飾太刀
「そこな小僧さま! あなたはあの時のお人でしょうか⁉︎」
もなかの使いで、三条坊門小路を歩いていた次郎が、声をかけられた。
「はて、その方は……?」
「七条の辻で、京童部にゆすられていた者です。いや、白丁のなりをされておるので、気が付きませんでした。ずっと尋ねておりました」
はったと忘れていたが、そんな人がいたな。唐櫃を奪われようとしていた、やんごとなき人の殿人だったか?
「あの日の狼藉を、大殿様に申し上げますと、いたう感心なさって、『畏まり申せ』というお言いつけでございます」
「いさとよ、野僧はつまらぬ山の、味噌すり坊主。貴人のお目にかかる者ではありませぬ」
「何をおっしゃいますか? とく〳〵」
と男に手を引っ張られる次郎。
貴族に列せられる人々は、左京の北の条に偏って屋敷を構え、一条の宮やら土御門殿やらと、その通りを呼び名としている。次郎が通されたのは唐破風造の四脚で、まさに惣門と評してよかった。門は家の格式を表すと言うが、余所殿の質素な板葺門とは違う。中に入ると、この殿人は随身所と挨拶を交わした。車宿の中にいくつもの車があり、牛が繋がれ、牛飼いが座ってくつろいでいる。中門を横切り、南庭に入ると余所殿より大きな南池と中島があった。下女や下男などが、事繁く歩いている。
「階の下でお待ちくだされ。なに、そんなお顔をなされるな。別に取って食われるわけではございませぬ」
次郎を筵に促すと、自らは後ろで砂の上に直座りする殿人。やがて――
「藤原大膳の大夫様ぁ、御帰着ぅ!」
先行きの舎人が声高に叫ぶと、御殿の主と思しき公卿が、足早にやってきた。今し方内裏から帰ってきたのか、黒袍と指貫は纔著にし、手には笏を持っておられる。ただ藤原顔とも呼ばれる瓜実顔ではなく、色黒で逸り男のようであった。
「こは如何に⁉︎ あどなき小坊主にあらずや⁉︎」
坪に良く通る声を上げる坊条。階前で止まると、次郎をしかと見る。
「わたうはなぞの人ぞ?」
こう問われると、次郎が畏まって申しけるは――
「豊州は霊山彦、西號寺より参りました、仮印可僧の次郎と申し候」
と恭しく申す。
「まことにこやつか?」
坊条が問うと、後ろの殿人は物言わずあど打つのみ。
「ふぅむ……にわかに信じられぬ。まあよいわ、頭を上げよ。これなる者が打ち籠められん所を、わたうが助けたとな? 主として、褒めてつかわす」
「いともかしこく存じる所で候」
「して小僧。こやつを救ったと聞く、その験力とやらを示してみよ」
こは沙汰の限りよ。舎人どもはさらなり、貴人の御前で印を結ぶとなれば、俺は影法師と示しているようなもの。かと言って、『いでや』と言えば恥かくのみ。
「わたうは栄螺か? 口閉じて、何も申さぬではないか。いかに人〻、こやつが霊験灼かなる術、見とうないはある?」
かように主人から焚きつけられ、名乗り出る者がいるだろうか。益〻追い詰められた次郎は、とかうの言上にも及ばす。ええいままよ、都にはささら様やもなかさんのような、神通力を著す人々が多かろうて。ようら見せれば、飽き満ち給ふべし。
「あば、あばばばばっ!」
坊条の後ろにいた舎人が、片足首で吊るされた。次郎は“倒懸”の印を結んだのだ。こは害獣などを生け捕りにする料に使う。近習の者どもは息を飲むが、坊条はじっとにらまへるのみ。よほどの肝魂があると見える。次郎が印を解くと、舎人は落つ。
坊条の思ひ咎めるには――
『これぞ正なり! 絵巻で見し術、殿人が申した術、今ここで刮目した術、寸分違わぬわ!』
と。そして取り繕ひて――
「さては影法師であるな? 小僧とて知らぬとは申させぬぞ。上代より一人法師と尊ばれ、堂上にて主上に祗候仕り、五穀豊穣、国家安寧、万民安楽を祈り、自ら朝敵怨霊を掃蕩する。されど、花堂天皇の御宇に、その玉の緒をお引き奉った科で、返って朝敵の勅令を蒙り四散した。それより今は、二度と日の下に出れぬ影法師と成り下がったではないか。かかる蛇蝎の如く忌み嫌われる者が、再び帝都に這い上すとは如何に? 御ゆるされを未だ蒙ってはおらぬぞ悪党めがっ!」
と息も継がず次郎を一喝した。並居る雑人、舎人、家司などは、謀反の徒にも怯まず対峙する主人に頼もしうぞ思ふ。坊条にさこそ言われる次郎なれ。ただの小僧であらば、肝を消し、手足わななきて、命乞ひぬべし。それがどうだ? みな動かで、虎の眼で睨み返しておるではないか。
「さもさうず」
「すわ、こは憎き奴かな。我が太刀を持て来よ」
家司が渡した飾太刀を受け取り、裾を曳きながら階を降りて、次郎の前で抜く。
「己が直々に、わたうの頸を奉ってやるわ!」
「……その太刀は、さぞかし切れるのでしょうな。しかしこの天下では、御公家様のお言葉のが、よう切れるのではないですか?」
これには満座興に入りて、腸を切りける有様。坊条も哄笑の極みにあった。次郎も切らるること世にあらじと思っていた。なぜなら貴族が自ら進んで罪作るわけがない。
「やさしう申したる者かな。いたう気に入った。わたうを召仕はん」
「……」
坊条は舎人に目配せして、人〻を払った。後ろの殿人も例外ではない。辺りに誰もいないと見回した後、坊条は次郎と額を合わせる。
「その虎の目は不服か? 己はな、わたうのような里の武者法師を欲しておる。よいか、よう聽け。己の下で事を務めよ。然からば、影法師を朝敵とした勅令勅書を取り下ぐべく、具申してやってもよい。いかに? 御ゆるされを蒙るのは、わたうらの師以来の宿願にあらずや? 考えるまでもなかろう?」
そう耳語する坊条の顔には、どこか必死さがあった。黒の袍には唐花唐草の刺繍がされ、指貫には窠と霰彩文が施されている。襪と袴の裾は直土で、公卿らしからぬ振る舞いである。
「さうけ給候ぬ」
次郎は、こう応へる他なかった。




