9 聖女の親友
教会内の銀色に揺らめく結界を抜けると、聖女に許された者だけが入ることができる小さな庭園があった。私も初めて入る場所だ。
(原作で見たことはあったけど)
叔母が小さなティーテーブルの側で手を上げて迎えてくれる。
「ありがとう。あとはこちらでするわ」
ティーポットを持ってきたお付きのメイドが一礼し黙って結界から出て行く。叔母が聖騎士にも目くばせをすると彼らも同様に出て行った。
「この方がいいわよね。お互いに」
ただでさえ緊張して今日を迎えたが、その一言でさらに胸が詰まるような感覚になる。
叔母はきっとどうして私が今日ここへ来たのか知っているのだ。
「叔母様……あ、聖女様、今日その、ここへ来たのは……」
しどろもどろで言葉を紡ごうとする私を見る叔母の目がなんだか少し悲しげだ。じっと次の言葉を待ってくれている。
「あの、シャーロット様のことを教えていただきたくて……」
(うわあああ考えてた台詞全然出てこない~!!)
色々と考えてきた言い訳もいっさい思い出せなくなっていた。今、『どうして?』と聞かれたら困ったことになる。
だが、そうはならなかった。叔母は私が正妃について尋ねることを覚悟していたようだ。まるで許しを乞うかのように影を落とした眼差しを私へ向けた。
「まずは謝らなくては……ごめんなさい。これまで黙っていて……」
「え!? いやいやいや! 叔母様! ああ聖女様! 頭を上げてください……!」
予想外の反応にあからさまに動揺してしまう。
『黙っていた』……やはり叔母は何か知っていたのだ。問題はいったい何を知っていて黙っていたか……。
「私は……貴方が『厄災の令嬢』と呼ばれる未来を知っているの」
「……!」
一瞬で全身が凍った。
(それって原作を知っているってこと!?)
叔母も前世の記憶があるのだろうか。私達と同じ世界の。
(だけど未来を変えるために動かなかった……だから謝って……?)
きっと今、私は間抜けな顔になっているだろう。
「これまで起こったこと……これから起こること全てを知っているわけではないの。でも、私の姉が死んでしまうことも、貴女がとてもつらい目にあう未来も知っていたの……だけどずっとそれを知らせずにいた……」
「あの……その……ぐ、具体的に何を……」
ご存知なんですか? と、いう声はかすれている。
「シャーロット様のことを知りたいということは、彼女が龍の血脈の一人ということに気付いたからでしょう。学院卒業後、貴女が王都を襲撃する際、龍王がそこにいたから」
それから心底悲しそうな声をして、
「その龍王がシャーロット様なの」
「!!?」
(龍王がセフィラの王族の可能性は考えていたけど、亡くなったシャーロット様って……そんなことある!?)
もう声も出ない私のために、叔母は一から説明してくれた。
セフィラの王族は極稀に『予知夢』を視る人間が現れることを。その予知夢は絶対。これはアリバラ先生と同じだ。先生と違うのは、自分の『死期』を知る時のみ視る、ということだった。
「しかもその死に関連する情報を全て知ることができる、ということらしいわ」
「つ、つまりどうやって死ぬか……?」
「そう。どういう経緯で死ぬかも。膨大な未来の情報が手に入る予知夢……」
正妃シャーロットは二度死ぬ。一度目は既に終わっている。それから二度目の死は私の側で。この国を滅ぼさんと大暴れをして。
「ただし、決まっているのは本人の『死』のみ。それに至る道のりは変えることができるの」
「結果だけ変えることができない……と?」
そうよ、と囁くような声だった。
「だから私とシャーロット様は少しでも望む未来にちかづけるため、動くしかなかった……」
「動くとは……?」
「……貴女とアイリス嬢の前世に干渉したの」
またも声が出なくなる。
(そんな……そんな前から……!?)
というか、
(どうやって!?)
