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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

二人が紡いだ糸は、バラのように赤く、決してきれない。

作者: 柏原夏鉈



# [王女は薄暗い牢獄の奥へと進みます]



暗い牢獄の中で、ひとりの男が囚われていた。


私は、ゆっくりと牢に近づきながら、まずはその臭いに顔をしかめ、口と鼻をハンカチで覆った。そして、鎖によって四肢が拘束されて吊るされている男の体を見て、さらに嫌悪を抱く。痛めつけられたのであろう、傷が無い場所を探すことが出来ないほどだ。顔を覆う布の下で、たった一つの命を繋ぎ止めるために飲まされるポーションだけが、彼の死を待つ間の唯一の希望だった。


男は、人の気配に反応して、誰何する。


「……だれだ?」

「貴方に興味はありません」

「……」

「私が誰だろうと、貴方が誰だろうと、問いかけは無意味です」


私の強い言葉に、男はたじろいた様子だった。

私はじっと観察していた。口元だけ見える表情が変わり、雰囲気をほぐすように和やかに言った。


「では、ここに何を?暇だったから散歩に来たとでも、言うのかい?」

「ええ、その通り。私は退屈しています」

「そうかい。では、じっくり見て行ってくれ。あいにくおもてなしはできない」

「話を聞かせてもらえますか?」

「話を?」

「ええ。私はこの城から外に出ません。だから、城の外に興味があります」

「それを話せと?」

「ええ」


男は黙った。牢に囚われ、もう何日経ったのかもわからず、あと何日の命なのかもわからない。

そんな状況で、突然に名乗りもしない誰かがやってきて、退屈だから話をしろ、と言われても、私も困ると思う。

だから、私は続けた。


「もし、退屈しのぎになったのなら、褒美を与えます」

「褒美、なんでもいいのか?」

「いえ。私に出来ることは限られています。助命を望もうとも、私では叶いません」

「……」

「そうですね、せいぜい何か好きな食べ物を持ってくるとか――」

「手紙を代わりに出してほしい、頼めるか?」

「――よいでしょう、内容と届け先によりますが」

「では、それでたのむ」


男の声に、さっきまでは無かった意思が混じった。それは生きる意志、あるいは希望か。


「では、早速はじめてください。そう長くはここに居られません」

「わかった、手短に話すよ」

「どうぞ」

「……」


男は黙ってしまった。時間に制限があると告げたばかりだというのに、その沈黙に少しいら立つ。


「あの――」

「考えているんだ。声からして年若くて清楚なお嬢さん、興味を引くのはさて何の話が良いものかと」

「……」


男は、口の中でぶつぶつ言いながら、宙を見るようなしぐさをする。

顔は口以外が覆われていて、何が見えるわけでもない。しばしの逡巡の末に、男は言った。


「よし、恋の話にしよう」

「……」

「いま、笑ったか?」

「いえ。びっくりはしました」

「……まあ、いい。オレの素性を今は隠すために、詳しくは言えないんだが、昔、大きな宮殿の中でパーティがあって、偶然に女の子と出会い――」

「その話、長くなりますか?」

「……」

「申し訳ありません、私からお願いしたのでしたね、続けてください」

「その女の子も、そう言ったんだ」

「え?」

「その女の子も、オレが前置きをしながら何か言おうとすると、その話は長くなるのか、要点を先言えと」

「女の子と気が合います、興味が出てきました」

「それは良かった。その女の子と出会ったのは、大きな宮殿の長い廊下だった――」


最初は本当に気晴らしのつもりだった。

でも、彼の話を聞いているうちに、引き込まれていくのを感じた。



# [王子は目隠しされたまま韜晦します]



オレの罪状は、王殺し、だそうだ。


本当にそうなら、今こうして牢獄に囚われていないだろう。即座に殺されているに違いない。どの国であっても王殺しは惨たらしい拷問か、即座に首を跳ねて晒すか。生かしておくことなどありえない。しかし、オレは生かされている。こうして牢につながれてはいるが、毎日一回だけ回復効果のあるポーションを飲まされる限り、数日は生きているだろう。


