35 最期の予知夢
王都にあるフローレス家の屋敷で、次女ソフィー、次男のロディ、末っ子のシェリー、それからフローレス家専属家庭教師であるアリバラ先生が出迎えてくれた。
久しぶりに我が家で食事会だ。ということにして、アリバラ先生の予知夢の変遷を見せてもらいにきた。
先生曰く、ここ数か月予知夢の頻度が上がり、それを描いたものがたまっているらしい。見る度に画面のノイズとひび割れが広がっていたが、肝心の龍王――シャーロット様を救出した後の予知夢はまだ。不気味なほどピタリと止まってしまったと肩をすくめていた。
「お母様、相変わらずお忙しいのね」
「お父様の帰りはいつだっけ?」
長女と長男の何気ない発言に、次期当主であるソフィーは呆れ声だ。
「久しぶりにお戻りになったのはお姉様もお兄様も同じですわ」
「また危ないことしたんだって~?」
ロディは面白がっているが、ソフィーにジロリと睨みつけられ、すぐにそれをやめる。
「でもそのおかげでお父さま、はやくお帰りになるんですって! さきほど手紙がとどきましたよ!」
シェリーはにこにこと嬉しそうに私に抱きついてきた。父は今また生まれ故郷へと戻っていたが、私とルカがどうやらまたとんでもないことをしでかしたと聞かされ、急ぎで戻ると昨日手紙が届いたのだと教えてもらった。社会人としての記憶の残る私としては、スケジュールを大幅に変更するようなことになって大変申し訳ない。が、今回ばかりは二度目があったとしても同じことをやるだろう。
(というか、お母様もお父様も詳細を知ればしかたない、と思ってくれそうではあるのよね)
こう考えることができるのは、きっと貴族の中でも特殊であるし、親子としてこの価値観を共有できる幸運を噛みしめながら、シェリーの柔らかな髪の毛を撫でた。
◇◇◇
「ここに描かれている飛龍達がどこから来たかわかりました」
アリバラ先生に報告するフィンリー様は珍しく、ほんの少しだが得意そうにしていた。私達は全員、彼の教え子と言っても過言ではないので、いまだに先生に褒められたい、という欲求がどこかにある。
「あなたならやり遂げると思いましたよ。その視野の広さがあればどこへでも行けるでしょう」
いつもの口調のアリバラ先生だが、目元が下がっているのを私達は見逃さなかった。もちろん、フィンリー様は嬉しそうだ。ああ可愛い。
最終決戦で現れるであろう飛龍の群れの出所は、予想通りライアス領から出たものだった。
「冒険者ギルドを通さず、飛龍の卵を冒険者と直接取引きしていたらしい」
「それってギルド的にダメなんじゃなかったっけ?」
アイリスの疑問ももっともだ。冒険者への依頼は冒険者ギルドを通すことが原則。だが、実際のところはチョロチョロとそういうこともおこなわれていた。ギルド側にバレると心証が悪くなり、いい仕事を回してもらえなくなるので、もちろん黙ってコッソリと。それでなかなか話が出てこなかった。
「十年前くらいの話なんだ。聞き出すのには苦労したけど……。先生の絵が正確だから、飛龍達のだいたいの年齢がわかったのが大きかったよ」
「あなたから予知夢を視た場合の注目点を伺っていましたからね」
報酬もよく、前金だったため引き受ける冒険者がそれなりにいた、という噂がその時期ライアス領ではあったそうだ。すでに冒険者を引退した者達が、気まずそうに告白し判明した。
「八年前……リディが初めてライアス領に来た時、はぐれ飛龍に襲われた人達を治療してくれただろう?」
覚えてる? と聞かれるが、もちろんしっかり覚えているので大きく頷いて答えた。一生忘れることのない楽しい夏の思い出だ。
あの時のはぐれ飛龍は、あの一年後、フィンリー様が討伐していた。もちろんフィンリー様単独ではなかったが、その勇士は王都でも話題になったのだ。
「あの個体……研究のために保管してあったんだけど、人の手が加わっていたことがわかったんだ。……龍王の血が入っていた」
