11 未来を託された者
(皆どうやって病院抜け出すの~……無理くね?)
なかなか漫画のようにはいかない。つまり、あたしはここから出られない。というわけで、有名漫画家を見ず知らずの女子高生が呼び出したわけだ。姉のコネで。
(う、うまくいきますように……!)
やることをやって結果を待つ間、あれこれ不安が湧いてくる。普通ならありえない。非常識。変なことを頼んで姉を困った立場にしたくはないが……。
(いやいや。すでに普通じゃない状況なわけで)
姉からはあの後すぐに連絡が来た。早速明日、原作者が会いに来てくれると。ホッとすると同時に緊張もマシマシだ。
(聖女様から事前情報貰えたのはラッキーだったな~。正妃様の魂がこっちの世界に来てなんらかの干渉をしてるってのがわかったのはデカい)
その干渉は間違いなく、人気少女漫画【アイリスの瞳】だろう。
(久遠先生がシャーロット様だったりして~)
異世界転生がありならその可能性も考えられる。時間の流れはどうも違うようだし。
おもむろにベッドサイドにある小さなテレビをつけてみる。画面には世界中のおもしろ動画を集めた番組が流れていた。
「あー……久しぶりに見たなテレビ……」
これももうすぐ見納めだと思うと、全てを記憶しておきたい。
まもなくあたしは死ぬだろう。こちらの世界で。
(アイリスとして記憶がしっかり残ってるし……)
彩芽としてのあたしが終わりを迎える。寂しいが、今更アイリスである自分も捨てられない。
(最期に食べたいもの、いくらでも出てくるなー。やっぱジャンクなものはマストっしょ。あとは~……って食べきれないだろうからレシピ本丸暗記する方がいいかな?)
そうすればあちらの世界へ戻っても食べられるかもしれない。動画サイトを開いて調理方法を真剣な目で見ていたせいか、体調を確認しに来た看護師から、
「いつから食べられるか先生に確認しておくね」
と、飢えている認定をされてしまった。こういう優しさがあたしは嬉しい。
翌日、面会時間とほぼ同時に姉がやってきた。スラっとした背の高い綺麗な女性を連れて。おそらく親と同年代。
「はじめまして。久遠沙羅です。あなたが……」
「歌川彩芽です。こ、この度は、お忙しい中ありがとうございます……あの……あたし……」
アイリスです、というのを一瞬躊躇ってしまった。一晩中どっぷりテレビや動画に浸ってこちらの世界に馴染んでしまったせいかもしれない。変だと思われることを恐れたのだ。
「ええ。疑っていませんよ」
なのに先生は優しい声で、少し罪悪感を帯びた目をしてしっかりとあたしと目を合わせてくれた。
姉は先生に言われていたのか、また後で来るね、と言い残し病室を出て行く。先生はベッドの側に腰掛け、鞄からあたしが姉に託していた手紙を取り出した。
「これがなければ信じなかったんだけど……」
そりゃそうだ。『私は先生の描いた漫画のヒロインです』なんて言われて信じる人間がこの世にどれだけいるか。だから、証拠を用意した。アイリスと同じ世界の人間しか知りえないことを。
「この紋章の周りの文字、なんて書いてあるの?」
小さく笑いながら、あまりにも細かかったから図案をちょっと簡略化してね、と。手紙に書かれた本当の【初代聖女の紋章】を指でなぞる。原作とは違い、紋章の周囲に細かな文字を書き込んでいる。これは古代妖精文字だ。
「妖精 契りに従い 終わりなき時を聖女と共にせん ……です」
「ははぁ~! やっぱり妖精と縁がある一族なのね……!」
少し感動するように目を輝かせた。
もちろんこの他にも原作で描かれていなかった、あたしが暮らしていた村の具体的な位置や、オババの本名なんかも書いておいた。だからこそあたしの――姉の話を信じてここまで来てくれたのだ。