どういう思惑が働いて生かされているのか、いつまでこの状態が続くのか、知りようもない。


オレは隣国の王族の庶子。王の子なのだから王子ということになるのだろうけど、そんなキラキラとした良いものじゃない。他人を信じない王が、自分の意のままに動かす部隊を身内で固めるために、たくさん産ませた庶子の一人でしかない。物心ついたころから訓練を受けて、時には暗殺者に、時には王子に、時には商人の跡取り息子に、任務に応じて素性はかえて潜入している。


そして、この国とオレの国は戦争をしている。戦争をしている国に、任務のため、オレは身分を隠して潜入していた。その任務は、戦争を終わらせること。まだ、王を殺せという任務は受けていないので、オレは王を殺していない。


オレの国は停戦を望んでいるが、この国の王は粗暴で戦争を終わらせるつもりがなく、もうすでに勝った気でいるので、たちが悪い。ただ、この国にも戦争を望んでいない勢力はあって、その窓口として、この国の王子と秘密裏に会っていた。


この国の王子とは、以前より親交があった。戦争を終わらせるために、彼と考えたいくつかの案の中に、王の暗殺もあった。しかし、まだその時ではない。ただ殺したところで戦争がたちどころに終わるわけではない。むしろ報復で戦争が悪化する可能性さえあった。


だから、彼もその案は却下したはずなのに。オレ以外に特命を受けたヤツが潜入している可能性もあるし、彼以外にも強硬派が先走った可能性だってある。この国の王は誰に殺されても不思議じゃなかった。


オレは捕らえられたが、この国には、素性を隠して旅の行商人として訪れているので、身元を示すものは何も持っていない。運悪く、たまたま居合わせただけなのだが、素性の明らかではないということで、不審に思われ、王殺しの罪を着せられた。


状況が不確かなままで、オレの素性がばれるのはまずい。どんな風に利用されるのかわからない。せめて母国に任務失敗の報告を送れたなら、向こうで対処はしてくれるだろうが、どうやって知らせようか頭を悩ませていたところに、女性の提案があった。渡りに船と言うやつだ。


女性は、私に話を求めている。それも、面白い話を求めている。そうすれば、願いを叶えてくれるというので、手紙を出してほしいと頼むと、承諾してくれた。女性が何者かわからないが、こうして重罪人の牢に来ることが出来て、誰に確認するでもなく手紙を出せるというのだから、それなり立場なのだろう。


女性の興味をひかなければならない。女性は声しか聞こえないが、若い女性のように思う。若い女性が好きそうな話を考えてみるが……、そうだ、パーティーで出会った気の強い少女のことを話してみようか。


「その女の子と出会ったのは、大きな宮殿の長い廊下だった。そのとき、大規模なパーティーが行われていて、オレもその女の子も招待客の一人だったんだ。まだ子供だったオレは騒がしいのが苦手で、そっと抜け出して宮殿を散歩してたら、不安そうにあたりを見回す女の子を見つけた。可憐な見た目とは裏腹に、話しかけてみると、第一声が「あなたに関係ありません」だった」


目に涙を浮かべて不安そうにしているのに強がって見せた彼女の様子を思い出すと、心が温かくなる。



# [王女は罪人の話に聞き入ります]



「――第一声が、あなたに関係ありません、だった。どう見たって迷子で困ってる様子なのに、強がってるのは明らかだった。だから、オレも道迷ってる、一緒に協力して探してくれないか、と提案したんだ」


男の声が、明らかにやさしいものになった。

きっと思い出しながら話すうちに、当時の気持ちが甦っているのだろう。


「最初はどこに行ったんだったかな。とにかく長い廊下でどっちに進めば良いのかもわからない。こういう時に手掛かりになるのは花瓶と生けられた花だ」


その言い回しに既視感を感じる。本を読んでいるときのように、話の中に入り込んでいき、まるで登場している女の子の視点に立ち、見回しているかのような。声をかけてきた男の子に言われて、女の子は花瓶に注目したが、変哲もないものに見え、困惑した。


「説明しようとしたら、さっきのセリフだ。その話は長くなるのか?とね。広い宮殿の中であっても縄張り争いってのはあってね、花瓶と花を見たら、それを好むのは誰なのかを知っていたら、誰の縄張りなのかを見分けられるんだ。そうして目星をつけて、あっちに行こうと歩き始めた」


既視感が強くなり、花瓶と花のくだりを思い出す。どうして、それを好むのは誰か、なんてことを知ってるのだろうと疑問に思ったが、それを問うより先に、男の子は歩き出したので、あわてて後を追った。そうして、過去と今がつながったのを感じた。私はこの話を知っている。


