第二部序章 記憶が戻るのは何も悪役令嬢だけではない
アイリスは気が付いてしまった。自分は少女漫画の主人公であると。前世で姉から借りて読んでいた、人気のある漫画だった。それは十歳、天馬から落ちて頭を打った時だった。
「いや、マジウケるんですけど!」
その日からアイリスは人が変わったようになってしまった。彼女を育てたおばばも、彼女を見守っていた村人たちもその変わりように驚いた。
まず、ピンクブラウンの髪の毛をブロンドに染めた。耳にピアスも何箇所も開けた。今の自分の見た目は気に入っていたが、だからこそもっと自分好みにしたくなった。へそピアスも開けたかったが、おばばが泣いてやめてくれと頼んできたのでやめた。
「あたしさ~別に治療魔法かけられるから何とでもなるくね?」
「その一人称はやめなさい! 貴方は聖なる力を秘めているのですよ!」
「別にそれって見た目は関係ないじゃん?」
城下にもよく繰り出すようになった。村から出る為に結界を通るのは毎回大変だったし、おばばにも毎回怒られるのは少し嫌だったが、村だけでは満足できなった。
王都にも憧れた。なんでも、たくさんの衣装店があり、宝石商も店を構え、最近では新しいお菓子を売る店がたくさん出てきているそうだ。一度冒険者が乗る王都行きの馬車に相乗りさせてもらおうとしたが、直前にバレてしまい村に引き戻されてしまった。
こんな風に本来のおとなしくて穏やかな少女から、パワフルでエネルギッシュな少女へと変わってしまったが、彼女の優しさだけは変わらなかった。相変わらず誰にでも親切だったし、いつも笑顔だった。おばばとの口喧嘩は日常茶飯事だったが、お互いに思いあっていることは誰が見てもわかった。愛馬の世話も欠かさなかった。王都への旅行計画も、その愛馬の世話を仲のいい幼馴染に頼んだことで計画がバレてしまったのだ。
「ごめんねアイリス……僕……」
「いやいや! ごめんはこっちだから! 嫌な役目させちゃったよね!」
そんなアイリスを村人達は嫌えるわけもなく、どうにか折り合いを付けることにした。城下へは月に一度、結界の出入りには十分に気を付けること。なんせこうなる前に一度、この国の第一王子と鉢合わせをしてしまい、妖精の力を借りるまでの騒動に発展したことがある。妖精は気まぐれだ。次も力を貸してくれるとは限らない。
そうやって数年過ごした。楽しみにしていた城下へのお出かけ日、最近新しくできた平民向けの衣装店へ向かった。店のショーウインドーには『リディアナ・フローレス公爵令嬢御用達』と小さな看板が掲げられていた。商品のデザインも、アイリスには少し懐かしく感じるものが多かった。どの服もこの世界のものよりシンプルだ。
「リディアナ・フローレスって悪役令嬢じゃん?」
「こら! そんなことを大声で言ったらダメだよ」
お目付け役の幼馴染が嗜める。アイリスも自分が不用意だったと認めた。記憶が戻ったことは誰にも話していない。きっと皆不安がるし、自分が物語のキャラクターだと知ったら傷つくんじゃないかと思ったからだ。
「以前はそういう噂もあったみたいだけど、今はそんなことないみたいだよ。平民が魔術学園に通うためのお金も出してくれてるって話だし」
「ふーん」
それでピンときた。きっとリディアナも前世の記憶を手に入れたのだろう。それ以外に性格が変わる理由なんて今のアイリスには考え付かなった。
「フレッド様の治療にも手を貸してくださったんだって」
「ああ! フィンのお兄ちゃ……フィンリー様のお兄様ね」
原作とは違い、フィンリーは嫡子ではなくなっていた。すでに物語が大きく変わっているのを感じる。
「フレッド様の結婚式の時は凄かったよね! 城下中綺麗に飾り付けられてさ。王都で流行ってるっていうあのお菓子も美味しかったなぁ」
「あたしも……私も作ってあげたじゃん!」
「よくあんなお菓子の作り方がわかったわね! やっぱりアイリスは天才だ!」
大袈裟に褒めてくれる。だけどアイリスはその時まで、自分で前世のお菓子を作ろうと思わなかった。なければ作ればよかったのだ。王都へ行かなくても手に入ったのに。自分は物語に対して受け身だったと気が付いた。
前世では優秀な姉の陰に隠れて、親からの期待もなかった。根は真面目なので、一生懸命に勉強も運動も頑張った。でも頑張っても上には上がいて、両親には認めてもらえなかった。そしていつしか疲れてしまった。
姉を羨んだこともない、両親の期待を一身に背負って辛そうな姿も知っていたから。
だけど今は何をしても優秀だ。ほんの少しの頑張りでなんでもコツをつかむことができる。特別な力も持っている。なのに、この物語を変えるなんて思いつきもしなかった。物語通りに世界を救えばいいと思っていた。それが私を無条件に愛してくれるおばばや村の人達への恩返しだと決めつけていた。
だから髪の毛もピアスも、物語が始まる時に元に戻すつもりでいた。就職活動前の学生の気分だったのだ。「その日」が来るまでは好きに楽しもうと。
(別に物語通りに生きる必要なんてなかったんじゃん。あたし……相変わらず馬鹿だなぁ)
アイリスはいまだに深い眠りの中で前世の世界に浸ることがあった。イマイチこの世界の価値観に馴染めないのはきっとそのせいだろうと自己分析している。
「アイリスはいいなあ。来年はフィンリー様と一緒に学園へ行けるだろ」
幼馴染は心底羨ましそうだった。彼はアイリスと長く一緒にいるせいかしっかり彼女に影響されてしまっていた。
「そだね」
それよりも今はリディアナ・フローレスに会うのが楽しみだ。会ったらどんな話をしよう。前世の事? それより記憶が戻ってどんなことをしたかとか? どうやら悪役令嬢ではないようだし、原作のようにはならないだろう。
(やっぱりまずは昔話がしたいな)
実は学園入学を前にして少しばかり気が重かったのだ。自分が世界を救うなんて大袈裟なことをすることになるとは。その相談にも乗ってもらおう。相手はラスボスだけど、たぶん大丈夫。アイリスの勘はよく当たる。
「あー早く学園に行きたーい!」
「ああ。僕も行ければいいのに」
「遊びに来ればいいじゃん!」
「そう簡単にはいかないよ」
衣装店ではリディアナ・フローレスおすすめのワンピースを買った。このことも彼女に話そう。喜んでくれるだろうか。




