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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
21/45

退散調伏

 狐狸妖怪(こりようかい)を避ける提灯(ちょうちん)を、もなかは提げて進んでいた。すでに()の刻は過ぎたか、近傍(きんぼう)に灯りは無く、雑木林から(ふくろう)の鳴きが聞ゆるのみ。

『よいですか? 既に来世の者が、生霊とはなり得ません。怨霊は国をも脅かす危き者ですが、廃太子(はいたいし)、流され公卿、寝取られ姫君、不運の高僧などで、下々ではありません。かようにして、物の怪を尋ねるのです』

 もなかは、教示を思い返した。ささらが物の怪を調伏するのを間近で見、また後ろで見守られつつ、自らそうしたこともある。しかし独り事に臨むのは、今夜が初めてだった。

『そなたは、いづれ手足(てた)りとなります。心を砕いてはいけません、ゆめ』

 方術が心ならず、気落ちした時も、ささらはそう慰めてくれた。幼少の頃は、読み書きすらできなかったが、陰陽の(ざえ)ありと見込まれると、引き取られて、手取り足取り育てられた。その後、雑仕女(ぞうしめ)相当で、大内裏(だいだいり)にも出仕し、年中行事などで陰陽寮にも登った。将来ささらは、大學寮(だいがくりょう)へ行けかしと勧めている。

「遠き空より、ご覧あれ」

 もなかはそうひとりごつ。人通のない京極は、夜道が危ない。獣や物の怪が彷徨(うろつ)くからだ。女や子どもは言うに及ばす、大の男も然り。途中もなかは、ならず者の徒党に邂逅(かいこう)した。里長の申す引歌の手合だった。白子のもなかを見た途端、地を蹴って逃げ出す者もいた。館でよほど恐ろしい目に遭ったのだろう。聞けば、郎党の一人は未だ戻ってないと言う。

『皿や何やらが、雲みてぇに浮いて……』

 手負いの者は、そう振り返った。ほ、悪党も楽な業ではないの。もなかは(つべ)たき目で見下げた。片や価値もわからぬ像を盗めと申し付けられ、片や霊障に苛まれ、にっちもさっちもいかぬようだった。


 やがて引歌の館に至った。質素でもなければ特に豪華でもない。植ゑた草木や雑草が際限無く広がっていたが、館も垣根も酷く荒れていない。もなかは門前に佇む。ふむ……今は怪しげな霊圧を覚えず。門をくぐり、まづは本殿の周囲を歩み歩りきて、物見する。

気味(きび)の悪う所よ」

 ひやりとした空気の中、ほのかに漂う腐敗臭に、袖で鼻を包む。尋ね行くと、(かわや)に人が俯して、息絶えていた。欠けた壺の如く頭が割れ、乾いた血が地をどす黒く染め上げている。ならず者が申しておった、郎党の一人であろう。

「あな(はなは)だし。物打ち付けられて、こへ逃げ込んだが、はかなくなったか……」

 もなかは、仮初(かりそめ)程の片合掌をした。よく見れば、提灯の光の外へ、血痕が続いている。それを辿ると、南面に戻って来た。土足のまま、木階(きざはし)を踏んだ跡がある。

「ほ。足半あしなかも拾わずとは、大童になって逃げ出したと見ゆる」

 もなかは登り、提灯を高く掲げると、荒らされて無残な母屋が露わになった。作られた影が、光を(きら)う妖魔の如く形作る。床に皿や器の類が転がり、割れているのも多い。引歌どのは、陶器、磁器、青磁なんでも好み、贋作(がんさく)や安物も買う蒐集(しゅうしゅう)家と聞いた。(しょう)には、美人像とやらを探し当てえぬかもしれぬな。


 除霊とは、根比(こんくらべ)である。曰く付きの所に出かけても、『此度は、いかなる御用で?』と、やがて現れるわけはない。暗闇の中、もなかはぢっと待つ。物音、動物の鳴声、風の肌触り、影の揺らめき。(ひる)には気にも留めない物事に、直人(ただひと)は正気を削られる。闇に呑まれる、(しょう)らはかように申す。

 いくばく時が過ぎただろう、もなかの背中越しに、何か常ならぬ霊圧を感じた。振り返ると、かろうじて人の形をした何かが、(ひさし)に沿って消えた。

「……いずこにやある……」

 あの霊のさざめき言か、はたまた(しょう)の空音か、さる言の葉を聞いた気がした。

『心強う持ちなさい』

 ささら様は、よく仰っていた。恐怖心が芽生えると、それが木の根のように全身に張り巡らす。悪霊や怨霊など、殊更危険な物の怪は、人の恐怖を(じき)とし、やう〳〵ものに引き入れんとする。