「長い廊下をずっと歩いたんだ。オレが先に歩き、女の子は恐る恐るとオレの後ろを歩いてついてきた。なにせ広い宮殿で、見える範囲はずっと廊下が続いていた。ドアはどれも豪華な装飾付きの重そうなドアばかりで見分けなどつかない。子供心に、勝手にドアを開けて覗いたら、知らない大人に見つかったら、ひどく怒られそうで怖くて、開けて覗いてみることが出来なくて、ただ廊下を歩いていくばかりだった」


私はてっきり、彼は帰り道を知っているのに、広い宮殿を自慢するために、わざと歩き回って私を案内してたのかと思った。だって、自信満々にずんずんと歩いていくのだもの、着いていくのに必死だったのを覚えてる。


「そうそう。そうしてると、半開きのドアを見つけたんだ。そっと覗き込んでみると、本がいっぱいの部屋だった。誰もいない様子だったので、こうして廊下をうろうろしているところを大人に見つからないように、逃げ込むように中に入ってみたんだ。さてこれからどうしようかと思い、女の子の様子を見てみたら、本の背表紙をなぞる様に見てたから、本が好きなんだろうと思って、読んでみたら?と勧めたんだ」


本は大好きだ。初めて見るタイトルの本や見たことのあるものから気になってた本まで揃ってるのだから、すぐに私の頭の中は本のことだけになった。彼に勧められるまでもなく、もう私は手に取るつもりで、候補を探していた。そして、以前から読んでみたかったタイトルを見つけて、手に取って読み始めた。


「女の子は、すごく難しそうな本を手に取って、床に座り込んで読み始めた。オレにはそれが何の本なのかも想像できないような難しそうな本だ。でも、こうなってしまったら、たぶんしばらく女の子は動かないだろうと思って、オレも何か本を手に取って読もうかと思ったんだけど、ふと窓から外を見てみたら、バラ園が見えた。彼女に一言だけ、待ってて、と言い残して、窓から外に出てみたんだ」


本に夢中だった私は、待っててなんて聞こえてなかった。しばらく読み耽って、どうしてこういう展開になるんだろうと、内容を反芻して思考するときの癖で、本にしおりを挟んで閉じようと思ったら、いつも使ってるお気に入りのしおりがないことに気付き、一気に本の世界から不安だった自分へ戻ってきた。そうだ、私は迷ってたんだ、そう思って見回してみたら、一緒だった彼がいなくなっていた。


「バラを一輪だけ拝借して、女の子のいる部屋に戻ったら、本を抱えながら泣いていた。オレが部屋に戻ってきたことも気づかない様子で、声を殺して泣きじゃくる様子に、ひどく罪悪感を感じたよ。肩に手を乗せて、大丈夫か?と声をかけたら、ようやくオレに気付いた。そして、ひどく怒られた。その怒鳴り声で、だれか大人が来ちゃうんじゃないかと、ひやひやしたよ」


勝手にいなくなる貴方が悪いのです、私は悪くありません。


「……ところで、いいのか?」

「いいのか、とは?」

「長居は出来ない、と言っていただろ?」


彼に言われて、足が疲れてるのに気づいた、ずいぶん長くここに立っていたようだ。


「そうでしたね。では、続きは明日にしましょう」

「明日も来るつもりか?」

「もちろんです。……、そうですね、報酬は先渡しとしましょう。内容と届け先を教えてください」

「わかった。では、――の町にある――という花屋に届けてほしい。内容は、心の奥深くで君の愛が私を支えてくれる。この手紙を届けたのが誰であろうと、これは君への愛の言葉だと思ってほしい。君なしでは生きられない。以上だ」


彼の言葉を聞いて、私の内なる世界は崩れ去った。

彼の口から聞かされた懐かしい話が、そして彼に抱いた感情が、無残にも失望と苦悩へと変わっていく様子は、まるで心の嵐のようだった。

それでも、私には確かめない選択はない。


「……宛先は、恋人ですか?」

「そうだ」



# [王子はまだ王女を見ていません]



話が進むにつれて、彼女の雰囲気が変わっていくのを感じた。

やはり若い女性は恋の話が好きなんだな、と思いながら、自分でも驚くほど話し過ぎた。


ふと時間を気にして彼女に大丈夫か尋ねると、彼女は名残惜しそうにして終わりを告げ、明日も来ると言った。こんな場所に、ただ退屈を紛らわすためだけに来るなんて、彼女は本当に変わった女性だ。


