32 布石
シャーロット様の瞳は右目は彼女本来のものだったが、左目は龍の瞳のように瞳孔が縦に裂けていた。
(わ、私のこと見えてないはずよね……?)
思わずキョロキョロと自分の身体を確かめる。やはり金属にも液体にもこの姿は映っていない。なのにやっぱりシャーロット様と目が合っている気がする。そうしてこちらに視線を向けたまま、彼女はゆっくりと起き上がった。自分の手を確認したあと、ホッとしたように美しく微笑む。だがその口元はすぐに元に戻り、
「なにをしているの!!! 早く私を殺しなさい!!!」
(!!?)
突然こちらの方を向いて奇声のような叫び声を上げた。思わぬ状況に私はフリーズ状態。目の前のことを理解しようと頭を巡らせるのに精一杯になってしまった。
「龍王が起きたぞ!!?」
「まだ魔力が足りないはずだ!!」
「薬が効いたのか!?」
「いや! 人間体では困る! すぐに龍化の薬を投与しろ!!」
「クソッ! だから言ったのだ! 安易に人間化したとして使い道がないではないか!!!」
研究員達も大騒ぎを始める。当たり前だ。国家を乗っ取る戦いの要が予定外に目覚めたのだから。だがシャーロット様はそいつらのことは見えてもいないようだった。ずっと私を刺すように見つめている。
(やっぱ見えてるよね!?)
一切視線を逸らさないのだ。
「なにをもたもたしているの!! 殺しなさい!! 殺すのよ!! なんのために私が……!!」
「興奮状態だ!!!」
殺しなさい! とシャーロット様は叫び続けている。研究員達が腕を掴み、彼女の腕に太い注射器の針を刺した。だがそれでも彼女は叫ぶのをやめない。
(……それが彼女の願い?)
確かにシャーロット様の言うとおり今彼女を殺してしまえば、これから起こるであろう大きな脅威は減るだろう。間違いなく最も効率的な解決方法だ。だが、
(いや、いやいやいやいや……このタイミングでシャーロット様を殺せるような倫理観持ってないんですけど!? 私が前世でどんな世界にいたか見てるよね!?)
もちろん、そういう結果を全く考えていなかったわけではない。彼女の願いは愛する夫の無事だ。この国の平和だ。そして私の願いも似たようなもの……それが危ぶまれる時は、という想定はしていた。そしてそれが嫌だからこうやってリスクを背負って敵地に潜入しているわけで。
(今じゃないのよ今じゃ! 全然まだまだよ!? シャーロット様何もしてないし!!!)
なんだか王妃相手にムッとしてしまった。以前アイリスに『もしもの時は私を……』といったことを棚上げして腹がたっている。だから思いっきり、
『い・や・で・す!!!』
と、口パクしてみた。ギョッとして叫ぶのをやめたのを見るにちゃんと伝わったようだ。それを確認して私は思いっきりニッコリと笑ってみた。そんな覚悟、今はして欲しくない。
(せっかく生き返ったわけだしね!)
その間にも研究員達は一向に龍化しない王妃に焦っていた。なぜ!? そんなはずは……!? と、ギャアギャア騒ぎ続けている。どうやら薬は早速効果を発揮しているようだ。そんな中、さらに彼らに追い討ちをかけることが。
「魔獣だ!!! 魔獣の群れが!!!」
「なんだ今更! 結界があるのにそんな心配……」
「結界が破れている!!! 早く逃げなくては!!!」
青ざめた研究員達がさらに慌ただしくなる。研究成果を潰されてはたまらないと、資料や薬品をバタバタとしまい込み始めた。
「龍王に鎮静魔法をかけろ! 急げ!!!」
「ダメだ! 全く効かないぞ!!?」
人間化した龍王の身体を魔術で抑えつけようにもびくともしないことに大慌てだ。ただ一点を見つめているその対象を前に半泣きの研究員達だったが……、
「この中に密偵が紛れ込んでいる!」
心臓が飛び上がりそうになるセリフと共に、黒幕の一人、デルトラ・ルーベルの登場だ。颯爽と大広間に現れて、研究員達を落ち着かせた。それでもシャーロット様は全く意に介さない。
「早く! 早く殺しなさい!! これで全てがうまくいくわ!!!」
(まだ言うか!!!)
もちろん口を大きくして『い』と『や』を作る。そうするとまたポカンとするのだ。夢から覚め始めたように、パチパチと瞬きもしている。こちらは冷や汗ダラダラだ。侵入していることがバレた。魔道具のことはおそらく知られていないはずだが……。
「ああ王妃様! 貴女様にはまだ死なれては困るのですよ!」
半笑いのルーベル伯は周辺を見渡していた。メガネの奥が鋭く光る。
「君だな」
その一言の後、シャーロット様の近くにいた研究員の若い男が顔色も変えずに逃げ出した。
「それとそこの君」
今度は年配の女性研究員だ。もちろん彼女も一目散に出口へ向かった。
「捕えろ」
穏やかな口調。ルーベル伯のこの余裕は慢心ではなかった。あっという間に密偵二人が取り押さえられてしまったのだ。上級魔術師レベルがゴロゴロとこの大広間に流れ込んできた。
「自害させるな。生かしておけば使い道もある」
ルーベル伯率いる【魔力派】は実力のある魔術師が集まっているだけあるということだ。アイリスを攫った奴らより魔術が多彩で手強い。この空間から逃げ出す難易度の高さを思わぬ形で知ることになってしまった。
「……」
シャーロット様の視線がついに動いた。捉えられた二人の方へ。首を傾げながら、
「……エリオット? まあ貴方……大きくなったわねぇ」
懐かしむような声。無表情だった若い男が泣きそうな顔になっている。バレてしまった悲壮感からではない。大切な人が帰ってきたと気付いた喜びと、本来帰ってくるべき人ではないことを理解しているからだ。
(エリオット!? エリオット・スワン!?)
