奥
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道の奥にある辺境を陸奥と呼び、『枕草子』にも“はるかなるもの”の一つとして、例に出されている。
「死ぬかと思った……」
影法師の次郎は、“蟻の扇子渡し”を思い返すと身震いする。まさに扇子の山や谷の如く、細く切り立った岩道を、這って渡った。左右は底が見えず、強風に煽られ、氷で手足が滑った。
「金銀は書状に如かずとは言えど、命あっての通信であろうに、あの忌〻しい山賊め……」
出羽の山立である、大伴員季に腹を立てる。
山を下り、平地に出た時は、心の恐皺の伸す心地ぞしたる。さあれど、ここ道奥は既に戦場となっていた。田畑は荒廃して、家屋は焼け跡となり、農民も逃散している。遠方に目をこらせば、黒煙が数柱も登り、陣鐘や陣太鼓の音が雪風に乗ってくる。
「大墓公阿弖流為……盤具公母礼……? 幟に書いてあるが、なんと読むのか?」
安東の軍兵は、既に負け戦からの退却中だった。余所者の法師に構う暇もない。挂甲や短甲などの古式具足を纏っているが、戦を交えたのか、既に矢が立ち、太刀の切所も数多見える。
一方、戦意高揚した星羅の軍からはしきりに誰何された。大規模な合戦は避けられ、細作の妨害や工作に悩まされている故であろう。山でのあの熊もそうであった。
「野僧は怪しい者ではない。この山手形をご覧あれ。はて、お主らもあの山を越えて来たとな? ならば話は早い。山縣聡介と長男の璵太郎を送ったのは野僧なり」
と具に話すと、星羅の士卒どもは警戒心を解き、皆一様に涙した。かかることが数回あった。
さらに国府である多賀城へ登る事数日。ここらは戦の跡もなく、安寧たる様である。
「しかし……」
天も治り、雪少なく、山より遥かに暖かというのに、足取りはふらつき、頭が朦朧とする次郎。なにより、いみじう凍りたる心地がする。
「もしや、下山を以て弛緩し、風邪の気でも入れたか……?」
そう気づいた時は、遅かった。木太刀を杖としなければ、歩くことすら能わず。底なしに寒く、頤も落つ有様。
「この申状だに……」
国府は今や目と鼻の先であろうに、文すら渡せず、はるかなる国で客死するとは、法兄弟に呆れられるであろう。
「そこな小僧様。いかがなされた? 脂粉に塗れたごとく、顔に血が通っておりませんが?」
太刀杖つき、這〻の態で歩いているのを、人〻の一行に見られた。
「……その方は?」
「胆沢の鎮守府へ向かう役人です」
次郎はこれ幸いとばかり、震える手で申状を取り出し――
「それは〳〵……ここに何某山の大伴員季並びに深江是則より、将軍宛への申状であります……」
最後の力を絞って言葉を出し、斃れてしまった。都から陸奥国府まで、千五百里とはるかなる旅路であった。




