✨第016季 消えないペン跡✨
大隅綾音の
青いノートより
線の下に残るもの
鉛筆で書いた線は
消しゴムをかければ
たしかに
「見えなくなる」
でも
それは本当に
「なかったこと」
になるのだろうか?
法学部の講義で
「錯誤に基づく意思表示」
だとか
「無効」
とか「取消し」
とか
そういう言葉を
繰り返し聞いていると
まるで人の気持ちさえも
条件ひとつで
「元に戻せる」
ような錯覚に陥ることがある
だけど
私と隆也の
間で交わされた
ごく小さな
「約束」
や
ふと漏れた本音
ノートの片隅に
書いた一行のメモは
どれひとつとして
「完全な白紙」
に戻ってはくれない
一度書いてしまったものは
たとえ消しゴムでこすっても
紙の繊維に
心の深部に
かすかな圧痕として残り続ける
✨️第015季「昼下がりの約束✨️
で私はあの青いノートに
隆也との
「仮約束」
をそっと書き留めた
図書館の
窓際の席でのゼミ準備
試験が終わったら
「どこかの海」へ
そして
「また明日」と「また今度」の
他愛もないようでいて
私にはとても大切な継続協定
あれから
ページは少しだけ進んだ……?
今日
私は気づき始めている
私と隆也のみちしるべは
判決に書き起こすような
整った文章だけで
成り立っているわけてはなく
ノートの余白、
複製した文献資料の片隅
借りた文献本に
挟んでしまった小さな紙片
そこに走らせたペン先が
思っていた以上に
私の心拍グラフを
揺らしてきたことを
この
✨️第016季 消えないペン跡✨️
はそんな
「消そうとしても消えない線」
たちの記録
まだ告白には至らない
けれども
もう
「ただの友達」
とは呼ばない!
私と魚住隆也の
間に刻まれた
静かな証拠の物語を
ひとつひとつ
辿っていくための季なのだ!
私、大隅綾音の
青いノートの空欄に
並んだ
私と隆也の名前
その日
図書館は
いつもより
少しだけ混んでいた
試験前の空気は
ページをめくる音と
ペンのキャップの開閉音と
小さなため息を、
ひとまとめにして天井へと押し上げている
「綾音
おいでん!空いたよ」
窓際の
私たちの
「指定席」
と呼んでいる場所に
先に着いていた隆也が
背表紙の隙間から
少しだけ手を振る
私はデスクにノートと参考文献等を
静かに開きながら
心の中でそっと確認する
今日も
ちゃんと約束は続いている
「ここ
判例の要旨どうまとめる?」
隆也が
複製した判例の
空欄を指でなぞる
その指先の動きを
目で追いながら
私はいつもの
「解説モード」
に入ってしまう
「うーん……
この地裁の判断
条文の解釈っていうより
“人の生活をどう守るか”
って視点が強い気がする」
そう言いながら
私は無意識のうちに
空欄の上にペンを走らせて
『※人間の物語を前提とした判断』
書き終えて
ふと気づく
そのすぐ下に
少し前の授業で
隆也が書き込んだメモがある
『※判例が守ろうとしているもの=生活のリアリティ』
違う時間
違う瞬間に書いたはずの文字が
同じ紙の上で、
まるで会話を
しているみたいに並んでいた
線を引くまでもなく
そこには一本の
見えない連結線が通っている
あ!と思う
私と隆也は
きっと同じものを
見ているのかもしれない
その向こう側にある
「誰かの物語」
を同じ角度で覗き込もうと
その気づきは
大きな感情の波ではなく
ノートの紙がふわりと
膨らむような
静かな高揚として胸に残る
鉛筆でなぞった
『魚住』
の二文字
別の日
私は
自習室で借りてきた
論文集を読んでいた
ページの端には
たくさんの付箋と
名前を記入するための
細い欄が印刷されている
そこに
自分の名前を書くことは
何のためらいもなくできる
『大隅』
なめらかにペンが進む
ふと
ほんの気まぐれのような勢いで
私はその下に
細い鉛筆に持ち替えて
小さくこう書きかけてしまった
『魚住』
書いた瞬間
心拍グラフのラインが
いつもの
『+3〜+5』
のレンジから
ほんの少しだけ飛び出す
『大隅』
『魚住』
並んだ二つの名字は
ただの借用者の
記録にすぎないはずなのに
私にはどうしても
論文のタイトルよりも
強烈な意味を持ってしまう!
まるで
将来のどこかの書類みたい……
なんて!
