日〻
それより、次郎は心ならずも、出羽の山立らと臥し起きを共にした。空模様や動植物を具に見て、連中に尋る。言わずもがな、これら人〻の風俗をも見る。
「ただ、この寒さと彼奴らの訛りは厄介よ……」
山家の隅で、山立らの話を寄り聞く。はて、あは何を申しておるのやら。主従の如何は推し得るのだが……。
丈高う、片足引きずる大伴員季は、シカリと呼ばれる、十余人の獵師の親方だ。声うち歪むこと少なく、俗事にも通じている。この山家より出ること稀で、他のマタギや里人に左右を示す。食には、濁り酒を欠かさず煽る。
深江是則は、員季の同輩と見ゆるが、寧ろ肥ゆる山賊で、よう員季と諍いを成す。忌々しいことに、いまだに俺を安東の細作と疑って止まない。山具足を拵え、犬の面倒を見ているのは、この醜男。熊足をよう食うが、酒に弱くてすぐ寝入る。
また若輩者も多く、次郎の齢に近い男もいた。いづれも国人と見られ、言葉は遥か異なる。
こんな自然の厳しい山中でも、人の集落はある。財といえば、猫の額ほどの山田ぐらいで、渡らひも厳しい。いわんや治める山立らが、一儲けする産業もない。むしろ連中が、山幸を分け与えている。殊に冬には、蓄えのほかに食べるものが少ない。
次郎は、牛の牽く雪橇で、これら山里を巡りながら、山菜、キノコ、鹽漬の川魚、干し腊、木の実酒を分けて回る。
「あの細作、逃げるんでねが?」
山家の内より、二人の獵師は次郎を心配した。外の程は見えねど、肌皮刺す寒さと隙間風より、天気はよくわかる。
「なんの。日暮となれば、降り吹雪くこと請負。こへ帰る以外なにができよう」
「よりによって、山幸をしこだま持たせてるでねが。ケトバにでも篭られにゃ――」
「オメエの頭には、その場所も入ってねぇのか。あは随分と山馴れたセタギだが、山は我らが坪にあらずや」
是則は、得心いかずとばかりに、熊足に齧り付いた。員季は軽く鼻で笑い、生木を焚べて――
「あの小僧は、やけに山口が利く。山姫様に奉った五岳の祝詞だか経だか、いたくお慶びになられている。冬なのに幸がよう獲れる」
と濁り酒を煽った。山立らは、当初こそ安東の細作と疑っていたが、次郎の言動がとても奥羽の人とは思えない。そして、是則もそれを知る所。
さりとて次郎は細作ではあるのだ。ただし安東のではなく、首府におわす公卿のではあるのだが。坊条から受けた密命とは、鎮守府将軍に継戦の心意気ありやなしやを見定め、国衙郡衙の手先に暗号を送ること。そして官軍・陸奥六軍の前線で工作をやって、互いに嗾けるのである。
辺地の山立どもには、やんごとなきお人の権謀なんど、はるか雪雲の上の事情に等しい。
唐突に、冷気が飛び込んできて、囲炉裏の火を吹き消さんとする。
「ただいま帰参した」
おりしも、次郎が戸口に現れた。蓑が白妙になるほど、吹雪かれている。員季は、是則に目配せした。然ればこそ、と。
「けっ!」
是則は、心疾しう、濁り酒を一気に呑んだ。
「して、里者はどうだったか?」
「口を揃えて、イタズが出たと申しておった」
「はて? 戦も近いゆえに、獵は早めに済ませておったのに……まだ害をなすものがおったか。お主、イタズを見たことは?」
「そは熊のことであろ? この目で見たことはないが、絵巻で学んでいる。大豕に似て、總じて體は黑色、長頭で高脚、猛憨だが力多く、能く樹木を拔く――」
是則はその熊足に食いついた。その肉質は硬く、食する者は少ない。次郎はそれを横目に、続ける。
「熊は茄子を忌む。深山の人、薪を樵りに行くに、かならず茄子を帶ぶことを見れば、熊必ず奔る」
ウハハハと、山立二人は腸を切った。
「だからお主は、腰に茄子を下げておるのか!」
人の笑へとなり、次郎は噴る。
「ときに、道中五寸程の足跡を見たぞ。里人の言う熊にあらずや?」
「懲りずに興あることを申したり。さあらば、五十貫は下らない雄になる。かような熊は見たことはない。ワシらはな、仮初にもこの山〻を治めておるので、どれほどの熊がいかほどおるのか心得ておる。いわんやケトバをや。せいぜい、何かと見紛えたのであろ」
