坊条
やんごとなき人々が、陣座へお渡りになる。一陣の風が襟首に吹き込む。所〻が着座すると、その一所が、懐紙を取り出し鼻をかんだ。
「おおっ、寒む。寒むやの寒むや」
「六位や候、〳〵? 崇明を閉ぢて参れ」
「門を閉ぢても寒さは変わらぬ。してこは何事ぞ? 勅を奉じたと聞き急ぎ参内したが、いかに?」
「あのお顔をご覧あれ」
目で指し示す方には、末座に候はれるお人、坊条が苦々しき態を晒していた。座上に気高げなる宿老の上卿在ませば――
「今日の朝に、帝よりお言葉賜って、にわか儀定を要すと覚えてな。陸奥の争乱よ」
そう言って繁き白眉に潜む目で合図すると、大弁が申文ある由申して、史を召す。その人が申文を文杖に刺し、上卿の膝突に参進して奉る。このような文書は、上席の者から順次回覧するのだが――
「もう見ずともわかるであろう。申文四五牧に、陸奥の諸事が滞っておると記せられておる。かかる条を聞食され、御心を痛めておられた。ときに坊条――」
上卿の老人が呼びかけると、その公卿は眉根を深くさせた。
「子飼いの武士に節刀を下して、朝敵を懲罰させるべし。半年もあらば、首を挙げて帰参しましょうぞと大口叩いておったのは、御前であったな。いかに? 既に三年も過ぎておるぞ。剰え、その男が国〻を治めておると聞くではないか」
「……」
黙っているのをいいことに、別の公卿がこれ聞こえよがしに仰る。
「蝸牛に跨って戦をしておるのかえ?」
「番犬を抛ったのは良いが、野良犬と共にこちに唸っておるのではないか?」
「ほお。さあらば、坊条殿の科は免れませぬな」
周りの所〻は、嘲るのをためらわない。ここぞとばかりに壮年公卿の出世を蹴落とそうとする。
去んぬる或る年、月卿雲客の反対を押し切って開いた朝賀にて、いかに天は思しけむ、天心まで御覧ぜず、にわかの大雨となった。そうなると雨儀を用ゐる由を奏上して、装束を改めるのだが、人々はこれ幸いよと大極殿から罷り出た。
帝の一人御嘆き悲しまれる中、ただ坊条だけは、朝服しとどのまま進み出て、本来人の役であった奏賀奏瑞を恭しく空で申し上げた。帝は御感のあまりに、その場で昇殿を許された。その後も、殿上人や後宮にも御料欠かさず、女房らの覚えもめでたい。
それを気に食わないのが周りの公卿である。遡れば大織冠を大祖とし、近かれ遠かれ親類縁者であるが、四家にもかからぬ風情が、先途をも破り、“官途も竜の雲に昇るよりは、猶すみやか也”と評されるのは気が気ではない。“人に超えられ、辛い目を見ることは、さのみこそおはしあるわざなるを”とは言うが、既に超えられた者、将に超えられんとする者にとっては、何かと坊条の瑕疵や科を求めるのは当然であった。
「これこれ。人の行き詰まりを囃し立て申すのは止め。そもそも田村麻呂公の先例を挙げて、坊条の案に諾として送り出したのは、他ならぬ手前らでもあるぞ。して、坊条。さいぜんから深く沈思の態のみで、まだ一言もないではないか。いかに? あの何某といふいみじき源氏武者は、年頃ねんごろに仕えておったであろう?」
促された坊条は、威儀を正して口を開く。
「各〻方のご憂慮、さ受け給ひて、恐れながら申し上げます。源一義をして、陸奥鎮定に発向せしめて三年、いかに遅うおぼしつらん。そもそも一義は、性沈毅にして武略多し。日本一の剛の者のみならず、國臣の鑑であります。民を安撫し、土地を切り拓き農を勧め、問注も自ら臨み公明正大、彼の地の悪政悪習を改ております。これらもひとえに朝廷の武威と慈悲でしろしめすため」
そこで坊条は言葉を止め、束帯の懐から文を取り出し――
「こは将軍から受けたものであります。各〻方も既に聞きし条ですが、土地の不案内はもとより、第五列や乱破などに苦しめられ――はて?」
坊条は顔を上げた。武門の身ならともかく、これら所〻は違う。戦の子細なぞ、聞きとうないという顔であった。
「帝の御悩みをお伸ばしさせるのはいかぬ。とかく坊条、こは今日明日に片付く事にあらねど、番犬に肉なんど与えてけしかけよ。国衙郡衙には、官符の一つや二つ急ぎ下せ」
宿老の上卿は、とにかく坊条に任せる言い様だった。周りの所〻も上に同じという気色。
「ところで、各〻方はお聞きか? 賀茂橋殿の悩み平らぎて、還着をお望みであるとか。そは坊条殿の見任であったの。はて……来るべき除目はいかに?」
と、或る公卿が笏を顎にあてて、聞こえさす。坊条にとって、かかる当て擦りはまこと腹の立つことであった。不穏な沈黙が続くが――
「へっくす! おお、くさめくさめ……」
先の一所が、今一度懐紙を取り出し、呪文を唱えながら鼻をかむ。張り詰めていた一座の雰囲気が、弛緩してしまった。それを待っていたかのように、宿老の上卿は腰を上げた。
「や、京極殿はいづらへ?」
「いやいや、わしは元より、孫を連れて栂尾へ行く身でな」
「おお、それはそれは。紅葉は今が盛りですぞ。では、私も罷りますかな。しばししばし」
「憶良らは、今は罷らむ子泣くらむ。それその母も我を待つらむそ」
「ほほほ、よう左様な歌が出ますの」
空になった陣の座に、砂塵を巻き上がらせる風が飛び込んできたのもわからず、“除目”……この二文字が坊条の頭の中に渦巻いていた。




