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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
20/45

寄り合い

「では、行って参りまする」

 門前で、次郎はもなかを見送った。なんでも、西京の寄り合いだと言う。見るからに、面倒顔である。普段からやおら歩くが、今は牛のように遅い。

「太郎どの。先に申したよう、錦糸(きんし)を求めるをな忘れそ。明日は市が変わる日、そちらには良さげなのは置いておらぬから、今日行きたべ」

「わかりました」

 そう残すと、再び歩き出すが――

「昨日(しょう)が、わけのわからぬ女に言い掛けられた所ぞ」

「わかっておりますから、はや〳〵」

 次郎がそう返すと、三度もなかは歩き出すが――

「まことにわかっておるか? そもじは鳥頭で、させる能もおはせねば――」

「左様に行きとうないなら、俺が代わりに――」

「ほ。なでふ稚児(ちご)扱いされねばならぬ?」

 なぜなら汝は女童にあらずや、と次郎は思った。もなかはため息をついて、やっと出かけた。


 寄り合いは、里長(りちょう)の家で行われ、近傍(きんぼう)の者が集まって来る。ささらともなかは、俗世間から離れ、閑寂(かんじゃく)と過ごしてるのではない。尋常は人を寄せ付けぬが、かような座には出向いて、風俗の事〻を聞き入れた。

『来年の田畑は――』

『あそこの娘の病が――』

 格式ばった話し合いではないが、各〻(おのおの)に様〻な事を告げ遣る。もなかは、姿勢正しく居座り、おるかおらぬかわからぬ気配。話の輪に入れないし、入りとうもない。(そもそも)、ささら達とこれら人〻とでは、住む世が違った。この二人は、陰陽道を勤めとして、詩歌(しいか)や管弦などの貴族的な遊びを楽しむ。一方人〻は、日〻野良や商いに従事している。寄り合いでもない限り、両者が交わることはない。時間の感覚などは、生活の違いとして如実に現れる。ささら達は、一昼夜を十二等分する定刻法を使ったが、人〻は同じ昼でも、季節で長さが異なる不定刻法を使っていた。

 かようなことから、お互い寄り付き難き心を持っていたが、人〻に手に負えぬ沙汰が起こればささらを頼ったし、ささらも人を要する時は里長を頼って、解けそうで解けない(ちな)みはあった。無論、ささら本人は滅多に人前に出ず、もなかが中人(ちゅうじん)となったが。

 むさき男どもに囲まれ、聞き苦しき言の葉には耳を塞ぎとうなる。はや退かばやと念じ、人〻が席を立つのに紛れて――

『いとま申て』

 すら言わず、人知れず中座するのだが、今日ばかりは違った。やけに人の退き具合がよろしうない。さあれど、もう頃合いよと腰を浮かすと――

「もなか様、しばしお待ちを」

 と、ねび人の里長が引き留めた。

「はて? 何でありましょう?」

「もなか様は、引歌(ひきうた)殿はご存知でありましょうか?」

「そのお方は――そよや、昨年か一昨年前に、お眠りなされたのでは?」

「左様であります。その引歌殿が隠居しておった館に、ちと厄介が起こりましてな」

「ほ」

 陰陽道を(もっぱ)らとする者が聞くと、“厄介”の言葉だけで、何のことかピンと来る。

「かかる沙汰は、ささら様に申し上げて――」

余所(よそ)の方は、輿(こし)にお乗りになって、羅城(らじょう)を出ていかれたではないですか。わしらにはわかりませぬが、当分お戻りにならないでしょう? こは片時(へんじ)も早うお願いしたいのです」

 (せち)に申す里長の翁が、もなかの逃げ道を塞ぐ。せむかたなく、もなかは今一度座り直した。

「引歌殿には、先の右大臣様より賜わった、三彩(さんさい)をお持ちでしてな。瀟灑(しょうしゃ)美人像とか呼ばれる像であります。なんでも正倉院御物(ぎょぶつ)に値するほどの逸品(いっぴん)で、引歌殿は生前『来世まで持て行く』とおっしゃっておりまして――」

 はぁ……と、もなかは小さなため息ひとつ。はや厄介(ざね)とやらを、申してくれぬかと呆れた。

「その引歌殿には、二人の子息がいらっしゃって、これまた仲の悪うございました。あの方が耄碌(もうろく)になられると、(むすめ)に押し付けて、金目の物を奪い合うようになり申した。兄弟共に、父君の墓を建て『供養とする』と託けて、その立像を奪おうとしているのです」

「あいや、話の見えませぬな。左様の沙汰(さた)は、(しょう)にはあらじ、問注所(もんちゅうじょ)にでも申し立てれば宜しくて?」

「厄介はここからなのです。引歌殿は、その立像をお隠して世を去りました。子息二人に、もはや争わぬよう、探し出してはならぬと。一度は和解して、父君の前で約したものの、お互い密か探し当てるのではないかと、疑心暗鬼になった子息らは、夜な夜な館に人をやって、探させているのです。そして、その館には“出る”とのことで、困っております」

「ほ。そのようなのは、放っておけばいいのでは?」

「そが難儀(なんぎ)でして。わしらは、館に入らねば何もありませぬからな。頭を痛めているのは、霊ではなく、人〻の方であります。夜はおろか、昼までやくざ者、ゴロツキ、はては平氏の者までうろつき始めて、近傍に迷惑を振りまいております。強盗は当たり前、手持ち無沙汰に切り付けられることもありました。挙げ句の果てには、引歌殿の館に入って、戻ってこなくなった者を尋ね当てよと脅されて……」

 もなかは、周りの人〻を見る。どれもこれも沈痛の面持ち。先程までさまざまな話が交わされていた寄り合いは、今や通夜の様相であった。寄り集まる熱で、暑苦しく覚えていたが、初冬の冷たき風が飛び込む。

「うべ。引き(したた)めると、貴殿らはならず者どもを何とかしたいが、大元が引歌どのの子息ゆえ、如何ともしがたい。その像を、西京の外へやらば、兄弟の(いさか)いも他人事。されど、その像は霊の潜む館にあるので、(しょう)に退散調伏せよ、かように申すのであるな?」

「いかにも、いかにも」

「……」

 人〻に緊張が走る。もなかの切れ長の目に、陰陽家らしい底冷たい眼光があった。白い禿(かむろ)と相まり、そら恐ろしと覚える。常には、気味(きび)悪い女童と敬遠しているが、こう霊が出たならば究竟(くっきょう)よ、とばかり言い掛けたが、いかに思し召さん?

「あいや、もなか様⁉︎」

「いさとよ」

 と云程こそあれ、もなかはつと立ち上がり、しず〳〵家を後にした。こは腹痛うなされたか? 人〻が、里長の方を向く。

「あは(うけが)へなさったわ。さあらば、報をしたためまうけなければならん」

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