✨️第012季 心拍のリズム✨️
心臓の音なんて
ふだんは意識しないで
生きている
けれど
ふとした瞬間
その
「当たり前」
が輪郭を持って
立ち上がることがある
論評の前夜
ノートをめくる指先が
冷えているのに
胸の奥だけが
じんわりと熱い夜
教室の扉を開けた瞬間
いつもの席に
いつもの背中があるかどうか?
それだけで
鼓動の速度が一気に変わってしまう
最近の朝
医学書には「心拍数」という項目がある
法律書には「正当な理由」という言葉が並んでいる
どちらの本も
ページの端まで
知識と条文で埋まっているのに
「魚住隆也を見た瞬間
胸が跳ねる理由」
だけは
どこにも書かれていない
✨️第011季 並んで歩く影✨️で
私は「距離」を測る練習をした
影と影の間にある
触れそうで触れない誤差。
歩幅を合わせるために
そっと呼吸を整える時間
そして
彼が当たり前のように
車道側を歩いてくれる
そのさりげない守り方
今度の
✨️第012季 心拍のリズム✨️ は
私の身体の内側で鳴り続ける
「音」
にもう少しだけ
正面から向き合ってみる
LINEの通知音ひとつで
心拍が乱れるのはなぜ?
「また明日」
と告げるだけの別れ際に
どうして胸の内側で
小さなクレッシェンドが起こるのか?
医学書のグラフにも
法学部のレジュメにも
載っていない
私と隆也の
「特異なパターン」
を私は自分の青いノートの
片隅に描いてみようと思う
たとえその線が
まだ
「恋」
と呼ぶには震えすぎていても
揺らぎを含んだ心拍こそが
いまの私
大隅綾音そのものなのだから……
出席チェックと心拍数
出席カードに
名前を書くとき
ほんの一瞬
ペン先が紙の上で止まる
「大隅綾音」
自分の名前を書くたびに
後ろの席あたりで
マーカーのキャップが外れる小さな音がする
振り向かなくてもわかる
あれは
魚住隆也が
今日のレジュメに線を引く前の
いつもの動作だ
私の耳は
なによりも先に
その音を探してしまう
胸の内側で
「トクン」
と一拍
予定よりも早く鳴る鼓動
欠席届よりも正確に
私は
自分の心拍で
今日の隆也
「在席」
を確認している
医学書にはきっと
こんな項目は載っていない
「好きな人が教室にいるときの
心拍数の平均値」
誰も調べていないから
私がひとりで
こっそり観測している
青いノートの片隅に
線グラフの真似事みたいな
記録をつけながら
『隆也、三限目の経済法、出席
心拍数、たぶん平常時+5』
そんな主観的すぎるデータを
誰かに見せるつもりはない
でも
私の中では
どんな統計資料よりも
確かな証拠として息づいている
隣の席のリズム
その日
いつもの教室に入ると
隆也の席の横
私の本当の
「定位置」
が空いていた
なぜ?!
その光景を見た瞬間
胸の中のメトロノームが
ひとつリズムを
飛ばした気がした!
「綾音!
こっち空いてるよ!」
名前を呼ばれて
ほっ!とする
あまりにも自然に
それが
当たり前のように
告げられたから……
私は鞄を置きながら
自分の鼓動を
落ち着かせようとする
吸って
吐いて
でも
肺より先に
胸の奥の方が
忙しく動き出してしまう
講義が粛々と進行する音
ノートに走らせペンの音
視界の端で
隆也が
レジュメの余白に
何かを書き込む気配
それらすべてが
私の心拍に
ひそかなアクセントをつけていく
「……ここさ
“合理性の原則”と“公平性の原則”
たぶん試験で対比させて出されると思う」
小声でそう囁きかけられて
私はうなずきながら
心の中で別のメモを取る
『隆也の声、今日も少し低め
鼓動、+3』
法律的な正解を覚えることよりも先に
私の身体は
隆也の存在に対する
反応を刻みつけていく
「なあ、綾音?」
ふいに
名前を呼ばれて顔を向けると
視線が
思っていたより
近いところでぶつかった
「ノートのここの式
やっぱり綾音の方が
きれいにまとまってる!」
隆也が
私のノートを覗き込む
隆也の肩が
ほんの少しだけ触れそうになって
私は慌てて視線をページに戻す
ページに書かれた文字へ
と焦点を合わせようとするのに
どうしても
視界の端に映る
横顔の輪郭が
邪魔をしてくる
心拍のリズムが
レジュメの余白にだけ
別の譜面を描いていく
通知音とクレッシェンド
夜
机に向かっているとき
スマートフォンが
小さく震えた
画面の隅に浮かび上がる名前
魚住隆也
それだけで
心拍数が
軽くジャンプする
通知音はひとつなのに
胸の中では、
少なくとも三つ分くらい
跳ね上がった気がする
『さっきの論評案
やっぱり綾音の視点
かなり助かる
もし時間あったら
明日
昼にもう一回一緒に
詰めない?』
シンプルな文面
絵文字も飾りもない
なのに
それを読み終えるまでの
数秒間に
私の心拍グラフは
信じられない急カーブを
描いてしまう
返事を打とうとして
指が一度止まる。
『もちろん!』
と打ち込んでは消す
『ぜひ!』
と打ち込んでからもまた消す
最終的に
私の親指が選んだのは
『うん!嬉しい!
