文
陣内の神前に、分捕りが数多に捧げ祀られている。だが、合掌する者は誰一人いない。軍任怠慢を咎められ、物見は全員笞刑に処された。
「須く一義の責にも帰すべし」
しかも将軍は全軍の前で、自らの体に鞭打たせた。また家人の間で臆病憚るのを諾とせず、自ら臨席して、家の人郎党の調練を開始。
「さながら合戦よの……」
鬨、嗎、具足の擦合、打ち物の搗合が背より届く。それどころか熱気まで、この医幕の中に届く。ちらつく雪の寒さも感じない程だ。
「さて、今日は何人来るか」
毎日の調練では、傷を負った兵が次〻と担ぎ込まれ、死者すら出る始末であった。
「野僧は、いつ物すことができましょうか?」
寝台に寝そべる次郎が問う。腹の傷口が開くので、絶対安静と言い付けられていた。くさめや糞をする時など、腹に力を入れると激痛が走る。
「腹の穴が塞がるまで」
みちのく訛りの老医官は、糸の縫合に、紫草の汁を塗り込む。
「あいたあいた……しばらくは重湯ですか。豊州の味噌が食べたい」
「養生なされよ。しかし、あれなる悪僧の一撃を受けて、殺されなかった者はおらん。医幕へ運ばれてきた時は遺体かと思ったが……よほどの高運よ。あと一尺ずれていたら、心の臓腑を貫いておった」
老医官は桶の強い酒で、手を洗う。
「いえ、諸仏諸神の慈悲あって、こうして生きております。手負ほせましたが、いづれまた相対ずることになりましょう……」
次郎の脳裏に、武魔の一打が過ぎる。他門の影法師と戦うのはもとより、会うのも初めてであった。
是は扨置、一義は家の子を講堂に召し集めて、『春秋』を読み聞かせていた。庭の篝火の間より、郎党が無礼にも割って入る。
「御館様! 御館様!」
「……こは便なき哉」
「今厩に、見知らぬ芦毛がいまして、こは面妖なと見れば、耳に文を結付けております。披き読むと、御曹司の書と思われます」
家人らは傍目合わせて、眉根を寄せた。
「仁義とな? 何条其の儀あるべき?」
「何を申すか。彼のお方は、あれなる悪法師に刺させたであろうに。その文は、安東の謀ではな――」
「あいや、花押が御曹司のものであります。同輩も同じう申しております。ご覧あれ」
郎党から手渡しでその文を見ると、家人らは押し黙った。ついに一義の手に渡ると――
「豈圖らんや……」
将軍も絶句した。累代の家人だけが、その手元が微か震えているのを見て取った。
『春秋』の会は俄の評定となり、直ちに仁義を捜索する班が組まれた。また、奇異な芦毛は観音の化身とし、丁重に飼うように決められた。
「ようやく粥か」
「な急ぎ食いそ。腹の傷はまだあるぞ」
是は扨置、黒沢尻の柵の医務殿にて、老医官が盆を台に下ろす。味噌も添えてあった。
「はあ、東国の味噌ですか。こは塩辛くて食えたもんじゃない」
「ほほう。さあらば、粥のみになるが?」
「あいや、そは勘弁」
その時、侍大将が入ってきた。また調練で怪我が出たかと、老医官は訝しげな顔をする。
「やよや味噌坊の傷は如何? 幕下がお召しであるぞ」
こは厄介を押し付けられるぞと、次郎と老医官は見交した。
御座所から、粉雪の絶え間なく降り続くを見て、今後の軍行を話し合う。そこへ侍大将から取り次いだ家人が、縁より目配せする。その後ろには次郎もいた。
「しばし扣えよ」
一義は、伺候する役人や近習に仰せつけた。無言のまま、衣擦れだけが鳴り、やがて次郎と一義二人になる。
「近う寄れ」
そう言っても、遠慮して憚る次郎に、一義は自ら高座から降りて目の前に胡座をかいて座った。
「まづ一杯せよ」
提から、酒を注ぐ。次郎は訝しげに凝視して、手をつけない。
「哈哈哈、豈惑ひならずや。毒酒を以て御辺を謀殺するは、武士の矜持にあらず。去り迚もこの一義、技量見んために、剪らんとしたが」
心良く数献におよんだ一義を見た次郎は、迷いながらも一献傾けた。即座に顔が真っ赤になる。
「天は一義に福するなり。御辺が惡法師退けずんば、やにはに下手となりて、手向返すべき処なし」
「野僧こそ、将軍の一矢なければ、今頃仏の元で修行している所でした」
「旅立つにはまだ早し。ときに、抉れた腹は如何に?」
一義は次郎の盃にもう一杯注ぐ。一気飲みすると、冷え〴〵した身体に沁み入り、カッと熱くなる。一義は笑った、この法師呑みを知らずと。
「は。老医官様のお陰で、こうしてまた御前に出ております」
「善哉」
次郎は、はや罷り下りたいとうず〳〵していたので、単刀直入に下知を乞うた。
「将軍。伏して惟んみるに、この青法師を召されるとは即、御用命ありと推察致しますが?」
「忠の者かな。是こそとも言ふべけれ。及者、柵内を引き回しておる連銭芦毛の事は?」
「あゝ、あは衣川の柵におった牝馬でありましょう。名をうす墨と申して、一の厩に繋がれておったのを、野僧が陽動として解き放ったのであります」
「なにっ? して耳に文が付けられておるのは?」
ここで次郎は少し押し黙った。
「話は読めました。野僧は、人を尋ねれば宜しいのですね? 早速取り掛かりましょう」
「……」
聳然と居住まいを格し、慇懃に引き下がる次郎に、一義は異とした。




