表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
26/45

掛け路

月を待ちては影をともなひ、ともしびを取りては罔両(もうりょう)に是非をこらす 『幻住庵記』


 北越(ほくえつ)奥羽(おうう)では、長月の晦日(みそか)頃より雪が降り始め、神無月も半ばを過ぎれば、野山を覆い尽くす。影法師の次郎は、()る公卿より密命を賜り、陸奥を目指していた。草鞋(ぞうり)に水が染み込むので、堪らない。

『凄まじき気よ、こは……』

 (みの)に包まって、寒む〴〵歩み進めるのは、まだ良かった。山に分け入ると、数刻もせずに一尺も降り積もる。見知らぬ山はさらなり、まして雪山の危険は推して知るべし。験力で雪を吹き飛ばしていたが、やがて踏み歩くことすら難儀となり、現地の雪踏みを雇った。

(わずら)ひかな。限りなく降る雪よ』

 故郷の彦山(ひこざん)でも積もる。しかし、ここまでの降雪は初めて見た。案内(あない)も兼ねた雪踏みに、雪国のあれやこれやを教えてもらった。しかし、いつまでもこの男を具して行くわけにはいかない。得銀させ、別れとなる時――

『山超えはおやめ下され』

 と訛り声で止められた。されども、坊条より命を受けた次郎は、寸刻も早う陸奥へ下る必要があった。こを無謀と言わずして、何と言うだろう。雪勢は、益〻猛り狂う。(しるし)も無ければ、踏み跡さえない。道に惑い、引き返しても、更なる積雪で風景すら変わっている。厚雲で日も星も隠れて、方角すら喪失する。人も住まぬ荒屋を見つければ、これ幸いと宿にし、人の住まう集落は、極楽浄土とすら覚えた。

『ことに(じき)は、おざなりになさるな』

 雪国の人〻は、よく言ってくる。朝飯はよく食べさせてもらい、昼食にも焼き米を持たせてくれた。空腹だと寒さにやられ、気力尽きて吹雪に倒れる。倒れたら雪に埋もれ、雪解け時に(かばね)となって出てくる他ない。

 道中、どうしても寒さにやられそうな時は、酒を温めて、少し飲むようと言われた。次郎は以前、折檻した師にやり返そうと、隠し持っていた酒を一気飲みし、ひっくり返った事がある。それに懲りていたが、命には変えられない。

『ただ飲み過ぎはやめなされ。酔うと溝や堀に落ちて、凍え死にますからな』

 辺境の寒村には、純朴だが読み書きできぬ人〻がほとんどだ。そんな場所でも、物事に明るい人(大抵は同じ僧侶であるが)はいるもの。

『小僧様は、都より――何? 九国から来られたか? ははあ。どうりで左様な成り姿で……それで山を越えるなど、死に行くようなものですぞ。草履一つとっても、都の物と、ここらの物とでは違うでしょう?』

 その村法師は、里人に言いつけて、革の肌着、脛当てを作りつけた藁沓(わらくつ)円蓋(えんがい)の藁笠を作らせた。このように次郎は、行く先々で幾度となく人情に触れた。互いの訛りで、意思疎通すら捗らぬ時もあるが、よそ者と拒まれずに僥倖(ぎょうこう)浴びる。これら人〻に感謝せずにはいられなかった。


 余所殿で受けた反閇(へんばい)とは、行難を踏み破って進む儀式だ。確かに今の今までは、次郎は四苦八苦しながらも、能く歩を進めた。あの白毛の女童も思い出される。

『いくらあの方の通とて、所詮は人の業。凶神おわす方を踏み破るとて分限がある』

 截然(さいぜん)たる岩壁に、木材を棚のように掛け渡した路。次郎は一人、足取りそっと進める。雪礫(ゆきつぶて)は荒れ狂い、(そばだ)つ崖や次郎の背に殴りつける。(おい)は何かのはずみで、奈落へ落ちていた。手足は凍傷を起こし、既に我が物とも覚えず。

猿田毘古(さるだひこ)大神よ、我が旅を見捨てたまうな……」

 全く、なんと都合の良いことか。日比(ひごろ)神仏に存疑ありて、修行もおざなり、誰がための読経かとだらしのない有様だが、いざ我が蝋燭(ろうそく)消え失せんとあらば、心を込めて念仏する愚かさよ。来し方の掛け路が、崖上の雪崩れに呑み込まれ、遥か下の林に落つ。

 すわっ、猿田毘古大神は、いかに思し召されたか? 先へ進めと仰るか? しかし、この桟道(さんどう)、既に年経て腐っておるのか、二度も足が抜けて、死ぬ思ひをしたぞ。しかも、既に掛け板すら失せている所も多く、崖岩の窪みに足を掛けて渡るしかない。手を掛ける綱はとうの前から切れていた。

「いかにせん?」

 呼吸が浅う、息を吸えば胸が痛む。手足のくたびれは極まり、崖に食い込んだ指先から血が滲む。感覚も無い。もはや寒さすら覚えず、魂消えせんと朦朧とする。動きに障りありとて、蓑を脱ぎ捨てた。忽ち強風に攫われる。

 これも修行と思えば良いが、はたして今まで何人の法兄弟が、その修行で落命していったか? 名を上げていくと、両手ではとても足らぬ。そして、俺も同輩の輪の内に入ろうとしている。


 ひゃうど雪を被った次郎。怪しく天を仰ぐと、さらなる雪崩(なだ)れが大いに襲いかかった。かろうじて岩の出っ張りに片手を掛けて、宙ぶらりんで耐えていた。歯を食いしばって、耐える次郎。

「南無三……嶮難(けんなん)の路半ばで命果てるか……」

 苛烈に吹雪く中、足で探ると、掛け道は奈落へ落ちているようだ。そして先を望もうにも、猛風と顔にぶち当たる雨雪で、目も開けられぬ。ただ上の雪が、ほろ〳〵とあちこちで降りているのはわかる。それがごぼ〴〵という音になった時、次郎は空に叩き落とされていた……。

 雪崩の中、幾度となく天が地になり、地が天に入れ替わる。次郎の脳裏をよぎったのは、やはりもなかの言の葉であった。

『予定より早く仏に会わぬよう』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