30.5 妖精姫
ルーフェンヤはずっと昔からある、この美しい湖のほとりに現れる少年のことをいたく気に入っていた。いつもニコニコと彼は小さな兄弟たちと遊んでいた。
他の妖精達からは人間に興味があるなんて変わっていると笑われていた。でもいつも同じことを永遠に繰り返して、それに満足している方が変だとルーフェンヤは感じていたので、そんなことを言われても少しも気にならなかった。人間は面白い、姿すらあっという間に変わるのだから。
ある日妖精達がその少年に気まぐれに悪戯をした。はぐれ飛龍をけしかけたのだ。少年は青年へと変わっていたが、彼では勝てないことはわかっていた。どうしても彼を助けたかったルーフェンヤは彼に力を与えたのだ。それは人間には有り余る力だった。
「ありがとう」
見えていないはずのルーフェンヤに青年はお礼を言った。
「僕はヴォルフ。ヴォルフ・オルデン」
ヴォルフは湖へ来ると、いつも見えないルーフェンヤにお礼を言った。そして真っ赤なガーベラを湖へ浮かべたのだ。今回はナントカの国に勝てたとか、飛龍の群れを撃退出来たとか。そんな話をよくしていた。
そしてそのうち、彼は小さなヴォルフを連れてくるようになった。どうやらヴォルフの子供のようだ。
ある夏の日、ついにルーフェンヤは妖精の掟を破って彼の前に姿を現す。ヴォルフの子が湖で溺れてしまったのだ。今度は妖精達が本気で彼の子を殺しにかかっていた。彼女は怒り狂って全力で妖精達を追い払った為、姿を隠すだけの力が残っていなかったのだ。
それからはヴォルフ達が来るたびに姿を現した。もう他の妖精はここには来なくなっていた。ルーフェンヤは一人だった。
彼らの交流は続く。ルーフェンヤが自分達のせいで一人になったことに気付いたオルデン家の人々は頻繁に湖に通った。だからルーフェンヤは少しも孤独ではなかった。
ある時ヴォルフがルーフェンヤに頼み事をした。彼の顔の皺は深くなっていたが、笑顔は変わっていなかった。
「大きな戦いが近づいております。どうかルーフェンヤ様のお力を我が息子にもお授けいただけませんでしょうか」
「子々孫々に渡る力を授けよう。その代わり妾をそなたの家族にしておくれ」
彼女もあの笑顔の元でずっと暮らしたかったのだ。そうして強大な力を彼らに与えた。それから妖精をも殺す力のある魔剣を。また彼らの子供が妖精によって命を狙われないように。ヴォルフの子供は彼が捧げたガーベラ色の髪の毛と共に、妖精姫の加護を得ることができた。
ルーフェンヤは父親に会いに行った。彼女の父親は妖精王だ。なんでもできる。彼女はヴォルフと生きる為に人間の姿を望んだが、受け入れてはもらえなかった。
何度も何度も挫けずに頼み続けた。
最後は妖精王が折れた。
「愚かで可愛い娘よ。羽を置いていけ、戻ってくることはならぬ」
ルーフェンヤの願いは聞き届けられ、美しい娘の人間の体を手に入れることができた。
ルーフェンヤにはもう羽はなかったが天にも昇る心地だった。急いでヴォルフが待つ湖へ戻った。
しかしそこには誰もいない。いつまで経っても誰も現れない。ルーフェンヤを心配した妖精が、ヴォルフの子供達の居場所を教えてくれた。
「ヴォルフはどこ?」
「ここにはおりませぬ」
ついこの間、力を与えたばかりの青年の顔に、ヴォルフとよく似た皺が出来ていた。その彼の子だという少年がうやうやしく挨拶をする。
「ヴォルフはどこ?」
「ルーフェンヤ様を探しにライアス領へ」
ライアス領の魔物の森の近くには妖精の国の入り口があるという噂があった。
「ヴォルフはどこ?」
「死にました」
その後のことはあまり覚えていない。自分の全てが終わった気持ちだった。ヴォルフに関わるものは全て消し去りたかった。あの美しい湖、彼が自慢していた緑豊かな大地、彼の子ども達。この国。
自分の全てを捧げても手に入らなかった。
生命体として最期に見たのは、ヴォルフが捧げてくれていたガーベラの赤だった。自分を突き刺した若者が泣きそうな、苦しそうな表情をしているのも見た。でも、許せなかった。
最期に吐いた呪いの言葉でルーフェンヤはオルデンの一員になることができた。最期に狂い死のうとかまわない。狂っている間はルーフェンヤはオルデンとしていられるのだから。




