖いから
その点
紙はやさしい
震える手で
書いた文字も
うまく言えなかった
本音も
すべてを
白い余白ごと
受け止めてくれる
のりで貼れば
隠せて
破れば
なかった
ことにもできる
秘密が
一番似合うのは
人ではなく紙だと
本気で思っていた
少なくとも
魚住隆也に
出会うまでは
同じ法学の
私と隆也は
文献探しや
参考資料の交換
意見交換や
白熱した議論し合って
“友だち以上
何かの前”
みたいな
あいまいな位置に
そのあいまいさの
真ん中で
私は初めて
紙の上に
「魚住」
という名前を
こっそり書いた
関係のない
文を
ペンで細く……
この気持ちは
誰にも
見つからない
はずだった
私の
青いノートの
私にしか
開けないページに
そっと
挟んでおくはずの
「紙片に閉じた秘密」
季節という風は
時々
ページを
めくらせるような
いたずらをする
この季は
あの
小さな紙片が
どうやって
「ふたりの秘密」
に変わっていったのか?
私、大隅綾音
静かに紡ぐ……
余白に
落ちる名前
春光に
溶けていく
のを見ながら
私、大隅綾音は
青いノートの
一番下の行に
改めて
何度も
小さく
「魚住隆也」
と書いては
すぐに消し
ふわりと
浮いた
消しゴムは
言えなかった
一つ一つの
言葉達
大切な方の
名前で
こんなにも
心拍数が
乱れるなんて
数式では
説明できない
もう一度
「魚住隆也」
その下に
間を空けず
私の名前
「大隅綾音」
ただ
並べてみただけの
二人の名前
急に
一つの世界を
持ち始めてしまう
「おおすみ」
「うおずみ」
微妙に似た
些細な共通点にも
胸のどこかが
じんわり熱を帯びる
私は
ノートの隅で
胸のうちで
気持ちの輪郭線を
そっと……
紙片という
心のスペース
私は
ノートの
その部分だけを
丁寧に
大切に……
文字は
消してしまったら
今日の私の勇気は
どこにも
記憶として
忘れてしまい
残らない
ペンで
改めて
私と隆也
の名前とともに
添える
「この名前を
ずっと隣に
見ていたい!
と思ってしまいました」
なんて
迂回の仕方
まっすぐ
「好き」
と書けばいいのに
わざわざ遠回りして
比喩の森に
迷い込んでいる
勇気はまだない
かすかに
重さを持つ
主題も
副題もない
でも
確かな言葉はなくとも
心のつながりは
揺るぎない……
風にゆれ
ゆらぐ
季節のそよぎ
自室の窓を
かすめ
目が覚めた朝
私は
いつもより
時間をかけて
髪を……
理由なんて
ない!
ふりをしながら……
いつものように
大学では
すでに着席している
隆也の隣りに
「おはよう!隆也!」
「綾音!おはよう!
今日も綺麗!」
その声を
聞くたびに、
胸の内側の
「この名前を
ずっと隣に
見ていたい!
と思ってしまいました」
と記載した
紙片が
ふわり!
と舞う
隆也と一緒に
論文の執筆中
私は一箇所
誤植があり
私は気付かず
執筆を継続
それに
気づいたのは
隆也だった
「綾音!
ここ誤字では?」
隆也は自身の原稿を
付け合わせ
私
確認
「本当だ
隆也
ありがとう!
助かった!」
私は
慌ててまっさらの原稿を
取り出した
と同時に
青いノートの
ページに
一瞬だけ
季節の風が
窓から
入り込み
空気を揺らす
ぱらぱら
青いノートの
ページが
意図しない
順番でめくられ
折りたたまれた
紙片の端が
隆也の目の前に
とまる
その瞬間に
「見せて」
と伸びてきた
隆也の手と
私の手が
紙の上で
重なる……
私の心臓は
もう……
たくさんの
意味の
境界線
「……ごめんね
綾音……」
隆也は
私の
手の動きを止めた
ことに気づいて
そっと指を引いた
でも
青いノートは
もう
隆也の
視界の中に
開かれている
折りたたまれた紙片
不自然な
位置に浮かぶ
小さな四角
隆也の視線が
そこに落ち
時間が
急に
粘度を増して
一秒が
やけに
長く伸びていく
紙片を
開くか?
開かないか?
その選択は
私の
重大な問題に……?
私は
息を止めたまま
まぶたの裏側で
最悪の未来を
片っ端から
シミュレーション
もし
隆也がそれを
開き読み
顔を上げ……
その時
私は
どんな顔をすれば?
でも
魚住隆也は
私、大隅綾音が
考えた
どのシナリオも
選ばなかった
隆也は
紙片をそっと
指先で押さえ
開く代わりに
のりで貼られた
周りを
ゆっくりと触れ
まるで
「ここに何かがある」
と確認しながらも
「今は触れないでおく」
印を押すように
「ごめんね
綾音!
