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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
39/45

 渋る百姓を説き聞かせ、なんとか牛馬を掻き集めた将軍一義。時刻を回さず、発向せんと欲したが、浅増(あさま)しきかな、天は味方しなかった。大雪となり、大地全てを白壁に()す。下らぬ府務の傍ら、天を睥睨(へいげい)し――

()

 白息と共に、詫び言をさざめく。聞けば、星羅(せいら)令髙(をさたか)の柵抜きも、この悪天候で(なず)んでいると知る。


 ある暁、例ならず雪が止んでいた。一義は府の陰陽師に命じ、今日こそ吉日なれとでっちあげさせた。そして、将兵にも号令一下ただちに軍立させる。府中劇忩(そうげき)と為る中――

「なに? 虜外とは如何に?」

 卯の尅、輜重(しちょう)(ベコ)が言うことを聞かず、(あまつさ)へ暴れて死傷が出た。軍資器材の装ひにも手間取り、発向が遅れた。

 雪は降らずとも、極寒に肌を刺され、笠と蓑に包まって、遅〻と歩を進める。地は凍つき、まろび滑る人牛馬甚だ多い。

「今日はまことに吉日か? 出立から酷い有様よ」

「そうは思えぬ寒さよ。あの池も氷になっておる」

「嫌な予感がするわい……」


 果たしてそれは当たった。突如として鯨波が起こると、冷気を吹き飛ばし、地を揺るがす。時をおかず、森林に隠れていた陸奥六軍の兵が、関道を防ぐ形で雪崩れ込んだ。

 官軍は予期せぬ敵の到来に、さと陣形を整えるが、動揺を隠しきれない。

「こはいかに⁈ 敵は厨川(くりやがわ)(はし)ったのでは?」

「地勢も見んが為に、常に物見を絶やさずしておったのに、御辺らは何をしていた⁈」

「あいや、この寒さで川が凍結して、地続きとなるとはかけても思はざりき。決して手抜かりでは――」

「それを手抜かりと申すのだ頓馬め!」

 陣中大慌ての中、一義は沈毅(ちんぎ)とし、挂甲短甲を着た敵を、鞍上から睨め付ける。数は多くはないが、皆士気が高らかである。

「敢死の者、將を()り幟を拔きに來たる……」

 しかし、敵方から鏑矢は放たれず。代わり、陣の面に一騎が進み出た。

「すわっ! あは武魔にあらずや!」

 小手(かざ)した官軍の武者が、叫喚を上げる。他の者にも一層動揺が伝わり走る。

「武魔?」

 事情を知らぬ次郎は、隣の者に尋ねた。その者は、わなないて答える。

「忘れもしンね。黄海(きのみ)ン戦いで、坂東精兵、さらに御曹司もを悉く討ち取った悪法師だ」

「奇怪な法名よ」

「素性ンわかんねえから、そう呼んでおるだ。言語少なく、名対面もせぬから」

 その悪法師は身八尺の大兵で、玄甲(げんこう)と言えばよいのか、黒光する鐡札を黒糸で威し、巨大な体躯(たいく)を覆っている。紋様はない。内兜には、鬼を擬した目の下頰当を以て防禦する。わすがに厳しい碧眼が覗くのみ。