報酬の先払いをしてくれるというので、用意しておいた暗号を彼女に伝える。恋人に宛てたメッセージ風に見せかけたものだが、「私は捕まった。任務は失敗。存在を消せ」という内容だ。恋人同士のメッセージならば、誰が読んでも不自然ではない。この手紙が誰の手に渡っても、オレの身元は割り出せない。宛先の花屋さえ実在しない。


無事に隣国に届けば、オレは存在が消える。死んだことになるのではなく、生まれたことさえ消される。元より、存在してもしなくてもよい、死んでも惜しくない存在だから、こんな風に捨て駒にされる。幼い頃からその存在は他国に隠されていて、パーティに出席するのも、他国の人間として振る舞えるように、潜入の訓練だ。


同時に、この情報はこの国の王子にも伝わるだろう。情に厚い彼ならば、オレの助けを考えているだろうが、不要だと伝えるために、わかりやすい暗号にした。オレはここで、どこから来たか分からない男として、王の暗殺者として、無慈悲に殺される。それでよい。


覚悟はとうに出来ている。そう思っていたが、思い出を話しているうちに、あのとき出会った女の子のことを思い、覚悟が揺らぐ。


一瞬で怒りがこみ上げ、オレに説教した女の子だったが、一頻り吐き出して、ふとオレが差し出した摘まれたバラを見て、無意味に摘まれるのはバラがかわいそうだから謝りたい、と言った。謝ってどうするんだと思ったが、女の子をバラ園に連れて行った。そこで何があったのか覚えていないが、そのことがあって女の子と打ち解け、最後には別れをひどく惜しまれた。


何かがあったのは間違いない。でも、思い出せない。

まずいな、彼女は明日も来ると言ったので、それまでに思い出さなければ。


そんなことを考えているうちに、女性は牢を去っていたようだ。

牢から去っていく彼女が、絶望して肩を落としているのを、顔を覆う布で見えなくしていた。



# [王女は叫びながら手紙を破ります]



彼に頼まれた内容を便箋に書きながら、何度もその便箋を破り、叫び、そして気持ちを落ち着けて、これは彼との約束だからと自分を言い聞かせ、再び便箋に書いていく。好きな人が他人に囁く愛の言葉を、どうして私が代筆しなくてはいけないんだ、これは何かの罰なんだとしたら、これ以上の罰はない。


(なんで私がこんなことをしなくちゃいけないのかしら……)


便箋を破りながら、心の中で呟く。彼との関係は複雑すぎて、私の頭がこんがらがってしまいそう。でも、彼の頼みを断るわけにもいかない、だって、彼のことが好きだから。でも、この状況がただ苦しいだけで、なんて理不尽なんだろう。


彼は隣国の王子様だ。あの日、隣国の宮殿で出会った。二人で宮殿を歩いたあと、探しに来てくれた兄から聞き出した。彼がどこの誰なのか、どうやったらもう一度会えるのか。兄はしぶしぶ教えてくれた。彼は隣国の王子で、これからも社交の場では会うことがあるだろう、と。


ところが、その日はもうやってこなかった。戦争がすべてを壊していく。もう二度と彼に会えないのかと生きる意味さえ失ってた。でも、再会した。再会できたのだ。彼がなぜこの国に居て、なぜ捕まっているのか、そんなことよりも、重要なことがあった。


(彼との出会いは運命なのかしら……)


彼に恋人がいても良い。例え王子であっても恋をしていいと思う。彼も私も立場があるから結婚は自由にならないとしても、恋する心は自由だと私も思う。彼が誰が好きであっても、私が彼を好きでもいいはずだ、彼が私のことを知らずに語ってくれたように、偶然に出会ったあの日から、私のずっと秘めた想いだった。隣り合う国の王子と王女、戦争が終わったら、また会えるんじゃないか、そんな微かな希望を夢見てた。


彼の言葉を思い出しながら、不安と期待が入り混じる気持ちに駆られる。もしも、彼との間に未来があるなら、私はその瞬間を信じて待ち続けたい。でも、現実はそう甘くない。彼は捕まっていて、しかも、彼が王子であることは秘密にされている。処刑の日が近づく中、彼には思いの人がいるという事実が私の心を苦しめる。


(彼が他の人を愛しているなら、私の気持ちはどうなるの?)


