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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
38/45

 (あたか)も函谷の如く、西には高山が隣り、東には長途を望む。南北には同い峯嶺(みね)が連なる。空は濁り、晴れ間も見ぬ程降っている。

 ここ衣川の北柵は、官軍が無血占拠した。安大夫の居館は燒失したが、政庁や兵舎などはそのままである。

 領首が討たれ、その本営も失った陸奥六軍は、いよ〳〵再起能わずとし、残らず厨川の柵へ()げた。寡なる将軍の計略が、功を奏したのである。


 次郎は武器(しょう)にいた。官軍の弓師や塗師などが、弦巻や漆など接収する中、具足師の前で、挂甲(けいこう)一領を纏っている。ブカブカで全く身に合っていない。その男は呆れて言った。

「陣替えでもするつもりか?」

「いや、野僧は腹巻すら好みませぬ。ただ、この古式具足は、九国では既に見ないものでして、手足の具合や壺を知っておきたいのです」

 と、肢体を動かす次郎。

「そは大鎧の雛形で、簡素で装飾も凝っておらぬ。ああ、そのように胴丸式に合わせるが、雑兵なんどは裲襠(うちかけ)式でな」

「では脇や腹を突けばよろしいか?」

「左様。脇板や腹当の板をしておらぬなら」

「この蕨手刀(わらびてとう)は尺短で、野僧の背丈には合っております」

 そして次郎は外へ出た。冷風一陣、鎧でさえ寒さ防げぬと身を縮めた。兵舎の前を通りかかると――

「あれに見えるは菊池宮殿ではないか?」

 あの吏官は武蔵者を一行に立たせ、国の風俗歌を吟じさせている。横には別の役人もいて、聞書きしていた。

「どうした? 声が弱〻しく、上擦っておるではないか?」

「役人様……こは野良ついでに歌うモンでありまして、人様に聞かせるンじゃありません」

 恥ずかしげな武蔵人が、白い息を吐きながら抗う。菊池宮は、次郎の異装に驚きつつも事訳を言う。

「いやはや、私は万葉の東歌に疎いのです。小僧様のご指摘で、つら〳〵考えると、この者たちから歌心を見出せないかと思いまして」

 記録の役人は既に厭飽(けんぽう)の態を隠さない。耳慣れぬ鶏声を難儀して書き取り、後で都の言葉にするのだから。当然、これら鶏らは仮名すら書けない。

「貴方もお聞きになりませんか? 地域ごとに、歌詞が異なることもありますが、どれも母や妻には敵わないという点は一致しており、大変興味深い」

「いや、野僧は雪掻きせねばなりませんので。しばし〳〵」

 次郎は遠慮して立ち去った。あの武蔵者たちも、雪乱れ降る寒空の下、歌わされて傍迷惑であろうに。


「申し上げます。星羅より、小松の柵を抜き了んぬと報告あり。また大麻生野(おゝあさふの)及び瀬原の柵も攻略半ば、鶴脛(つるはぎ)、鴨の二柵にも責めかかる整いが進行中であります」

 庁舎で府務を(こな)す将軍一義は、口五(ふぅん)(がへん)ず。令髙(をさたか)めが、頸こそ差し出したものの、(ほしいまゝ)に駒を進めおって……。去り(とて)も、坂東の勇者らは、賊徒に押付を見せるを思わず、故郷を再び見ず斃れ亡びた者多し。恨むらくは、我が長男仁義(ひとよし)さへも……。

(そり)(ベコ)に当たりては如何?」

「雪橇の目処は立ましたが、牛の方はどうも……。終戦を見据えた百姓どもが手放したくないようで」

「徴発にあらじ。借り上げの態で、(すみ)やかに(あつ)めよ。更に拒めば、吏を立てて借用証文を出し、請人は一義とせよ。代は物品で支払い、用度料、損料も我が立てい」


 外を見遣ると夜半。今も雪すさまじく降り、土なんどは凍りたる様である。

「今日は芋煮か……」

 兵舎にて、坂東の士卒らと群居する次郎。こんな寒夜には、熱〻の汁を啜るに限る。まあ東国の塩辛い味噌には、未だ慣れないが……。或る男は、熱燗を容れて暖をとる。

「おお、さむ〴〵。もっと()べろや」

「聞いたか? ここは、ほんの腰掛けらしい。すぐに北征となるぞ。橇に舂米が積まれておる」

「いやさ肝心の牛がおらんがの」

「御大将は何をお考えなのやら。戦は北山の俘囚長に任せればよかろうて。我らには他人事よ。物見は半刻もせず帰ってくるし、夜警は安寝(やすい)しておる」

「をこ者。だから将軍は、軍功を立てさせるために進むのであろうて」

「しかし、人も少のうて、いかに立てれば良いかの」

 寒風が兵舎の中にまで、飛び込んで来る。明日から底冷えぞと、誰もが肌で感じた。

「ときに味噌坊。お主は、あの御方の一太刀を避けたと風聞したが、いかに?」

「ああ、危うく骸となるところだった」

 次郎は頸の瘡蓋(かさぶた)を見せつける。者どもは驚嘆の声を上げた。将軍は疑敷者を直に召し出し、自ら刎ねるからだ。

『彼の一太刀、此に戯れし而已(のみ)

 後日一義はこう次郎に言ったが、侍大将には――

『あの小僧に目離つな』

と言いつけていた。もとより他所者の小僧で、しかも役人の腰巾着となると、良く見られるわけがない。しかし次郎は、これら武者どもと交わり、事にも精を尽くし、說教もした。何より武略ありというのが、無教養者らの心に響いた。

「弓は何人張りか?」

「いや、野僧は太刀はともかく、弓と馬はやらぬ身」

 と次郎は答える。一見、唯の小僧であるが、あの逸話を聞いた後では、小兵ながら武威を馴染ませていた。

 その折、別の武者の一人が兵舎に駆け込んで来た。しげく雪降る外を指差し――

「やよ人〻。あの役人がお出ましぞ!」

「なに? 東国の童歌までも聞き回っておる奴か。飯時の面倒はご免被るぞ。そら寝してやり過ごせ」

 武者らは、皆一様に入り口に背いて横になる。すぐに書記を連れた菊池宮が戸を跨ぐ。

「挂甲殿……これは面妖な。寝よとの鐘も聞かずして、こぞって横になるとは」

 独り黙〻と芋煮を啜る次郎に、菊池宮は問う。

「貴方の足音が、その鐘に聞こえたのでしょう」

「ふぅむ。今宵は殊に冷えるので、酒を温めて持って来たのに……」

 人〻あやしと思って寝て聞けば、あの吏官は酒と言う。やがて、えも言われぬ香りが鼻をくすぐる。

「無理に起こすのも忍びない。ではこの酒は、別の兵舎に――」

「えいっ!」

 と、酒癖の悪い男が痺れを切らして起き上がる。菊池宮はしたり顔で続ける。

「よし〳〵。ではこの酒樽は、お主独りで空に致せ。但し、歌ってもらうぞ」

「すわっ! それはあんまりであります役人様!」

 他の武者もたまらず起きだす。次郎は、呆れること限りなかった。

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