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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
37/45

水分(みくま)りに(いま)します(あソレ)

 利根(りこん)の神へ手さ()せ(あヨイショ)

 ()()開けて赭舟(そほぶね)漕げ(あソレ)

 田()(けけれ)はくはう()今日(けふ)も(あヨイショ)

 益荒猛男(ますらたけを)じもの我が(いは)のかかねにゃ敵はね(あソレ)

 霧らふ天にゃ()ねがてにす(あした)の武蔵も事もなし……


 止む事を知らない雨の中、坂東勇士らの歪んだ歌聲が響もす。関道より衣川の柵に至る道を、汗水になりつつ、啓開(けいかい)している。次郎は、隣の男に尋ねた。

「そは、何という歌か?」

「名なんて無いべ。オラたち武蔵モンが野良すっ時、自然と口ずさむンだ」

 武蔵労働歌……とでも呼べばいいのか? 一人が歌男となり、力強い聲で、小気味良く歌詞を吟じる。残りは合いの手と同時に、堀串(ふくし)を入れ、泥を掻き出す。次郎も声を合わせようとするが、難しい。

「ははは、九国ン者にゃ、わからンやろ」

 聞けば、以前聞いた田植ゑ歌とは異なる土地の人〻らしい。どちらにせよ、次郎には大部分聞き取れないのたが……。

『連中の言葉は、鶏の声のようで』

 と薄笑いしていた菊池宮。漢詩や和歌を嗜む吏官にとって、これら民謡は優雅の欠片も見出せず、傾聴の価値すらないらしい。

『野僧も無骨(こちなし)者ですが、あれらの歌は素朴で力強く、生活の知恵や処世術などが織り込まれておるようです。興味深くありませんか?』

『……』

 次郎の指摘に、あの吏官は黙ってしまった。そんな男は、今はどこで何をしているのか?