現在、ライアス領で生活している隠れ薬師のへスラーがそれを解析した。今更だが、彼はかなり有能だ。隣国から脱走(しかも機密情報である魔力回復ポーションのレシピを知っている)しているせいで、日の目を見れないことに、私達が悔しい気持ちになっていた。本人はその方が気楽でいい、という話だが、恩恵に預かっている身としては申し訳なさが勝っている。彼がウンと言えば、母に引き合わせるつもりだ。
(どの道シャーロット様のこともあるし……)
ルーベル家の協力はもちろん得られない。今後、王妃になにかあった場合、頼れる先は多い方がいい。
「そういえばずいぶん賢い飛龍だったと言っていたな」
レオハルトも詳細を思い出したようだ。群れではなく単体で動き、狩りやすい人間ばかり襲い、多くの被害を出していた。
「生物兵器……」
ボソリと呟いたジェフリーの単語を聞いて、ゾワリと震える。魔力を集める植物型の魔獣であるキモマもそうだった。
「ルーベル家って魔力の少ない人間は使えないって考えてたから、それより魔獣を使った方が早いって考えたんだろーね」
苦々しく吐き捨てるように言い放ったのはルカ。先生の絵にはやはりまだ飛龍に襲われている人々が映っている。人数は随分と減ったが。
「この情報をサーシャ様に渡そうと思っているんだ。対抗薬は作っていた方がいいだろう……薬学研究所なら量産もできるだろうし」
フィンリー様の兄、フレッドを通して正式に話がいくように、すでに領地と連絡を取り合ってくれていた。へスラ―も同時進行で対抗薬の研究を進めてくれているが、彼は今でも龍王のメタモルフォーゼを完全に止める薬も考え続けてくれている。流石にキャパオーバーだろう。
「わかりました。すぐに母と打ち合わせます」
「陛下にも伝えておこう」
私達はこうやって確実に足場を固めていくしかない。
◇◇◇
アリバラはその日の就寝前、これまで味わったことのないソワソワと落ち着きのない気配を自分の体内に感じていた。
(ああ、これは今日予知夢を視るな)
そう思いながら目を瞑る。予知夢の頻度が上がってからというもの、期待と諦めを繰り返し、実は少し疲れていた。回数を重ねるごとに大きくなるひび割れは決して割れることがなかったからだ。何度も何度も自分の死を体験した。汗まみれで何度目覚めたことだろう。
だから今夜も最悪の目覚めを覚悟した。たとえそれが恐ろしい光景でも、夢の中の出来事は可能な限り記憶する。彼の教え子達の役に少しでも立てるなら。
(……え?)
夢の中で目を覚ますと、世界に亀裂が入っていた。ひび割れではない。亀裂だ。
「あ……」
夢の中の自分が驚いて声を漏らした途端、世界が崩れたかと思うと、光の粒で溢れかえり真っ白になった。
(ついに……?)
ついにやったのか? と、ポカンとその真っ白い世界でアリバラは佇んでいた。だが一度の瞬きの後、すぐに現実世界で目を覚ます。
「予知夢が崩れた……」
むくりと起き上がり、まだしばらくぼうっとしていた。ふと下を見ると、ブランケットに涙が落ちている。彼は自分が泣いていたことにも気付かなかった。
(予知夢は覆すことができたのか)
覆せなかった過去の予知夢を悔いているわけではない。この予知夢を覆すために八年間、彼の教え子達は奔走した。こみ上げてくる感謝の気持ちで涙が止まらなかったのだ。なにより嬉しかったのは、自分の運命ではなく、お転婆な教え子の未来が変わったことだった。
ここに来て彼は、自分が誰かに大切にされているのだと実感した。この歳になってそんなことを考えるなんて、と気恥ずかしくもあるが、幸い今は自室だ。誰にバレることもない。
だからこの三日後、再び自分が死ぬ予知夢を視ても、彼はもう何も恐れなかった。なんせ一度、未来をお崩したのだから。
(悪くない予知夢だ。私が死ぬことを除いて)
目に涙を浮かべる教え子達を前に、アリバラはいつも通り飄々とした態度でこう言った。
「さて、もう一度未来を変えましょうか」
教え子達が初めて見る、爽やかな笑みだった。




