時
「罷れはいかがですか?」
医務殿にいる次郎を、あの吏官は今日も見舞う。
「薬湯やら生薬やら、老医殿から過分に診ていただいて大分――」
「また安静になされよ」
几帳の向こうから、その老医官がみちのく訛りで諌めた。次郎は苦笑いで受け流す。
「しかし、こうも安静だと身体が鈍りそうです。読経ぐらいしかやることがありません」
「やれ爺。少しばかり逍遥は良いだろう?」
「貴方様に仰られますと、私めは何も申せませぬな」
「ほう。何も申せぬと言いながら、『寒風に当たりすぎるな』と思っておるであろう」
吏官と医務殿を出ると、今日も曇天だ。寒いとも否とも感じる。先日将軍一義に召された時は、いかに逃ぐるかを考えていた。
「改めて見るに、ここが鎮守府か……」
瓦葺や門造りなどは、上代の形を残している。役人が行き交うが、武者も見え、とりわけ土壁の外様より馬の嘶きや、武具の擦れ合う音が聞こえる。
「兵励むを聞いて、馬も亦師旅を知る」
そう吏官はひとりごつ。この人は一体何者ぞ? 衣冠から高官とは見えず、また体躯から武官でもなさそうだ。
「ひとつよろしいですか?」
「なんなりと」
「そも野僧は、中尊寺見ばやとばかりで、陸奥のことは何も存じません。なぜゆえ坂東武者が居座って、現地の者と切り合っておるのか。そして、出羽の星羅とやらが流れ込んでおるのか」
ふむ、と吏官が考え込んだ所で一陣の寒風が薙ぐ。次郎は思わず身を縮めた。蓋しこれは身体に障る。
「貴方もご存知でしょうが、ここ奥六郡は行政の北限。乃ち威霊も朝廷の威光も届かなかった最奥。遡れば、桓武帝の六箇郡平定は長年の悲願でして、田村麻呂公の討征後、ここ胆沢城以南は、帝に伏するようになりました。それまでは蝦夷とか東夷と呼ばれていた輩は、帰順後は俘囚となりまして、中央から自治が認められました」
九国と似たものだ、次郎は思った。菊池、原田、阿蘇、大友、少弐など、上代からの豪族が幅を利かせており、些細な諍いから合戦に及ぶこともしばしばある。太宰府という出先機関があるが、統治に難儀している。
「遠国に於いては、“夷を以て夷を制す”のが基本政策ですから、かかる俘囚の酋長が治めておりました。鎮守府将官の遙任が目立ってくると、これら俘囚長らが、六箇郡の郡司任命権を買い取って、一族で支配を強めました。また、外から派遣される者と、親戚関係を結び、土着化させております」
ちょうどその時、二人は冬木の側を歩いていた。枯葉がほうろと散る中、枝に掛かる髑髏が見下ろしている。吏官は事もなげに指差した。
「あの梟首は、将軍の元家人で、郡司と結託して安大夫に走った男らです。乗る馬を間違えると、このような末路になります」
「中央は何をしていたのです?」
「昔から何もしなかった、もとい何もできなかった、いや何もしたくなかったと評する他ありません。俘囚は同じ人とて、手に負えぬ輩なのです。税の免除や軽減などで、なんとか大人しくしております。ゆえに国司からして、こんな僻遠に来たがりません。配流と同じですから」
吏官は、歩きながらさらに続ける。
「時代は降って、俘囚の長らは、安東氏の元に束ねられます。酋長の安東純人は、諸郡司を使い、不輸不入を楯に田租や調庸を拒捍し、国衙も黙認せざるを得なかったのです。しかし、その威風大いに揮い、自治区を超え、南は国衙支配圏まで、東は出羽まで吹き荒れると、朝廷も“もはや容認能わず”として、討伐軍をして発向せしめました」
なるほど、だから深江是則は、余所者の俺を細作だ細作だと決めつけておったのか……。
吏官は周囲を見まわし、少し声を落とす。
「さあれど、案内者と無案内者とでは戦の勝手が違います。とりわけ黄海では、官軍は手痛くやられまして、以来合戦は滞りがちになっておりましたが――」
話が見えてきた。俺が御公家様に用命承って、こへ遣わされるとは、あの将軍と関係があり、しかも郤有りということか。
その時、武者の一手が向かってくるのに気付き、吏官は話題を変えた。
「もう医務殿へ戻りましょう。爺が心配しておりますので」
翌日、一義は正殿前に全ての武士、はては府役人まで余すことなく集めた。曇天のちらつく雪の中、家の子郎党は、華やかな具足を纏い、駒を並べ、幟や薙刀を林立させる。
人〻が静まり返ったのを見た一義は、閑かに呼び掛く。
「惟れ一義、犬馬の身に生まれ、人に過ぐる無し。但馬を怒らせ、射を善く努め、適を見れば必ず赴く爾。嘗て田村麻呂公、奧州を平定せりと雖も、未だに賊衆蔓延り、白符を掲げ誖暴を肆にす。豈是を放辟邪侈と謂はずや。而れど天に違わば、必ず大咎有らん。一義朝選に應じ、征伐將帥の任を専らとし、賊帥安東純人を討たんとす。戦に臨めど、風雪甚だ勵しうして、道路艱難たり。賊は衆く我は寡く、嗟夫、罷馬は薄雪を舐りて山河を超え、飢ゑたる羸兵は寒風を含みて気息奄〻たり……」
今までの戦いを回想した兵どもは、沈痛な面持ちで地下を見た。落涕している者もいる。
稍く将軍の聲が、地体の雄と為る。
「只今の世を免れん、此れ乃汝に於いて安きか? 今に逮んでこの一義、陸奥守を拜さんとす。改めて罪を伐たんと、兵を起こす。死すら顧みず、陸奥を一匡せん! 汝、為す有るに果あれ! 死を軽んじ名を重んじる者をこそ武士と申せ! 故右馬頭殿も戦場の陰よりご覧にならん!」
演説の尻になると、燃え盛る舌となっていた。
その時、府の正殿から二羽の白鳩が南を目指して飛び立った。人〻は、これは瑞祥と喜んだが、陰陽師が仕掛けた一計である。
「えい、えい――」
最後に将軍が眦を決して叫ぶと――
「おう! おう! おう!」
と兵の呼応の鯨波が府の内外に轟く。役人らは、将兵に頼もしさを覚え、拍手喝采となる。白丁姿で寒〻と立っていた次郎は、いつの間に人〻の熱気が満ち〳〵て、寧ろ蒸し暑く感じた。
ただ一人、横の菊池宮忠実だけは、醒めた目で見つめていた。