 もなかは、余薫(よくん)漂う霊木から削り出した木札を取り出した。晴明(せいめい)公のお彫りになったと伝える五芒星があり、これで物の怪と交信できる。

『おばんです』

『名は何と?』

(しるし)を見せたべ』

 木札を通して霊に呼びかけるが、返ってくるのは夜風にさざめく木〻の音だけ。根気強く申し続けるが、やがて自ら阿保(あほ)のように覚え、一人面映ゆい心地ぞ致す。ささら様は、しつこく物問うて、まことに返へしがあったのを知っている。

「はて?」

 床板に横たわる瓶子(へいし)が、風に煽られ――いや、かような微風では(まろ)ぶわけがない。廂を進み、やがて塗籠(ぬりこめ)の戸で止まった。

「くちゅん!」

 もなかがそこに入ってみると、唐突な寒さに、迂闊にも(くさめ)をしてしまった。落ち着いて、(まじない)いを(じゅ)する。

休息萬命(くそくまんみょう)、休息萬命」

 この冷たさ……初冬にはあるべからず。まさに底冷え、氷室(ひむろ)の中もかくやと思わせる。(ひつ)がしどろに荒らされている。皿や器の類が入れられておるのか。ここに美人像ありや? ただ、迂闊に改めて霊の怒りを買いとうない。

「日比ここに潜まっておるか……されど――」

 あまりにも櫃やら調度品やらが詰め込まれて、いざ事を行えそうない。そう思ったもなかは、塗籠を後にし、母屋に戻る。するとどうだ、先ほどまで転んでいた陶器などの所が変わっておるではないか。

『皿や何やらが、雲みてぇに浮いて……』

 ならず者が左様に申した時、心当てに“屋鳴り”かと覚えたが、けだしそうであったな。

 俄に提灯の火がチラつき、消えそうになる。こは効験(こうけん)すこぶる良く、そう易々とは消えぬはず。唯の安物なら、(たちま)ち火は(つい)えて、肝靈(かんれい)も身に添はぬ心地ぞすれ。さあれば、人は物の怪の恰好の餌食となる。いよいよ歩み出ずるか? もなかは気を引き締め、目を凝らす。

「⁉︎」

 提灯の光の外に、おぼろげな形をした人が佇んでいた。膝下は靄の如く消えておるので、ならず者どもを襲った霊で間違いない。

「汝は()そや?」

 もなかは、提灯を突き出し誰何(すいか)する。ちらつく光が近寄ると、霊は一層おぼろげになり、胴まで透かす。それは窪んだ目で、もなかの方をぢっと見つめるのみ。

「引歌どのにあらずや?」

 もなかは今一度問うた。霊となっても、(ことわり)()し、未だ人倫踏み外さずという場合、言向けて来世へ旅立ってもらう。ただ、この世に執念を残して未だ去らないのが霊の類。(いわんや)や、引歌は既に耄碌(もうろく)とおなりである。

 あの霊は、人の形にかろうじて老人の顔が写っている。(しょう)が問いに応える能わずか? 彼奴(きゃつ)から出る霊圧がやう〳〵強うなると、肌に粟を覚えた。もなかの周りにある、皿や茶器が転がり始める。その一つが、雲のように浮く。こは仕掛けてくるな、と思った刹那、霊感に打たれて身の毛が逆立つような緊張感が走った。茶碗が、矢の如く飛んでくる!

(とつ)っ!」

 (たなごころ)より(つらゝ)()出して防ぐと、茶碗も氷も砕け散った。(むべ)なるかな、あのならず者どもは、これにやられたか。頭に一打貰えば、先の屍と同じ道を辿ることになる。

「鎮まりたまえっ! 汝は今やあの世へ旅立つ者、像は未だこの世に留まる物ぞ! 両者相入れぬ世にあらずや!」

 引歌――いや屋鳴りは、見えるか見えぬかの顔で、もなかを凝視している。かかるほどに二つ三つ四つの器を浮かせた。たちまち、もなかを仕留めんとばかりに射掛ける。時を揃えたゆえ、茶器一つに氷が間に合わず、もなかは(はだへ)に触れるか触れないかで(かわ)した。

「ほ。こは調伏止むなし」

 袖に手を突っ込み、(しお)袋の紐解くと、屋鳴りに打った。能面のようなあの顔が苦痛に歪み、なにやらわからぬ声を上げて、消え失した。調伏(おわ)んぬ? なんぞさこそあらん。肩越しに霊圧を覚えると、彼奴は母屋の隅に立っていた。しかし、今は怒り顔を(あらわ)にしている。

 もなかが、今一度鹽袋を打ち掛けると、屋鳴りはつと破れの几帳を引き寄せて、これを防ぐ。そして、寸分も置かずそれを打ち出す。もなかは両手で大きなる氷()出して止めた。

