16 痕跡
この世界の夏は日本のそれと違う。あのむわっとした暑さはなく、爽やかな日差しがあたし達が乗る馬車を照らしていた。
ルカは窓の外を見ながらなんだか旅行気分に浸っているかのようだ。妙にテンションが高い。
「ちょっと夏季休暇らしくなってきたね」
「アイリスはよかったのか? アランと一緒にいたかったんじゃ?」
フィンがあたしの恋心を気にかけて声をかけてくれた。もちろん彼のいうように一秒でも長くアランと一緒にいたいが、
「今なにが大切かくらいわかってるし! つーか今頑張んないとアランと一緒に暮らす国がなくなっちゃ話になんないよ」
書類に目を通していたジェフが苦笑いしているのが見える。ちょっと不謹慎だっただろうか。
あたし達はルーベル領へと向かっていた。あっちこっちに後学のために! と、頼み込んで魔封石の設置作業に同行することができたので、堂々とルーベル領を調べられる。
(先生の設定資料には、龍王の体はどこかの洞窟っぽい場所にあったって描いてあった。そこで魔力を吸収してたって。キモマから吸収した魔力なんかも使って)
今向かっているルーベル領の洞窟は魔力を溜め込むという特徴があるせいで、魔獣をひきつけやすいと言われていた。
(絶対ここじゃん!)
これ以上ないほどバッチリ条件に当てはまっている。
今回のあたし達の目標はあくまで偵察、下見といったところだ。そこに龍王がいるかどうか。もしくはいたかどうか。これから来るかどうか。
龍王がいるなら今回同行した第八騎士団だけじゃ到底対応できないから逃げの一択。これは準備ができている。
もし龍王がいた形跡があれば何かわかることが増えるかもしれない。
痕跡が何もなければ原作と――正妃の予知夢から変化があったのか、これからその空間を使うかくらいは判断できる。
あたし達の予想じゃ、龍王はまだ未完成。時期的にもそうだが、そもそも龍王の復活には莫大な魔力が必要なことがわかっている。それこそ、魔力を溜め込むっていう洞窟じゃ足りないほど。
(だから原作じゃキモマを改造して国中から魔力を集めてたわけで)
氷石病を流行らせ、魔力を持つ国民に感染させて集めていたのだ。本来なら原作のあたしが解決する約五年間の間、魔力取り放題だった。
しかし今回はうまくいっていない。流行り始めて早々にリディアナが氷石病を解決してしまっているから。
『というわけで! たとえその場に龍王がいたとしても不完全だと思うよ』
設定資料では目覚めたのは王都を襲うほんの少し前ということだった。遅くなることがあっても早まる可能性は低い。
『でも万が一ってことがあるでしょ!?』
今回、リディアナとレオはお留守番。あっちこっちから許可が下りなかった。そうなると、あたし達だけで行くのを渋る渋る。行くのならもっと準備をして、なんてごちゃごちゃと言い始めた。
『早い方がいいよ。相手に準備をする時間を出来るだけ与えない方が』
こういう時のためのフィンだ。リディアナもそれはわかっているので、何とか納得したようだった。
『偵察だけだよ! 逃げる準備だけは万端にね!?』
レオはもう次期王と言っても過言ではないし、同様にリディアナは次期王妃。王家と最近喧嘩気味のルーベル家の領地に行かせるわけにはいかないと、あのサーシャ様ですらノーを突き付けたのだ。
『おそらくですが、ルーベル家はもう手を回していると思います。レオハルト様とリディアナ様には龍王が次に移されそうな場所の検討をつけていただけたら』
『……わかった』
レオも本当は行きたくてたまらないのだろう。だが自分が行くといえば間違いなく私も! となる婚約者を目の前にグッと我慢しているのがわかった。
(ほーんと、原作とは変わっちゃって。こっちの方が好みだわ)
まあ、あたしにはアランがいるけど。
◇◇◇
洞窟周辺は思ったより荒れていた。噂通り魔獣のせいか、それとも……。
ここが魔力の溜まり場というのは本当のようで、なんだか少し空気が重苦しい。
魔封石設置班と第八騎士団が準備をしている間に、洞窟の中を探索することにした。
「連れてきてもらったんだし、中の調査ぐらいしなきゃ」
同行したがった騎士や兵士達に断りを入れ、あたしとルカとフィンは洞窟探検に出発だ。ジェフは万が一の時、設置班や騎士団を逃がすための連絡係として外に残る。
「気を付けて」
ルカとジェフの手には通信用の魔道具が握られていた。短距離だがこれで連絡が可能になる。
「そこ、大きな段差があるよ」
フィンが先導して暗い洞窟の中を進む。ルカの作った懐中電灯のような魔道具は便利だ。最近じゃあっちこっちで使われるようになった。その他にも魔術探査機を飛ばし反応を見ているので怖さも半減している。ちなみに、入ってからずっと反応はゼロ。
