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かげほうし  作者: 海堂ユンイッヒ
18/44

「これっ! 太郎どのっ! いかにや今までっ! 門にな入りそっ! 外様(ほかざま)に立たれよ!」

 暗れ塞たがる時分、余所殿(よそどの)に帰ってきた次郎に、もなかが叫ぶ。その声はあまりにも鋭く(とよ)んで、林の鳥が飛び立つ。何が何だかわからず、次郎がたじろいでいると――

「だから外に出よと申すに! (けが)らひを持ち込んではなりませぬっ!」

 この小女房は白毛を怒らして立てた。なんすれぞ、さこそ逆鱗すれ? 門外へ追い出された次郎に、もなかは何やら呪文ささめき、(しお)を振り掛ける。

「俺が帰ったのが、ようわかりましたな。座を蹴っておはし――すわっ、べべべ――」

「さこそ死臭を打ち撒けば、千里の先でも空に知りまする。さては血忌日(けこにち)に殺生を成しましたな?」

 もなかは、一掴みの鹽を次郎の顔に浴びせた。あの山姥(やまうば)の死臭が、まだまとわりついておったか。俺自身はいつもと変わらぬが、やはりこの白子――陰陽の人ゆえか、何かと感する事多々あるのか。

「……もう入ってよろしいでしょうか?」

「ささら様が、そもじを召しておられる。今よりお湯引きて、身を清めてから上りたべ」

「また風呂ですか? 俺は好きではござらんのに……」

「ほ。何条(なんじょう)仔細を申ぞ」


 先程までの鼠色した厚雲は、何処へ吹き流されたのか、星々が綺羅(きら)と輝き、月影もまた涼しく館を照らす。小綺麗になった白丁(はくちょう)姿の次郎は簀子(すのこ)に、もなかは(ひさし)に、そして主人のささらは、御簾(みす)隔てた母屋の端に、高麗端(こうらいべり)のいと清らなる畳をうち敷きて座っていた。

「悩み人への芳心(ほうしん)、まこと大儀でありました。されど、念無き様になりぬめり」

「は」

 次郎は、頭を下げたまま(いら)へる。不思議のことかな。住ノ江(すみのゑ)の夫を探しに、奈良山の廃集落に向かったなど、俺は委曲(つばら)かに申してもおらぬ。されど、なんでふこのお方は、全て見据えたる口吻(こうふん)なのか?

「太郎さん、さこそ堅くなありそね。頭を上げたも」

 軽く頭を上げる。かのお姿は、御簾の後ろの灯台によって、輪郭しかわからないが、椿の香は強く鼻を(くすぐ)る。

「もなか」

「を」

「簾を放ちたも」

「は!? し、しかし……」

「放ちたも」

 二度も仰せ付けられたもなかは、戸惑いながらも御簾をゆっくり上げた。その際、次郎の方を睨む。『目は下に伏せ、顔のほどは見奉るな』と言わんばかりであった。

「これで、あなたのお顔がよく見えます」

 はんなりと(わら)う余所の方は、檜扇(ひおうぎ)すら下ろしていた。次郎は、つくづくと見奉る。いみじう長くなる黒髪に引眉、ふっくらとした頬、小さな鉤鼻(かぎばな)、白き(はだへ)。これが都好みの佳人なのか……。このお方は(そぞ)ろ神の悪巫山戯(ふざけ)で、国を傾けるほどの美人に変えられたと聞いた。なので、その顔を見た男は、すべからく恋に落ちるという。

『陰陽道の女なんど、狢狸(むじなたぬき)と等しう眉唾よ!』

 こう言ひ落とす公卿ですら、ささらの顔をほのかに見た夜には、豪華絢爛に拵えた恋文を送ってきたとか。恥ぢしらふささらは、檜扇で顔を隠し、出仕も渋るようになった。するとどうだ、見えないものは一層見たい欲に駆られ、ささらが陰陽寮(おんみょうりょう)におはすと聞けば、(かき)に穴を開け、築地(ついじ)に登って覗き見せんとする輩が後を絶たなかった。

