だまされ
影法師の次郎は、七条の辻で托鉢に励んでいた。笠を目深に被り、人目を遮る。片手に金椀を持ち誦経する。ごくまれに人が、銭を入れて拝んでいく。ここ数日、このようにして食い繋いでいた。
『人はかへりみる事を得ず、車は輪をめぐらすこと能はず』
今の時期の都、特にこの界隈は不穏である。全国の公地や荘園から収穫物が運上され、余剰がここに流される。荷牛車が轣轆と轍を残し、所狭く馳せ違う。そこに無頼の徒党が、獲物を見定める。喧嘩の類はひっきりなしに起こる。いずれの人足か知らねど、京者に田舎詞を笑われ、流血沙汰となった。また、郁芳門間際に溢れでいた租庸物には、大掛かりな強盗があって、今は武士どもが立ち並ぶとかや。
「九国はあちらの空であろうか?」
国元にある那の津も、大陸からの門の下として唐風めかしている。しかしここ京都は、日本国をしろしめされる天子様のお膝元だ。
次郎の金椀にわずかながらの銭を入れると、魚の入った桶を頂き、人混みに紛れる販ぎ女がいた。このように次郎に気づく者は少ない。いわんや、澄んだ空に雁列の到来を見る人をや。馬子、瓦焼き 、茶売り媼、末法思想を叫ぶ祈祷師、遊芸人、誰も彼もが我事で精一杯である。
瞼を閉じ、一層念仏に心を入れている時、次郎の持つしら杖が、さと手から離れた。目の前に見知らぬ男たちが歩み出でており、その一人が奪っていたのだ。粗野な風貌の男が、道連れの女に尋ねる。
「どうだ? まことにこれか? 空目じゃないだろうな?」
「はい。この小僧さまの召し物でございます」
次郎には、つゆほども話がわからない。
「やよ小僧。お前は先日東の市で、ガキからその笠と麻衾を購うたであろう。それを返せ」
「なぜゆえに?」
「盗品だからよ。盗んだ物を購うて、まことの持ち主が出たら、買った者の買い損とは市の掟。早〳〵脱がれよ」
次郎は舌打ちする。確かに肆ではなく、怪しげなる稚児より声をかけられ、代も安く済んだ。夏の僧衣で、日に日に雨風寒くなるのをつけ込まれての欺きであった。
「そは我が店の品であります。小僧さま、どうかお返しを」
店の女が、丁寧に手を擦る。はて……この女どこかで……あの高利貸しの肥女に肩を貸し、瓢箪の水を口に含ませた稗にあらずや!
ははぁ、こは一杯食わされたぞ。次郎は笈から麻衾を取う出て、笠と共に男たちに渡した。全国から人々が上洛しておるが、そのような田舎者を見定め、所柄だ何だと理不尽を押し付けて、悪徳を貪っておるのだな。
「今日より用心せよ、小僧」
粗野な男どもと女は、次郎が黙っているのをいいことに、金椀の中の銭まで奪ひ取って行った。しら杖は抛り捨てられた。
「もずが噛んでいるのとはいえ、実否を探らず、打ずのはな……」
加えてあの者たちは、打ち物振りかざすだけの京童部とは違う。指胼が見えたので、武士崩れに間違いない。真っ先に次郎のしら杖を取ったのも諍い慣れている。
『見知らぬ土地で文句をつけられたら、こちらが正しくても勝ち目無しと思え』
旅慣れた者は、かように肝に銘じている。理由は言うまでもない。腕に覚えのある次郎でさえ、法兄から厳しく教えられていた。あまり事荒立てて、日の元に影を晒す無用は致したくない。
「凍餒避ける術無し……」
影法師ゆえ、旅の空寝には慣れておるが、被く衾も無ければ寒さは身を刺し、満たす食物もなければ歩みもできぬ。俄かに肌寒う、飢えを感じる次郎に、秋風が吹き付けるのであった。