浮かんだ連想に
自分で慌てて
私はすぐに消しゴムを取り出す
きゅ、きゅ、と
鉛筆で書いた
『魚住』
の二文字は
たしかに視界からは消えた
でも
紙の表面を指先でなぞると
さっきまでそこにあった
文字の線の感触が
かすかに残っている
光の角度を変えれば
まだ
読めてしまう
消えないペン跡
私はそっと論文を閉じて
青いノートを開く
ページの端に
小さく書き添える
『※本日の心拍グラフ
魚住の二文字を書いて → 消しゴム →
紙には痕跡、心には証拠能力MAX』
それは誰にも見せない
私だけの
「証拠保全メモ」
だった
証拠のように
挟まれたメモ
ある夕方
ゼミ室から出たあと
私と隆也は
互いの論文と
付随の参考文献を交換した
「この文献の読み解きは綾音が得意かな?」
「じゃあその代わり
私の論文を考察して!隆也」
自宅の机で
その返却予定の文献を開いたとき
私は一枚の小さな紙切れを見つけた
付箋よりも少し厚い紙片に
見覚えのある文字で
こんな走り書きがしてあった
『※ここ、綾音が話してた
“個人の尊厳=物語の最後の砦”に近い気がする』
息が止まりそうになる
あの日
ゼミ室で私がぽろりと言った比喩
自分でも少し気恥ずかしい表現で
「言い過ぎかな」
と思っていた言葉
それを
隆也はちゃんと聞いていて
こうして紙片に残していた
私は
ペンを取り出し
同じ紙片の下の方に
小さな文字でこう書き足す
『※メモ主へ
その仮説、
今度コーヒー一杯ぶんの議論付きで
検証しませんか?』
書いてから
すぐに後悔の波が押し寄せる
なにこれ
ほとんど招待状じゃない!
けれど
消しゴムを取りに
立ち上がることはしなかった
紙片をそっと本に挟み直す
まるで
将来の私への
「証拠提出」
のように
そのメモは
返却された本のページの間で
きっと隆也の目に触れるだろう
それが
どんな意味を持つのかは
まだ
私も隆也にも分からない
けれど
少なくとも
「何も書かなかった時間」
よりも、
この一行の方が
私の心拍グラフの未来形を
確かに変えていくはずだった
消せない線としての
「また明日」
最近
私は気づいている
私と隆也の
「また明日」
はもはや
挨拶の定型文ではなく
静かな署名のような
ものだということに
ゼミ室のドアの前
資料室のエレベーターの中
キャンパスの横断歩道の手前
私と隆也との
別れ際に交わされる
何度目かの
「また明日」
が一本ずつ
私の中の
契約書のようなページに
縦に並んでいく
『当日また明日必須条項
当事者
大隅綾音 および 魚住隆也
は翌日も互いの一日を
少しでも多く
共有する意思を有することを
ここに確認する』
そんな冗談めいた文言を
私は時々
青いノートの片隅に
書き起こしてみる
もしかしたらいつか
それを読み返す日の私が
「こんなに幼かったんだね」
とくすっ!となるかもしれない
でも
それでいい
消しゴムでこすれば
消えるはずの線に
あえて指を触れずに
残しておくこと
自分で書いたくせに
自分ではうまく説明できないままの感情を
文字に託して
そっと紙に寝かせておこう
それこそが
今の私にできる
いちばん誠実な
「約束の仕方」
なのかもしれない
いつか
「恋」
と呼んでもいい日が来るなら
そのとき
今日までの
全てのペン跡は
判決
「理由」
の部分みたいに
静かに整列するのだろう
それまでは
少し歪んだ文字も
震えた一行も
消したはずなのに
残ってしまった鉛筆の跡も
全部まとめて
私と隆也の
「証拠保全フォルダ」
の中に
大切にしまっておこう!
次のページに
にじむインク
ノートを閉じる前
私はページの隅に
もうひとつ
短い一文を添えた
『消えないペン跡とは
未来の自分が読み返すために
そっと残しておいた、
心拍グラフの証拠写本である』
いつか
この青いノートが
新しいノートに
バトンを渡す日が来るとしても
今日までのページは
たぶん
ずっと私のどこかに
挟まれたまま
講義で学ぶ
「証拠」
の概念は
必然に迫られた
に提出されるための
客観的な記録の想定
けれど
私の中で
「証拠」
という言葉は
もっと小さくて
もっと私的で
誰にも見せない
私と隆也ための
記録へと
そっと意味を変えつつある
消しても消しても
光の角度によって
むしろ浮かび上がる線
それはきっと
「なかったこと」
にできない願いの痕跡
隆也
この人と
これからも
未来を分け合っていきたい
そんな思いを
まだ堂々と
「好き!」
と呼べない代わりに
私は今日も
ペン先に託して
紙に落としていく
次の
✨第017季 緑雨の匂い✨
ではそんな
「消えないペン跡」
が雨に濡れた新緑の
匂いとともに
少しずつ輪郭を帯びていく
季を描いていきたい
雨上がりのキャンパス
濡れたアスファルトに
映るふたりの影
傘の内側にこもる
小さな沈黙と
小さな会話
緑色の雨が
私と隆也の
心拍グラフに
どんな新しい揺らぎを
描き足していくのか?
その続きを
また次を
ゆっくりと
確かめていくことにしようよ
青いノートの
角を撫でながら
私は
今日もそっとペンを置く
消せるはずなのに
消さない線が
ページの上で
静かに光を
吸い込んでいくのを
確かめるみたいに
行こう!未来に!




