頭領
後日、次郎が黒木の賤屋に戻ってみると、ただならぬ雰囲気だった。官吏らが、木槌を手にぶち壊している。周りの家〻は蔀を上げて、顔という顔が覗き込む。
「あの武士崩れどもに……もずの稗もいる」
黒木の息子はいなかった。山の土地券を捉えて、とうに姿をくらませたのだろう。腹を立てたもずは、官吏に袖の下を使い、彼奴らが税の未納や些細な違法をたてに、検封に出たのだ。僅かばかりの家財は差し押さえられ、その挙げ句家を破壊するとは、非道の限りである。
よく見ると、市で俺に笠と麻衾を売った稚児も、稗の足元に取り付いていた。やはり田舎者に物を売りつけて、後で強請り返していたか。けだし盗品は元の持ち主に返す掟があって、市司も検非違使も認める所ではあるが、それを悪用しているのである。
「むぅ……」
次郎が唸る中、丁と打たれるぼろ家は、ついに倒壊した。官吏と武士崩れどもは、声を上げて喜ぶ。周りの人々は、彼奴らの目に留まってはならぬと、次々と蔀を下げた。言いがかりを付けられて、同じ憂き目に遭う。ただ1人、次郎だけが虎の目で睨み付けていた。
夜の帳が降りると、朧月が雲の合間より覗く。所々も見えず、人々も寝静まっているが、と或る一角には篝火が掲げられ、門より光が漏れ出る。宿場の奥を酒肆とし、無法者、楽天の徒、香具師、遊芸人、猿楽師、その他諸々が出入りする。罵り合い、喧嘩や賭博は当たり前、切り合いや討ち入りも珍しくない。
あの武士崩れどもが、門から出てきた。どれもこれも酔った顔をしている。秋の寒風が、酒に火照った身には心地よい。
「ん〜いかに何者ぞ、あは?」
月影ほのかに照らされ、目前に人影が隈〻しう浮かぶ。物の怪……にしては丈姿が小さい。寄ってよく見ると――
「おめぇは……あの田舎の小坊主か?」
「然り。これに参ったのは、神仏に代わりて申し渡す条あるゆえ。諸々鑑みるに、お主らは高利貸しの走狗と成りて、我執根深いようだ。哀れな男に憐憫の情だに持たず、剰え粗末な家をも毀ち喜び、況や上洛する人々を賺して小銭を稼いでおるな? 神仏、豈この悪行を許すべけんや。今より一心不乱に念仏となえ、人倫の覚悟仕れ」
「うははは! かような夜更に、年端も行かぬ小僧から講釈垂らるるは滑稽なり。こは夜衣と笠を取ったのが、よほど口惜しと見ゆるぞ人々」
武士崩れどもは、笑て興に入る。次郎は背丈低く、小冠ほどの歯、それゆえ人に軽め侮らるること数多。そして、それが相手の迂闊となる。
「お主らは武家の者のようだが、公にも仕えず、こうも落ちぶれるとはな。武士の誉は泥濘塗れ、親にも顔向けできぬ愚か者どもよ。いや、親や祖父も卑き血の流るる痴者かな」
「なにっ⁉︎ 我らの誉だに足らず、我ら大祖まで愚弄するは如何に! 小僧とて許せぬ放言ぞ、こは」
武士の類を沸騰させる容易さよ。されど、よほど肝が据わって、腕に覚えがないと切られること一定。次郎の托鉢の銭を奪った男が、打って出た。太刀を抜き、これ見よがしに振るう。
「この者、何者かある」
鍔緩みを聞いた次郎は、そうひとりごちた。昼は目耳繁く、謹んでおらねばならぬが、今は違う。影法師ゆえ、闇夜に紛れて暗殺や術殺はお手のもの。市井のごろつきを一人二人仕留めようが、誰が気にするか。
武士崩れの脇下へつと詰め寄ると、しら杖を腹にねぢ入れた。瞬き幾つの間に、勝負は終わっていた。
「すはやっ!」
泡を吹いて倒れる輩を見て、残りの者が色めき立った。手ごとに太刀を抜きて、次郎をたちこめて殺さんとするが、既におよび腰である。小坊主であるが、間の見極め、足の踏み込み、そして打交いだに起こさず調伏させる突き。喧嘩慣れしている者ほど、肌に粟を覚えた。