「しかし……しゃつが乗っておるのは竜か?」

「それよ。竜なんぞ、生まれてこの方初めて見たべ……」

 異装の武者法師が、これまた異装の竜に跨るを見て、硬直する官軍。

「こちは出したぞ、そちも一騎出せ!」

「将軍方の武者はとんだ腰抜けよ。命惜しうて、まごついて頭を左右に振っておるではないか!」

「黄海の戦いを今一度見せてやるぞ、はや出ろ!」

 うち歪む声で、陸奥六軍の者らが焚き付け、官軍は散〻の言われようである。さあれど、かかる一以当百の魁奇(かいき)が陣前に進み出づると――

『あの蛇を模した鞭先の刃に、一發して取られるぞ。今は冥土の某殿の二の舞じゃ』

『あの竜に頭蹴割られ、腰踏み折られるぞ』

 と多勢とてどよめき、既に逃げ目を晒している。

「誰か、我こそと思ふ者は、名乗り出でよ!」

 一義は、家人に向かって叫ぶ。さあれど、皆一様に、目を逸らし、沈痛の面を晒すばかり。

「いやはや、きゃつは武士にあらじ、法師の頸を上げても――」

「一の筆に付けて進ぜよう」

「我が強弓を見させんと存じますが、今は袋の中、今日の寒さで弦は凍って切れましょう。どうして物の用に足りますか」

 誰も彼も頭を下げ、醜態の体たらくに、一義は静かに怒った。

比日(ひじつ)坂東の勇士猛士と矜持立てるも、いざ强敵を前に命惜しく股栗(こりつ)す。(にく)(べき)こと斯くの如きか。もう善し、一義が打って出る! (ひと)り床几に座すのみに非ず、死を賜って果てるもまた將軍なり。我が西山に(せま)るを見て、己が()(そゝ)げ!」

 一義は、備前宗長の打ったる太刀をばひん抜き、駒の腹を蹴る。

「すわっ、いけませぬ。万が一とはいえ、征討軍の全てに障が出るどころか、坂東の門衰え、(まつりごと)も細うなりますぞ!」

「黙れ! 臆病神の覚めざるが何を申すか!」

 国府の陰陽師は、御方の口〻より黒気が立つのを見た。将軍の御前に恭しく出て進言する。

「畏れながら申し上げます。悪僧には悪僧をば召し当らせたまへ。あの小僧の命を以て贄にし、返し合わせつつ、支へ戦うのがよろしうかと存じます」

「……(もっとも)

 と一義と家臣は同心した。


「豊前は西號寺の次郎法師! 御定ぞ、つかまつれ!」

 侍大将が、大勢ひしめく中へ向かって呼びかける。

「すわっ! 御辺が召されたか! せめてあと一領の腹巻だに鎧へ」

 次郎は、むしろ今まで着ていた挂甲を脱ぎ捨てた。人〻は、得心いかぬ顔をしている。

「あれなる鞭先は、三領も穿つのであろう? さあらば、返って障となる」

 白衣になった次郎は、草鞋の紐を確かめ、木太刀“鰹木”を握り、陣前まで進出づ。この僧の心迷いの無さに、人〻は驚きあきれた。

「死に臨むこと、其れ()するが如し……」

 一義は、小兵の背中を見送りながら、そうひとりごつ。

 次郎の姿を見るや否や、陸奥六軍の兵士どもは、どっと嘲笑った。

「うははは、こはいかに⁈ 小僧とな? なに程の事かあるべき!」

「陣に控える、具足纏い馬に跨っておるのは案山子か?」

「仏門の徒を贄に差し出すとは、さすが坂東の勇者よ!」

 こうも言われると、将軍方も黙ってはいられない。

「黙れ〴〵! そちこそ卑怯なれ! 小兵の徒法師に、竜に乗ったる大兵当てたるは!」

「それよ。武者にはあらじ、法師を繰り出しておるのは、そちも同じではないか!」

「今や厨川は、風前の灯! はや帰って冥土支度せよ!」

 外野の口合戦甚だしいが、当の武者法師らの耳には入らない。

 次郎の前に(そび)え立つ容貌魁偉(ようぼうかいゝ)の大男。そして、この大馬。

「あは――輓馬(ばんば)ではないか?」

 蛇を擬した馬面と黒い亀甲模様の馬甲(うまよろひ)を纏う生物の蹄を見る。絵巻物では見たことがあるが、かかる大馬がいるわけがないと、せせら笑っていた。にしても、なんという大きさよ! 武者どもが竜ぞと過つのも無理ない。馬は四尺を基準とするものだが、ゆうに六尺は超えている。

「……」

 両法師は、無言で見合う。外野と異なり、武魔は小兵を侮ることはしない。

 次郎が木刀を僅かに上げるのを見ると、輓馬を怒らせた。とぐろ巻きにして持っていた縄鏢(じょうひょう)を解き放ち、頭上で揮り回して、次郎に向かって疾駆した。

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