弑禮
熊の尸は、人〻の引く橇で、山家まで上げられた。その後、山立らが“授かり物”を感謝する、弑禮が挙行された。
香水が撒かれ、薄暗い中で宝灯がちらつき、四辺に張られた白布の皺の陰影を強調する。
祭壇に木彫りの山姫を奉安すると、衣も替える暇もなく駆けつけた人〻は、皆一様に合掌。浄衣姿の長老が、熊を弔う。
「大幸なる哉、我熊よく聞け。星羅の兵害す事甚だしかれども、汝未來は人間と變生すべし。依て是を樂んで、潔く我らの血と肉たれ」
今は骸となった熊向かひ、因果因緣を説しめる。是則は寝かした山刀で、熊の体躯を撫でまわしたり、叩いたりする。
「あは、熊の魂を天に渡しておる」
隣に座する員季は、次郎にさざめいた。
眼帯付きとなった是則が熊の頸を落とすと、耳環をかけ、恭しく三宝に載せる。跪くと、それを頭上に掲げ、宝前に奉る。
再び山刀を熊の胸と腹に入れ、膽を取り出す。醜男の是則が、童のごとく目を輝かせたのを、員季は見逃さなかった。
『こは、加賀のにも勝るとも劣らない上品よ!』
是則は心中で、大音声上げて喜んだ。他の山立からも、驚嘆のため息が漏れた。これもまた三宝に載せ、祭壇に奉った。
古びたる声が止まると、黙って立ち去る。山立らは手に手に山刀を持ち、熊の体躯に入れ、皮を絶ち、肉を切り分けた。
山家の外で寒さに耐えて待っていた老若男女に分かち与へ、賑恤とする。いつの間にか、二行の旗幟まで建っていた。他の山立らは蔵を開け、鹿肉・狐肉・魚肉・酒なども振る舞っていた。素朴な里人の顔は一様に明るく、稚児は声をあげて走り回る。この荒れ天候というのに……。
「いい正月になりそうだあ」
白息を吐く里人に、ああそんな頃合いかと次郎はしみじみと感じた。
山家に戻ると、熊の胃から取り出された軍粮や人肉、衣服などがあった。いづれも星羅のものだろう。この山の人〻にあらじと言へども、なんとも後味が悪い結果となった。
「次郎、お主は中尊寺を詣る胸であったな?」
弑禮から数日後、員季から声をかけられる。
「ちと遠回りになるが、お主が申状を擧げてくれぬか?」
山立の目線には、文机におしかかりて筆を持つ是則がいた。あやつの顔は苦々しい色を見せている。
「ああ、遅参を詫びる云々」
「然り。弑禮はいまだ続くので。我らは熊頸を掲げて、里を残らず練り歩いて家〻で奉らねばならぬ。さもなくば、熊荒は治らぬからの。それに、悪天気を宥めるには石も役にたつであろ。長老を具して、唱え言葉の一つでもやってもらおうと考えておる。我らは山の人ゆえ、お主より利益も長く続くだろうに」
戸を打つ寒風が、瀝〻と鳴り、外の様子が推して知られる。既に頸は、酒を満たした函に入れられていた。その横には鎮守府に差し出す熊膽が拵えられている。員季はこれ聞こえよがしに言う。
「あとは、能書家の筆捌き如何によるがの」
「黙れ!」
既に麻紙をお釈迦にしている是則は喚いた。
「フヒヒ、お主が細作でながったんで、あやつは間が悪いんじゃ」
「いい加減にしろ員季!」
「ワハハ、堪忍堪忍」
いつもよのうに山仕事を済ませて帰る次郎。員季らに呼び止められる。見れば、他の山立と里人らも集まっているのにも気付く。
「出立の準備ができた。お主の預かりは、余さずここへお返し致す」
「いよいよか」
それは笈を始めとして、山立らに押収された物の具であった。よう見ると、必要な修繕が施されているものもある。これらは是則が密かにやった。また、雪の跡から次郎の足に誂えた雪駄、熊の毛皮、水弾きの油を塗ったアマブタなども見られる。
「感謝は無用ぞ。元よりお主を引き留めておいたのは、我らマタギであるからの」
「と言うことは、野僧の出立も今か?」
「左様。お主には早や府に登ってほしいからの。星羅どもの知らぬ直道を教えよう。ただ、ちと危険だがの。あの桟道を渡ってきた小僧殿だ。事もなく越えられよう」
員季は笑ったが、山立らは眉を顰めた。冬に“蟻の扇子渡し”を行かせる気か……と。
「既に和我や胆沢から、安東の軍が押し返へされつつある。もし星羅の兵に誰何されたら、この山手形を見せよ」
コノ僧、怪シムべカラズと書かれ、山姫の描かれた木札を渡された。
この寒〻とした中、皆、俺の見送りに来るとは……。山に来た当初、一日も早く出奔せんと機を窺っていたが、今となっては名残惜しいばかり。
「あとは申状が来るばかり。はて? いずくにか是則はある?」
そう言っていると、雪がチラつく彼方より、よう肥えた醜男が歩いてくる。誰が見ても、バツが悪そうな顔である。
申状を押し付けるように渡すと――
「悪かったな、小僧」
背を向けてぶっきらぼうに言い放ち、ドシドシ山家に入って行った。員季は呆れた。
「全く、僻様に思ひなして殺しかけ、慈悲まで貰ったのに、物も覚えぬ痴が申し様かな」
「もうよい、もうよい」
是則には、熊に殺されるすんでのところで助けてもらったのだ。八千度感謝しても、しきれない。
次郎はちょいとアマブタを上げて、是則の背に別れの挨拶を念した。
「では各〻方、達者でな」
「坊様こそ」
定めなき雪降る中、深山颪が、“とくとく”とばかりに次郎の背を押す。それを見送る人〻の襟や袖にも飛び込んで、皆一様にしかめ面になる。そして次郎の姿は、吹雪く中にかき消えた。
そういえば、禿より髪も出で生えて、あの法師は山立と見分けがつかなくなっていた。