「中も荒れてるね~」
「魔獣の仕業かな?」
「……いや」
フィンの反応はあたしとルカとは違っていた。つまり、魔獣ではないということだろう。ルカの瞳が怪しく光ったのが見える。
「……先に言っとくけどルカ。あたし、ルカが単独で龍王倒しに行かないか見張るようリディアナからお願いされてるから」
「え~……アイリスの防御魔法を突破して龍王を相手しないといけないのか~……」
「ちょっと! これガチよガチ」
「……わかったよ」
やっぱり。もし龍王がまだこの洞窟に居たらやる気だったか。リディアナの言う通り。
ルカは恩師と姉の未来を心底心配していた。龍王を倒せばその心配が消えるとなればやりかねない、としっかり見抜かれていた。
「復活前にやれるならやっといた方がいいっていうのは皆わかってるじゃん……正妃様だって目覚める前の方が……」
睨みをきかせたからかちょっと拗ねるように口を尖らせていた。
「気持ちはわからなくないけどさ~。ルカになにかあったらそれこそリディアナが悲しむよ」
まだちょっと不服そうだが、本人もわかっているからかルカは黙って頷く。フィンが少し困ったように、だけど少し羨ましそうにも見える微笑み方をして、ルカを助けるように話題を変えた。
「そもそもこれだけ魔力の気配があるのに魔獣の気配が全くないのはおかしいな」
「……そういえば外も気配がなかったね」
ファンとルカは改めて魔獣の気配を探り始めた。弱い魔獣の気配をだ。
「……強力な魔獣の気配があれば他の魔獣は寄ってこない」
「例えば龍とか?」
あたしの質問に、フィンは覚悟を決めたように首を縦に振った。
「魔術の反応もないし、龍くらい強ければアイリスだって気配を感じるでしょ」
「ああ。だからおそらくすでにここにはいない」
「すでに、かぁ」
ここに来る前にジェフが予想していた通り、龍王はすでに他所に移された可能性が高いということだ。
何事もなく奥へと進み、大きな空間に入ったあたりで足元で何か硬いものが当たった感覚を覚える。
「なにこれ?」
「これは……鱗?」
「龍種のものだ。……デカいな」
鈍く光るそれにすぐにフィンが反応した。細やかな波紋が光に照らされて美しい。
「かた~い」
「これ、物理攻撃通らないね」
ルカはすでにこの鱗の持ち主を倒すことを考えているのだろう。怖いくらい真剣な目をしてそれを触っていた。
「ここ、見てくれ」
フィンが険しい声になっている。
「うわぁ! なにこれ!?」
「血……?」
雑に土をかけられていたが、まだ生乾きの青銀の液体がわずかにきらめいていた。地面に染み込まず浮かんでいる。
「慌てて龍王を運び出したのかな」
「っぽいね~」
探せばあちこちにこの血が落ちていた。それをできるだけ集める。
「薬師曰く、魔獣の血というのは調べればかなりの情報が集まるんだそうだ」
「これが残ってるから魔獣が寄ってこないんだね」
フィンの側には――正確にはライアス領には隣国からやってきた訳ありな薬師がいた。フィンのお兄さんの為に秘伝の魔力回復ポーションを作ってくれていたのだ。隣国にバレるとかなりマズイことになるらしく、いまだに表だって薬師としての仕事はしていない分、あたし達としては色々相談しやすい相手になってくれていた。
(トルーア王子の奥さんのお兄さんって原作じゃあ出てこなかったし~)
設定資料にすら載っていなかった。これはリディアナが未来を変えようと必死にもがいてくれたおかげだ。
「元々は魔獣を無力化する薬を開発する仕事をしていたと言っていたから頼んでみるよ」
打てるだけの手をうっておかなければ。来るべき日のために。
魔封石は上手く作動した。洞窟周辺に設置した途端、魔力の淀みが解消されたのがわかる。
「これはこれはアイリス嬢。お加減はいかがかな? 貴女のように魔力量が多いと、この石の側はお辛いでしょう」
「……お気遣いありがとうございますルーベル伯。けど、私達も慣れなければいけませんね。これも時代の流れでございましょう」
ルカがギョッとした目で私の方を見ていた。あたしがキチンと対処できたことがそれほど意外なのだろうか。
ルーベル伯の方は、つまらん。といった表情をした後すぐに去って行った。なんでレオハルトと仲のいいあたしがルーベル家に同意するような返事をすると思ったのか謎だ。
帰りの馬車の中でジェフが鱗の模様を目を凝らして確認していた。
「文献で読んだ龍王の鱗と同じ波紋のようですね」
「やっぱりか~」
これで龍王がこの世界に再び現れたことがわかった。
だけど、成果は上々。きっとあと少しで龍王に追いつける。そんな気がした。




