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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
33/45

やっと12話分を公開できます。

 道の奥にある辺境を陸奥(むつ)と呼び、『枕草子』にも“はるかなるもの”の一つとして、例に出されている。

「死ぬかと思った……」

 影法師の次郎は、“蟻の扇子渡し”を思い返すと身震いする。まさに扇子の山や谷の如く、細く切り立った岩道を、這って渡った。左右は底が見えず、強風に煽られ、氷で手足が滑った。

「金銀は書状に如かずとは言えど、命あっての通信であろうに、あの忌〻しい山賊め……」

 出羽の山立である、大伴員季(かずすゑ)に腹を立てる。

 山を下り、平地に出た時は、心の恐皺の伸す心地ぞしたる。さあれど、ここ道奥は既に戦場となっていた。田畑は荒廃して、家屋は焼け跡となり、農民も逃散している。遠方をちかたに目をこらせば、黒煙が数柱も登り、陣鐘や陣太鼓の音が雪風に乗ってくる。

「大墓公阿弖流為……盤具公母礼……? (のぼり)に書いてあるが、なんと読むのか?」

 安東の軍兵は、既に負け戦からの退却中だった。余所者の法師に構う暇もない。挂甲(けいこう)短甲(たんこう)などの古式具足を纏っているが、戦を交えたのか、既に矢が立ち、太刀の切所も数多見える。

 一方、戦意高揚した星羅の軍からはしきりに誰何(すいか)された。大規模な合戦は避けられ、細作の妨害や工作に悩まされている故であろう。山でのあの熊もそうであった。

「野僧は怪しい者ではない。この山手形をご覧あれ。はて、お主らもあの山を越えて来たとな? ならば話は早い。山(がた)聡介と長男の()太郎を送ったのは野僧なり」

 と具に話すと、星羅の士卒どもは警戒心を解き、皆一様に涙した。かかることが数回あった。


 さらに国府である多賀城へ登る事数日。ここらは戦の跡もなく、安寧たる様である。

「しかし……」

 天も治り、雪少なく、山より遥かに暖かというのに、足取りはふらつき、頭が朦朧とする次郎。なにより、いみじう凍りたる心地がする。

「もしや、下山を以て弛緩し、風邪の気でも入れたか……?」

 そう気づいた時は、遅かった。木太刀を杖としなければ、歩くことすら能わず。底なしに寒く、(おとがい)も落つ有様。

「この申状だに……」

 国府は今や目と鼻の先であろうに、文すら渡せず、はるかなる国で客死するとは、法兄弟に呆れられるであろう。

「そこな小僧様。いかがなされた? 脂粉に塗れたごとく、顔に血が通っておりませんが?」

 太刀杖つき、這〻(はふ〳〵)の態で歩いているのを、人〻の一行に見られた。

「……その方は?」

「胆沢の鎮守府へ向かう役人です」

 次郎はこれ幸いとばかり、震える手で申状を取り出し――

「それは〳〵……ここに何某(なにがし)山の大伴員季(かずすゑ)並びに深江是則(これのり)より、将軍宛への申状であります……」

 最後の力を絞って言葉を出し、斃れてしまった。都から陸奥国府まで、千五百里とはるかなる旅路であった。

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