彼の心の中には、私以外にも誰かがいるのかもしれない。その考えが私を苦しめる。私から冷静な思考を奪い、考えても考えても、その一点を堂々巡りする。彼には好きな人がいる、私は彼が好きで良いのか、私の愛が報われる保証なんてないのに、なぜこんなに彼を思い続けるのか。自分でもわからなくなってしまう。


混乱の中で、手紙を書き終え、封筒に入れて封をする。侍女に手渡し、手配を済ませる。そして牢屋の前に椅子を置いておくように伝えた。もっと彼の話を聞きたい、立ちっぱなしだと疲れてしまうから、腰を据えて、しっかりと聞かなきゃ。


(彼が自由になれる日まで、私は彼のために待ち続ける……)


彼が処刑される運命を変えることはできなくても、私は彼の傍にいることができる。それだけで十分だ。



# [王子は王女の助けがあって話を続けます]



「ご機嫌はいかが?」


その声で闇を漂っていた意識が浮上した。鎖で吊るされていて眠れないと思っていたが、気を失っていたようだ。目を開けても、顔を覆う布があるので薄暗い牢獄から檻の向こうにいるであろう彼女の存在は見えないが、漂う爽やかで清涼な雰囲気を感じることができる。


「良い目覚めだ、可愛い声で目を覚ますのは、かねてからの夢だったんだ」

「それは良かった」

「また、話を聞きに来たのか?」

「ええ。だってもう報酬は支払い済みです。今日は時間があります。切の良いところまでお願いします」

「わかった」


さて、どこまで話をしたのだったか。


「バラ園に行くところからです」

「……そうだったか」


オレの思考を読み、急かすように、女性の声が響く。そうだった、本に夢中になった女の子を置いてバラ園にバラを摘みに行って戻ったら、女の子が泣いていて、ひどく怒られたところまで話したのだったな。


「オレは、女の子の手を引いて窓から外に出て、バラ園へと向かった。その日は春風が心地よく吹いていて、バラの甘い香りが漂い、手を引いて一緒に歩きながらも、女の子は春の花々の色とりどりの美しさを楽しんでいるようで、激情に満ちた表情が一変し、その姿はまるで別人のような高貴な気品を取り戻していた」


「……(夢のような時間でした)」

「ん?何か言ったか?」

「いいえ。続けてください」


「バラ園の中にあって、ひときわ赤いバラの咲き誇るゾーンにやってきて、ここから摘んできた、と女の子に告げたんだ。すると、女の子はバラに話しかけ、私の連れの無礼をお詫びいたします、とオレの代わりに謝罪したんだ」

「恥ずかしながら、私の同伴者が失礼をいたしました。そのことを深くお詫び申し上げます、と言ったのでは?」

「……そうだったかな。すると、返事があったんだ。可憐な貴方に気に入られたのなら幸せです、と。びっくりした女の子は周りを見回したら、ばあさんが現れたんだ。そのばあさんの案内で休憩所に移動してお茶を出してもらって二人で飲んだ」

「フェアリー・ハイドアウェイというんですよ、休憩所じゃありません。あと、ばあさんは失礼です。バラ園を管理してる庭師でしょう?」

「……詳しいな、あいにくオレはそういうのはよく知らなくてね」

「そこで何があったんですか?」

「それなんだが、覚えて無くてな。なんだったか」


女性が来るまでに思い出さなきゃいけないと思ってたのに、考えてるうちに気を失ってしまったので、思い出せてない。たしか、ばあさんと女の子が意気投合して、二人で何か楽しく話をしてた。オレは疎外感を感じながら、ちびちび変な香りのするお茶を飲んでいたのは覚えてる。


「――では?」

「なんだって?」

「赤い糸の話、ではありませんか?」

「赤い糸?」

「ほら、バラの赤い色が綺麗ですね、と女の子が言ったら、庭師が――」


急に、オレと彼女を取り巻く環境が、薄暗い牢獄から鮮やかなバラ園に変わった錯覚にかられる。サッと吹いた春風にバラの花びらが舞い、すべてを魅了する微笑みを浮かべた女の子が目の前に。そのときの言葉が頭に鮮明によみがえった。


