霖
将軍源一義率いる官軍は、完ならずとも軍容を整え、南進を開始。目指すは衣川の柵。この川の一点を南北に分かち、官軍と陸奥六軍が各〻柵を立てて、小競り合い度〻に及びて、今日に至る。
一方、星羅の軍は破竹の勢いとなり、その大物見は、早くも嫗戸の柵を望んでいるという。陸奥の西より呑むが如く進撃が続く中、敢へて衣川の柵を陥す意味は薄いのでは? 次郎は訝しんで、馬上の吏官に尋ねる。
「軍監殿、なぜゆえ野僧ら――」
「あいや小僧様、その“軍監”は、やめていただきとう存じます。私はやむを得ずその任をやっておりまして、重ね延べることもないでしょう」
「はぁ……」
中央から来た、この若く端正な男は、やんわりと次郎を諌めた。菊池宮忠実だったか? 府の周囲に張る陣を見て周る時、必ず俺を具した。しかし、武者どもと言葉を交わそうとせず、寧ろ連中から白眼視されていた。
「して、なぜ北ではなく、南へ向かっておるのかと? それは、衣川の関には安大夫の居館がありまして、これを陥すことで気を削ごうとしているのでしょう」
なるほど。敵の兵力は北部に集結しつつある。ゆえに衣川の柵内は伽藍堂で、少ない兵力で勝鬨を挙げる機会である。
「はて? 軍列が長くなってる気がしますが」
「駆り武者でも徴発したのでしょうな、全く……」
陸奥六軍の姿はなく、その細作の妨害工作もなく、頗る順調に進んでいた。気の抜けた兵士らは、東国の田植ゑ歌なんぞ合唱しているではないか。
白鳥の柵を通る頃であろうか、軍列は雨に遭った。
「これはいけない!」
菊池宮が急ぎ申し入れると、将軍は不服ながらも行進を止めた。
時を置かず、あの吏官は雨衣と深沓・行縢・笠を着装する。随伴の役人らも、それを見届けてから、この油を塗った外套などを身につけた。位順にそうするのは、礼儀だからである。寒〻と待ちを食らった坂東武者らは勃然としていた。
「さあさ、小僧様も」
「いや、野僧は遠慮しとう――」
「いやいや、身体が冷えてはなりませぬので、紙衣をお召し下さい。やよ、柿渋はよく塗ったであろうな?」
それより雨は止むことなく、只管降り続いた。敵は陸奥六軍にあらじ、雨になろうとは誰一人思わず。ズブ濡れの犬の如く、武士らは遣るかたなしと、今は呑気な田植ゑ歌も聞こえない。皆がそうなっているなら良い。すまし顔の役人らを側目見ると――
「ちっ…… 」
と舌打ちが出てしまう。
日も沈み、寒気が一層染みて苛らぐ。舎を踏み越え、炉端に宿営、飯炊きとなると、雨風で火が頻りに消えて難儀する。
「憎っくき雨じゃ。いつまで降るか」
或る兵卒が月無き夜空を見上げた。かたや、役人らの天幕から明々と燈が漏れ、笑い声が聞こえてくる。酒の匂いも漂うのが憎たらしい。
「なに恨めしい顔をしておる?」
そこへ次郎がやってきた。
「は。役人付きの味噌坊主は、よい身分なこって」
「なに? 野僧は左様な者にあらず。国〻を巡る僧で、雨晒しの方が身に合っておる。はや蓑でも何でも集めて、雨除けを作れ。なんと、火種が起こらす、困っている? これで急ぎ起こせ」
次郎は“燧”の印を結び、人〻に火種を分けて回る。
平時には農民、戦時には兵となり、しかも陸奥での経験を持つ人〻だ、手際も悪くない。かりそめの雨除けを拵え、飯を炊く。
「どれ。野僧が軍監殿を説き聞かせて、酒を持ってきてやろう」
役人らは渋ったが、次郎の説得に根負けした。牛が、酒樽を牽引しているのを見ると、人〻は手を叩いて喜んだ。飯を食い、酔って、身体も温まれば、皆の腹もゐて、役人のことも気に掛けなくなった。
折りしもあれ、或る役人が、外套も脱がすに、天幕の中へ駆けこんで来た。
「菊池宮様⁈ 菊池宮様はいずれに?」
「何だ? みっともなく騒〻しき様を見せて」
「星羅の使節です! 従者と馬の数からして、ただなる伝令とは思えませぬ。はや将軍にも聞こし召し給へ」
申し受けた一義は、急ぎ床几を立て、星羅の使者を容れた。
「こはいかに⁈」
一義以下、はては菊池宮まで大いに駭く。それは、他ならぬ安東純人の頸を函にしていたからだ。いやまさか……蓋し安大夫の居館は近傍で、陸奥六軍の南進の始発点としていたが、星羅氏が東より侵し入った時より、既に北へ奔ったと云われていた。
「実験は……?」
「否、こはまごうことなきしゃ頸よ。一義、安大夫與私邸に於いて期せり」
弓矢八幡、いかんせん? 既に戦は掃討に入らんとしている。星羅の使者曰く、敵は嗣子の茂任とその弟典任の二人で軍配を取り、撹乱戦の構えを採っていると。
「一義、確かにこの頸領せり」
安大夫の頸は、再び雪詰の函となり、可及的速やかに多賀城へ移送される手筈となった。
「戦は思いの外、はやく終わりそうだ……」
“不宣”と星羅氏へ下す代筆を終えた所で、菊池宮は水茎の尻を咥えた。
長雨は未だ止まず。衣川の柵へと続く関道を見てきた物見曰く、進軍妨害が十重二十重に施されていると。一義は、それを直に見て容易ならずと考えた。
「可及的速やかに啓開すべし」
下令一聲で、武士は裸となり、倒木の撤去作業にとりかかる。
「こは長うかかりますなあ……」
傍で見ていた役人らが、菊池宮に進言。
将軍に暇を願ったその男は、連中を引き連れて、南の柵へ往ってしまった。無論、函の頸を持って。将軍は甘心して送り出す。土木作業すら加わらず、群居して終日するのを見て、将官以下苛立っていたからである。
『小僧様。この際、平泉でも観ませんか? 目と鼻の先であります。私が行けば、中尊寺の門も開きましょう』
菊池宮の誘いを断り、次郎も腕まくりすること数日。
「はて、やう〳〵人の数が減っているようだが……」
「駆り武者の陣抜けよ。彼奴等には忠義もへったくれもありゃせぬからの」
雨の混じった汗の額を拭う次郎に、ある武者が吐き捨てる。なるほど、同じく坂東者でない深江是則はともかく、大伴員季も将軍への忠信は薄かったな。
天幕の中で、一義は困り果てていた。この先は一層険しくなり、倒木は道塞ぐこと数多、穴の逆茂木や馬の足取りなども仕掛けられている。左右の切り立った崖はブナ林で、どこから撹乱隊が射掛けてくるかわからないと言う。
一方、星羅のニ陣が、南の柵より出陣し、上下の両流より攻撃予定であったが、この霖雨により洪溢し――
『渡河能わず。堰堤を以てす』
と、俄の治水工事となっていた。
「北の関道より責入る一義が、遅れ入るべからず……」
安東純人の頸を受領したとはいえ、掻いたのは星羅である。加之その館まで取らるるとならば、我が家の子郎党の氣に関わる。
「……あれなる豎を呼べ」
将軍は、近習の一人に耳語した。




