29 覚悟が足りない
ライザ・カルヴィナが私達に警告をしてくれていたとは。季節はもう春だが雪でも降るんじゃないだろうか。
(やっぱりあの怪文書……脅しじゃなかった……)
怪文書なんて言って悪かったな……と思いつつ、いやでもやっぱりあの文面は怪しいよね? と自問自答を続ける。
(なんかここ半年ぐらいずーっと睨んでたのって警告するため? いや〜あのライザに限って私を助けるなんてことする?)
理由を考え始めたら止まらなくなってしまった。……私のことは大嫌いだが、ルーベル家の方がさらに嫌いということかもしれない。なんせあちらは魔力派と言われるくらいだ。魔力量の劣るカルヴィナ家のことはあからさまに馬鹿にしていたし……。
「リディ! 今は集中だよ!!」
「ごめん!」
ルカの声でグッと手綱に力を込める。王城が襲撃されてからというもの、地味に馬術の訓練を続けていた結果が今出ていた。
「右!」
双子の弟の声に従って、私もアレンも手綱を開いて馬を誘導する。
ルカは手元のコンパクトをチラチラと確認していた。あれは対になった小さなコンパクトを探すための魔道具だ。私も持っている。まさにこの時の——攫われた時のために急遽ルカが作ってくれたのだ。そのため、精度としてはイマイチ。だが、だいたいの方向はわかる。
「駐屯兵が先に追いかけてくれていると思います!」
アランの声には願望も滲み出ていた。襲われた馬車には学園都市へと向かうための乗客が何人も乗っており、怪我人も出ていたが、すぐに巡回中の兵士達がやってきて、そのままアイリスを攫った馬車を追いかけてくれているという話だった。御者はそのまま学園都市の駐屯所へと駆け込み、アランはボロボロの姿で私のところまで……。
「オレ……オレが守らなきゃいけなかったのに……!」
今度は涙をグッと堪えているようだ。気持ちはわかる。彼にとってアイリスを守ることは使命といっても過言ではないのだから。
「大丈夫。まだ挽回できるよ」
そうしなきゃ。
アイリスが攫われた場所からしばらく進んだ頃、焦げ臭い臭いとぶつかり合う金属音、さらに爆発音まで聞こえてきた。
「……アランはアイリスを助けることだけに集中して」
「そうだね。それ以外は僕達が」
私もルカもやることはわかっている。お互いに目を見合わせた。
——殺さないでよ。
——わかってるって。
たまに感じる双子パワー。これはおそらく魔法でもなんでもない。
目の前でアイリスを攫った一団と兵士達が激しい戦闘を繰り広げていた。馬車が横転している。というか、内側から破壊された形跡が見えた。この状況でもアイリスなら大丈夫と思いたいが、どうしても不安が込み上げてくる。
(毒針を打たれたってことだけど)
馬車の中にアイリスを攫った犯人の一人が紛れ込んでいたのだ。そいつは小さな毒針を馬車の乗客全員に瞬時に打ち込んだ。乗客達が一瞬で眠りに落ちるも、アイリスは隣にいたアランをそれより早く治療した。アランはもちろんアイリスを助けようと敵に一人向かっていったが、素手ではできることが限られており、まんまと逃げられてしまう……。
敵は八人。全員手練れ……というより全員が上級魔術師程度の力を持っていたとアランは言っていた。正直それでよく生き残れたものだ。私が思っているよりよっぽど彼は実力者なのかもしれない。アイリスと一緒に特訓したと言っていたし。
倒れた馬車へと向かうアランをルカが魔術でサポートする。どれだけ敵がアランを狙っても、ルカの魔術で弾き返されていた。チッと舌打ちする音が聞こえてくる。ルカのことをよく知っているのだろう。
形勢逆転だ。
私の方はじゃんじゃん倒れた兵士達を治療していった。こちらは私を見てほっとしたような表情になっている。大丈夫。きっちり治すからね!
「アイリスーーーー!!!!!」
何度も何度も、アランがアイリスの名前を叫びながら馬車のドアを壊すように開いた。
「アラン!!!」
馬車の中からアイリスの声が聞こえた。
(よかった……!)
アイリスは自分の周りに結界を張っていた。おそらく馬車を倒したのはアイリス本人なのだ。なんせ彼女が襲われた場合の対処法はそう決まっていた。
『一発かまして即結界に引きこもり』
そうすればアイリスには誰も触れることができない。もちろん一発かます必要はないのだが、アイリスたっての希望でそう決まった。結界さえ張れたら彼女は無敵と言ってもいい。
「逃すな!!!」
兵の一人が叫んだ。敵はすでに撤退し始めている。不利ならば無理はしないと初めから決めていたのだろう。
すかさずルカが手を地面に触れると、大地が隆起し敵の足元から体の自由を奪う……と思ったその時、急に遠くの方からいくつもの矢が飛んできた。同時に、ルカの魔術がスルスルと溶けていく。
「魔封石!!?」
矢には魔封石がくくりつけられていたのだ。もう一人、離れた場所に仲間がいた……。これでこちらの味方はいつもの魔術を使うのが困難になる。
(なんでもありなの!?)
あいつらはほぼ間違いなく魔力大好きルーベル家の刺客。これまでは魔力こそ、強い魔術師こそ正義、といったスタンスをとっていた。なにより魔封石にはずっと反対していたし……だが、それすらすでにどうでもいいということだろうか。目的達成のために。彼らの悲願成就のために。
「逃すか〜〜〜!!!」
今度は私が思いっきり地面を叩きつける。ただただ魔力を込めて。なんせコントロールは効かないし。
「!!?」
相手はあからさまに驚いていた。足元の地面が割れて足がもつれている。慌てている隙に兵士達が剣を抜いて向かっていった。
「上見て! 上ええええ!!!」
突然、アイリスの声が響いた。
「飛龍だ!!! 二体いるぞ!!!」
明らかに龍の口元にそれぞれ雷撃と火球が見えた。今にもこちらに打ち込んできそうだ。全員が予想外の事態に動揺する。
(封魔石の範囲外からの攻撃!!?)
