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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
34/45

 鎮守府の前身は、養老年間に置かれた陸奥鎮所(その場所は多賀城)であり、それが鎮守府となる。その後、叛乱(はんらん)により劫略(ごうりゃく)され灰燼(かいじん)に帰したが、田村麻呂公により恢復(かいふく)された。公は更なる蝦夷征討のため、胆沢城を築き、そこに鎮守府を移している。


「申し上げます。ムマとスナは、滞りなく相模へ進発し候」

「惟」

 府の正殿にて、近習に肩を揉ませている男が、鎮守府将軍の源朝臣(あそん)一義(かずよし)()れ聞けば、清和帝には四代の孫、只野(たたの)闐成(みつなり)が三代が後胤こういん義氏(よしうじ)入道が嫡男である。

 この父、故源義氏(よしうじ)は、右馬頭(うまのかみ)まで登ったが、病日に篤く、猛き人とは言えなかった。此度の奧州動乱にも随伴したが、行軍の最中、細作が放ったのであろうか、流箭(ながれや)あたり、生死の境を往来した後に卒した。

 喪に服すための交戦中断という態であったが、実のところ“継戦能はず”というのが正しい。子飼いの将兵を伴い、士気も(たか)らかに奧州入りしたのはよかったが、土地の無案内、第五列の撹乱、冬戦の不慣れで、勝(どき)を上げれない有様だった。

 恨むらく、朝廷からの一文の金、一兵の援助も受けていない。さあれど、あの忌〻しき男が、督戦の官符を国衙郡衙に下し、あまつさへ密使も放っていると聞く。

『寛容たれ』

 父義氏(よしうじ)は、(つね)に仰っていた。(そも〳〵)も燒き討ちにして周っていれば、とっくに戦は()わっていた。自ら鍬を持ち、善政を敷き、民を愛撫して負者も(ゆる)す。故に細作や第五列に悩まされた。

 そのため、将軍一義は、出羽北山の俘囚(ふしゅう)主、星羅(せいら)令髙(をさたか)與力(よりき)を請うた。元を尋ねれば、同じ人〻に辿り着く故、主は猶豫(ゆうよ)としていたが、ついに許諾し、壱萬の兵を率ゐて、奥羽の境を越え來たのである。

 趨勢は既に(ひっ)せり。坂東武者と違い、彼奴等は冬戦にも慣れている。そして、自ら固く禁じている掠奪(りゃくだつ)・燒き討ちも平気でやる。各地で城柵を抜き、安大夫の軍兵をして(はし)らせしめた。

 今や星羅の計六陣が主戦となり、将軍麾下の第五陣は傍戦となっていた。せいぜい、ここ鎮守府胆沢城と、妻子がいる多賀城を守るのみ。

『このまま、奴原(やつばら)の軍功を、指咥えて見ているだけか……』

 将軍以下(いげ)の誰もが、(ほぞ)()んだ。

「申し上げます。菊池宮より、荒雄山の深江是則(これのり)の申状が上がって参り候」

 それを開披すると、遅参を宥め求むものである。彼奴等(きゃつら)では人頭の足しにもならぬが、山岳戦においては、畋猟(でんりょう)兵に如く者なし。いずれ安大夫は、(はし)り埋づもること一定。山を狩りて身を尋ね、(あしあと)求むるに頃合いに使役せん。

 一義は、さらに文が続いているのに気づく。

『此れなる僧、法術操ること(あや)しく、技撃にも(たくみ)なり。陣の端に加へたまへ』

 かように結ばれていた。

「此れなる僧とは、何為る者()?」

「あの役人めが登る際、邂逅(かいこう)したとか。今は風邪の気を入れて、憔悴しております」

「きと見て来。目覚めるておるなら、こへ参らせよ」


「うぅ……」

 見知らぬ天井が見え、次郎は身を起こす。背中を見せていた老医官が振り返った。

「おお、気づいたか?」

「野僧は一体……? 道中で倒れたはずだが?」

「礼は役人様へ言うがよい。気分はいかがであるか? 労気を起こしたのじゃろ?」

 よく見ると、衣は直垂衾に変わっている。

「ああ。蚤がたかっておったので、洗って天日干しにしておる」

 と耳慣れぬみちのく言葉と共に、生姜湯を持ってきてくれた。これは体の芯から温まる。

「ここはどこです? 鎮守府でありますか?」

「いかにも」

 次郎を助けた、あの役人が几帳へ入ってきた。その声は言語分明、都の調子である。

「貴方は山立の格好をしておりましたが、そうではありませんね? 京の人とも思えない。その西聲かわちごゑ……九国の人とお見受けします」

「いかにも。豊前の山より、中尊寺詣をする巡礼僧であります」

「ははぁ。では、相当な方違えとなりましたね?」

「まことに。国境の山賊に囚われたのです。一悶着あった挙句、用事までさせられました。勿来(なこそ)の関だに見ておりません」

 次郎は、枕元に座る役人と老医官に山での生活を話した。

「ときに、この方のわづらいはどうか?」

草臥(くたびれ)とはいえ、詣はできぬ容態でしょうな」

 次郎の意識は戻ったとはいえ、寒気と節〻の痛みは消えていない。

「当分は養生して下さい」

「いや、野僧は何でもない身。すぐにでも出立しとう存じます」

「ですが、今中尊寺へ参っても、有り難みはありません」

「と仰ると?」

「戦乱が再び起こってから、院は門を閉ぢて、法会も何も行われておりませんので」

「お前さんは、しばし養生して世が鎮まるのを祈っておればよい」

 老医官が、鹿角(ろっかく)も持ってきた。と同時に、直垂(ひたゝれ)の男が医務殿に入ってきた。次郎と役人を見つけるなり――

「その方二人、ゐでられよ。将軍より御下問がある」

 と言い付けた。


比日(ひじつ)起居すること何如?」

 強い東国訛りで、次郎の前に座る吏官に話しかける一義。二人と将軍の間には、容易ならぬ面魂の侍が居並ぶ。

「は。奧州の溷濁(こんだく)を憂いて暮らす日〻に、変わりありません。さて忠実(たゞみつ)(もう)し上げる事あって、急ぎ登った次第であります。国守殿は、府に降り国を整えるよう命じられておりましたが、戦が再開したとお聞きになり、急ぎ京へ帰られました」

