最終話 原作の終わる日
「リディアナ・フローレス! 今! この時を持って貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティの真っ最中。王立学園の豪華な大広間で、この国の第一王子であるレオハルトが叫ぶ。側には可愛らしいふわふわボブのピンクブラウンの美しい髪色をした少女が、ハラハラと経緯を見守っていた。
……なんてことは起こらない。
王立学院の卒業パーティ。私達は無事、原作を書き換えることができた。もちろん、レオハルトはアイリスに愛を囁くでもなく、私は学院の生徒を虐殺したりなんかしない。
あんな大事件があったというのに、賑やかで、和やかな卒業パーティだった。
全員が笑顔で、全員が未来に希望を抱いていた。
「ここからは本当に、これから先がどうなるかわかんないんだねぇ」
アイリスがしみじみと嬉しそうにダンスを踊っている卒業生を見ながら呟いた。私達はこれまで予知夢を頼りに動いていた自覚があるので、ほんの少しの不安と同時に、無限大の可能性を感じてドキドキしている。
アイリスは聖女になる資格を失った。もう治癒師ではないのだ。私を生き返らせる引き換えに、その力を失ってしまった。彼女の夢を奪ってしまったようで、私も罪悪感を抱いたのだが、もちろんそんなことをアイリスが許すわけもなく。
『あたし、アランと一緒に聖騎士目指すんだ~!』
と、満面の……というよりデレデレとした表情で言われた時は思わずひっくり返りそうになった。気が付けば二人は相思相愛になっていた。アイリスの防御魔法の驚異的な威力は健在(しかも結界も使える)なので、問題なくその夢は叶うだろう。
ルカは卒業後、ヴィンザー帝国へ留学することに決まっている。もちろん、魔道具についてより深く研究するために。
『僕だって負けないと思ってたけどさ。あの転移装置を見たらそうも言ってられなくなっちゃった』
原作の弱々しいルカの欠片も見えない、燃えるような瞳をしていた。
ジェフリーはもちろん、これからもレオハルトの側で働く。彼の今一番の悩みは、
『あちこちから婚姻の話をせっつかれて……いや、もちろんすべきなんでしょうが、正直今は本当に時間がなくって……』
卒業パーティでも令嬢達に一番人気だった。なんとかジェフリーの一番になろうと躍起になっている令嬢達を、はしたない! と、叱り飛ばしたのはライザ。相変わらず、私とは休戦中、といったところだ。……たぶん、このまま一生そうだろう。
さて、フィンリー様はもちろん卒業後、冒険者になることが決まっている。表向きには遊学に出る、となっているあたりが残念ながらまだまだ貴族社会の我が国らしい点だが、本人は全くと言っていいほど気にしていなかった。
『肩書きはなんでもいいんだ。やることは一緒だし……問題は中身だからね』
楽しみで楽しみで仕方がない、と見ているこちらがワクワクするほどだった。
「卒業おめでとう!」
学院長の祝辞と共に、風の刃ではなく、春風と共にたくさんの花びらが舞い上がった。
ああ、これぞハッピーエンドだ。
◇◇◇
「リディ。俺と結婚して欲しい」
「……へ?」
あまりの唐突なプロポーズに、情けない声で答えてしまう。
ここは私の自室だ。まさか昔私が(大人げなく)レオハルトを泣かせた部屋で、潤んだ瞳で彼が跪くとは思ってもいなかった。
「この部屋で俺の人生は変わったんだ」
と、彼なりに思い入れのある場所のようだ。そういえば前世が戻って初めてレオハルトと会ったのがこの部屋だった。
(確かに、ここから変わったんだよね~私達の関係は)
卒業パーティの翌日、レオハルトは久しぶりに我が家にやって来た。彼は次期王として、そして私はその婚約者として、あの戦いが終わった後も忙しい毎日を送っており、まともな会話も久しぶりだ。
(そうだ……私達の婚約をどうするか……卒業パーティでって話だった……)
決して忘れていたわけではない。いや噓、忘れていた。デルトラ・ルーベルとの戦いの後は、綺麗サッパリと頭の中から消えていた。昨日、原作でリディアナが婚約破棄された場面を思い出していたにもかかわらず、だ。
(けど本当に忙しくって……)
言い訳しても許されるんじゃないか? というくらいやることが山盛りだったのだ。
幸い戦闘が行われたのが、時計塔広場と王城に限られており、一般市民への被害はなかった。だが、伝説の存在である”龍王”が現れた(それも計三体の巨大龍だ)、さらに討伐したことが各国へと広まり、外交関係が活発になって、次期王の婚約者としてあっちこっちへと挨拶をして回ることになっていた。
(偉い人がきたらそれなりの立場の人間が対応をって……まあそうなるわよね……)
そのほとんどが、龍王という脅威に我が国がどう対処したのか興味深々であったし、龍王の遺骸(存在しないが)の活用方法を知りたがっていた。同盟関係にも大きな影響を及ぼす話題に、神経をすり減らして毎日ヘロヘロだ。だから、
「……婚約破棄すること自体を忘れてました」
「!! それは! 俺と結婚してくれるということか!!?」
「え!? そうなります!!?」
私の答えに即反応するレオハルト。まあ、そう受け取られても仕方がない返事か?
