乙
連銭葦毛の口を取り、深い山道を歩み歩りく次郎。文の主へ連れて行けと促すが、この牝馬は、雪間の草を食むばかりである。
「はあ、寒国では人尋ねの勝手もわからぬゆえ……お前が頼みの綱ぞ」
人の足跡は、わずかな降雪で埋もれてしまう。おまけに、風が吹くと粉雪が吹雪のように舞い、視野が奪われ危険である。もう諦念やむなしか? いや、それは恩人の将軍一義に不義理を働くことになる。
「もう十分食んだであろ、はや進め」
次郎はこう鋤を雪から抜き、馬尻を軽く叩くが、頑なに動かない。白いため息一つつくと、突如うす墨は首を上げ、ある向様を凝視する。はて神馬は、人に見えぬ物を見て、聞こえぬ音を聞くという。やがて鼻嵐を鳴らし、雪煙を蹴立てて走り去る。
「すわっ!」
咄嗟のことで、次郎は不覚にも手綱を放してしまった。
ある山間の清流に、人〻の一行がいた。その中の若い女は、旅装束にもあらじ、館より出たままの汚れ姿、障泥を敷き顔を洗っている。
〽うす墨綺麗
うす墨幸せ
うす墨骨太
うす墨伸びやか
うす墨しなやか
うす墨元気
うす墨平和
うす墨会いたい
一人即興の歌を吟じる。女童よりあの馬の口を取り、牧へ放ち且牧から集める折に、これを口ずさんでいた。
坂東源氏の親類へ文を託し、二度と相見える事なしと別れた連銭葦毛が、道なき坂の草木を掻き分けて駈け降りて来た。鼻と馬体から湯気が出ている。女が馬の顔に抱きつくと、声高らかにひひらいて応えた。
「あら不思議や。わが愛馬うす墨のまことに帰って来たり」
「この毛付は間違いありませぬ。おのゑの前様と同い年に産まれ、種は違えど姉妹のように振る舞い、別れを拒み帰ってくる賢さよ」
小者三名は歓喜の涙を落とした。しかし、その再会の喜びは、馬に続いて坂道を降りてくる、いと怪しげなる男で恐怖に変わる。ドモコモにより目元の外見えぬが、山伏の態で眼光鋭く、只者ではない。小者三人は、女を守るよう引き寄せる。
「その方は――」
と次郎が誰何するや否や――
「やいおい! 乙姫から離れろ狼藉者!」
草木の中から、武張った若男が飛び出して、有無を言わさず、野太刀を振りかぶる。
「!」
次郎は身を翻すものの、その男は勢いに任せさむ〴〵に切りかかる。
「あいや、野僧は――」
「黙れ、死ね!」
太刀振舞い秀でるというより、力任せに攻めてくる。この男、源仁義が殺気立つのも無理はない。合戦が始まれば、隠れながら遠巻きに機会を伺う人〻がいる。野党や里者、種を問わず落人を剥ぎ取るのである。中でも狼僧と呼ばれる低級法師は、宗門の汚れ仕事を担う不良原で、殺しも厭わず仏門と徒とは到底考えられない輩だ。
次郎は寄せる仁義を軽くいなしながら弁解する。
「げに山立や劫の類では――」
「そのように語らいて、後ろから刺すのが常套であろ!」
腹悪き仁義は聞き耳持たず、雪を蹴立てる。纔か次郎の目を潰し、太刀を十文字に廻らせるが――
「なにぃ⁉︎ 完全に入ったのに――がっ!」
蜻蛉返りで躱した次郎に、背後からこう鋤で打ちこらさせた。
「やれ、とんだ猪武者よ……」
仁義と乙姫が両馬して、その口付く次郎。後ろには荷持ちの小者らが続く。道中で御曹司と再会した源氏武者は、死人が甦ったと腰を抜かすが、八幡神明の御慈悲よと拝んだ。
「萬歳、萬歳、萬歳!」
鶴脛の柵内は歓呼の声が響もす。居館にもその歓呼は届き、一義は独り北叟笑んだ。
御座所で父子が対面し、その横には近習が居並ぶ。仁義の後ろには、装束を改めた乙姫が額ずく。端におるかおらぬかの態をしているのが次郎。外は小雪がちらつく。
「小生、恥ずかしながら首接ぎて帰参し候」
場には気まずさが淀む中、責め苦の痕すらない仁義は一礼する。一義は沈黙を守る。聞こえるのはメジロの鳴き声だけ。
一同の脳裏には、にが〳〵しい黄海の戦いが過ぎる。官軍は潰乱し敗走、将軍を囲む勢は一騎また一騎と討たれ落つ。人馬共に疲弊し、氣息而已。わが武運拙くこれまでと、一義が天を仰いでいると――
『将軍、天を恨みなさるな。ここは一つ、暴虎憑河の漢に頼みたまへ。こうも逃げ回ると、“戦場を住家として、責戦事忽諸成さず”とは言えませぬ。なに数多の敵を引き具して三途を渡り、あれなる悪法師めに先導させましょうぞ。将軍におかれては、山中で延び、捲土重来をお図りください。かように申すは、親は子を拵えますが、逆は此れ能わず。いざさらば父者人! 八幡三所、我が死所を照らしたまへ!』