 はっ、(をぢ)なしの藤原(なにがし)よ、と侍どもは薄笑いを浮かべた。

「京で除目が迫っているのは、ご存知でしょうが、今は受領功課定の最中であります。坊条様が将軍の聞書をお挙げになりまして、次期陸奥の守に擬定なされたことを、お慶び申し上げます」

 居住まいを正して頭を下げる役人に、近習らは驚嘆の声を上げた。しかし、口元だに崩さない一義は、狐疑を懐く。

『此は、梅干の方略なり』

 受領は徴税請負人として、妙味(私利)を得るものだが、こうも国が荒廃していると、味は無いに等しい。要は、恩賞として受領にしてやるから、はや戦を鎮めて建て直せ、旨味を得るのは以後である……かような含みであろう。

「不肖一義、いやしくも弓馬の家に生まれ、甚だ国を治める學も(ざえ)も無し。左様に雖も、事急なりて辞退する猶予も無し。故に謹んで引き受ける所存。命を捨てて報い奉り候」

 その後、将軍と吏官は事務のやりとりをしていた。後ろの次郎は、置物の如く不動である。ややあって、一義が或る近習に目配せする。

「その方、将軍の御前まで出られよ」

 その近習が、次郎を睨んで威丈高に言った。

「畏れながら、野僧は諸国一見の僧に候。戦にも除目にも関わらぬ身、やがて罷り退きとう御座います」

(ゆる)さず。来たれ、吾れうぬと言わん」

 一義は睥睨(へいげい)した。致し方なしと、目の前まで進み出る次郎。なんと(よはい)十五六の小僧にあらずや、そう見定めた。さあれど、将官の前というに、眼光鋭く恐懾(きょうしょう)すら表わさず。

「如何なる山より参った何者()?」

「豊州は霊山彦、西號(さいごう)寺より参りました。仮印可僧の次郎と申し候」

 当然、誰も是を知らず。況や影法師をや。

「山の本尊は?」

「御名をば阿流毘(あるこん)と仰られ、一(ぴき)の虎を随えておられます。光背には(いかずち)を模し、雷紋の甲冑を纏われ、左手には短刀を持ち、右は小手を(かざ)す出立であります。眉間に皺を寄せられる(かんばせ)は、仏法に(そむ)く奴原に睨みを利かしておられます」

「経典()教義は?」

阿流毘(あるこん)様が、一(かい)の僧であられた時の阿言那(あごんな)であります。人山一如と仰っておりまして、悟り開かんと深山大岳を(すみか)とすれば、谿壑(けいがく)の寒さ染み、叢竹(むらたけ)に惑ひ、雨颪(あまおろし)に晒され、常闇を恐る。やがて身は朽ち、言語(まれ)となり、気も狂ひ、死肉だに欲す。将に虎人に堕ちんとする時、細風を仏の御聲(おんこゑ)と疑ひ、鳥花の綻びに悦び、人心地を取り戻す。平瀬に物化の理を見出し、つひに落ち懸かる(かみ)ごとく仏の(のり)を受くるのです」

「うぬが目的は?」

(たと)ひ仮印可と雖も、霊場・霊跡と結縁(けちえん)のため諸国巡礼をやります。また人〻を助け、仏法を説く旅でもあります。我が山の法兄らは、せい〴〵都まで往くのが慣例でしたが、奧州中尊寺の勝利並ならずと聞き、野僧も見ばや聞きばやとて、足を進めたのであります」

 坂東の果てにも、荒法師の霊山ありて、曩祖(のうそ)より冒すべからず……一義は、かかる遺戒(ゆひかひ)を思い出した。

是則(これのり)の申す、『法術操ること然然(しか〴〵)、技撃にも(たくみ)然然』と。これ(すなはち)ち信(なるか)?」

「豈に其れ然らんや。野僧は只の沙弥であります」

 率爾(そつじ)一義は、鞘をばひん拔き、その逆手で太刀を横一文字に切った。次郎は、将軍の膝元に厳物作太刀あるを見て、その手を用心していた。

「⁈」

 頸に一寸(ばかり)の浅切所が入り、血が落つ。

(うち)(つゝ)む有りて以つて出さずは、うれはうたてき者也。召仕はん」

 一義は自得の意で言った。


『厄介なことぞ、これは……』

 御前から罷り出た時、次郎は落胆した。既に陸奥は兵馬で満ち〳〵て、幟と煙が天を突き、矢を射あっている。坊条から賜った命は既に遂げ、後は平泉と中尊寺でも見て、帰京しようとばかり考えていたからだ。

「……ふむ」

 悄然とする次郎を側目で見る吏官。あの男の一振りを見切るとは、やはり只者ではないと感心した。次郎は医務殿を出るなり、天の位置より方位を定め、門がどちらに幾つあるか数えていた。正殿に登った時も、近習を数え、武器となる物を探し、殊に一義の間合いに入った時には、いつでも逃げる居住まいであった。

牀蓐(しょうじょく)へ戻りましょう。体に障りますので」

「……」

 足早に往く厚雲から、また雪がちらつき始める。一義の前から退いた途端、緊張の糸が緩み、再び寒気を覚える次郎であった。

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