仕組まれた、というと聞こえが悪いが、記憶を取り戻したのは偶然じゃなかったという事実がじわじわと私の体の中にくすぶっていた疑問を溶かしていくのを感じた。
「教会の図書室はあらゆる魔術が記された書物があるわ。でもさらに、私しか触れることができない類のものもあるのよ」
「あ……私にそれを話しても?」
大丈夫なの!? とんでもないことにならない!? と心配になる。
「もちろん秘密だけれど……それを決めるのは私だし、知ってどうできるものでもないから」
それよりも叔母は私に真実を告げることの方が大切だと考えているようだった。
「誰が何をどうするかはわかっていたから、重要な鍵となるであろう貴女達二人の魂を探して――まさか異世界とは驚きだったけれど――そこにシャーロット様の魂を送り込んだの」
ああ、私の魂が異世界から来たことまで知っていたなんて……。
「いや……でも……え? 私がこの世界の事を知ったのはその……異世界の書物で……」
どうやってシャーロット様の魂が我々に彼女の予知夢の情報を与えたか、そこまでは叔母にはわからなかった。
(え? 原作者がシャーロット様? そういうこと?)
疑問を解決しに来たのにさらに疑問が湧いてくる。
「リディアナが氷石病から目覚めて治療法を見つけ出したと連絡が入った時……無事にシャーロット様が異世界でなすべきことをなさったのだと確信したわ……同時に彼女の二度目の死も現実になるということも……」
叔母は私が必ず生き残るの知っていた。だから母に危険を冒しても強力な治癒魔法をかけるべきだと説得したのだ。
「それからすぐにアイリス嬢が暮らす村へ行って、彼女に怪我をさせたの……記憶を取り戻してもらために必要だといってもこれは謝らなければね……」
村の場所も、入り方もシャーロット様の予知夢から情報を得ていた。確かにあの時期叔母は慰問と称して、国中の氷石病患者を治療をして回りとても忙しそうだったのを覚えている。
「アイリスはきっとそんなこと気にしません。記憶が戻らなければそれこそとんでもないことになってましたし」
アイリスの代弁をして悪いが、この代弁には自信がある。それがわかっているのか、叔母が寂しげに微笑んだ。だがやはり目を伏せ、
「そもそも氷石病が流行り始める前に私がどうにかする方法だってあったのよ。助かったはずの命があるの。けど……」
叔母の声がわずかに震える。
「予知夢の恩恵を失いたくなくて……龍王が……私の親友がどこにどう表れるか……それがズレてしまうのが嫌だったのよ……」
だからこれまで必要最低限、私とアイリスが前世の記憶を取り戻すためだけに動いた。
(予知夢の恩恵か)
私もあれこれ変えてしまったせいで原作を知っているアドバンテージがなくなってしまった。私の行動が原作を外れたせいで、魔力増強薬や王城の毒事件といった予知できない事態を招いている。
正妃シャーロットに急激な未来改変の危険性は指摘されていたが、それでもできたことがあるんじゃないかとずっと自問自答を繰り返しているのだ、叔母は。一人で。
(私にはルカもアイリスもアリバラ先生もいるけど……)
どれだけ孤独だっただろう。
そっと叔母の手に触れた。真っ白ですべすべで、か細い手だ。
「……叔母様はシャーロット様を助けたいんですね。二度目の死から」
だから彼女が予知夢通りに再びこの世界に現れるように、干渉しないようにしていた。じっと耐えていた。
今度はしっかり私の目を見つめ返して、
「……私はねリディアナ。シャーロット様は決して変えられない予知夢だと言っていたけれどそんなことはないと思っているの」
それは悲痛な願いがこもった声だった。
「だってそれなら……どうしてこれほど未来を変えるための情報が揃っているって言うの?」
あまりに残酷な力。
だが正妃シャーロットは恐れなど少しも見せず、最期の時を過ごした。最後の最後まで足掻いた。そのお陰で今の私がいる。
(アリバラ先生の予知夢も少しずつ変わってきてる……完全ではないけれど)
結果が変わらないと言われたって、今更やめるつもりはない。やり遂げる以外に道はない。そういう覚悟はとうの昔に決めている。
(フィンリー様だってまだどうなるかわかったもんじゃないわ)
……たとえ私がどうなったって、フィンリー様の命だけは守ってみせる。
「私……私達はその未来を変えるつもりです」
王都が壊滅する未来も、私が封印される未来も変えるためにここまでやってきた。
(龍王――シャーロット様もどうにかしなくちゃね)
今更一つ課題が増えたってかまわない。どうせ龍王対策はマストだったのだから。
「……ありがとう……」
やっと叔母はほんの少しホッとしたように小さく笑った。
「私達は託されたんですね。シャーロット様から」
この国を守る力を。
ならばその期待に応えなくては。




