43 続きの世界
シャーロット様には並々ならぬ恩がある。だから、彼女の爪が私の腹を貫いたとしても、まあしょうがないな、くらいの感想しか浮かばない。
フィンリー様を守れた。彼はこれからも生きていく。目標達成! それだけで今世は満足だ。
(フィンリー様のイケオジ姿は見損ねちゃうな)
それは望みすぎということだろう。
なんにしてもよかった。痛くない。もう何も見えないけど、最期に皆の声が聞こえる。
「リディアナ!!! シャーロット様はもう大丈夫だからね!!! ちゃんと結界張ったから!!! すぐ治してあげるからね!!!」
「リディ!!! 起きろ!!! 起きてくれリディ!!! フィンリーをこのまま悲しませていいのか!!?」
子供のように泣きじゃくっているフィンリー様の声が聞こえる中、アイリスとレオハルトが声を振るわせながら私の耳元で大声を出している。アイリスの魔力がほんのりと体の中に入って来るが、それがただ風のように通り抜けていくのも同時に感じた。
(右手が暖かい……この手はレオハルトかな……)
散々ダンスの時に握った手だ。いつの間に大きくなったのやら。
(レオハルトの王様姿、見届けたかったな……)
案外、レオハルトのこともちゃんと好きだったんだな私。この好きはどの好きかこの期に及んでわかんないけど。
(うーん。でも愛なのは間違いないわね)
思わず照れくさくて笑ってしまいしまいそうだ。ああ、別れは寂しいな。
(せめて最期に皆にありがとうって伝えたかった……私は幸せだったって……)
だけど今世の私の物語はここまで。
前世の私が褒めてくれている気がする。
私、頑張ったよね。
◇◇◇
ずーっと前、大切な人を亡くすと体に穴が空いたような感覚になると聞いたことがある。
(あれって本当だったんだ)
横たわるリディアナに触れたあたしの手が小刻みに震えていた。瞬時にこれは悪い夢なんじゃないかと想像する。もう一回今の戦いをやり直したっていい。だからこれが悪夢であってほしいと強く願った。だけど、リディアナは目を覚まさない。あたしも悪夢から目覚めない。
(夢じゃない……)
じゃあ、リディアナは死んだの?
「早く!!! 早くリディを治してくれ!!!」
レオが半狂乱になって叫んでいた。ルカはもう声も出ないくらい打ちひしがれている。フィンはリディアナの手を握って謝り続けていた。ジェフリーはあたし以上に震えている。
「なんで……笑ってんのよ」
リディアナは綺麗な顔で笑っているようだった。少し照れているような、そんな穏やかな微笑み。
(目的達成して満足するのはなしでしょ!!!)
途端に腹が立ってきた。ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!!!
「なにやってんのよ!!! こんなんでハッピーエンドになるわけないじゃん!!! だいたいいつもいつも年上ぶって!!! 今はタメだっつーの!!!」
散々他人に自己犠牲するななんて言って! 結局自分が一番体張ってるじゃん!
「そっちがその気ならこっちだって考えがあるんだからね……」
鼻水がダラダラだがそんなの構ってられない。服の袖で拭いてやるんだから!
「初代聖女の子孫舐めんな!!!」
とっておきだ。とっておきの技だ。原作で、あたしが死を迎えたレオハルトに使った特別な——死すらも克服する聖女の力。心から愛する人にしか使えない、とされてはいるけど。
(リディアナ、自分でも散々言ってたじゃん! 愛は種類が多いって!!)
言っとくけど、あたしかなりリディアナのこと愛しちゃってるからね!! めちゃくちゃ心許しちゃってるから!! アランに吐けない弱音も、鼻水姿だってリディアナには見せられるし!