員季は、をこがましとばかりに、濁り酒を飲み干した。鼻の効く次郎は、その足跡に獣臭を覚え、世に人にはあらじと確信していた。しかし、余所者の話なぞ、山立の誰が信じようか? 是則に言っても、当然聞き納れることはない。そのうち次郎は、俺が誤っていたのかと迷うようになった。
この山には、物見櫓や岩屋などが点在し、山立らが在住する。そして山道を往反し、安東方を警戒する。もし、獲物を見れば俄かの獵りとなる。と或る山立の後について、獣道を登る次郎。
「今日は、天気ん良かな、坊様」
「げに」
「そろそろ、星羅どもがここさ通るんで、よう見とかにゃ」
暁の寄合で、山立どもが囲炉裏を囲んで言い合わすのを思い出した。そんぢゃうその行事はだれだとか、天気は如何とか、動物の足跡がどうだとか。この山警備は、数刻おきに交代となるが、夜通しで続く。次郎も歩哨として、要所に立たされた。
殊に昨今、星羅氏の軍兵が入山してくるので、山立らは神経を尖らせる。寄合の座でも、どの山口より、いかほどの人が来るか、抜かりなく見定めよと、是則が念押しするようになった。
やがて二人は、山道を一望でき、且つ巧妙に隠された物見櫓へ登った。時をおかず――
「や、来おったぞ」
ザラザラと草摺を鳴らす音が聞こえてくる。二人は篰から覗くと、小道を登坂する一隊が見ゆる。
横の山立は、陣鐘を打ち鳴らし――
「止め! 止めぇい! そこなる人〻は星羅か? 大将軍は誰人でおはしますぞ⁈」
と静寂な山中に、ひなびたる調子打上げる。すると軍卒らは、北斗星描いた褐色旗をザッとさし上げ――
「いかにも我は星羅従来の家人、山縣聡介。隣は嫡子の璵太郎、次男の誰〻ぞ」
など、家の子郎党の名を張り上げる。
「入山手形を示めされよ」
櫓を降りた次郎が、武者から差し出された手形を見る。山姫が彫られた真物だ。そこから、櫓上の山立ちに掲げた。滞りなく通行が認められると思ったが――
「こはいかに? 予定では廿許の入山であったが……吾らは卅は下らぬではないか?」
「遅れたてまつらじと、他家より聡介が隊に加入しておるゆえ」
「ならぬならぬ! 我らマタギは、今日はいかなる道をいかほどの人頭が登ると、日〻山姫様にお許しを請うて、山幸や身の安全を頂いておる。図に当たらぬ入山は、お怒りを蒙る。手形ありと言へども、認めること能わず!」
「こは虜外な。既に陸奥では戦端が切られておると言うに、今より下山して日を改めよと申すか? 我らとて功名立てんとする者どもゆえ、人に遅れるわけにはいかぬ。山姫とやらには、枉げて許してもらえ!」
「そはそちの勝手。法を破るわけにはいかぬ!」
「御仁らは、同い将軍の元戦う同志に、戦さを妨げる不届き者よ!」
「なにを言うか! 不届きとは、山を汚すうお主らであろ!」
「なんと⁈」
両者に不穏が走り、こは煩ひよと次郎は怪しんだ。今は押し問答で済んでいるが、遅かれ早かれ、太刀がひん抜かれて血を見るのは明らか。さすれば、疑いなくあの山立は切られる。俺とて、諍いに巻き込まれる。
次郎は、二人がが罵り合う隙に、足取りそっと櫓に登った。そして、やはらに印を結んで山立の背に触れる。
「……すわっ!」
「こはいかに? あそこに光り輝く天女の舞うは、山姫様にあらずや?」
「おおっ! まことに、まことに! 山姫様が、降り立ちなさった!」
“昇天”と呼ばるる、仮初に幻聴幻覚を起こして、気を逸らす法術である。人によって見える物が異なるが、大抵は仏神や天女の類で、見たいと願っている物が出る。もちろん、次郎や武士団には見えない。そして、術者より高い法力・霊力を持つ人には、益無い。
この山立の耳目は空のうち、次郎は櫓より顔を出して、星羅の武者どもに言った。
「大将軍殿、こやつには野僧が説いて聞かせた。今直ぐ過ぎよ!」
何が何だかわからぬ一隊だったが――
「御仁は話のわかる山立よ」
と急足で進み始めた。
「今は降っておらぬが、氷が溶けておらぬ崖道があるので、足元用心せよ。山中で不要な火気は厳禁ぞ。指定の里で陣を張り、そこで飯を焚かれよ。余計な諍いは、起こすな人〻」