「おうい、九国ン味噌坊はおるがに? 侍大将ンお召しどぉ!」


 ()の刻過ぎし頃合い。定めなしとすら思われた雨は、とう〳〵止んだ。さあれど、今は風が吹き荒ぶる。次郎は独り、強盗提灯を手にして、衣川に沿って登っていた。

「合点がいかぬ。なぜゆえ野僧が……」

 と独りごちて、午のお召しを思い出す。侍大将から呼び出された次郎は、近習に引き継がれ、その近習はブナ林にある、ポツンと立った氈帳(せんちょう)へ連れて行った。

『入れ』

 その聲は将軍一義っ! 次郎に緊張が走る。近習に背を押され、ゆっくりと幕を開けた。

 直垂姿の将軍は、次郎に見向きもせず、机に置かれた地図を見ている。

『礼儀は無用、唯()れよ。星羅の渡河を妨げ、安大夫が(たち)に火を懸けて()け』

 次郎の眉間の皺が、更に深まる。“何心ゆえに?”とは申し出せず、無言が続く。

『うぬは東國人に菲ず、便良し』

 憮然とする次郎。それを見た一義は、天幕の出入り口を指差す。“とく仕れ”とでも言うように。

 良久(ややひさ)しう行くと、川の彼の()に、松の火が数多見えた。星羅の前魁(さきがけ)に違いない。次郎は、強盗提灯の火を吹き消した。

 両岸に曲木があり、枝篠(しじょう)が川面を覆っている。輕捷(けいしょう)な小兵が一人、既に此の()に飛超していた。

「縄を牽いて、(つた)え渡らせる段取りだな」

 長雨で増水した川を見るに、とても歩行(かち)渡しできず。足元掬われ流されるからだ。

 曲木に縄を掛けるその小兵に、次郎はやはら歩み寄り、“昇天”の印を結んでその背に触れた。

「それを掛けてどうする? 館の七宝は、余す事なくお主の物であろうに」

「おおっ……まことに、まことに……」

 次郎のささめきに、その小兵は惚れ顔で応えた。そして、小刀を取り出すと縄をふっと切ってしまった。

 轟〻と流れる川水のお陰で、彼の()の様子はわからぬが、松の火が揺らめいて動揺を示す。

 いかほどか知らぬが、子一つ程は法力に結ぼほられるだろう。


 岸壁上にある、衣川の柵。星羅と東国勢が責掛けるというに、人は弓櫓や掻楯(かいたて)にも待ちかけておらず。堀や柵の所〻は毀ちて、修繕すらされていない。

「木戸口にも番がおらぬとは、既に抜け殻か……」

 政庁や住居区域は黒々として、やはり人の気配はしない。既に兵はここを放棄して退却したか。とは言え、安大夫の館が飛び退くわけもない。ただ火を掛けて、帰参せん。近づくにつれ、天幕と松の火が目に入るようになる。さすがに居館には人勝ちであった。

「……」

 古式具足を纏う兵らの顔は皆一様に沈痛の態である。宜かな、この頭数では一刻もさゝへる能わず、責滅ぼされる事疑い無い。さりとて、こうも館近傍に群居するを見ると、人間(ひとま)を見出すのも困難である。火焔玉(油襤褸を芯に、可燃物を仕込んだ竹編み玉)とはいえ、小火(ぼや)だと、速やかに掻き消されるのは分明だ。

 さていかがせん、次郎が思っていると――

「ふむ、近くに(うまや)があるか……」

 嗎きが風に乗ってくるので、馬がいるのだろう。ここはひとつ、撹乱として使ってやろう。

 中に入ると、ムワッとした獣臭が強くなり、そこはかとなく暖かい。馬たちは寝もせず、汝は誰そと頭を出だして次郎を見つめる。

 その中で、連銭芦毛のいとよう肥えたるが、ひゝらきて、頭を上下する。次郎は木札を見た。

「名をばうす墨と申すか……」

 その牝馬は馬栓棒に嚙みつき、左右に振る。次郎が抜くと、賢きかな他の馬房へ歩き、これも抜けとばかり次郎を見る。

「よしよし、お前が馬大将だな? やがて厩も焼けるので、小方とも〴ヽ遠くへ落ち延びよ」

 次郎が全ての馬を解き放ち、うす墨の尻を叩くと、それは大いに嗎いて走り出した。(とみ)に厩から、馬の余ることなく走り出ければ、兵ども大いに驚き――

「すわっ災ひや! うす墨がまた抜けたぞ! 他馬も率い連ておる!」

「おのゑの前様がお悲しみになる! うす墨だに捕まえろや人〻」

 と罵り騒ぐ。馬の尻に取りつかんとて、兵どもは、足が地につかないほど大慌てで足掻く。人馬ともども、世闇の中へ消え失せた。

 次郎はしたりと、安大夫の館へ忍び寄る。国衙に対捍(たいかん)し、私利の極みを尽くした頭目の館だ。中央にもこのような惣門は見たことがない。次郎は火焔玉を門内へ投げ入れた。

 そして、館の各所へさと走り、風うへに火焔玉を投げてはまた走る。風は激しく、火元はやがて一つとなり、吹まよふ風に、数多の棟に火の粉吹きかかる。

「や、うれ! さては官軍の細作にこそござんなれ!」

 次郎は舌打ちをした。このままきと影になれば、誰も痛めつけずにすむものを……!

