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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
19/44

留守

 ある朝ささらは、荷前使(のさきのつかい)として、余所殿(よそどの)を出立した。門外に待たせてあった手輿(てこし)に乗ると、力者(りきしゃ)(うやうや)しく持ち上げ、あけぼの美しい林に消えて行く。

 もなかは、次郎と共に門前で見送った。ほ、輿が出た途端、こやつは体を揺り始めおったわ。よほど肌冷えると見ゆる。ふと草葉に目を凝らすと、初霜が置かれてあった。(しょう)()まぬ身ゆえ、今更気付いたが、いよいよ冬の気を催すか……長かったの。

「う〜寒む〴〵。もう入りましょうぞ」

 身を縮めた次郎は、そそくさと門内に帰った。もなかは、その背中を見守る。こやつが参ってから、ささら様はお変わりになられた。以前は顔を見られとうないと、何かと出仕(しゅっし)を渋っておられたが、()(ほど)は、ようお出かけになる。

 (しょう)(つぶさ)に知らねど、あやつの法兄と聞く法円どのではないか? その人が(ぬえ)にやられたと耳驚かした夜から、ささら様は端居(はしゐ)して、九国の空方をお眺めになる。また、(しょう)に言いつけることもなく、(やしろ)に籠り居て、独り儀式をお執りなることもしばしば。

「もなかさん?」

「……ただいま」

 ささら様の胸中まで察することはなりませぬが、お気を紛らわせるため、事に出られるのでしょうな。良きかな、悪しきかな、(しょう)には判断のつきませぬ。


 女主人が不在とて、朝の勤めに変わりはない。次郎は十地(じっち)読誦(どくじゅ)するを朝の業とする。そして雑舎にあった木太刀(きだち)を、坪の霜を払うかのように振るう。その後、(ひさし)などの浄巾(じょうきん)がけに走り回る。ささらが起居(ききょ)する本殿、社、もなかの(つぼね)などは、男子禁制なので、あの女童(めわらべ)がやる。

 それが終わると、次郎は坪を払い、もなかは閼伽棚 (あかだな)や仏前に花や水を(そなえ)る。姿の見えぬ時は、今日の吉凶でも占っているのだろう。

「これっ! 随分ゆるりとしておるではないかっ! はや〳〵終わらせよっ!」

 塵芥(ちりあくた)をかき集めていると、本殿から催促が飛んだ。全くこうるさい女童よ、次郎は舌打ちする。さては、ささら様のお留守を良いことに、好き勝手やるにござんなれ。

 日も登った頃になると、物よそへに取り掛かる。次郎は、味噌、芋ガラ、平茸(ひらたけ)をかきまぜた雑炊、(こう)の物、甘栗を膳に載せて、もなかに差し上げた。

『この程度で、腹が膨れる不思議さよ』

 毎日そう思う。次郎も同じ物を食らうが、山育ちの修行僧ゆえ、(しお)味は強う、もなかの倍以上は平らげた。それにしても、ささら様がおらぬだけで、館が空の如く覚える。あのお方の為人(ひととなり)は、おるかおらぬかわからぬほど、か細く儚げだ。しかしその霊圧は、幽玄(ゆうげん)とでも言うべきか、館のどこにいてもひしと感じる。

 次郎は、本殿を眺めた。陰陽家は怪しい呪物(じゅぶつ)が掲げられ、陰気臭く、式の神が(うごめ)く館に住んでおると誤解していた。確かに呪物はあり、風水や何くれの跡もあり、尋常より奇怪ではある。しかし掃部(かもん)もかくやと、俺がやらされるので、築土(ついぢ)も南庭も館も小綺麗だ。

『風をよう通したも。邪気を溜めてはなりませぬ』

 もなかさんは、毎日のように申す。今も、上蔀(うわしとみ)を留めておる。ははは、(たけ)が足らんので、一心に背伸びしておるわ。声を殺して次郎が笑うと、遠くでも気付いたのか、もなかはきっと睨みつけた。


「これ、遅れるでない」

 と振り返りざまに、もなかが(いさ)める。人々の雑沓(ざっとう)する七条で、二人で買い出しに来た際、次郎は米や菜などしこたま(・・・・)詰まった(かたみ)を背負わされた。足下おぼつかなく、やっとのことでもなかについていく。

「ほ。これが音に聞く(なにがし)法師か? 大力の者と思うておったが」

鶉餅(うずらもち)餅腅(へいだん)糫餅(まがり)索餅(むぎなわ)捻頭(むぎかた)、卵餅、饆饠(ひちら)、落雁に觀喜團(かんきだん)まで……はて? 他にも、ようお買いになられましたな。重くてしかたありませぬ。一体どこぞの御腹に納められるのか、野僧にはてんでわかりませ――あ痛っ!」

 紅潮したもなかが足を踏みつけた。次郎はふらつき、積んであった物がこぼれ落ちる。

「ほっ!」

 次郎に一踏与えたもなかは、プイとして、ずんずか歩いて行った。『何事ぞ、この女童と小僧、腹立ちたまへるか?』と周りの人々が驚きあきれた。次郎はかぶりを振って、落ちた唐菓子などを拾い集める。全く、ささら様がおらぬからと言って、これでもかと菓子を買いおって……。

 筐を再び背負うと、とうにもなかの姿は見えなくなっていた。しかし、掲焉(けちえん)(あらわ)れたる白毛と白肌、糊の気残る(ちはや)姿は、どこにいようがわかってしまう。

「や?」

 次郎が先を見ると、白子の女童は、見知らぬ女より懇願されていた。ただやはりというか、もなかはいみじう憎げに、『いね、いね』と野良犬でも追い払うように手を振った。女が手を擦って拝んでも、けんもほろろである。

「どうか、どうか! 父の無念をば――」

「ええい、しつこい!」

「こはいかに?」

 次郎が追いついて物問うた。もなかは、見向きもせずに歩き出す。

「あひしらひさせそ」

 こう素っ気ない。この壮年の女は物乞いにもあらじ、されど人目を気にせず、地に額をついて何やら申しているが、冷酷にももなかは去っていく。次郎は後ろを気にしつつ、その後を追った。

「さればこそ。怪異や不思議の沙汰を、(しょう)に押し付けんとする輩よ。あの類は無きになすのがよろしくて」

「しかし、あは尋常なき様子でしたが?」

「ほ。太郎どのは知らねど、(しょう)らは、気味悪いと疎まれること多くてな。それが、いざ自らに事が起これば、あの様よ。それに怪異の類は、浜の真砂(まさご)(しょう)らが全て祓うわけがありましょうか」

 後ろからの寒風に、あの女の泣き()が乗って届いた。次郎は、居心地が悪くなっていた。

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