両手の手のひらに力を込めて、リディアナの両頬を包む。まだ少し暖かい。
「絶対ハッピーエンドにするんでしょ!! 帰って来い!!!」
魔法陣のように聖女の紋章が地面に広がり光を放つ。
(やばっ)
ただでさえ足りない魔力がどんどん減っていくのがわかった。原作のあたし、最後の戦いでまさか手を抜いてた!? この最終奥義がこんなに魔力を消費するなんて……! なのにまだリディアナは目を覚さない。こちらの目が霞んでくる。これはヤバい……こんなこと、今までなかった……。
思わず身体が倒れかけたその時、大きな手があたしの肩を支えてくれた。
「アラン!」
「オレの魔力も使って!」
やばっ! 愛の力が偉大すぎるせいなのか、急に元気が出てきた。魔力もどんどん補充される。アラン、こんなに魔力あったっけ? と、思ったら……。
「俺のも使ってくれ!!」
「私のも!!」
レオやいつの間にか時計塔から移動して来たアリアとルイーゼも加わっていた。
「頼むアイリス……リディを連れ戻してくれ……!」
「……!」
もちろんフィンもいる。ルカもグッと口に力を込めてしがみついてきた。
(やってやる! 絶対呼び戻してやる!!!)
すう……と、リディアナの唇から小さく息を吸い込む音が聞えた。
◇◇◇
真っ白な世界が目の前にあった。ここに来るのは少なくとも二度目なはずだが、全く覚えていない。
(死後の世界ってこんな感じだったのか〜)
自分の葬式くらい覗けたりするのだろうか、なんてことを考える。こんな呑気なのは、きっと皆に後を任せられると思っているからだ。彼らならきっとうまくハッピーエンドにしてくれる。シャーロット様を元の人間の姿に戻して、城も新築のように綺麗に立て直してくれることだろう。
いやあ、しかしこれから……、
(事後処理大変そう〜〜〜)
関わらなくていいのでこちらも他人事だ。
「ふふっそんなこと言っていていいのかしら?」
「!!?」
綺麗な声が聞こえ、慌てて振り返る。
「シャーロット様!?」
王の執務室にある肖像画のままの美しい王妃がそこに立っていた。額に核はない。小さく微笑んでいる。
(うそ!? シャーロット様も死んじゃったってこと!?)
「いいえ。死んでいませんよ。まだね」
ここでやっと私は心の声がダダ漏れなことに気が付いた。
「まずはリディアナ。私のためにここまでしてくれてありがとう。お陰で決められた未来を変えることができたわ」
なんだか直接頭の中に響くその声を、少しだの間咀嚼する。そして、
「よっしゃー!!! やった! やったのね!!!」
王妃を前に飛び上がって喜んでしまった。ああ、早く皆に知らせてあげたい。
(って、もう無理か〜)
でも生きているならすぐにわかることだろう。この喜びを皆とわかちあえないのが残念だ。
「……リディアナ。貴女、こうなることをずっと覚悟して生きていたのね」
「そうですねぇ……いざという時にヒヨらなくってよかった」
きっとこれまでの楽しかった毎日があったからこその覚悟だ。きっとあの時死にかけたのがフィンリー様以外でも前に飛び出せたと思う。あの楽しかった毎日がずっと続いて欲しかった。そこに私がいなくていもいい。
(寂しいけど)
そう考えてすぐにシャーロット様の方を見る。私の思考回路はバレバレなので、シャーロット様の悲しげな微笑みを見て切なくなってしまった。そう、私はやっぱり寂しいのだ。
「私のために……私のせいで貴女がこんなに痛い思いをしてしまって……本当にごめんなさい」
「そんな! 私、とっても感謝しているんです。私の大切な人達の未来も変えるチャンスをくださって」
シャーロット様は予知夢を見てから死の前日まで、寝る間も惜しんで自分の死後、未来を変えるための手立てを探した。きっと本当は最期は愛する人と過ごしたかったはずだ。
「貴女、なんだか簡単に言うけれど……本当にとんでもないことをしたのよ? 龍王の運命を変えるなんて」
私の反応が信じられないのか、少し驚いたように目を丸くしてシャーロット様は龍について教えてくれた。
「かつて龍王は世界を変えるほどの力を持っていたの。だからね、【龍王】の運命は【世界】に決められていた……その血を濃く継いだ私達の死は世界に定められたもので、人間とは違って変えられるものではないのよ」