「本当は私と同じ、霊感体質なのかと思ったけれど。そこまでいうのならあなたの言う通りなのね」
「霊感体質!?」
もしかしたらシャーロット様の生まれ変わりカモ、と思ったのは見事に外れた。昔なら霊感体質なんて聞いても信じなかったが今はもちろん違う。
「私ね、連載を始める三年前くらいから毎晩毎晩夢を見続けたの。ここではない世界の誰かの夢。壮大でとっても悲しい物語」
先生は幼い頃からそういうことが多々あったそうだ。ただ誰かの記憶が流れ込んでくる。これといった意味はない。近所の生活音が自然と耳に入ってくるような、そんな感覚。だから最初はまたか、という風にとらえていたそうだ。
「私に記憶を流し込んできたのは『正妃シャーロット』だっていうのはわりとすぐに理解できたわ」
内容を聞く限り、それは正妃シャーロットの『予知夢』だった。
「でもね。なんだか必死な感じが伝わってきて……滅多にしないんだけど、声をかけてみたの。これ、私に描いて欲しいの? って。そしたら周囲にキラキラした小さくて綺麗な花火が舞い始めてね。それを答えだって受け取ったのよ」
本当に綺麗だったのよ、と微笑んだ。
「もちろん注意事項も伝えたわ。世に出したいなら私の描きたいように描くわよってね。――だってそうでもしないと編集会議通らなくって……そしたらちょっぴり花火が小さくなったけど……すぐにまた強い煌めきを出し始めたの」
迷ったけどオッケーってことよね? と、また目尻を下げる。先生は彼女の記憶を改変することに葛藤もあったそうだが、記憶の主の一番の願いはこの記憶を世に出すこと、というはわかっていたそうだ。
「あ……じゃあ『アイリスの瞳』はその記憶の通りではないってこと……でしょうか?」
「ええ、そうです」
ハッキリと頷いた。
「あまりにも……あまりにも悲しい物語だったから。少女漫画として夢と希望を加えることにしたの」
「ぐ! 具体的にどこが違うか教えていただけますか!!!」
前のめりに尋ねる。全部、全部教えてもらわなければ。先生はあたしがなぜこんなに必死なのか理解できているようだった。
「あなた……アイリスは今、物語のどのあたりにいるの?」
「今は学院の二年生になりました。夏休みの直前です」
タイムリミットまでもう一年半しかない。
(記憶が戻って五年頑張ってくれていたリディアナに申し訳ないな……)
あたしは世界を変えようとしなかった。あたしのことだけ考えていた。あたしも同じだけ動いていたらもっと未来を変えられていたかもしれないのに。
(せめてあたしができることをやり遂げなきゃ)
出来るだけ情報を持って帰る。あっちの世界に。
「物語はもうだいぶ変わっているんです……だけどクライマックスはどうにも変えられそうになくて……」
先手を取りたい。黒幕はわかっている。ルーベル家と第一側妃マリーだ。正妃が龍王になる前か、王都で暴れる前に制御できればきっと……。
現状も含め、あたしは先生に包み隠さず話した。この時はもう、恥ずかしいなんて気持ちは綺麗サッパリなくなって、彩芽としての自我すら消えていたように思う。アイリスとして彩芽の体で言葉を紡いでいた。
「実はね。あなたのお姉さんから話を聞いた時、私が変えてしまった物語のせいでなにか不都合があったんだなって、そんな気はしたのよねぇ」
わざわざクレームをつけに異世界からやってきたのかもってね、と少しおどけるような表情になる。
「それって霊感で? ……ですか?」
「いや。実はね、描いてる最中、時々抗議されてたの」
アハハと困ったように先生は笑っていた。
「だから出来事の流れは変えていないわ。それに出来事の結果自体も。最後を除いてね」
「最後?」
龍王は倒れ、リディアナは封印されたあれのこと?