「ちぃ、こはうかつ。小役人が変化(へんげ)した下位霊よと、軽め(あなづ)っておったが……!」

 今や、こちごちの大小あらゆる物を投げ掛けてくる屋鳴り。(まろ)びつ、跳びつ、舞ひつして(かわ)すもなかは、いかがせんと考えた。あは実を持つ人や獣にあらじ、氷ぶつけても透かすこと一定(いちじょう)。さあらば、この霊符を以って調伏せん! 指の間にそれを挟み、顔の前に持ち上げる。

(しょう)()ぎ事、神も(いら)へたまへ!」

 と唱えて打つ! なんとあの屋鳴りは、小刀を浮かせてそれを二つに切ってしまったではないか。これでは霊符もただの紙屑と化す。

「すわっ⁉︎」

 しかも、足元に忍び寄らせた古衣に(から)げ上げられ、打ち返りて仰様(のけざま)になるもなか。こはしつるわ、と立ち直る間もなく、瓶やら何やらが叩きつけられる。身を(よじ)り捩り避け、氷居出して防ぐ。この屋鳴りの乱投に、ウもスも言わず討たれをはんぬるか? もなかの脳裏にささらの顔が浮かんだ。

『押されても心慌てず、機会を待て』

 と仰ったが、今や崖っぷち。一人勝手に物の怪を調伏せんとして、返って殺されるなど、ささら様は人笑へとなり給ふ。あの影法師にいたっては、腸を切りて笑うだろう。

 いずこより持て来にやあらん、屋鳴りは大(かなえ)を浮かせた。あは避け得ず、防げ得ず……もはや命これまで、ともなかはわななく。

 両手で顔を覆うと――(とみ)に人がもなかの前に打って出て、印を結んで大鼎を吹き飛ばしてしまった。影法師の次郎であった。

「お怪我は?」

「……ほ、こはあいなし。いかなるわけで?」

「それは後で――」

 ()()る陶器、調度品、古衣を木太刀で掻い遣る次郎。この屋鳴りは、物を考える理はあらん、方〻にある物どもをある限り浮かせた。時を同じうして打ち掛ける旨であろう。次郎は単なる小坊主、阿修羅菩薩にあらじ。眼も手も二つなれば、はたと(こぼ)ち散らすにも限りがある。

 いかがせん⁉︎ 印を結び、験力現すには遅すぎた。ありとあらゆる物が、次郎に襲いかかる。こはえ避らず――

「おんこほりそわか!」

 もなかが唱える。凍てつく猛吹雪が荒れ狂い、(たちま)ち母屋一面は氷に閉ざされた。宙に浮いている物は落ち、落ちた物は床と共に凍りついた。方術を間近で次郎は驚いた。あの屋鳴りも、物を浮かせずんば、投げる能わず。

「こは神妙なり、もなかさん!」

 次郎が振り向くと、もなかは(うつつ)無き面で、鼻血がとうとうたらりと流れ出だした。

「もなかさん? いかにやいかに⁉︎」

「櫻餅()かばや……」

 と残して、絶え入った。倒れ込むもなかを次郎は抱き抱える。南無三法、これなん神通力を使い尽くすにござんなれ。しかし、介抱する(いとま)は無い。屋鳴りが、を今一度物を動かさんとし館中が鳴り始めた。

 あちこちの氷に(れつ)が入ると、天井の一角が崩れ落ちた。それだけでない、天井裏に隠してあった唐櫃まで、落ちてきた。するとどうだ、次郎の肌にひしと感じる霊圧が消えた。

 こはいかにと見ると、あの屋鳴り――いや引歌は、あのその唐櫃(からひつ)を凝視している。次郎が近寄ると、いつも間にか引歌もそばに立っていた。次郎が蓋を取り、散り敷く布を取り除くと、瀟灑(しょうしゃ)美人像とは是也(これなり)

「老いて隠し所を忘れて、霊となっても、なお人々から守ろうとした愛惜(あいせき)よ」

 次郎は呆れた。恐る恐る美人像を渡そうとするが、差し出す引歌の手は透き通る。この哀れな霊は音も立てず泣いた。こは成仏できないではないか。

「さあらば、この像も此の世より其の世へ渡さん! きっと受け取れ!」

 次郎が立像を頭上まで掲げると、そのまま床に叩き付けて、粉々に割ってしまった。するとどうだ、立像も幽体になったではないか。引歌は、手の舞い足の踏所も覚えずといった有り様で飽き満ち、立像を大事に抱えて、そのまま消え去った。

(おわ)んぬ……」

 寒々とした母屋に、冬風が一陣差し入る。正倉院御物(ぎょぶつ)に値するとも評された、瀟灑しょうしゃ美人像は二度と組み上げられぬよう、破片を(さら)われた。そして残されたのは、次郎とらうたげな顔を覗かせて眠るもなかであった。

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