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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
32/45

弑禮

 熊の尸は、人〻の引く(そり)で、山家まで上げられた。その後、山立らが“授かり物”を感謝する、弑禮(さつれい)が挙行された。

 香水が撒かれ、薄暗い中で宝灯がちらつき、四辺に張られた白布の皺の陰影を強調する。

 祭壇に木彫りの山姫を奉安すると、衣も替える暇もなく駆けつけた人〻は、皆一様に合掌。浄衣姿の長老が、熊を弔う。

「大幸なる哉、我熊よく聞け。星羅の兵害す事甚だしかれども、汝未來は人間と變生すべし。依て是を樂んで、潔く我らの血と肉たれ」

 今は骸となった熊向かひ、因果因緣を説しめる。是則(これのり)は寝かした山刀で、熊の体躯(たいく)を撫でまわしたり、叩いたりする。

「あは、熊の魂を天に渡しておる」

 隣に座する員季(かずすゑ)は、次郎にさざめいた。

 眼帯付きとなった是則(これのり)が熊の頸を落とすと、耳環をかけ、恭しく三宝に載せる。跪くと、それを頭上に掲げ、宝前に奉る。

 再び山刀を熊の胸と腹に入れ、膽を取り出す。醜男の是則(これのり)が、童のごとく目を輝かせたのを、員季(かずすゑ)は見逃さなかった。

『こは、加賀のにも勝るとも劣らない上品よ!』

 是則(これのり)は心中で、大音声上げて喜んだ。他の山立からも、驚嘆のため息が漏れた。これもまた三宝に載せ、祭壇に奉った。

 古びたる声が止まると、黙って立ち去る。山立らは手に手に山刀を持ち、熊の体躯に入れ、皮を絶ち、肉を切り分けた。

 山家の外で寒さに耐えて待っていた老若男女に分かち与へ、賑恤(しんじゅつ)とする。いつの間にか、二行の旗幟まで建っていた。他の山立らは蔵を開け、鹿肉・狐肉・魚肉・酒なども振る舞っていた。素朴な里人の顔は一様に明るく、稚児は声をあげて走り回る。この荒れ天候というのに……。

「いい正月になりそうだあ」

 白息を吐く里人に、ああそんな頃合いかと次郎はしみじみと感じた。

 山家に戻ると、熊の胃から取り出された軍粮(ぐんろう)や人肉、衣服などがあった。いづれも星羅のものだろう。この山の人〻にあらじと言へども、なんとも後味が悪い結果となった。


「次郎、お主は中尊寺を詣る胸であったな?」

 弑禮(さつれい)から数日後、員季(かずすゑ)から声をかけられる。

「ちと遠回りになるが、お主が申状を擧げてくれぬか?」

 山立の目線には、文机におしかかりて筆を持つ是則(これのり)がいた。あやつの顔は苦々しい色を見せている。

「ああ、遅参を詫びる云々」

「然り。弑禮(さつれい)はいまだ続くので。我らは熊頸を掲げて、里を残らず練り歩いて家〻で奉らねばならぬ。さもなくば、熊荒は治らぬからの。それに、悪天気を宥めるには石も役にたつであろ。長老を具して、唱え言葉の一つでもやってもらおうと考えておる。我らは山の人ゆえ、お主より利益も長く続くだろうに」

 戸を打つ寒風が、瀝〻(れきれき)と鳴り、外の様子が推して知られる。既に頸は、酒を満たした(はこ)に入れられていた。その横には鎮守府に差し出す熊膽が拵えられている。員季(かずすゑ)はこれ聞こえよがしに言う。

「あとは、能書家の筆捌き如何によるがの」

「黙れ!」

 既に麻紙(まし)をお釈迦にしている是則(これのり)は喚いた。

「フヒヒ、お主が細作でながったんで、あやつは間が悪いんじゃ」

「いい加減にしろ員季(かずすゑ)!」

「ワハハ、堪忍堪忍」


 いつもよのうに山仕事を済ませて帰る次郎。員季(かずすゑ)らに呼び止められる。見れば、他の山立と里人らも集まっているのにも気付く。

「出立の準備(まうけ)ができた。お主の預かりは、余さずここへお返し致す」

「いよいよか」

 それは(おい)を始めとして、山立らに押収された物の具であった。よう見ると、必要な修繕が施されているものもある。これらは是則(これのり)が密かにやった。また、雪の跡から次郎の足に誂えた雪駄、熊の毛皮、水弾きの油を塗ったアマブタ()なども見られる。

「感謝は無用ぞ。元よりお主を引き留めておいたのは、我らマタギであるからの」

「と言うことは、野僧の出立も今か?」

「左様。お主には早や府に登ってほしいからの。星羅どもの知らぬ直道(たゞち)を教えよう。ただ、ちと危険だがの。あの桟道(さんどう)を渡ってきた小僧殿だ。事もなく越えられよう」

 員季(かずすゑ)は笑ったが、山立らは眉を顰めた。冬に“蟻の扇子渡し”を行かせる気か……と。

「既に和我(わが)胆沢(いざわ)から、安東の軍が押し返へされつつある。もし星羅の兵に誰何(すいか)されたら、この山手形を見せよ」

 コノ僧、怪シムべカラズと書かれ、山姫の描かれた木札を渡された。

 この寒〻とした中、皆、俺の見送りに来るとは……。山に来た当初、一日も早く出奔せんと機を窺っていたが、今となっては名残惜しいばかり。

「あとは申状が来るばかり。はて? いずくにか是則(これのり)はある?」

 そう言っていると、雪がチラつく彼方より、よう肥えた醜男が歩いてくる。誰が見ても、バツが悪そうな顔である。

 申状を押し付けるように渡すと――

「悪かったな、小僧」

 背を向けてぶっきらぼうに言い放ち、ドシドシ山家に入って行った。員季(かずすゑ)は呆れた。

「全く、僻様(ひがさま)に思ひなして殺しかけ、慈悲まで貰ったのに、物も覚えぬ(をこ)が申し様かな」

「もうよい、もうよい」

 是則(これのり)には、熊に殺されるすんでのところで助けてもらったのだ。八千度感謝しても、しきれない。

 次郎はちょいとアマブタ()を上げて、是則(これのり)の背に別れの挨拶を念した。

「では各〻方、達者でな」

坊様(ぼさま)こそ」

 定めなき雪降る中、深山颪(みやまおろし)が、“とくとく”とばかりに次郎の背を押す。それを見送る人〻の襟や袖にも飛び込んで、皆一様にしかめ面になる。そして次郎の姿は、吹雪く中にかき消えた。

 そういえば、禿(かむろ)より髪も出で生えて、あの法師は山立と見分けがつかなくなっていた。

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