「だって以前はあんなに婚約破棄したがっていたじゃないか!」
もうすでにレオハルトはニッコニコだ。なんだか締まりのないやりとりになってきたぞ。人生の大事な瞬間な気がするが……。
「……確かに、すっかり婚約破棄のことを忘れるくらい、当たり前にレオハルト様の婚約者やってましたね……死に戻った体に鞭打って働いてたので」
「どこか悪いのか!!? 大変だ! アイリス……いや、聖女様に診てもらって……!」
「いやいや私も治癒師ですから! そこ忘れないでください!」
相変わらずのやり取りだ。
(まあいいか、私達らしいし)
気付けば自然と覚悟が決まっていたようだ。なんならついさっきまで、
(明後日はヴィンザー帝国の高官か~まあ、ルイーゼがいるから気は楽ね~)
なんてことを当たり前に考えていた。
成人しても相変わらず天使のような笑顔のレオハルトが、それはもう嬉しくて仕方がないと言わんばかりに私のちゃんとした答えを待っている。
そうすると、なんとなくその表情を変えてみたくなるもので……。今度は私が跪いて、レオハルトの手を取った。以前、ルイーゼの姉であるダリアがそうした、というのを思い出しながら。
「ではレオハルト様。私と一緒に幸せになってくださいますか?」
真っ直ぐ、一切視線をそらさず、彼の瞳を見て告げる。
「は、はい……喜んで……」
まるで乙女のように顔を真っ赤にして、たどたどしく返事をするレオハルト。これで私も満足だ。……と、思ったら、
「わっ! そんな……泣かなくても!」
「だって……嬉しくって……!」
まさかもう一度この部屋で涙することになるとは彼も思っていなかっただろう。そっと差し出したハンカチを今度はゆっくりと、満面の笑みで受け取った。
◇◇◇
ライアス領の端にある魔の森の近くで、フィンリー様が大きな荷物を愛龍のフィルマーに括りつけた。ついに今日これから、彼は旅立つ。
「寂しくなるよ」
けど、それ以上に楽しみな毎日が彼の目の前に広がっているだ。
「本当に」
本当に寂しい。けど、この寂しさは大丈夫。フィンリー様を失ったわけじゃない。彼は生きて、生き残って、夢を叶えたのだ。私の夢も叶ったのだ。
「お気をつけて。私はフィンリー様が帰ってくる場所をずっと守ってますから」
だからいつかまたきっと、この国に戻ってきて。
「リディに貰った命だ。絶対に守る」
この『絶対』は守ってくれそうだ。真っ直ぐこちらを見て答えてくれた。
「お土産話、楽しみにしていますね」
「それは期待してくれていいよ」
今度はいつもの優しい笑顔になる。
「イケオジ姿をリディに見せなきゃいけないからね」
「いや本当、お願いします!」
私の返事に満足したように声を上げて笑った。
「じゃあ、また」
私達に大きく手を振って、フィンリー様は青空の彼方へと飛び立っていった。
「また」
私の運命を大きく変えてくれた人。
大切な人達と巡り合わせてくれた人。
また会いましょう。
青空の向こうで、龍の鱗がキラリと光ったような気がした。




