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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
29/45

熊害

 物見櫓の番は、夢心地醒めぬ山立に任せて、次郎は山道を巡視していた。

 ここらはブナ林。つい寸刻前まで青天だ

ったが、知らぬ間に沫雪ちらつき始めると、すぐに皿ひっくり返したように降り増さる。木〻にも積もり、枝垂れる。

「降りみ降らずみ、まこと忌〻しき山天気よ」

 急な寒さにわななく次郎。五体を留めておくと余計冷え込むので、足早に進む。星羅の者が、どれほど入山しようが、俺には関係無い。寧ろ、古木に生える寒茸(かんだけ)の方が、よほど大切と言える。

 しばし歩くと、川のせせらぎが聞こえた。次郎は、その河岸に向かった。日〻山立らと過ごす中、頭中で山の絵図を描いている。ことに一人で山道を歩く時は好都合。

「ふむ。ここに川が流れておるのは初めて見た。覚えておこう」

 水底や水流を見んため足をつける。あまりの冷たさに感覚が麻痺した。いづれ山立どもを巻くためであるが、鼻の利く犬が厄介だからだ。水中だと、臭いも紛れる。

「む?」

 地形を見定めていると、不意に酒気が鼻を刺す。こはいかにと跡尋ねると、浅瀬に空の酒樽が打ち捨てられている。

「なんぞこは? 彼奴等が儀式でも行ったか?」

 確かに山立は、あちこちの山姫像に、神酒を供える。さあれど、山を汚さぬよう塵塚を放置するわけがない。よう見れば、見慣れぬ針葉樹の丸太に、太綱が括り付けられた運搬具、また軍粮(ぐんろう)の食い散らかしもある。どう見ても狩獵撈具ではない。

「こは星羅の者による狼藉か? こんな所で……?」

 奇怪な物の具など、具に改めていると――

坊様(ぼさま)! そは何ぞ? 山を汚してはいげねよ!」

 

シカリ(親方)、シカリ!」

「なんぞ? 騒々しい」

 山家の中に、獵師(マタギ)の一人が入ってきた。

「丙卅一点で、あん坊様(ぼさま)が不審をなしましたぜ。山具足にあらじ、縄やら酒樽やらを拵えていたようで。やっぱ安東の細作でねが?」

「そこの行事は……是則(これのり)であったな……む? 奴め来おったな? 臭ぇのでわかるぞ」

 アマブタ()も毛皮も脱がずに、大柄の山男が、囲炉裏にドタドタ駆けてきた。

員季(かずすゑ)員季(かずすゑ)! あの細作、とうとうやりやがった。陸奥六軍の暗号残欠があったど」

「小僧が燃やし損したとでも?」

「そうよ。次郎とは偽名(ぎみょう)で、細作名は――フジコ……フジカウと書かれてあった」

「されども、あの西声(かわちごゑ)と雪山も知らぬ態は、いかに申す?」

「よく出来た物真似であろ」

 焚き火を隔てた員季(かずすゑ)と隣のマタギは、訝しげな顔になる。あの小僧のどこが物真似であろうか? 全く、思い込んだら我を曲げない頑迷さよ。

「おめえは、人を疑って止まぬ悪癖をどうにかしろ。マタギで、あの小僧を細作だと思ってるのは、もうおめえのみぞ」

「まことや、是則(これのり)のみだ」

「だまれい! 彼奴が細作なのは明らかよ! あん縄や丸太で、工作していたに違いねぇ!」

「血が上ってやがる……オメエは今宵も夜警に出て、雪で頭を冷やせ」

 是則(これのり)は、放たれた矢の如く、止める|員季を聞かずに出ていった。

「大丈夫ですかねえ? あは坊様(ぼさま)を半殺しにする勢いですぜ? また僻事から不具にでもしちまったら、たまったもんじゃねえ」

「……」

 員季(かずすゑ)は、あぐらかいている片足をさすったが、何も言うことなく是則(これのり)の背を見送った。


「さればこそフジカフ!」

「……?」

 是則(これのり)が、大音声上げる。かの川岸で、不審を改めている山立らの側にいた次郎は、最初あの醜男が腹悪く、誰に物を言っているのかわからなかった。どうやら俺に向かひてと心得た。

「なんぞそは?」

「白〻しき空言は十分。こは、他ならぬおめえの細作名であろ! この陸奥紙残欠に書かれてあるではないか!」

「なにを。そもそも、そが人の名なのかも定かではない」

「黙れ! その運搬具で何を川に流したか白状せ!」

「そは野僧こそ聞かまほし」

「なにがなんでもしらを切るとな? わしの腹がゐぬは、(いひ)を食ひ散らかして山を汚したことよ、これはいかに?」

「全く話の通じぬ薄馬鹿よ。野僧がいかにこれら運搬具足や軍粮(ぐんろう)を拵えたか? お主ら山立に命拾われた後、一日たりとも横目をつけられなかった日はなかろう?」

 周りの山立らも次郎に同情していた。初めこそ工作の料と訝しんだが、巡回路近傍で、次郎一人がこれらを拵え得るわけがない。

「ええい、堪忍耐えぬわ! 素直に白状すれば、生きて将軍様に差し出そうと思っとったが、今すぐ鹿の肉たらん!」

「こはいかに」

 事に触れて俺を細作と決めつける是則(これのり)に、何を申しても無駄よ。

 敵愾心に満ちた醜男は、山刀を抜いた。こはいかん、死人が出ると、他の山立らは恐れ慄いた。

「死ねや!」

 袈裟斬り仕掛ける是則(これのり)に、次郎は片足滑らかして避ける。この醜男は滅多矢鱈(やたらめたら)切り掛かれど、次郎にとっては事もない。横様に振られたときは、是則(これのり)の肩を足場にして、背後に跳び退く。