……この原稿ではなくこっち!」
わざとらしくない声で
でも
わずかに
息を弾ませながら、
隆也は
ページを戻した
わざと間違えるほど
不器用でもない方が
わざと
「見なかったこと」
にするために
私への小さな気遣い
そのことに
気づいてしまった瞬間
胸の奥で
何かがほどけて
目の奥が熱くなった
二人で持つ秘密
青いノートの
あのページを
もう一度開き
紙片の上から
ゆっくりと
指先を滑らせた
先程まで
隆也の指が
触れていた
のりの境目
紙と紙のあいだに
閉じ込められた
私の
心の内の一行
今一度
開いて
確かめる必要は
もうなかった
何が
書いてあるかは
私が
一番よく知っている
ただ一つ
昼間との
違いがあるとすれば
この紙片を
持っているのが
「私一人」
ではなくなった
ということ
隆也は
内容を知らない
それでも
「何か大事なものがここにある」
と知った上で
そのままに
してくれた
見ないまま
守るという
選択をした方に
わたしは、
初めて
「ありがとう」
を心の底から
渡したいと思った
ノートの端に
小さく書く
今日
魚住隆也は
私、大隅綾音
の秘密を
守ってくれた
紙片の中身に
もう一行
添え書きの
衝動を
ぎゅっと
握りこぶしで
抑える
それでも
ペンは
別の場所に
動き出した
紙片のすぐ横
余白の
細いところに
私は
新しい条文のように
記した
✨️この秘密は
私、大隅綾音と魚住隆也と
この季節の三者共有物とする✨️
文字を見て
私一人で微笑む
祖父の法律書の
読みすぎだ!
と自嘲……
でも
今の私にとって
隆也との
「共有物」
という言葉ほど
この心情
にぴったりくる
言葉はなかった
かな?
紙片は
もう孤独な
秘密じゃない
隆也の
気づかなかった
ふりと
私のはじらいと
季節の風の
いたずらを
全部混ぜて
一つの
「絆」
に変わりつつあった
紙から
手へ
帰り道
私と隆也の日課
一緒の影法師
「綾音
さっきはごめんね
急に原稿を
奪うみたいになって……」
夕方の光の中で、
隆也の声は
少しだけ照れていた
「……ううん
助かったの
あのままだと
私の信用問題に
発展しかねない
ところだったから……」
本当は
別のことを言いたい
「見ないでいてくれて
ありがとう」
と
でも
その言葉を
口にした瞬間
紙片の存在を
認めること
になってしまう
気がして
私は
言えなかった
本当は
隠すまで
ないのだけれども……
カバンの中の
青いノートの背表紙を
ぎゅっと握りしめる
私の秘密を
知っているのは
もう
紙だけじゃない
ふと
隆也が
歩幅を少し緩める
「帰ろまい
今日も駅まで
一緒に行っていい?」
その問いかけは
これまでにも
何度も聞いたはずの
ありふれたもの
なのに今日は
紙片の上から
そっと手を
重ねられたような
温度があった
「……うん」
返事をしたあと
私は気づく
紙に
閉じ込めなくても
いま
この瞬間の
私の気持ちは
横を歩く
隆也の横顔と
歩幅に
とても正確に
反映されているのだと
青いノートの
中の小さな
四角を想いながら
私は初めて
“秘密を誰かと共有することは
心の面積を減らすどころか
むしろ
増やしてくれるのかもしれない”
と
春の夕空に
向かって
そっと考えた……
紙片に
閉じた秘密は、
「言えなかった言葉」
ではなく
「いつか
言えるようになるまでの
仮置きの場所」
だったのかもしれない
あの日
ノートのページの上で
交差した
私と隆也の指先は
まだ
触れたとは
言えないほど
かすかな接触
けれど
あの一瞬を境に
私にとって
魚住隆也
という存在は
紙の上の名前から
現実の体温を持った
「人」
へと
はっきり
輪郭を変えた
秘密を
守ってくれる人に出会うこと
それは
自分の弱さを
託せる方を
見つけることでもある
隆也の
沈黙は
拒絶ではなく
二人の猶予
「今はまだ
言わなくていいよ」
と
季節の風と
一緒に
そっと背中を
撫でてくれるような
そんな優しさ
だからこそ
私は思う
紙片に閉じた
この秘密は
いつか
紙からこぼれ落ちて
言葉と仕草と
そして
「手のぬくもり」
に変わっていくのだ
と
次の季
✨️第0031 春めいた手のぬくもり✨️
文献や資料や意見の交換の中で
階段や
電車の揺れ
ほんの一秒だけ
触れては離れる指先
目の前にある
恋人のようで
でも
ただの
クラスメイトとも
言い切れない
その微妙な
境界線で
交わされる
「手」
と
「温度」
私、大隅綾音と魚住隆也
の季節
紙の中で
丸まっていた
言葉たちが
少しずつ
指先を通して
外の世界に
出していく
私はその変化を
もう
紙の裏側に隠さず
この胸の鼓動とともに
一つ一つ
書き留めて
いきたい
✨️第031季 春めいた手のぬくもり✨️
紙から
解き放たれた
秘密が
初めて
私と隆也
の温度を覚える
その瞬間の記録へと
静かに
季節を巡る……




