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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
24/45

反閇

(おそ)れながら、お二人に申し上げることがあります」

 坊条の御殿から帰ると、次郎はささらともなかに呼びかけた。二人が母屋と(ひさし)に腰を下ろす前に、次郎はあえて簀子(すのこ)に正座する。

「或る方より御用命給わり、野僧は下向することになり申した」

 こう切り出す次郎に、女性二人はわずかに驚いて目を合わせる。(とみ)にかく言うはいかに? そう思ったが、口には出さない。次郎も、唐突な申し様、いかに思し召すかと緊張した面持ちである。しばしのしじまが差し入るが、ひいよひいよと鳥に破られた。(やや)あってから、ささらは『(いか)で?』すら言わず、ただ――

「そうですか……わかりました」

 とだけ返した。次郎重ねて申しけるは、

(あん)ずれば、今は遠き空の下、(ひこ)より遠路はる〴〵都目指して登り候。道中、日はもちろん雨風にも晒されずに非ず、足の草臥(くたび)れも極まり、野盗に恐れ慄き、口に入るは(かれいひ)ばかり。夜は石に枕し、星を眺めつつ国を懐かしみ、未だ見ぬ都に思いを馳せ候。京に到れば、左右(さう)もわからず、(ひだる)き日〻を過ごし、秋風が身を苛み、田舎法師と人に軽め(あなづ)らる。されどささら様、もなか様は寛大にも野僧に門開き、同宿をもお許し頂き候。日に三度米飯を三膳づつ頂いて、屋根下で寝るは、これを極楽浄土と申さずして何と申しましょう? これも(ひとへ)に観音の慈眼(じげん)によるもの。日数ふれば冬深まり、京の人々にも(えにし)が結ぼれ、改めて驚く次第であります。この世の縁とは、一本の木蔭(こかげ)に休み合わせたり、同じ川の水を(すく)って互いに飲みあったりするような、僅かの縁であっても、別れとなれば悲しいもの。(いはん)や、肝煎(きもい)って頂いたお二人との別れが、何條(なんじょう)悲しからずや? さりながら、我ら影法師は元より雲水の徒。たとひ朝敵と蒙られても、日の本を順礼し、霊験の所〻に行脚しつつ、人〻を救済(くさい)するのが修行であります。ここに居心地良く留まれば、山の法兄らに『懈怠(けだい)の男よ』と笑われましょう。今一度、申し上げます。我が暇をお許しくだされ、あなかしこ」

 と居住まいを正して、頭を下げた。静謐(せいひつ)な空気を響かせ、淀みない次郎の長台詞は、あたかも読経であった。目を瞑り、黙して傾聴したささらは、片時(へんじ)の沈黙の後――

「いづ方へ行かれますか?」

 とポツリ問うた。

勿来(なこそ)の関を越えます」

 されはよ、今の太郎さんに剣難の兆しが見えるわけです。わたくしはさらなり、そこなるもなかも、きっと観ているでしょう。

「もなか、今宵反閇(へんばい)を踏みます」

「……さうけ給候ぬ」

 へんばい? 何ぞやそは? 次郎が怪しむと、もなかがさらりと補足する。

「法師どのには、禹歩(うほ)と申した方がわかりやすいか?」

「うほぉ?」

 一層わけがわからぬ次郎に、もなかは頭を抱えて振る。今まで生真面目な空気であったが、素っ頓狂の声を上げたので、滑稽感すら生じた。ささらまでくすりと咲み溢れる。

「悪き方角を踏み破る方術です」


 風呂でさん〴〵清められ、浄衣(じょうえ)を着て一人正座をする次郎。あの女性二人は、装束改(しょうぞくあらため)に時を費やしておるのであろう。

「うう、湯冷めするぞこは……」

 燈樓(とうろう)を燃やす対の屋を、反閇局としている。そこに水、米、大豆、胡麻、栗、麥を折櫃(おりびつ)から取り出し、土碗(どわん)に五(しょう)入れた。また酒海(しゅかい)に酒を五升、明蜜の代わりとして、土瓶(どへい)に五升入れた生牛乳を(したた)めた。これらを載せた高机(たかづくえ)の八本足には、齋郎(さいろう)を模した比度加太(ひとかた)が三枚貼ってある。

「あは散供(さんぐ)として、うち撒かれるのであろうな……」

 次郎は考えた。なにもこのような儀式をして頂かなくてもと、口から出そうであったが、無下に断るわけもいかなかった。

『よいか? ささら様が先に行かれるので、その後で足の運びをよう見ながら進まれよ。左右(そう)の足跡をなぞるように踏め』

 もなかさんは、左様に言っておった。

『あいや 、そもじが振り回しておる鰹木(かつおぎ)はいずこにやある?』

 そして、次郎が勝手に使っていた木太刀(きだち)のを召し取って行った。

 奥よりさやさやと衣摺(きぬず)れの音がすると、引きつくろはれたる(ちはや)のもなかとささらが現れた。前のもなかは、香炉から煙を(なび)かせつつ、巫女鈴を鳴らす。後のささらは、次郎の鰹木に幣紙(へいし)を添えて持っていた。もなかが脇に逸れる。

「た……次郎どの、ささら様に(つな)ぎ行きたまへ」

 ささらの後ろに立つ次郎。ここまで近う寄ったためしはなく、畏れ多い心地だ。その頭つきは映えてをかしく見え、一尺ばかり床に余り、髪油の椿香が(かぐわ)しい。

(ああ)、敢えて告ぐ!」

 ささらが神呪を(むせ)ぶ。

「其の行に(とが)()かれ。先に豊前(ぶぜん)彦山(ひこざん)西號(さいごう)寺の仮印可(かりいんか)僧、次郎の為に道を除わん!」

 声こそ上げなかったが、真後ろに立つ次郎は大いに驚いた。“(たお)やかな大河が、刹那激流と為す”。霊感無き唯人には、そう説くべきだろうか。これなん神仙の威よ! ささらの身体より(たぎ)つ霊圧を、一身に受ける次郎。もなかでさえ計りなし、(いはん)やその師は、正に底知れぬ! その神通力が感応したのか、対の屋に烈風が吹き荒ぶ。散供(さんぐ)の品々が飛び始めてた。

 ささらは次郎の鰹木を構えつつ、片膝を高らかに上げた。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!」

 このように九字を唱ながら(もなかも喚き叫びつつ鈴を鳴らし、九字を切っている)、かなり大股で左右の足を踏み運ぶ。次郎も見様見真似で、ささらと同じ歩行をする。次郎は知りもしなかったが、床に北斗七星を象る足跡をつけ、踏み固めていく。

 その歩み終わる点に、もなかが立っており、土を盛った土器を床に置く。ささらが、土を取って錦の守袋に入れる。

天神地祇(てんじんちぎ)、相感応(かんのう)して其欲する所必成就なすべきなり、あなかしこ」

 ここで荒れ狂う風ははたと止んだ。ささらは、次郎の方を向き直り――

「この土が辟邪(へきじゃ)の呪具となります。これを今日より懐に入れ、肌身離さず持ち歩きなさい。いいですか? 片時も手放してはなりませんよ?」

「は」

 そう言うと、ささらはもなかと共に対の屋を退出した。正直、次郎はこのような儀式に懐疑的であったが、かかる奇特(きとく)の通おはしけば、霊験灼然(れいげんいやちこ)一定(いちじょう)よと、頼もしく感じた。

「さてと……打ち撒かれた米やなにやを、払いましょうぞ」

 見渡せば、乱痴気(らんちき)騒ぎもかくやと思わせるほど、酷い有様であった。

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