と一義の返事も聞かず、単騎翻し大軍の中に駆けていった。今生の別れの挨拶も潔く、返し合せて雑兵を蹴散らしつつ、武魔に敗れた。そのまま若い命を散らせばよかったが、恥ずべきかな、生け獲られの擒となる。そして敵中、安大夫の娘乙姫と夫婦となり、北へ護送中にその姫君を盗んで逃げた。
そのまま我が方へ率て復ち返るのも生き恥ゆえ、妻と小者三名とで山中に引きこもる胸であったが、官軍が武魔を破ったと風聞すると、帰隊の意欲が湧き、その文まで認めた。さあれど、出すや否やでもて悩んでいるのを見た妻乙姫は、密かにうす墨に結い付けて、送り出したのである。
一義はというと、黄海の戦いの後、陣僧をして息子を尋ねさせしめた。武蔵鐙のある月毛、赤毛縅の鎧が上がったが、なにせ尸無きゆえ、子息や否やと判断しかね、一縷の望みを隠していた。
「……」
未だに目の前の男が息子であるのを信じられず、感慨深く見下ろす。なにせ後の事も済ませ、喪にも服し、息子は死んだものと振る舞っていたので、家人同様喜ぶのはばつが悪い。それゆえ掛ける言葉も見つからず。もっとも体面が悪いのは、せっかく生け獲った御曹司が、姫君諸共逃げられた故安大夫であるのだが。
この間の悪さに耐えられなくなったのであろうか、次郎が僅かに前に出る。
「畏れ多くも申し上げます。無始曠却よりこのかた、妻子とは生死に流転する絆ゆえに、ある時は御方と敵方に生まれ出る時もありましょう。御曹司殿の生け獲られるは、他ならぬ妻君と再会する縁に疑いありませぬ」
「……御辺が云へる事尤も是也。一義も左思へり」
将軍以下、全ての者は得心する理を欲していたので、次郎の助太刀に場の気まずさは離散した。とりわけ一義にとっては、どの男子に家督を継がせるか先送りにしていたが、本来の嗣子が存命とあらば、一枚岩ではない坂東源氏で係争が起こることもない。
「ときに、その方が安大夫の長女……名をばおのゑの前と申すか?」
「左様でございます」
「顔を上げられよ」
「まことに畏れ多きことでございます」
微駆つく姫君を見下ろす一義は、それ以上は何も言わず。かつて安大夫の居館で、子息らと共に遠巻きに、この尤物を見たことはある。
「下がって善し。營中におけるその方と従者の安全は、一義の名において保証す」
「御慈悲ありがとうございまする……」
「もう完治と見做してよかろう」
「感謝いたします」
次郎は、老医務官に手を束ねて謝意を示した。武魔から開けられた穴は、わずかに傷跡こそ残ったが、全く塞がった。
「しかしのう。御曹司が帰隊して以後、怪我人が増えてたまらぬ」
一義に代わって、仁義が調練の責を引き継ぐ。あの男は模擬包囲戦に重きを置き、損害や消耗を被る人馬や軍資器材が続出。度し難い程になると、この老医官が一義に具申して、規模縮小を願い出た。
「なんでも、星羅による厨川の柵抜きが始まると聞く。それに、御曹司が受けた恥を雪がんと躍起になっておる」
「陣中の侍どもも、軍功を横取りするつもりで落ち着きがありませぬ。日に三十里以上も行軍するのもそのせいでしょうな」
暖かい医幕の中に、寒風が一陣飛び込んできた。見れば、或る郎党が怪我人を背負っておる。
「やい爺。主人が落馬せり。頭をお打ちで、血が止まらぬ!」
「やれ〳ヽ……そこなる箯輿に横にせよ」
慌てふためく郎党に対し、やおら腰を上げる老医官。次郎は挨拶もせず退出した。飯炊のため厨房へ行く頃合いだった。
次郎が陣中厩を通りかかると、ある女が馬飼らと混じって、あくせくと世話をしていた。舟を抱える横顔を見ると、乙姫だった。なんでも、人質めいた扱いは気詰まりとなり、働いて気を紛らわしたいと申し出たそうな。無論、小者三名――爺婆とその娘も。馬をやるということは、力仕事であり泥仕事でもある。しかし慣れているのか、嫌な顔せず健気に働いた。だからか、癪が強い馬たちにもよく好かれた。
「姫様のお心をお察しすると、忍びなく思います」
厨房にて、飯炊をしている乙姫の婆は、次郎にそう嘆いた。
「厨川では、一族が殺されるのを、こちらから眺めることになりましょう。なぜ我〻だけ、のう〳〵と生きながらえることが出来ましょうか?」