「その美しさはまるで運命の赤い糸のようだ、美しいだけじゃない――」

「時には苦痛や犠牲も伴う」


そうだ、思い出した。あのばあさんが女の子を喜ばそうと、バラの赤を運命の赤い糸に例えたんだ。


「赤い糸は運命の結び目。それがふたりの心を結ぶ。時には見えないけど、いつの日か出会うべき相手と繋がってる、と言ってたな、あのばあさん。女の子は喜んで、熱心に話を聞いていた。お茶を飲み干して、そろそろ戻らなきゃ大人たちが心配すると女の子を説得して、バラ園を後にした」


以前から二人の関係はそうだったように、女の子はオレの手を握って、一緒に歩き始めた。


「すると、女の子の兄が探しに来ていて、そこで二人の冒険は終わった」

「その女の子のことを、時々は思い出したりしますか?」

「思い出すよ、バラ園で見た微笑んだ女の子に、ときめくものを感じたんだ」

「また会おう、とは思わなかったんですか?」

「思うか思わないかの問題ではなくなった、戦争のせいで。もう昔のことだし」

「そう、ですか」

「ただ、あのあとは女の子の兄とは仲良くなってな、よく手紙のやり取りをしたり、会っていたから――」

「あの人はなんと?」

「……え?」

「その、女の子のお兄様は、女の子のことを何か言ってなかったですか?」

「言ってないな」


「急用ができました。また明日来ます」


そう言い残すや否や気配は去っていった。なんだか激しい感情が去っていく足音に聞きながら。



# [王女は兄に詰め寄ります]



「お兄様、どういうことですか?」

「……戴冠式前とはいえ、もう以前のように気安く話が出来る間柄ではなくなったんだが」


王が死に、たくさんいる兄弟たちの中でも、後ろ盾がしっかり手回しをして、本人の意思とは関係なく王になろうという兄がなにかぶつぶつ言ってるが、そんなことはどうでもよかった。


「彼が何者かを知ってるのでしょう?」

「……本人がそう白状したのか?」

「いいえ。でも彼は間抜けです。尋問官でなくても容易に聞き出せます」

「まったく。だからこそ、誰にも面会は禁じていたんだが」

「これまでも彼はお兄様と会っていると言ってました。手紙のやり取りも。彼が暗殺者ではないことはお兄様はよくご存じのはずではありませんか」

「ああ。そうだ。彼は暗殺者ではないだろうな、この国には私との密談のため、身分を隠して訪問している。たまたま居合わせただけだ」

「わかっているなら、なぜ彼を――」

「要点は三つ。まず彼と私の関係は秘匿すべきことだ、次に暗殺者の背景がわからない、そして何より私には力が無い」


兄の言ったことを頭の中で咀嚼する。

兄と彼の関係を隠したまま、それを明かすことはできず、彼を擁護することは出来ない。それはわかる。


次に王を暗殺したもの、あるいはそれを命じたものの目的がわからない以上は、探るためには、また油断させるためにも、誰かが犯人として捕まっている必要がある。それもわかる。


兄は自分の力で王になるのではない、棚ぼたもよいところ、都合がよいから祭り上げられるだけの存在で、兄の後ろ盾こそが、実は父王の暗殺を命じたかもしれないのなら、意にそぐわないことをしては、兄の存在も危うい。それもわかりたくないがわかる。


「見捨てる、と?」

「彼の国は見捨てたぞ」

「……伝えたんですか?」

「私ではない」


どういうことだろう、兄は彼との関係を秘匿しているのに、なぜ彼の国が彼の現状を正確に知っていて、なおかつ見捨てたという対応を兄が知っているのだろう。


「手紙を出したな?」

「……恋人への伝言を頼まれただけです」

「まさか。そのままの意味だと?」


兄に言われてようやくにして、恋人への愛のささやきに偽装した母国への伝達、そう気づいた私は、自分の愚かさを恥じた。思い至るべきだった、私だけは。そのために必要な情報は持っていたのに、いつもの冷静な私なら、きっとすぐに気が付いたというのに。恋人がいる、ということへの嫉妬から、思考が止まってしまっていた。


