8 取引き-1
「大人気ないと思わなかったの!?」
昨晩はルカが来る前にぐっすりと眠ってしまっていた。レオハルトとの対面はそれなりに疲れる出来事だったようだ。様子を見にきてくれたルカに正直に昨日のことを話すと、朝から叱られる羽目になってしまった。
「僕言ったよね? 相手は十歳って言ったよね?」
「言いました……」
ベッドの上で正座する形になっている。
「第一王子を泣かせるなんて……大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないと困る……」
二人でため息をついた。
「第一王子は誇り高い人だから、自分が泣いたことを周囲にバラすようなことはしないと思うけど……はあ……僕は次どんな顔して会えばいいんだ……」
「ご迷惑おかけします……」
ルカの視線が痛い。私もやりすぎたと反省はしている。作中のリディアナがレオハルトに受けた仕打ちを思い出して少し強く当たりすぎてしまった。私が物語のリディアナとは違う様に、レオハルトも物語のレオハルトとはまだ別物なのだ。そこはきちんと考慮しなければならなかった。
「いやでもあいつのこれまでのクソみたいな態度、わざとだったからね!?」
「リディアナ~~~ッ!」
本格的にルカを怒らせてしまったちょうどその時、エリザが部屋へ入ってきた。
「失礼いたします。こちらを」
綺麗に装飾された封筒を渡される。
「げっ!」
「殿下からじゃないか」
昨日今日で早すぎじゃない?
(果たし状だったらどうしよう)
「果たし状だったりして」
さすが双子、同じことを考えていた。思わず苦笑いになる。
「それから、サーシャ様がお呼びです」
昨日のあのお付き、引っ込んでもらった別室でワーワーと騒いでいたようで、婚約破棄についてはすでに屋敷内の全ての人が知ることとなっていた。ちょうどいい、こちらも聞きたいことがある。
「お戻りになったんだね!」
「昨夜遅くにお戻りになられました」
ルカは嬉しそうだ。機嫌が戻ってよかった。母は元々忙しい人だったが、ここ数週間の忙しさはその比ではない。その前は私達の治療で休む暇などなかったようだし……体調が心配だ。
「これを読んだらすぐに向かうわ」
手紙の内容は簡単なものだった。
「また明日くるって……」
「何しに?」
「『建設的』な話がしたいんだって」
十歳児がこんな難しい言葉使っちゃて。張り合ってこようとしているのがわかる。しかし面倒くさいな……婚約破棄があっさりできない以上、今のレオハルトに用はないのだ。これは断れないだろうか。ダメなんだろうな……相手は腐っても第一王子だ。
◇◇◇
執務室の机の上に書類と思われる紙の束が山のようになっている。その間から顔を覗かせた母はすぐにこちらに駆け寄ってきた。
「リディ!……リディごめんなさいね……私のせいで……」
強く抱きしめられる。王子相手に一方的に婚約破棄を告げたことを怒られるかと思っていたので正直拍子抜けだった。
「お母様……勝手をしてしまって申し訳ありませんでした」
母の腕の中で謝る。私のしおらしい態度に何か勘違いをしたようだった。母の怒りが加速し始めたのを感じた。
「あの婚約式の時にハッキリしておくべきだったわ!……あの温厚なロイが怒ってたくらいよ!」
徐々に声が大きくなっている。見上げると母の顔が怒りの表情でいっぱいになっていた。ついでに抱きしめている腕にも力が入りギリギリと締め付けられる。
「あのガキ! 調子にのってリディを蔑ろにするなんて!誰のおかげで安全に宮中で暮らせてると思ってるのかしら!」
「お母様どうか落ち着いて……」
あまりの怒りにこちらが震え上がる。なんという迫力だろうか。流石、名門貴族家の当主である。ていうか大丈夫!? 今の発言、誰かに聞かれたらマズイよね!?
「お母様、殿下から婚約破棄をすると我が家も困ると……。その理由を教えていただけますか?」
母は紅茶を飲んでようやく少し落ち着いたようだった。顔色を伺いながらそっと聞く。
「……私が治癒師以外がおこなう医療活動に力を入れているのは知っているわね」
「はい」
それは、今世での記憶でなく前世での知識があったからこそ知っているのだけれど。
「我が国では昔から、医療と言えば治癒師による治療を指すわ。他国と違って魔術以外で人を治す術がほとんどないと言ってもいいくらいよ」
「他国には今、強力な治癒師がほとんどいないと聞きした」
「そうよ。だけど今後、うちもそうなるわ」
確信を持った顔だ。確かに現状を見ればそうだろう。魔力量の多いものが感染する氷石病の流行は止めることができた。だけど世代を重ねるごとに進んでいる魔力量減少を止めることはできない。いつかはこの国もそうなる。
「魔術師がいない世界……」
「極端に言えばそうね」
少し困ったような顔になった。その世界を私は知っている。
「あなたも知ってる通り、治癒師の価値は年々上がってきているわ。質は下がっても母数が減っているから」
「すでに一部の人しか治癒師による治療は受けられていないですよね」
「そう。金持ちしかね」
母は自嘲気味に笑う。
「私ね、昔あなたのお爺様に反発して家出をしたの。冒険者の真似事をして暮らしてたのよ」
その話は聞いたことがある。母がとても楽しそうに、嬉しそうに語っていた。生まれてからずっとお嬢様暮らしの私には到底信じられない世界だったのを覚えている。
「結局この身分に守られて大した怖い目にも合うこともなく、ただの旅行のような形で終わってしまったけど。それでも屋敷の図書室にいるよりも色んなことを知ることができたわ」
あなたのお父様にも会えたしね。と付け足す。
「私の手の届かないところで沢山の人が治癒師を……医療を求めていることを知ったの」
悲しい出来ことを思い出したのか、カップの底をじっと見つめている。いつも明るい母の目の陰りを見て、それが母にとってとても重要なことだとわかった。