明日また一緒に考えようよ!』
という
少しだけ
「本音」
が滲んだ言葉
送信ボタンを押した瞬間
胸の中で
ティンパニが鳴る
ドン!
誰にも聞こえない
私だけのクレッシェンド
数秒後、
すぐに返ってきた返信
『ありがとう
綾音が隣だと変な話
難しいテーマでも心拍
落ち着くんだ!』
心拍
という単語を
隆也の文章の中で
見つけてしまった私は
その瞬間
とても落ち着いては
いられなかった
医学書のどのページよりも
法学部の資料のどの論点よりも
その一文が
今夜の私の胸を
占拠してしまう
帰り道
脈を数える
講義が終わりの帰途
校門を出ると
夕方の微風が
ほんの少し
冷たくなって
「駅まで
今日も一緒に歩いていい?」
前より少し自然に
そう尋ねられるようになった
気がする
もしかしたら
それも勘違いかもしれない?
でも
その勘違いごと
私は抱きしめたい
並んで歩きながら
私は心の中で
私自身の脈を数える
1、2、3、4……
信号待ちで
立ち止まるたびに、
小さく息を吸い直す
「今日の論評
正直ちょっと緊張してた」
ぽつりと言うと
隆也は微笑む
「え?全然そう見えなかったに
むしろ
“心拍安定してます”
って顔してた!」
「そんな顔ある?」
と笑い返しながら
私は思う
本当は
隆也、あなたが
前の列でメモを取っているのが
見えたから
私の心拍は
ギリギリのところで
安定線を
保てていたんだよ!
でも
それを言葉にしてしまう勇気は
まだ少しだけ遠い
代わりに
私は冗談めかして言う
「じゃあ今度から
論評の前には
“心電図チェック担当・魚住”
って名札つけてもらおうかな?」
隆也が肩を揺らして微笑む
その微笑に合わせて
私の胸の中の波形は
また少し跳ね上がる
心拍のグラフと
これから
夜
日課の自室でノートを開く
今日新しく書き足したページには
講義の要点とは別に
私だけが読むための
「記録」
が並んでいる
昼休み
図書館で論評の下書き
隆也のペンの音=一定のリズム
私の鼓動=ときどきアクセント付き
帰り道
いつもの交差点
信号が赤から青に変わる前の数秒間
『心拍、ほぼ間違いなく+10』
医学書的には
「軽度の頻脈」
と診断されるかもしれない
でも
私の中では
それはただの
「生きている証拠」
であり
そして
「隆也を想っている証拠」
だ!
ノートの一番下の余白に
私はそっと書き込む
『今日の心拍のリズムは
“まだ名前のない想い”より
ほんの少しだけ
恋に近づいていた気がする……』
「恋」
と書いて
ペン先が震える
その震えごと
私は丸で囲って
ひとつの
「データ」
として残しておく
いつか
このグラフを
私と隆也
微笑みながら
読み返す日が来る……?
そのとき
私と隆也……
どんな名前で
互いを呼んでいる?
まだ見ぬ未来の鼓動に
そっと耳を澄ませながら
私はページを閉じる
「また明日!」
今日も最後は
その一言で
一日が締めくくられる
でも
胸の内側では
その言葉に合わせて、
確かにひとつ
拍が増えている
心拍のリズムは
もう次の季の扉を
静かに
しかし確実に
叩き始めている……
こうして
✨️第012季 心拍のリズム✨️
を書き終えてみると
私はようやく
自分の胸の内側で
起きていた変化に
少しだけ
名前を与えられた気がする
まだそれを
大きな声で
「恋」
と宣言する勇気はない
けれど
論評の前夜に早くなる脈も
隣の席が
空いているかどうかで
揺れる呼吸も
深夜の
「おつかれさま!」LINEに
ふっと軽くなる心も
すべてが
私と魚住隆也
を結ぶひとつの
リズムであることだけは確か
医学書でも、法律書でも
説明しきれない
この鼓動のパターンを
私は
「証拠不十分」
として片づけたくない
むしろ
まだ判決を出さないまま
大切に審理を続けていたい
案件のように思う
次の
✨️第013季 春風に揺れる髪✨️
ではこの心拍のリズムが
もう少し外の世界へと
滲み出していく予感がしている
風に揺れる
私、綾音自身自分の髪を
隆也が
ふと見つめている気配に
気づいてしまう瞬間
何気ない
仕草のひとつひとつが
心拍グラフの
「跳ね上がり」
として
私の内側に
刻まれていく時間
影で距離を測り
歩幅で近さを確かめ
そして心拍で
「絆」
を感じ取っていく
私の青いノートの中で
まだ名前のない
感情たちは
少しずつ
しかし確実に
「私と隆也、二人の物語」
というタイトルに向かって
線を伸ばし続けている
次また
私、大隅綾音の
ささやかな日常と
その奥で静かに高鳴る
鼓動の記録になる
ページをめくる音に
耳を澄ませながら、
私はそっと
今宵ペンを置く
明日もきっと
隆也の名前に合わせて
私の胸は静かに
拍を刻んでいる




