山立
あれより、いかほど経たのやら……。消えるか消えぬかの魂で、五体は雪に埋められ、身動き一つ能わず。やがて、うち歪ぬ声が飛び交う。
「やや、来、来! 蓑の落ちとるけ。まだ温ったけぇ――笈の主では?」
「今ここにワシがあったぞ。埋もれてんでねが?」
少しばかりして、次郎は新鮮な空気を吸った。覗き込むのは二人の獵師らしいが、朦朧として姿形定まらず。
「こは見たことねぇ法師だな」
「奇怪な奴よ。安東の者にちげぇねぇ。殺せ!」
「待て待て。笈にゃ旅具足の他に、何もあらせんわい。山伏であろ」
山立の一人は、ぐったりする次郎を捕縛し、賤しい山家まで引きずって行った。
「う……」
囲炉裏の焚き火で、意識を取り戻した次郎。しかし手足を取られている上、芋虫の如く横たわっている。見れば、先の山立どもが、笈を改めている。木太刀と蓑も取られていた。
「やっ! お主らは何者ぞ? 縄を解け!」
「おめえこそ何者か、細作めが! 誰が命を受け、誰が宛に、いかなる用件を伝えるか!」
「細作? 何を申しておるのか、てんでわからぬ。野僧は、豊前は西號寺より都を経て、中尊寺へ向かう遊行僧ぞ!」
「嘘を言うな!」
むさ苦しい山賊風情の醜男は声を荒げた。もう一人の山男が割って入る。
「をいをい、よう聴け。この西声……都より西なる人に疑いないわ。オメエも笈を見たであろ? 暗号打ったる文はありゃしない。あるのは呪いの札だけだ」
「暗号は、こやつが胸内にある! 小僧、細切りになりたくなけりゃ、さっさと吐け!」
山賊はナガサと呼ばれる、見たこともない山刀をひん抜いた。次郎は通常、かような光り物で脅されても、つゆほども動じない。それを見た別の一人は、
『ほほう。是則に凄まれて、平然を保っているとは、こやつ……只者にあらじ』
と窺った。そして、その是則とやらに言う。
「のう。オメエが申すよう、この小僧がまこと細作で、それを切らば、将軍もおよろこびになろうて。しかし、誤ちて仏道の徒を切ったら、山姫様のお怒りも甚だしく、ワシらはオメエを追放せにゃならん」
「ぬ……」
「ワシが取り調べてやるから、オメエは、はや番に行け。セタの鳴きが、聞こえねぇか?」
「わしが、口を割らせたる! おめえが山守に行け!」
「なんの。オメエのやり口は、難癖つけて叩ッ切るのが関の山ぢゃないか。なに、細作の標でも見つけりゃ、なにもかもオメエの手柄にしてやっからよ」
「……」
敵愾心ひたぶる醜男は、しぶしぶ得心すると、山刀を帯び、アマブタや毛皮を纏って、外へ出た。冷気が飛び込むが、肌を刺すほどではない。今は朝であった。
「やれ、猪より猪とは、まさに是則よ……」
「お主も同う山賊だが、まだ話はできると見た」
用心を解かない次郎は、残った山男に話しかけた。
「いかにもいかにも。御名を拝聴してもよろしいか?」
「西號寺の法師、次郎」
「ワシは越後の国人、大伴員季。先の男は、深江是則と申す。ここらで、獵師を生業としておる者よ」
「なんの謂ありて、捕縛するか? 細作細作アホのごとく喚いておったが、野僧にはつゆほども覚えがない」
「もっとも。さあれど、是則の言い分にも、理あり。遊行僧とはいえ、冬にあの掛け路を渡る命知らずは、見たことがない」
「不案内ゆえ、道を失ったのだ」
「中尊寺詣と言ったが、あえて冬山を超えることもなかろうて。陸奥へ急用でも?」
探りを入れられる次郎は、口を噤む。生木を燃やす音だけが、薄暗い山小屋に鳴る。しばしの沈黙の後、再び山立が言う。
「ふむ……次郎とやら。ここに至るまで、何も見なかったか?」
員季が言わんとすることはわかる。出羽の国司、星羅氏の軍兵が、雲霞のごとく陸奥へ集まりつつあったのだ。
「ワシらはの、鎮守府より命を受けて、ここ奥羽の境で番をしている侍でもある。まあ、長う住んでおるので、マタギになっておるがの。戦乱の兆しが出てから、ワシらは陸奥六軍の動向を窺っておるんじゃ」
「事訳は心得た。さあれど、野僧は細作にゆめあらじ。笈を見定めてわかったであろ? はな縄を解け!」
「いいとも」
員季は、あっけなく次郎を解いた。間合を取り、やはり用心を解かない次郎。
「縄を解いてやった代わりに、マスでも釣ってきてくれぬか? ワシはお主を細作とは思うておらんが、客人とも思うておらぬでの」
釣具を手に、ブナ林を下る次郎。マスとは何ぞと思ったが、魚であるのは心得た。あの山立らが残したと思しき標を辿ると、川辺に出る。その清らな水を少し口に含む。次郎の腹は頑丈で、ちょっとやそっとでは下したりしない。
「さて、いかがせん……」
次郎は釣り糸を垂れながら考える。このまま、あの山賊に足止めされると、御公家様の用命に障りとなる。今から逐電するか? いや、逃げれば徒党を集められ、山狩を受くる事疑いなし。ではいっそ、殺してしまうか? 彼奴らは侍と申しておったが、所詮は獵師や山賊の類。
ふと見ると、釣り糸は㶁㶁と流るる水に持ていかれつつある。
しかし、その後はどうする? いづらにも、粉雪ちらつく深山が延々と続く。今は雪間で天も見ゆる。凍てつく程寒くもない。しかし山の空模様が気まぐれなのは、次郎だに知る所。今一度吹雪けば、不案内の中、必ず野垂れ死ぬ。だから大伴員季とやらは、俺を解き放ったのだ。帰らぬなら死すべし、と。
「こはいかに考へても敢へなむことかな。機会を伺うべきか」
ふと見かけた対岸に、朽木のあばかれた跡があった。熊でもやったのだろう。吹雪でやられる前に、熊にやられるかもしれぬ。
「やい見ろ、是則。オメエの言う細作殿は、帰参なされたぞ」
日は沈みかけ、夜が忍び寄りつつある頃合いに、次郎は山家の戸を開けた。
是則と員季は囲炉裏を囲っていた。そこへ鍋を吊るし、米と鹽と山菜とキノコを入れて、雑炊としている。
「していかに? マスは釣れたか?」
赤ら顔で、濁り酒を煽った員季が言った。魚を塩焼きにでもするつもりだろう。
「一尾すら獲る能わず」
「やはり細作に専念しておったな!」
「何を申すか。野僧、確かに魚は釣った。しかし、かの川には病が蔓延っておるではないか。よう澄んで流れも良きに、げに奇怪なこと。かかる病の魚はやたらと釣れたが、食えば腹具合が悪うなるとて、全て放ち致した」
「はて病とな?」
山立二人は、訝しげに顔を見合わせた。
「腹が赤う爛れて、黒う斑点が隙間なくある魚で――」
「それなむマス!」
員季は山家に響もすほど、大いに笑った。愉快愉快、西声といい、少なくとも奥羽の者にあらじ。申すよう中尊寺詣ででもする遊行僧であろ。さあれど、少し山に留め置いてしかと見定めよう。是則は、鼻垂れ小僧めと唸るよう罵った。