婆は泣き出した。言葉も出ない次郎は、ただ見守ることしかできなかった。
別の或る日、次郎が通りかかると、乙姫がうす墨の口を取り、小者三人と共に梅の花を鑑賞していた。枝に残雪がかかり、メジロが花の中を覗く。
「あゝ、もうすぐ春が終わるな……。ささら様とあの女童はどうしているか」
京都を出てから、山や陣中で男衆と暮らしていたので、華やかな花を見て、ふと懐かしくなった。今更ながら、西様を眺める次郎。厨川が抜けば、帰ることもできるだろう。
「兄坊ちゃん」
縁側に座って、串を喰らう仁義の側に一義が座る。周りには誰もいない。
「向者子は、あの味噌法師を撃殺しようとしたな?」
「おう。練兵中に、“うっかり”切り捨てようと思うたが、虚を突かれた」
次郎と齢の近い息子は、事もなげに言った。嗟夫と、仰ぎて歎ずる一義。
「腕貫緒しておらぬ手首を打たれ、瞬く間に勝負がついてしまった」
「其れ意を快くせず。他日に於いては、庭より読経聞こえる障子へ射たとな? 以て為すこと無かれ」
「あはは、失中よ。声が止まったので呑ませたと思ったが、また『南無阿弥陀』と聞こえたからな」
一義はにが〴〵しく眉根を寄せる。逸早い男子いかがせんと。
「あのクソ坊主云うには、己に向く悪意を感じるようで、強ければ針で刺されるように識るとか」
「……」
「父者、あやつは速やかに殺すべし」
「以ての外。東八カ国の有志寡き今、奧州戦役に於いて便なり」
「しかし、坂東源氏にとって後〻の障となる」
「去り迚も、武藝の淵底を究めし兵すら是を殺すこと輙からず」
一義も慥かに感じていた。源氏ではない虎が、いかに危ういかを。しかし、あの法師を殺す機会は、生萊唯初撃而已。故に仁義獨りのみに非ず、一義も亦能わざるなり。
そこに衣擦れの音が聞こえた。向けば、容作り女房装束を召した乙姫だった。三つ指ついて額を床につける。
「おう」
「親子歓談の中、畏れながら申し上げます。厨川に臨ん――」
「無礼者! 俺の妻とはいえ、女が、しかも安東の者が軍に口入するとは――」
「仁義」
一義は腹悪しき息子の口を制し、微駆つく姫君に無言で促す。
「ご存知の通り、厨川は安東最北の柵。今や戦いの帰趨は明らかとはいえ、わが弟益荒は死に物狂いで抵抗するでしょう。幼き猛男も、急ぎ元服すると思われます。東北の勇士は、死んで胆沢公の元に旅立つとなれば喜んでそういたしましょう。されど、私が憂いておりますのは、女や子どものことです」
「なに馬鹿げたことを。敗者は勝者に身を委ねるのが道理」
「列女は殿方と滅びの道を進みますが、覚悟を持たない者も多く――友がきや子どもが乱暴されるのを、傍観するのは堪えられぬのであります」
戦乱に生まれた敗者に情けをかけて何になると、仁義は舌打ちした。
「その心累はすこと有らず。もとよりこの一義、陸奥を整えに下ったのであり、安東氏を族しにではない。女、子供、老人に当たりては、和御前同様に身の安全を保証す。但し、安大夫殿の男子に於いては、御覚悟をば宜くお願いする」
「お慈悲まことにありがとうございます!」
げに父者は、お人好しよ。戦、殊に柵破りには、火をかけないと容易ならず。切り合いの最中、男子か否かと見定めるとでも? もし女子とて、暗器を忍ばせておったらいかがせん? 同族とはいえ、今や源氏の妻に強烈な不満を覚え、またそれに乗る父にも得心いかなかった。
是は扨置、星羅の伝令が比与鳥の柵に到来した。菊池宮が居館の庭に通す。将軍に申すところ、厨川の包囲は完了、兵糧攻めの真っ只中で、令髙は、柵抜きの功を献上すると。また陸奥六軍は、小勢を幾度か繰り出し、逃げ道を模索しているとも報告した。
『彼奴等は、飢え乏す前に仕掛けてきますかな?』
安大夫の嗣子茂任の頸欲しさに、仁義は奮い立ち、家人らを引き連れ下知を乞う。一義としても、乗せられたとはいえ、悪い提案とは思えなかった。
『子が言、是なり』
北征を遽しく起こした。前進気勢と書き付けた白幟が上がり、具足鎧ふ兵が、逞しい馬に跨り、厨川に歩を進める。徒士と段列がそれに続く。荷持ちの次郎は、気を得る兵どもの中に、駕籠橇があるのを見つけた。乙姫だ。天幕が垂れているので、その姿は見えない。
馬上の一義と仁義は、黙して兵どもの軍立ちを見守る。雪を踏み固めながら、欻と鳴る音。北を眺めると、珍しく晴天であった。