「なんて人よ、あの坊様(ぼさま)は……。是則(これのり)の太刀捌きを、猫のように避けておる」

 山立ちは、一様に見惚れた。

 是則(これのり)の体躯が勢いに乗ると、確かに恐ろしい。しかし山刀の振りかぶる向樣を見れば、容易く避け得る。

「細作の分際で、ちょこまかと憎たらしい奴かな! そこを動くな、一気に殺してやろう!」

 是則(これのり)は、走り込んで次郎の頸を定める。

『さて、いかがせん?』

 返り討ちは流石に忍びないので、ちょいと(ちょう)じてやろう。いや、それも世話をしてくれる山立らに申し訳がない。

 次郎は大振りの山刀を軽くいなすと、是則(これのり)の足を絡めて、その勢いのまま雪の上に転がした。

 手放された山刀を奪い、その目の前に突き立てた。是則(これのり)は、とんでもない相手だと心得た。小人と馬鹿にしていたが、仰ぐ次郎から、虎に睨まれる恐ろしさを感じた。

「相手を知らずして喧嘩を仕掛けるは、まこと鳴呼(をこ)(わざ)なり」

 他より(そぞ)ろかなる員季(かずすゑ)が、驚き呆れたる様で来た。てっきり是則(これのり)は殺される、慈悲で半殺しで済むと考えていたからだ。(あまつさ)へ大事なく、雪に伏しているだけであった。

 次郎と目が合うと、員季(かずすゑ)は軽く頷いて謝意を表した。流石の

糞食(くそは)め! おめえら、フジカフを囲んで殺しちまえ!」

 自棄になった是則(これのり)は罵るが、誰ができようか。皆人が束になってもかないっこない。

 員季(かずすゑ)は短い顎髭をさすった。このまま是則(これのり)を野放しにすれば、また次郎を襲う。そして、次こそ次郎は容赦しない。かと言って、是則(これのり)を縛り上げれば、奴の怒りは天にも上り、ワシが切られる。

「シカリ《親方》! 大事だ大事!」

 そこへ別の山立が、息を切って駆けて来た。

イタズ()が出て、星羅の軍陣をやっちまった!」


「こは……」

 熊害に遭った軍陣に急ぎ駆けつけると、次郎と山立らは物も言えなかった。

 兵は悉く(たお)れ、流血は一面の沫雪を染めて上げている。陣幕は寒風に吹き流され、篝火は横倒しに焔を漏らし、雑多な具足は散亂していた。こは恐ろしなんども愚か也。

「火を消せ。山火事を起こすな人〻」

 山立らは、急ぎ火に雪を被せた。生ある者の手当てをするが、いづれも我彼つかぬほどの深手を負っている。

「こやつも虫の息だべ。とてもたすけ助からね」

「難を逃れた者はおらぬのか? 熊の様相を聞きたい。里者でもよし」

 員季(かずすゑ)は周囲の山立に尋ねた。

「陣長は誰そ?」

「はて、山(がた)(なにがし)では?」

「彼奴と倅は難を逃れておったが。はて、どこさ行ったか?」

「あいや、こを見ろ!」

 星羅の家人、山(がた)聡介は、長男の()太郎と刺し違へていた。

「なんと……一族郎党をやられたのを恥じて自決したか。可惜(あたら)命を散らしおって」

 山立らは、親子の尸を囲んで合掌する。


 事態を収めるのに忙殺され、人の死を嘆く暇もない。いや、山立らにとっては余所者ゆえ、涙さへ誘われないのかもしれない。

 元はこやつらも武者ゆえ、手際よく尸を集めて埋葬した。頭を西に向けた亡骸に、次郎は雪仏を作る。予期せずして六字となり、仏に迎えられた人〻に、次郎は憐憫の情が湧く。

「挨拶をしただけの縁と思ったが、まさか俺が最期の見送りとなるとは……」

 夜雲厚く、月も星も見えぬ今、盛土近くの篝火だけが皓〻(こうこう)と次郎の顔を照らす。茶碗と箸で鈴と鈴棒に見立て、声高に読経する。また松を法の灯火と見立て、雪仏に挿した。

「今はこれら人〻は業を終え、将に死出の闇路へ出んとす。(ねが)ふ、その路を照らし、西方浄土へ導かんことを」


 夜通で次郎の供養が続く中、山立らは近傍の里家に集まっていた。

「どれも頭か喉元を害されて即死であった。陣の足跡を見るに、相当な大熊に違いねぇ。フジカフが申しておったのは、たわ言ではなかったか」

「飯(かし)ぎ時を狙って、(みなごろし)にしたようだ。その後、イタズ()は兵糧や酒を喰ひ荒したか」

「武者どもは、具足を取り出す前にやられたようだな。獣とはいえ、者切(きれもの)と見える。奇怪なことなり。かような熊がおるなら、我らの目に触れないわけがなかろうて……」

「いづこより山に流れ着いたか知らねが、こは厄介ぞ。“穴持たず”に違いねぇ」

「他の星羅どもに、飯をかしぐなと触れて回るか? 匂いで誘き寄せると、あの二の舞ぞ」

「んだ」

「だが、そを里にも強いるべき? 仮初の武者と違って、住み人にも飯(かし)ぐなは酷にあらずや。夜は寒いぞ」

「かと言って、武者には否、住み人には諾とすれば、人間(じんかん)で諍い起こること必定よ」

「ううむ、そは難儀。ただでさえあのフジカフが目障りなのに、イタズ()まで厄介を引き起こすとは……」

 目の前の酒はなぜか不味くて、一向に進まない。耳ざとい里者は、戸口で聞きたて一層不安になった。

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