✨️第018季 心が追いつく速度✨️
私
大隅綾音の
心の内での時間差=心の速度
そして
速度の前奏
心というものは
どうしてこんなにも
不器用なのだろう?
そう思ったのは
日の帰り道
図書館の前で
足を止めた時
講義の終わりを
告げるチャイムは
いつものように淡々と
ざわめきを廊下へ
押し流していく
けれど私は
教科書を閉じた瞬間から
胸の奥の
“処理速度”
が微妙に乱れているのを
感じていた
魚住隆也の
何気ない一言や
ノートを渡すときに
私と隆也との
触れた指先の体温が
私の認識より先に
感情の側へ届いてしまう
いつも
“半歩の遅れ”
が胸の奥に
静かに積もっていく
でも
その遅れが
今日はなぜか心地よく
理由は分かっている
なぜって?
講義が終わった瞬間
私は自然に
言葉を発していた
「……ねえ隆也
今から
私の家へ来ない?」
誘った本人が
いちばん驚くなんて……
でも隆也は
ほんの一拍置いてから
柔らかく微笑み
その笑顔が
私の
“遅れた処理能力”
よりも先に
私の全身を
暖めてくれる
家に大切な方を招く
というアクションは
自分の生活の湿度
香りまで晒すようで
どこか
“不思議な親密さ”
を伴う
ましてや
両親と姉に紹介するなんて
私にとっては
朝の勉強会以上の
“重大事”!
私と隆也
家へ向かう海岸通り
海風が少しだけ軽くなり
夕暮れの光は
今日は透明度を増して見えた
その透明さが教えてくれる
「心が追いつく速度」
は決して一定ではないかな?
これから綴る
私の中の
“再生速度が追いつかなかった一日”
そして
ひとつの関係が
静かに進化した
私と隆也の
小さな物語
自宅の鍵を回す音が
今日は少し大きく響く
玄関の灯りが
私と隆也を包む
その瞬間
私は胸の奥の
“心拍グラフ”
が露骨に跳ねるのを感じた!
「ただいま!
……あ、えっと……!」
自分でも
びっくりするほど
声が小さい
靴を脱ぐ手つきさえ
ぎこちなく
隆也がそっと
微笑み
私の耳元でささやく
「大丈夫!」
でも私は
平常心では無理!
だって
これから家族に
紹介するのだから
“友達以上”
とも
“恋人未満”
とも断定できない
微妙な関係の隆也を
母が
キッチンから振り向き
「あらいらっしゃい!
綾音の友達?」
と柔らかく微笑む
その笑顔は
私が幼い頃
風邪を引いた夜に
私を気遣う仕草の
お布団の端をそっと
直してそばにいてくれた時の
あの温度を含んでいた
隆也は
ぺこりと丁寧に頭を下げ
「大隅綾音様の学友で
魚住隆也と申します
今日はお世話になります」
と少しかしこまり
母へご挨拶
その様子に
私は胸の奥で
何かがほどけていくのを感じた
姉が階段の上から
降りてきて
少しからかうように
目を細め
「……へえ
綾音が連れてきた
“特別ゲスト”
って感じ?」
「ち、違う……!
そんな大げさじゃ……!」
言い訳の途中で
ふと横目に映った
隆也の横顔が
どこか照れたように
微笑んでいるのを見て
私は言葉を失った
“その笑顔を
私の自宅で見ている”
ただそれだけのことで
胸が満たされていく
私のご先祖様の前に
隆也からお供え物を
私と隆也
ともに並んで
手を合わせ
キッチンでは
ダイニングテーブルに
母と姉のおもてなしお料理が
ところせましと揃い
そして
私が朝のうちに焼き上げた
小さなクッキーも添え
隆也からの名古屋のお菓子も
何気ない
私の夕食の風景が
今日だけは
“特別な私にとっての生活の証拠写真”
のように輝いて見える
「綾音様
美味しいです!」
私が焼き上げたクッキーを
口にした
隆也がそう言うと
母は嬉しそうに
「そう?
綾音は上手でしょ!
ほら
魚住さんが褒めるから照れてるじゃない?」
「照れてない……!」
でも
確かに本当は照れていた
お料理の向こうで
私のボルテージは
かなりの熱を帯びていた
食事が進むにつれ
私の家の空気は
隆也を完全に受け入れた
母は
彼の食事の好き嫌いを伺ったり
姉は
私と隆也の大学生活の話を振ったりして
家族の会話は少しずつ
“私と隆也の間の新しい領域”
を形作っていくようだった
だけど
一番驚いたのは
隆也が私を
「綾音様」
と呼ぶ声を
両親が聞いている
ことに対する
奇妙な安心感だった
ここ数ヶ月
大学で積み重ねてきた
気配や温度が
今日になってようやく
“私の生活”
というフィールドに着地した
その着地音が
胸の奥で
優しく響いていた
会食後
隆也を
蒲郡の駅まで見送りに
夜の海風が
少し強めに吹き
「今日は……
ありがとうございました
綾音の家族
すごく暖かく迎えてくださった!」
「よかった!」
「綾音が招いてくれて感謝!です!」
その言葉だけで
胸の奥の
“遅れていた何か”
が静かに追いつき始める
隆也は少しだけ
視線を下に落として
照れたように言う
「また
許されるならば
……お誘いくださると嬉しい……!」
その瞬間
私は気付いた
心は出来事に
追いつくのではなく
追いつこうとする過程そのものが
“関係を深める速度”
なのだと
「もちろん!
遠慮せず
また来てね!
隆也」
名前を呼んだ声が
夜の空気の中で
ふんわりとほどけた。
隆也を
お見送りしの帰途
どこか新しい季節の
入口のような
私は
そっと深呼吸をし
心が
ゆっくり
追いついていく音が
確かに聞こえた気がした
隆也
今日はありがとう!
次の速度へ
今日という一日は
私の中でずっと不明瞭だった
“感情の速度”
がようやく輪郭を
得た日
大学での出来事は
いつも
私の心の速度より
半拍早く進んでいく
だから私は
それらを
書き留めるために
“青いノート”
を必要としたのだと
でも
今日
感情の側が
追いつこうと
走り出した瞬間
世界はほんの
少しだけ色づいて見えた
そして次の季節
✨️第019季 まぶたの裏の春景色✨️
で描かれる
“心が追いついたあとの風景”
私との関係が
次にどんな方向へ向かうのかという
問い?
招いた私の家の香り
母と姉の笑顔
ダイニングテーブルのところせましのお料理
そして帰り際の
隆也の言葉
それらは全部
私の心に深くもっと深く
“次の季節の芽”
になり
心拍グラフは
また次の明日へ向けて
静かに波形を整えていく
その先にあるのは
私と隆也
ふたりの未来へ続く速度へ……