文面を思い出す、君なしでは生きられない、それが意味する本当の彼の言葉は。


「生きられないとは、死ぬつもり……」

「そうだ。それが国のため最善だ。どこの誰ともわからない男として、王の暗殺という大罪を背負って、彼は惨たらしく死ぬ。戦争を終わらせる、その遺志は私が継ぐ」


呆然とする私に、兄は最後通牒を突きつける。


「処刑は三日後だ」



# [王子は王女をようやく見ています]



「貴方は隣国の王子ですね」


いつからそこにいたのか、その気配は抜け殻のように希薄で、声をかけられても、話を聞かせていた女性だとは思えなかった。凛とした雰囲気は鳴りを潜め、オレだけに聞こえている死ぬ前の幻聴だとさえ思えた。


「君はあの時の女の子だったんだな」

「もっと早く気づいてください」

「無理を言うな、目隠しされてるんだぞ。それに会ったのはもうずいぶん前だ」

「私も最初はわかりませんでした。お互い様ですね」


そういって微笑んだであろう彼女の寂しげな表情が浮かぶ。この牢に初めてやってきたときのような気高さはなく、迷い子となって怯える幼い女の子のように感じる。それは、二人が出会ったあの日の再現のようだった。


「一つ、きかせてください」

「何でも聞いてくれていい。ただ、この事は――」

「誰にも言うつもりはありません。兄にも」

「すまない」


「恋人はいますか?」

「いないさ。君に託したのはただの暗号だ」

「暗号なのはわかってました。でも、それとは別に愛おしく思う人はいないのですか?」

「いない。オレは王の子ではあるが、誰も信じていない王が捨て駒にするために産ませたたくさんの庶子の一人にすぎない。他より目端が聞いて外見が良かったから、王子という肩書を与えられ、便利に使われてるだけの存在だ。恋だの愛など、考えたこともない」

「本当に?誰にも好意を抱いたこともないと?」

「好意、というなら、君のことは気になってた。あの日のことは今でも思い出せば、温かな気持ちになる。一緒に歩いたバラ園の風景やバラの香りが鮮やかによみがえるようだ」

「私も!……私もそうです。ずっと貴方のこと想ってた」

「ありがとう、その言葉だけで救われる。もう思い残すことはない」


彼女がオレのことを知っていると打ち明けるのだから、オレの処刑が近いのだろう。ずっと秘めてた想いを受け、こんな状況じゃなかったら、両手を広げ、抱きしめていたかもしれない。


「貴方は死にません」

「悪いが、君には何もできない。君の兄にも、どうしようもないのだろう?」

「あの人はただの飾りです、担ぎ上げられたお人形です」

「悪く言わないでくれ、彼はこの国のことを思っていた。戦争を終わらせるために、彼と一緒に出来ることを探していたんだ」

「あなたの遺志を継ぐそうです」

「そうか。ありがとう、安心したよ」


「お別れを言いに来ました」

「ああ、お別れだ」

「また会いましょう、あの日に二人を紡いだバラのように赤い糸、その糸は決して切れない、切らせない」


「何をするつもりだ」


返事はなかった。けれど、去っていく足音に強い決意を感じた。



# [処刑は執行されます]



ここは処刑の場。顔の覆いが外されて、まぶしい日差しを受けて、目がくらくらとした。明るさに目が慣れてきて見回すと、十数人程度の兵士が取り囲む中に、数人の貴族や宮廷職員などがいる。しかし、王を殺した大罪人の処刑だというのに、ギャラリーが少ないのが気になった。


見上げると、少し高い位置に、戴冠式を終えて正式に王となったあの人がこちらを見下ろしていた。逆光で、その表情までは読み取れないが、その心中は荒れているのはわかっている。自分の手で、妹の処刑を指示しなくてはいけないのだから。


私が王を殺した、そう告げた時の顔が忘れられない。驚愕ではない。心の中の何もかも抜け落ち、崩れ、乱され、空っぽになったかのような虚無感とでもいえばよいか。私が彼に恋人がいるかもしれないと勘違いしたときと、きっと同じ顔をしてた。


そう。王を殺したのは、隣国の王子ではない。もちろん、この国の王子が蹴落とすために暗殺したのでもない。憎かったわけでもない、刺し殺す瞬間まで、まともに顔を合わせたことさえないので、何の感情も抱きはしない。私があの日に出会った彼に再会したかった、そのためには戦争ばかり繰り返す王が邪魔だった。