『まず一番を切り伏せよ。二番続きてよも入らじ。まして三番白むべし』
次郎はそう念ずる。ヤクザ者やごろつきの類は、大抵これで片がつくが、武士崩れはいかに? 虎の目で敵を睨めつけ、さらに前に歩み出る。武士崩れらは後退り、既に鋒を震わせていた。
「やよ待て! 待たれよ小僧! お主らは太刀をただいま納めよ!」
武士崩れの頭領と見ゆる髭面の大男が、太刀を捨て掌をかざした。
「太刀は一度打ち合わせてこそ、敵の力を知るべけれと謂があり。見るに、合わせる暇なく打ち伏せるは、これなん神速の突き。小僧とはいえ余程の手合いであろう。いや、おみそれいたした」
「な……頭にヤキがまわったのですかい⁉︎ 小坊主に負けたとあらば、遠つ祖に申し訳立ちませぬ。それこそ武士の誉が腐りますぞ」
「同じ武士に負けたとあらば、さこそ言え。されどこは法師、即ち神仏の諌めである。それにお主らは、某が後ろで吠え立てておって、既に逃げ支度ではないか」
小方どもは、すでに頭領の後ろに退いていた。朧月夜の下、怒れる虎に睨まれ、歩み寄らるる心地がしない者はいなかった。頭領はこう続けた。
「小僧、御名を」
「味噌すり小僧とでも」
「こはいかに。我らが旗は豆腐と呼ばれることがある。今しがたそれを腹に収めたが、やはり味噌あらずんば味けのう覚えてな。その味噌が武運猛々しい権化とあらば、こは八幡大明神の御導引にあるぞ」
次郎には訳のわからぬことを口走っているが、この頭領は感打たれていた。
「味噌殿。もとより我らは河内源氏の端くれ。されど食いはぐれて、心ならぬ権門へも付かねばならぬ時もある。いや、今は権門どころか高利貸しの借銭乞ひとなっている。まことお主が申す様、武士の誉は泥濘塗れ、曩祖にも顔向けできぬとはこの事よ。神仏の御言葉、心に沁み入った。金輪際、余所者に物を押し売って、後より奪ひ取る愚行は止めよう」
「……」
次郎は肯きれずにいた。何かと申し開き、口〻改心すると言っておきながら、悪行を止めぬ者は数限りがなかったからだ。
「む? いまだ心得ぬ顔をしておる。さあらば、こはいかに? お主は黒木の家で経を上げておったそうな。あやつの借を帳消しにいたそう。これで徳積みと言うわけにはいかぬが、手打ちにしてくれぬか?」
「では、肥女に事訳いかが陳すべき?」
「あれは愚かでも、胴欲で算用方はよくやる。お主は、もずをも打ちこらす心つもりであろう。手痛い目に会うなら、黒木の金を損切りすべきぞかし」
次郎は考えた。あの息子にとって、借金の帳消しほど僥倖はない。それどころか、亡き母の供養にもなる。次郎がしら杖を下げると、その身に纏う武威が離散するのを感じ、頭領以下は安堵した。
「ゆめ存疑あるべからず。どこの法師がわからぬ者ならいざ知らず、お主は武術精妙、源氏にも縁ありと見ゆる。そして某らは源氏の端くれ。一度固めた約は違えぬ。よいな各々方……あの臥しているのを抱えてやれ。あは味噌殿の鳥目に手を付けた罰当たりぞ」
子方が倒れた武士崩れを抱える。殺してはいないが、臓腑を小突いたので、すでに絶え果てていた。
酔いの覚めた頭領は慇懃に頭を下げ、武士らしい佇まいで去っていった。市のごろつきの風体まで消え失せていた。
「……」
彼奴等の背中を見守る次郎。頭領の謂が空言なら、皆人残らず頸しらげんと覚えたが、そは無用と感じた。
仰げば雲は吹き流され、欠けたる月の皎々と照り輝いていた。