彼は王直属『王の目と耳』の一人。私も会ったことがあるが、顔が別人だ。密偵として変える術を持っているのかもしれない。
「おぉ! 陛下直々にお気に入りの兵士をこんな所まで寄越してくれるとは……! だがまあ、身元がすぐにわかってよかったよかった。王妃殿下に感謝せねば」
ついに周囲に気が回り始めたらしきシャーロット様は、ハッと口元に手をやった。
「 逃げて! 逃げなさい!!! 逃げるのよ!!! 全員逃げなさい!!!」
喉が裂けんばかりにシャーロット様は声を上げた。
「全員?」
ぴくりと、ルーベル伯の眉が動く。勘のいい男だ。
「他にまだいるのか」
振り返ってこちらを見る。だが、やはり魔道具のことは知られていないようで眉を顰めるだけだ。
「ハッタリかもしれません! それより逃げる準備を! 魔獣の群れは本当です!」
お付きの男は顔色が悪い。ルーベル伯ほど心に余裕はないようだ。
「……あの二人は逃がさないように」
魔獣の群れが近付いてくる振動が私にもわかった。思ったより早い。この騒ぎじゃ仲間の合図も聞こえない。ルーベル伯は彼自らシャーロット様に鎮静魔法をかけようとその額に触れた。
(どさくさに紛れては……いけないか)
やるなら今だと思ったのだ。欲を出したわけではない。どうせ姿を現さないと魔術が使えない。魔術が使えないと捕まった二人は助けられないし、シャーロット様も今なら運べる。だが、そう思ったのは私だけではなかった。
「その手を離せぇぇぇえぇぇぇ!!!」
特大級の風の刃がルーベル伯の隣にあった装置を思いっきり破壊した。アイリスが扉の前に立っていたのだ。例の扇子を掲げて。目視できないようにしているが、すでにしっかり自分の周りに結界を張っているだろう。ルーベル伯はまさかと目を丸くしている。
「よくもこの間はあたしを攫おうとしてくれたわね!!!」
どうやら先日の恨みでここまで来たことにしたようだ。が、ルーベル伯もそこまで甘くはない。
「……これはアイリス嬢! またお会いできて光栄です! 本日はご友人と?」
苦々しい顔をしたアイリスはそのまままた扇子を大きく振った。今度は祭壇へ上がる階段が崩れる。
「だったらなによ」
強気だ。かつて見たことがないほど。あのアイリスが。そのまま人には当たらないよう大音量で破壊を続ける。
「一旦引きましょう! このままではこの空間が持ちません! 魔獣が来る前に潰れます!!」
(やっぱり!?)
ルーベル伯以外は慌ててこの大広間から逃げ出し始めた。が、もちろん密偵二人とシャーロット様を引き連れて行こうとしている。
「ちょっと! 置いていってよ!!!」
「魔獣だーーー!!!」
アイリスの声よりも大きな叫びが大広間に届いた。ついに魔力溜まり目掛けて魔獣がやってきたのだ。獣の臭いと地鳴りを肌で感じる。ようやくルーベル伯の顔から余裕が消えた。ムッとした表情でシャーロット様に鎮静魔法をかけようとした時、彼の腕に小さな電撃が届いた。
「!!!!!?」
一瞬の攻撃。それも極小すぎて攻撃の方向も掴めない。キョロキョロと周囲を警戒しつつ、自身の手の小さな火傷跡に治癒魔法をかけているルーベル伯が、次の瞬間思いっきり吹っ飛んだ。見えない何かがぶつかったように。
「な! なんだ!? 何が起こった!!!!!!?」
周囲も何が起こっているのか理解できていない。そしてそれと同じことが、エリオット達を抑えつけていた魔術師達の身にも起こったのだ。【魔力派】の一段は一塊になって敵襲に備え始めた。
「馬鹿者! 持ち場を離れるな!!!」
ルーベル伯の焦る声を聞けて満足だ。私はどさくさに紛れてアンクレットを解除し、置かれていた研究者の白衣を羽織っていた。そのまま逃げ惑う研究者のフリをしながらシャーロット様の身体を風の魔法で包み込みそのまま攫った。
「しまった!!!」
流れ込んでくる魔獣をほどよく倒しながら、混乱に紛れて無事、廃教会の外へと脱出した。
「はーっはっはっは! してやられましたなぁ! だが必ず! 必ず取り戻しますぞぉ!!!」
崩れゆく廃教会に背を向けたその時、ルーベル伯の高笑いが私達の耳の奥にまで届いた。