「龍王は王と王都に住む人々を道ずれにして死ぬはずだったの」
「ええー! それってつまり……正妃シャーロットが王を……ってこと……ですか?」
「そう。あまりにも悲しいでしょう?」
このシーンの時はいつも、シャーロットから溢れんばかりの悲しみが先生の中へ流れ込んできたそうだ。
「だからこれはもう変えちゃった!」
今度は開き直るようにカラッと笑った。
「今はどれくらい漫画と変わっているか、聞いてもいいかしら?」
「も、もちろん!」
原作者に相談に乗ってもらえるなんて、ありがたいに決まってる。原作から変わってしまった人間関係と、原作には描かれていなかった事件を伝えた。レヴィリオの奴隷契約事件はともかく、王城の事件は大きく今後に関わるし、魔封石のことも。もちろんルーベル家や第一側妃のことも。
「なるほど……く~面白そうなことになってるのね! ってごめんなさいつい……」
漏れ出た感情をグッと押し込めている先生はギュッと顔に力を込めている。不謹慎な表情に出さないよう必死なようだ。
「別に気にしないでください! その方が気楽っていうか……」
「いやいやいや。あなたにとっては現実なわけだから」
と、反省している風だった。先生は申し訳なさそうにしながら、ゴソゴソと鞄の中からボロボロのノートを取り出し、あたしの方へ開いて見せる。
「これ、設定ノートなんだけど……こっち、前半は夢をそのまま描き写したものなの」
久遠先生はルーベル家と第一側妃の暗躍を知っていた。だが、彼らを表に出すと物語はグッと暗闇を深め、少女漫画として楽しめなくなってしまうと考えたのだそうだ。同様に、王宮内のパワーゲームも可能な限り排除された。
『違うジャンルになっちゃうでしょ?』
と。
ずっしりと重いノートを手渡された後、あたしは食い入るようにその設定資料を読み込んだ。全てを覚えて帰らなきゃいけない。
「急がなくっても大丈夫。必要な時間だけ持ってていただいてかまいませんからね」
それから気遣うように、
「顔色があまりよくないわ。お姉さんがまた心配しちゃう……」
「ありがとうございます。助かります。あ、これってどういう意味ですか?」
急がずに済むなら私もじっくりのんびり大好きな漫画の設定資料を満喫しただろう。だが、そうもいかないのだ。
(この体、あとどれだけもつんだろ……)
あたしの焦燥感が伝わったのか……いや、たぶん先生はきっとあたしが長くないことに気付いている。だから少しだけ悲しそうな顔をして質問に答えてくれた。
「ああ、これはね……」
その後も、ノートから目を離さない私の隣でどんな質問にも答えてくれた。
「あ。ここ、ちょっと気になってるんだけど」
先生が止めたページは正妃の記憶を描き写した最後の最後。正妃シャーロット本人が小さな手帳にレシピを書いている場面。なんだか唐突といえば唐突だ。
「これだけはあなたのいう予知夢じゃなくて、たぶん本人の記憶だと思うの。ずーっと違和感があったんだけど、あなたの話を聞いてやっとしっくりきたわ」
「レシピ帳……」
「ええ。なにかしら意味があるんじゃないかしら」
伝えたいことがあるからこそ、先生に見せた。
「……正妃シャーロットの魂は、今どこに?」
「最後の原稿を仕上げてから一切夢を視なくなったの。気配も感じなくなっちゃって。でもね……最後、龍王は倒され王が生き残るシーンを描いた時、その原稿がキラキラ光ったの。……たぶん、結末を気に入ってくれたんだと思う」
それが正妃が願う未来の姿。愛する人が愛する世界で生き残るため、世界を越えた。
「成仏できたのかしらね……」
「ええ。きっと」
一生懸命笑って見せる。あたしとリディアナに前向きな力を与えてくれた先生に安心して欲しい。
(正妃の魂はきっと元の世界に引き戻されてる)
あたしがそうだからわかる。肉体と魂は本来共にあるものだ。こちらの世界にないということは、あちらの世界の肉体の中に。
龍王はもう生まれてる。
(ここまでお膳立てしてもらったんだから……あたし頑張るよ。シャーロット様……)
 