シャーロット様はハッと慌てて、
「に、人間が世界にとってたいしたことない存在という意味ではないのよ……! 私だってもう体のほとんどは人間だったのですから!」
そんな言い訳が、なんだか人間くさくて可愛らしい。
その後は二人で真っ白な世界に座り込んで、私はこれまでの頑張りの話をした。
シャーロット様にさらなるお礼を言って欲しかったわけではない。少し甘える気持ちで、頑張ったことを褒めてもらいたくなったのだ。他人に対してこんな風になったことはないのだが、龍王という大いなる存在相手だからだろうか。それとも、この空間が心の中すら明け透けになることがわかったからだろうか。一緒に頑張った彼らともう共有できないからだろうか。
シャーロット様は、まあ! そんなことに!? と、実にいい聞き役になってくれ、最後には、
「貴女がリディアナとして生まれてくれて本当によかった」
優しく私の頬にそっと触れた。とても温かい。
(死んだ後も温度って感じるんだ)
「いいえ」
「え?」
「これは貴女のことを心から愛している者の温かさよ」
なんのこと? と、首を傾げる私の頬をシャーロット様が撫でる。
「そろそろ休憩もお終い。元の世界へ戻りましょう」
「え!?」
ギョッとする私を見て、シャーロット様はくすくすと笑った。そうして面白そうにことの経緯を説明してくれたのだ。ネタバラシよ、と嬉しそうに。
「アイリスはずいぶん無茶をしているわね」
「まさか聖女の特別な力が私に有効だとは……」
「愛とは不思議ね」
ふふっとまた可愛らしく笑う。
「けれどあの力がなんの対価もなく使えるわけがないわ。だって死人が蘇るのよ?」
少しだけ残念そうな表情に変わった。対価はなんだろう、と考えると同時に、
「え!? やっぱり私死んでるんですか!?」
「そうね。ギリギリ死んでて、ギリギリ生きてるの」
(わからん!)
「刹那なの。今、私達がこうやって会話しているのも、きっと目覚めたら忘れているわね」
貴女達の前世の世界の言葉ね、と思い出したようにシャーロット様は遠くを見た。
しかしそれは残念だ。せっかくシャーロット様と仲良くなれたのに。
(まあ、元の世界に戻ったらまたチャンスがあるし)
私の心の声を聞いた瞬間、シャーロット様が嬉しそうな、でも同時に困ったような表情をした。だがそれを誤魔化すかのように話を元に戻す。
「アイリス……あの子、もう二度と治癒魔法が使えないわ」
「そんな!?」
そんなこと原作には書いてなかったが、龍王の死後のことはシャーロット様にもわからない。そのため、その後の内容は原作者である久遠先生による創作だった。要するに、知らなかったのだ。
「アイリスも知らないんでしょうか!?」
「いいえ。知っているわ。黙っていたのは、貴女に使うなと言われないようにするためでしょうね」
アイリスは私のことをよく理解してくれている。
(治癒魔法使えなくなったら、アイリスは聖女になれなくなっちゃう……)
世界の理を越えるには、どうしても代償が必要、ということだった。
「躊躇うことなどないでしょう。貴女の命が助かるのなら」
そうしてまた愛しそうに微笑みながら、
「貴女だって躊躇わず命を投げ出してフィンリーを助けたでしょうに」
ギュッと抱きしめられる。なんだかとても心地がいい。
「……貴女に一つだけ謝ることがあるの……」
あまりにもシャーロット様の腕の中は安心感があって、なんだか夢現な気分になってくる。
「私の体はそう長くはもたない……でもこれは、貴女達のせいではないの。ルーベル家が龍王を復活させるにあたって決めていた龍王の寿命……私が復活したら、自分達でも止められないことはわかっていたのね」
体の内側がぽかぽかしてきた。心臓のあたりだ。脈まで打ち始めている。これはやはり夢だろうか。どこからが夢だろうか。
「残りの時間、私は私のために使おうと思っているの……陛下と二人だけで……ワガママ、聞いてもらえるかしら? でも、私も頑張ったからランベールに褒めてもらいたくって……」
シャーロットの腕の中にいるリディアナはすやすやと眠っているようだった。美しい黒髪をそっと撫で、額に優しく唇を落とすと、二人は同時に光の粒となって元の世界へと帰っていった。