もちろん、こちらが迎撃態勢に入っている間に敵はうまく逃げおおせた。悔しい!!!
飛龍の攻撃はもちろんアイリスの結界によって防ぐことができた。
「アイリス……! 大丈夫!?」
怪我は!? と聞きかけてそれが全く必要のない問いかけだと言葉を飲み込む。
「大丈夫……」
返事に元気がない。笑顔も取り繕ってりるのがありありとわかる。あんな目にあったのだから当たり前だ。……当たり前だが、なんだか違和感があったのだ。いつものアイリスならプンプンと怒るか、アランの心配をしてあたふたとするか、明るく私やルカの活躍を褒め称えただろう。
「……」
アランもアイリスに心配そうな視線を送っていたが、言葉をかけることを躊躇っているようだった。彼の立場がそうさせるのだろうと想像はつく。だがやはりアイリスの気持ちを思うともどかしい。
結局、彼女の胸の内はその日の夜ゆっくり聞くことができた。
「うわあぁぁぁぁあん!!」
私の部屋を突然訪ねてきたかと思ったら、部屋へ招き入れてすぐ小さな子供のように泣き始めたのだ。
「おぉよしよし……怖かったよねぇ」
背中をさすりながら前世で祖母がそうしてくれたように慰める。正直なところ、アイリスが怖かったからという理由で泣いているとは思えなかった。
「うぅ……ごめんね……私ばっかり泣いて……リディアナに甘えてばっかで……うぅ……」
鼻水を啜りながら泣き続ける。私はただ、うんうん、大丈夫大丈夫、と相槌を打ちながら落ち着くのを待った。
「弱音をはいてくれるのは嬉しいよ」
そうしてもらえると、なんとなく信用してくれている気がするのだ。私が相手を大切に思っていることが伝わっているんだと。
この言葉が効果があったかどうかはわからないが、しゃっくりを上げながらアイリスはポツポツと話し始めるきになったようだ。
「きゅっ急に……こわ、怖くなっちゃって……ひ、人を傷つけるってことがっ……今更っ今更ごめんっ」
そうしてまたボロボロと涙をこぼす。
(あ〜なるほど……)
アイリスは攻撃魔法が得意ではない。得意な植物魔法ではいつも敵を捕えることに使っていた。今日の馬車の壊れっぷり、あれはおそらく私が——原作の私があの卒業式で生徒を虐殺するのに使った扇子型魔道具の成果だろう。
「せっかく訓練したのに……ルカにもリディアなにも……付き合ってもらってさ……」
ようやく落ち着いた頃、あったいお茶のカップの中を見つめながらアイリスはしょんぼりと肩を落としていた。
「覚悟が足りなかったんだねあたし……怖気付いちゃって……」
あとはひたすら一人反省会が始まった。
アランではなく自分に治癒魔法をかけて結界を張ればよかっただとか、アランを治したせいで彼が無茶をしてしまっただとか、あれだけ息巻いてあの魔道具を買ったのに結局ヒヨッてこんなもんか、とまた自嘲的になったりもしている。
「私も正直、誰かを殺せるかどうかわかんないよ」
私もカップの中を見ながらつぶやいた。
(フィンリー様のために命はかけられるって思えるけど、そのために積極的に誰かを殺せるかって聞かれたら即答はできないし)
命を奪う力は持っている。それを使うか使わないかは自分次第、自分の判断、自分の責任。その時にならなければその力を使うか、使えるかどうかわからない。
「けど、躊躇ったせいで誰かが死んだら……アランやリディアナが死んだらあたし……!」
「そうだよねぇ」
わかる〜となんともゆるく返事をしてしまった。考えることを先延ばしにしていたが、アイリスと同じような感情がこれまで私の中でも何度もよぎっている。
(前世の記憶のお陰で未来を変えていくことができているけど、同時に前世の倫理観からは抜け出せないんだよな〜)
きっとアイリスも同じだろう。
「力をつけることで未来を変えることはできたわけだし、訓練したこと事態はしっかり意味があったと思う。殺す以外にもいくらだって使い道はあるわけで」
ルカだってあれだけ訓練を積んだからこそ誰も殺さずに相手を制することができるようになったのだ。力をつけたからこそ選択肢が増えている。
「リディアナ……」
アイリスが涙目のまま真っ直ぐ私の目を見つめる。私も視線を逸らさない。
その時、不意に入学式の日のことを思い出した。アイリスと初めて会った日のことだ。
「……会ってすぐの頃、何かあれば私のこと倒してなんて言ってごめんね」
私の手でフィンリー様を殺したくはなかった。だがそれはつまり、アイリスに私を殺せと言ったようなものなのだ。どれだけアイリスに負担をかける言葉だったか、今ならよくわかる。
「ほんとだよ……もう二度と言わないで」
拗ねるように口を尖らせた。わざとらしくだが。
「うん。もう言わないよ。生き残りたいし。フィンリー様のイケおじ姿見たいし」
アイリスの表情がパッと明るくなった。どうやらこの言葉が聞けて満足のようだ。
「あたし、誰かを守るためにこの力を使っていくことにする! そっちに意識全振りする!」
「そうだね。そう開き直る方がいいかもね!」
きっとまだ迷いもあるだろう。私もそうだ。だけど……、
(覚悟決めなきゃ)
決めるのは私だけでいい。
(ついにルーベル家の動きが本格的になってきたし)
本来のエンディング時期より動きが早い。心してかからねば。




