虵
渋る百姓を説き聞かせ、なんとか牛馬を掻き集めた将軍一義。時刻を回さず、発向せんと欲したが、浅増しきかな、天は味方しなかった。大雪となり、大地全てを白壁に作す。下らぬ府務の傍ら、天を睥睨し――
「叵」
白息と共に、詫び言をさざめく。聞けば、星羅令髙の柵抜きも、この悪天候で泥んでいると知る。
ある暁、例ならず雪が止んでいた。一義は府の陰陽師に命じ、今日こそ吉日なれとでっちあげさせた。そして、将兵にも号令一下ただちに軍立させる。府中劇忩と為る中――
「なに? 虜外とは如何に?」
卯の尅、輜重の牛が言うことを聞かず、剰へ暴れて死傷が出た。軍資器材の装ひにも手間取り、発向が遅れた。
雪は降らずとも、極寒に肌を刺され、笠と蓑に包まって、遅〻と歩を進める。地は凍つき、まろび滑る人牛馬甚だ多い。
「今日はまことに吉日か? 出立から酷い有様よ」
「そうは思えぬ寒さよ。あの池も氷になっておる」
「嫌な予感がするわい……」
果たしてそれは当たった。突如として鯨波が起こると、冷気を吹き飛ばし、地を揺るがす。時をおかず、森林に隠れていた陸奥六軍の兵が、関道を防ぐ形で雪崩れ込んだ。
官軍は予期せぬ敵の到来に、さと陣形を整えるが、動揺を隠しきれない。
「こはいかに⁈ 敵は厨川へ奔ったのでは?」
「地勢も見んが為に、常に物見を絶やさずしておったのに、御辺らは何をしていた⁈」
「あいや、この寒さで川が凍結して、地続きとなるとはかけても思はざりき。決して手抜かりでは――」
「それを手抜かりと申すのだ頓馬め!」
陣中大慌ての中、一義は沈毅とし、挂甲短甲を着た敵を、鞍上から睨め付ける。数は多くはないが、皆士気が高らかである。
「敢死の者、將を剪り幟を拔きに來たる……」
しかし、敵方から鏑矢は放たれず。代わり、陣の面に一騎が進み出た。
「すわっ! あは武魔にあらずや!」
小手翳した官軍の武者が、叫喚を上げる。他の者にも一層動揺が伝わり走る。
「武魔?」
事情を知らぬ次郎は、隣の者に尋ねた。その者は、わなないて答える。
「忘れもしンね。黄海ン戦いで、坂東精兵、さらに御曹司もを悉く討ち取った悪法師だ」
「奇怪な法名よ」
「素性ンわかんねえから、そう呼んでおるだ。言語少なく、名対面もせぬから」
その悪法師は身八尺の大兵で、玄甲と言えばよいのか、黒光する鐡札を黒糸で威し、巨大な体躯を覆っている。紋様はない。内兜には、鬼を擬した目の下頰当を以て防禦する。わすがに厳しい碧眼が覗くのみ。
「しかし……しゃつが乗っておるのは竜か?」
「それよ。竜なんぞ、生まれてこの方初めて見たべ……」
異装の武者法師が、これまた異装の竜に跨るを見て、硬直する官軍。
「こちは出したぞ、そちも一騎出せ!」
「将軍方の武者はとんだ腰抜けよ。命惜しうて、まごついて頭を左右に振っておるではないか!」
「黄海の戦いを今一度見せてやるぞ、はや出ろ!」
うち歪む声で、陸奥六軍の者らが焚き付け、官軍は散〻の言われようである。さあれど、かかる一以当百の魁奇が陣前に進み出づると――
『あの蛇を模した鞭先の刃に、一發して取られるぞ。今は冥土の某殿の二の舞じゃ』
『あの竜に頭蹴割られ、腰踏み折られるぞ』
と多勢とてどよめき、既に逃げ目を晒している。
「誰か、我こそと思ふ者は、名乗り出でよ!」
一義は、家人に向かって叫ぶ。さあれど、皆一様に、目を逸らし、沈痛の面を晒すばかり。
「いやはや、きゃつは武士にあらじ、法師の頸を上げても――」
「一の筆に付けて進ぜよう」
「我が強弓を見させんと存じますが、今は袋の中、今日の寒さで弦は凍って切れましょう。どうして物の用に足りますか」
誰も彼も頭を下げ、醜態の体たらくに、一義は静かに怒った。
「比日坂東の勇士猛士と矜持立てるも、いざ强敵を前に命惜しく股栗す。嫉む可こと斯くの如きか。もう善し、一義が打って出る! 獨り床几に座すのみに非ず、死を賜って果てるもまた將軍なり。我が西山に薄るを見て、己が愧を雪げ!」
一義は、備前宗長の打ったる太刀をばひん抜き、駒の腹を蹴る。
「すわっ、いけませぬ。万が一とはいえ、征討軍の全てに障が出るどころか、坂東の門衰え、政も細うなりますぞ!」
「黙れ! 臆病神の覚めざるが何を申すか!」
国府の陰陽師は、御方の口〻より黒気が立つのを見た。将軍の御前に恭しく出て進言する。
「畏れながら申し上げます。悪僧には悪僧をば召し当らせたまへ。あの小僧の命を以て贄にし、返し合わせつつ、支へ戦うのがよろしうかと存じます」
「……尤」
と一義と家臣は同心した。
「豊前は西號寺の次郎法師! 御定ぞ、つかまつれ!」
侍大将が、大勢ひしめく中へ向かって呼びかける。
「すわっ! 御辺が召されたか! せめてあと一領の腹巻だに鎧へ」
次郎は、むしろ今まで着ていた挂甲を脱ぎ捨てた。人〻は、得心いかぬ顔をしている。
「あれなる鞭先は、三領も穿つのであろう? さあらば、返って障となる」
白衣になった次郎は、草鞋の紐を確かめ、木太刀“鰹木”を握り、陣前まで進出づ。この僧の心迷いの無さに、人〻は驚きあきれた。
「死に臨むこと、其れ歸するが如し……」
一義は、小兵の背中を見送りながら、そうひとりごつ。
次郎の姿を見るや否や、陸奥六軍の兵士どもは、どっと嘲笑った。
「うははは、こはいかに⁈ 小僧とな? なに程の事かあるべき!」
「陣に控える、具足纏い馬に跨っておるのは案山子か?」
「仏門の徒を贄に差し出すとは、さすが坂東の勇者よ!」
こうも言われると、将軍方も黙ってはいられない。
「黙れ〴〵! そちこそ卑怯なれ! 小兵の徒法師に、竜に乗ったる大兵当てたるは!」
「それよ。武者にはあらじ、法師を繰り出しておるのは、そちも同じではないか!」
「今や厨川は、風前の灯! はや帰って冥土支度せよ!」
外野の口合戦甚だしいが、当の武者法師らの耳には入らない。
次郎の前に聳え立つ容貌魁偉の大男。そして、この大馬。
「あは――輓馬ではないか?」
蛇を擬した馬面と黒い亀甲模様の馬甲を纏う生物の蹄を見る。絵巻物では見たことがあるが、かかる大馬がいるわけがないと、せせら笑っていた。にしても、なんという大きさよ! 武者どもが竜ぞと過つのも無理ない。馬は四尺を基準とするものだが、ゆうに六尺は超えている。
「……」
両法師は、無言で見合う。外野と異なり、武魔は小兵を侮ることはしない。
次郎が木刀を僅かに上げるのを見ると、輓馬を怒らせた。とぐろ巻きにして持っていた縄鏢を解き放ち、頭上で揮り回して、次郎に向かって疾駆した。