戦争が終われば、きっとまた会える。そんな子供っぽい夢をいつまでも捨てられなかった。あの人が気を利かせてくれれば、二人は再会し、王は死なななかったのに。王を殺したことに何の後悔もない。


証拠も残しておいた。王を刺し殺した懐剣がそれだ。女性が持たされるそれは本来の役目は身を守るためだが、上手に手の中に隠し持って近づいた。切れ味を増す魔法を添えて。油断させるために薄着になり、母親に似た私の外見を利用し、誰にも聞かれたくない相談があるのです、と持ち掛けた。それを聞き入れるに足る嘘を根回ししておいたので、王の頭の中はもう欲望渦巻くだけになったのだろう。


コツは躊躇わないこと、気負わないことだ。憎いとか怒りの感情が少しでもあったら、きっと気取られていた。手が届くほどに近づいて、抱きしめるように手を伸ばし、バラを手折るように首を撫でた。吹き出した血を不思議そうに眺めてる様子が滑稽だった。


大きな音で鐘が鳴らされた。それを合図にして、処刑人が壇上に登ってきた。私は首を差し出すように台の上に頭を固定された。背中をポンポンと撫でる手がなぜかとても優しく愛おし気に感じた。


そして、処刑人は大きな斧を振り上げる。


苦しませないような処刑の方法を選んだのは、あの人の恩情なんだろう。ギャラリーが少ないのも、きっと晒上げないように配慮したのだろう。それでも、処刑しないわけにはいかない。権威を貶めることになるから。私も処刑を受け入れなければならない。


それでも、やはり怖い。


気が付いたら彼がいなくなって、一人になったと怯えて泣いたあの日を思い出す。彼はどうなったのか、教えてくれない。彼を救うために、私は名乗り出たというのに。あの人がうまく手配してくれたと信じるしかない。


あの人の指示を待つ処刑人が、足を踏みしめる気配を感じ、その時が来たことを悟る。


◇ ◇ ◇


処刑人が斧を振り上げ、陛下の号令を待つ。

椅子にお座りになった陛下は、片手で肘をつかれ、もう片手を軽くお上げになりました。


そのとき、突然に処刑台を中心として煙幕が炊かれ、煙がもうもうと視界を遮った。聞かされていなかったものたちは慌てたが、これは陛下のご命令だ。陛下は妹君の無様な死に様を晒したくはないと仰せになり、このような手法になったと聞いている。側近や宮廷の重鎮たちは知らされていたので、慌てる様子もなく、煙が風に流されていくのに任せて、視界が晴れるのをじっと待っていた。


煙がはれて、処刑台の上を見れば、そこには振り下ろされた処刑の斧と、首のない体だけがあった。


「刑は執行された」


そうおっしゃった陛下は立ち去られました。



# [二人は国を離れようとしている馬車の中で答え合わせをします]



「恋人は本当にいない?」

「まずそこか?そういっただろう?」

「では兄とは逢瀬を繰り返して、なぜ私に会いに来ないのか」

「秘密の会談だったんだ、悟られるわけにはいかない」

「得意の暗号なりなんでも接触はできた、私なら読み解ける」

「今の状況の確認よりも君に会いに行かなかったことがそんなに腹に据えかねたのか?」

「答えがまだ」

「恋人は君だけだ」

「なら良し」


「君もオレも、もう帰るところはない」

「作ればいい、貴方が居ればそこに帰るから」

「しばらくの資金はあるが、どこかに居をかまえたら、働こう」

「何かできる?」

「市井に潜入する訓練も受けてるからな、どうにかするさ」

「私は何が出来るかな、子供に文字を教えたりってお金になる?」

「難しいな、でも、良いんじゃないか、きっと喜ばれるよ」


「君は見かけによらず頼もしいね」

「私にあるのは本の知識だけ。でも、想定はしてた」

「想定?」

「貴方と結ばれるための101の方法の一つが駆け落ち」

「……素直に、他の方法も聞きたくなったよ」

「きかせてあげる、時間はある」



# [二人は手を取り合って幸せに暮らしましたとさ]

考証はchatGPT任せなので、王子や王女というのはただの設定や舞台装置とでも思ってください。

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