表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
2/44

土大根

「この恩、どう申してよいのやら……」

 ()る男が、影法師の次郎の前でぬかずいた。聞けば、やんごとなき方の 殿人(とのびと)と言う。次郎が四条を逍遥(しょうよう)しつる折、京童部(きょうわらべ)が、この男を隈に鎖し籠めていた。次郎がしら杖で、事も無く打ち調じていると、その一人が殿人の唐櫃(からひつ)を押し取って、駆け出した。

『しまった、なんたる抜かり……』

 人の参り集う路地で、次郎は倒懸(とうけん)の印を結び、その京童部を片足首から宙吊りにした。験力(げんりき)を衆目に晒すべきではなかったと、今更驚いた。唐櫃が落つると、殿人は慌てて取り返す。印を解くと京童は落ち、脇目も振らず遁走(とんそう)した。

「いづらの寺の、いかなる僧でありますか?」

「いえ、野僧(やそう)はつまらぬ山の、味噌すり坊主であります」

「せめて、御戒名(かいみょう)だけでも……」

 次郎は、野次馬の目を避けるべく、何も言わずその場を立ち去った。

『ゆめ用心なされ――』

 代官の言葉をふと思い出す。

『都の民は、まこと物見高き人々ぞ。火事が起こると見物に群れ、喧嘩があれば辻に立ち、人の冠婚葬祭に見惚れ、野良犬の交接にもすぐ立ち群がる。法師の“影”なんど見せれば、なんと言わるることやら……』


「さて、どうしたものか……」

 次郎は歩きながら考えた。先の運上(うんじょう)は、障りなく京庫に収めた。後日、大内裏(だいだいり)に向かうと、不思議のことかな、郁芳(いくほう)門間際には、数多の荷と人々が座っていた。

『あはな御房、こはいたう(こう)じましたぞ』

 (はなだ)(ほう)の代官が、指貫(さしぬき)(そば)取ってやって来た。

『そもじに約しておった、代が報えぬ。いかに思ほし始めるにか存ぜぬが、関白殿が「徴税のあり方を、延喜(えんき)天暦(てんりゃく)の古風に(ただ)せ」と仰せられての。上達部(かんだちめ)らが、博士に先規(せんぎ)を尋ねさせることから始まっておる。昨今は官庫収納も沙汰速やかであったが、昔日(せきじつ)に復すとなると、相当な日数を要すること必定よ。加えて、手違いが起こったらもう……考えとうない』

『して、いつ頃目処が立ちます?』

『それがわからぬから困っておる。税を取らるる者はおろか、取る者だにわからぬからの。余剰物を(いちぐら)に卸売って、それを代にせんと思うておったが、ご覧の通り、検納すら始まらぬ。国〻の倉はもちろん、門から大炊寮(おおいりょう)まで、足の踏み処もない有様よ』

 代官は頭を抱えた。京都までの道中、多少の事が起こっても、ゆゆしく大様なる風を崩さなかったが、今はどこにもその姿は無かった。

『……致し方ありませぬな』

『まこと申し訳が立たぬ。差し当たり、露ばかりであるが、これを受け取りなされ。残りは工面しておきますぞ』

 そう残すと、代官は忙しく門内に入っていった。こは当分、歌を詠む気にもなれますまい。次郎は、後姿の代官を見てそう思った。

 影法師に頼んだ挙句、謝礼せぬまま行方(くら)ましたり、難癖つけて額を減らしたりする輩は少なからずいる。しかしあの代官には、かかる薄汚さや強欲さは感じなかった。


 ふと気づけば、次郎は京の場末(ばすゑ)にいた。人家もまばら、既に刈り取られた田が広がっている。炉端の岩に腰掛けて、土大根(つちおおね)(かじ)る。

「苦い……」

 なにより食物の策を巡らせねば、今の手持ちでは心許ない。腕っぷしに頼って事を為したいが、得体の知れぬ小僧が目立つわけにもいかぬ。托鉢でもするか? それとも国に帰るべきか? そうする前に都の様子や山川の景色などを、写生しなければ。帰山してから清書し、他の影法師の見聞とするためである。

「寝る場所はいかがせん……」

 よい匂袋を持たぬなら、草むらで旅寝するなと戒められていた。毒虫がいるからだ。季節によって、毒を持つ虫もいる。蚊、虻、蜂、(ひる)斑猫(はんみょう)には特に気を配る必要がある。もう秋だが、次郎は京畿(けいき)の博物には疎い。

 一陣の風がやけに寒く、破れの浄衣と圓頂(えんちょう)に染みる。わなわなと身体を震わせた。

(つづ)り刺せ」

 促すように、野原からそう聞こえてくる。先の見えぬ身に、次郎は不安を抱いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