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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
35/45

(つか)れはいかがですか?」

 医務殿にいる次郎を、あの吏官は今日も見舞う。

「薬湯やら生薬やら、老医殿から過分に診ていただいて大分――」

「また安静になされよ」

 几帳の向こうから、その老医官がみちのく訛りで諌めた。次郎は苦笑いで受け流す。

「しかし、こうも安静だと身体が鈍りそうです。読経ぐらいしかやることがありません」

「やれ爺。少しばかり逍遥(しょうやう)は良いだろう?」

「貴方様に仰られますと、私めは何も申せませぬな」

「ほう。何も申せぬと言いながら、『寒風に当たりすぎるな』と思っておるであろう」


 吏官と医務殿を出ると、今日も曇天だ。寒いとも否とも感じる。先日将軍一義に召された時は、いかに逃ぐるかを考えていた。

「改めて見るに、ここが鎮守府か……」

 瓦(ぶき)や門造りなどは、上代の形を残している。役人が行き交うが、武者も見え、とりわけ土壁の外様より馬の(いなゝ)きや、武具の擦れ合う音が聞こえる。

「兵励むを聞いて、馬も亦師旅(しりょ)を知る」

 そう吏官はひとりごつ。この人は一体何者ぞ? 衣冠から高官とは見えず、また体躯から武官でもなさそうだ。

「ひとつよろしいですか?」

「なんなりと」

「そも野僧は、中尊寺見ばやとばかりで、陸奥のことは何も存じません。なぜゆえ坂東武者が居座って、現地の者と切り合っておるのか。そして、出羽の星羅とやらが流れ込んでおるのか」

 ふむ、と吏官が考え込んだ所で一陣の寒風が薙ぐ。次郎は思わず身を縮めた。(けだ)しこれは身体に障る。

「貴方もご存知でしょうが、ここ奥六郡は行政の北限。乃ち威霊も朝廷の威光も届かなかった最奥。遡れば、桓武帝の六箇郡平定は長年の悲願でして、田村麻呂公の討征後、ここ胆沢城以南は、帝に伏するようになりました。それまでは蝦夷とか東夷と呼ばれていた輩は、帰順後は俘囚となりまして、中央から自治が認められました」

 九国と似たものだ、次郎は思った。菊池、原田、阿蘇、大友、少弐など、上代からの豪族が幅を利かせており、些細な諍いから合戦に及ぶこともしばしばある。太宰府という出先機関があるが、統治に難儀している。

「遠国に於いては、“夷を以て夷を制す”のが基本政策ですから、かかる俘囚の酋長が治めておりました。鎮守府将官の遙任が目立ってくると、これら俘囚長らが、六箇郡の郡司任命権を買い取って、一族で支配を強めました。また、外から派遣される者と、親戚関係を結び、土着化させております」

 ちょうどその時、二人は冬木の側を歩いていた。枯葉がほうろと散る中、枝に掛かる髑髏が見下ろしている。吏官は事もなげに指差した。

「あの梟首(きょうしゅ)は、将軍の元家人で、郡司と結託して安大夫に走った男らです。乗る馬を間違えると、このような末路になります」

「中央は何をしていたのです?」

「昔から何もしなかった、もとい何もできなかった、いや何もしたくなかったと評する他ありません。俘囚は同じ人とて、手に負えぬ輩なのです。税の免除や軽減などで、なんとか大人しくしております。ゆえに国司からして、こんな僻遠に来たがりません。配流と同じですから」

 吏官は、歩きながらさらに続ける。

「時代は降って、俘囚の長らは、安東氏の元に束ねられます。酋長の安東純人(すみと)は、諸郡司を使い、不輸不入を楯に田租や調庸を拒捍(こかん)し、国衙も黙認せざるを得なかったのです。しかし、その威風大いに(ふる)い、自治区を超え、南は国衙支配圏まで、東は出羽まで吹き荒れると、朝廷も“もはや容認能わず”として、討伐軍をして発向せしめました」

 なるほど、だから深江是則(これのり)は、余所者の俺を細作だ細作だと決めつけておったのか……。

 吏官は周囲を見まわし、少し声を落とす。

「さあれど、案内者と無案内者とでは戦の勝手が違います。とりわけ黄海(きのみ)では、官軍は手痛くやられまして、以来合戦は滞りがちになっておりましたが――」

 話が見えてきた。俺が御公家様に用命承って、こへ遣わされるとは、あの将軍と関係があり、しかも(げき)有りということか。

 その時、武者の一手が向かってくるのに気付き、吏官は話題を変えた。

「もう医務殿へ戻りましょう。爺が心配しておりますので」


 翌日、一義は正殿前に全ての武士、はては府役人まで余すことなく集めた。曇天のちらつく雪の中、家の子郎党は、華やかな具足を纏い、駒を並べ、幟や薙刀を林立させる。

 人〻が静まり返ったのを見た一義は、(しず)かに呼び掛く。

()れ一義、犬馬の身に生まれ、人に過ぐる無し。但馬を怒らせ、射を善く努め、()を見れば必ず赴く(のみ)。嘗て田村麻呂公、奧州を平定せりと雖も、未だに賊衆蔓延り、白符を掲げ誖暴(はいぼう)(ほしいまま)にす。豈是を放辟邪侈(ほうへきじゃし)と謂はずや。而れど天に違わば、必ず大咎(たいきゅう)有らん。一義朝選に應じ、征伐將帥の任を専らとし、賊帥安東(あんどう)純人(すみと)を討たんとす。戦に臨めど、風雪甚だ(はげ)しうして、道路艱難(かんなん)たり。賊は(おお)く我は(すくな)く、嗟夫(あゝ)罷馬(ひば)は薄雪を(ねぶ)りて山河を超え、飢ゑたる羸兵(るいへい)は寒風を含みて気息奄〻(えん〳〵)たり……」

 今までの戦いを回想した(つわもの)どもは、沈痛な面持ちで地下を見た。落涕している者もいる。

 (ようや)く将軍の聲が、地体(ぢたい)の雄と為る。

「只今の世を免れん、此れ乃汝に於いて安きか? 今に(およ)んでこの一義、陸奥守を拜さんとす。改めて罪を伐たんと、兵を起こす。死すら顧みず、陸奥を一匡(いっきょう)せん! 汝、為す有るに果あれ! 死を軽んじ名を重んじる者をこそ武士と申せ! 故右馬頭殿も戦場(いくさば)の陰よりご覧にならん!」

 演説の尻になると、燃え盛る舌となっていた。

 その時、府の正殿から二羽の白鳩が南を目指して飛び立った。人〻は、これは瑞祥と喜んだが、陰陽師が仕掛けた一計である。

「えい、えい――」

 最後に将軍が(まなじり)を決して叫ぶと――

「おう! おう! おう!」

 と兵の呼応の鯨波(げいは)が府の内外に轟く。役人らは、将兵に頼もしさを覚え、拍手喝采となる。白丁姿で寒〻と立っていた次郎は、いつの間に人〻の熱気が満ち〳〵て、寧ろ蒸し暑く感じた。

 ただ一人、横の菊池宮忠実(たゞみつ)だけは、醒めた目で見つめていた。

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