「うす墨は賢しと言えど、馬を全て具すは例様ならずとて、見れば放火よ。いづれの武者法師であるか?」

(なにがし)寺の味噌法師とでも」

「念仏でも唱えて、冥土へ旅立つ心づもりせよ!」

 蕨手刀(わらびてとう)振り上げ、切りかかるも、次郎は半歩引き、足を掛けて崩してしまった。

 二番、三番が続けて駆けてくるのを見て、初めて木太刀“鰹木”を出す。敵の抜け様に、柄頭で顎を(ちゃう)じ、また挂甲の者には、脇に切先をねぢ込む。

「胆沢公が、御帰還なさるまで――」

 一番の兵が、後から切り掛かるが、次郎は後背も見るにやあらん、また半歩だけ引き、足を掛けて崩す。

「未だ知らぬものか。大夫殿は既に分捕られておる」

「空事な言いそ!」

「空事とは以ての外。星羅にお討たれになった今は頸となり、南の柵にいらっしゃる。遅かれ早かれ、国衙を経て京にお登りになるぞ」

「……」

 他の兵も皆、蕨手刀(わらびてとう)をひん拔いておるが、その切先はワナワナと震える。

 益〻激しうなる炎を背後に、虎の眼差しで睨め付ける次郎。こは練じた荒法師よ。我らが百遍切り掛けて、一度刃先に掛かるかもわからぬ。

 太刀ではかなわじ、であれば矢一つとらせんとて射掛ける。次郎は、木太刀で弾き逸らせ、次の矢は、身を捩って避ける。その次の矢は、次郎が捩るまでもなく、外様へ飛んでゆく。射手の士気は、既に霧散し、肝を消していた。

「物のついでに申してやろう。お主らの総大将は、嗣子の茂任(しげとう)殿とその弟典任(のりとう)殿となり、厨川の柵で、勢を催しつつ、来たる合戦に備えておる。お主らもこの火災と運命を共にするか、引き下がって奉公を尽くすか、とく選べ!」

「憎き小僧の申し様かな……」

 物言ひはするが、刀は下がっている。今や死して守るべき館は紅蓮の炎に包まれ、消化適ふまじき有様となった。

 そこへ星羅の時の聲が、暗闇にどっと響もす。いかがせん、取り籠められては堪らぬ。はや北に走れ、と皆一斉に逃げ出した。

「……」

 次郎も切先を下ろす。やがて押し寄せたる人は、燃え盛る館の前に佇む次郎を見るからに――

(なむじ)はなぞの人ぞ? 方人か?」

「将軍より命を受けし細作法師よ」

「さあれば、こは何事⁈ 敵方は、館に火を掛けて、走ったか?」

「左様。星羅二陣と将軍一陣が攻め来れば、勝ち目無しとてこれよ」

「ゑゝ口惜しや。珍品財宝が焼亡するのを見す見す眺めるだけか? 志ある者は、火中(ほなか)に入りて持て来ろ!」

 をこがまし、と次郎は心で罵った。吹まよふ風に、火焔龍は猛り狂ひ、東西の棟まで呑みこまんと踊るに、その中に立ち入るなんぞ、やにはに燒き殺される、これ必定ぞ。

「いざ〳〵」

 執心に塗れた男らが、盛んなる業火に、進んで己が身を捨てる愚かさよ。

「あいや! 遅かったか!」

 しばらかして、別の武者の一手も現れた。知った顔もいる。将軍の分遣隊だった。

「おゝ、お主らは――」

「さん候。偶〻、敵方の分隊が関道に潜んでおったンで、案内を“尋ね出して”、閑道を通ったンです。してこの火災は、星羅のモンが放ったですかい⁈」

「なにを言ひなすか! 我らが来た時にはかように燃えておったぞ!」

「憎っくき奴原よ。安東ン頸はおろか、居館の財宝まで、根こそぎ持ち去って火を掛けるとは!」

「あいや、北山様の助力なくんば、陣も整わぬ愚か者の猿楽言よ」

「さても(ひな)の人の申し様かな。各ゝ方、今宵は彼奴等の頸を以て褒賞とせん。いざ〴〵組めや組め!」

 無益の武者原の雑言よと、次郎は呆れた。方人と言うに面罵して憚らず、流血沙汰になった頃合い、陣頭らが大慌てで来て、同士戦は了った。


 漆黒の夜闇が朱に染まるのを、一義と菊池宮は、本陣から見ていた。黒煙を吹き上げながら、紅蓮の炎を吐き続ける。

「衣の楯は綻びにけり……忠実、下の句は浮かぶ()?」

 菊池宮は、さと思い浮かんだが――

「はて、それは函の中にお尋ね下さい」

 と返す。一義は(たし)かにと綻んだ。

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