 しかし次郎は、色恋知らぬ小僧。長く霊山に遊び慣れておったせいか、『これなん都美人』と示されても心得で、むしろ風変わりと覚えた。宮廷の男心を惑わす(そぞ)ろ神も、次郎には無力だった。

「さればこそ。わたくしが申した通りじゃない。太郎さんは大丈夫と」

「ほ」

 ささらは、もなかに如法(にょほう)と咲う。もなかは体面悪くぷいとする。何やら、俺のことを話し合ったようだが、つゆほどもわからない。

「太郎さん」

「は」

「わたくしを余所の方と呼ぶのは止めたも」

「そは(おそ)れ多き事」

「あなたはもう館の人。その内人から“余所の方”と呼ばれるのは、不思議なことです」

「では、なんと呼び申し上げたら……?」

「ささらで構いません。心配は無用です、こは実名にありませぬ」

 次郎は余所の方で良かったが、ささら様がさこそ仰ればせむかたなしと、姿勢を正し、仰せのままにと申し上げた。

「そして、もう濡れ縁に座らなくてよろしい。廂までお上りなさい」

 そこまで催促される次郎は鼻白む。なぜなら、廂でささらの心もわからず、驚き呆れているもなかがいるからだ。同じ座まで上ると、またいかなる小言を言われることやら。

「あいや、そればかりはちと……」

「ほっ! とう〳〵上られよ!」

 次郎の遠慮に気付いたもなかは、こう言い放ちて蜂吹く。げにげにと無言で促す余所の――いやささら様も相まって、次郎は止むを得ずそうしたが、押し上がるようで、まこと居心地が悪かった。

「これは、いとさにあらず。あやにくに面嫌ひする程なればこそ」

「ささら様!」

 茶化すささらに、顔を紅にして申し立てるもなか。次郎は何て申せば良いかてんでわからず、姿勢を正して、目を瞑っていた。

「さて、二人に申しておくことがあります。わたくしは、荷前(のさき)の命を仕りました」

『のさき……なんぞそは?』

「歴代の山陵(さんりょう)外戚墓(がいせきぼ)に、当年の調の初物を献上する儀式ぞ」

 わけのわからぬ次郎の顔を見たもなかが、横から口入(くにゅう)する。そしてささらの方を向き――

「にわかにささら様が補されるとは、余程人にお困りのようで」

「ちょうど神吉日(かみよしにち)も近くなりますので、それに合わせて発ちます」

「はて? さあれどそは十二月……大神祭と立春の間の吉日を占って行うのではありませぬか?」

「極月は寮も事繁くなるゆえ、今の月で、しかも略儀で良しと仰つかりました」

「ほ。それで兆域(ちょういき)の霊が、お暴れいたさねば良いが」

 あいも変わらず、わけがわからぬ次郎を見たささらは、付け加える。

「もともと、荷前(のさき)は、土師宿禰(はしのすくね)が奉っておりましたが、凶儀に携わるのを忌避(きひ)して、その職を返上し、それからは官人の事となりました。ただ陵墓(りょうぼ)嫌忌(けんき)する慣ひは中々消えず、しかも令制も弛緩しておりますので、荷前使(のさきのつかい)の不参欠怠(けたい)が当然となっています」

 だったら廃止してしまえば良かろうて。そう次郎は思った。しかし、それを言い出した人に、兆域の霊とやらが、いかほど怒り出すか。

「わたくしは、土師の女でも加茂の女でもありませぬが、荷前たつなどぞ、あはれにやんごとなき命として承ります」

 ささらは最近、夜空を眺めることが多い。その時に、天文の(ともがら)が申すよう、凶星が東方に一つ二つと増えている。確か否か知らねど、大祖(おおおや)を蔑ろにする我らへの凶兆ではないか? 天変地異の前触れではないか? そう考えるのである。

「それゆえ……もなか、太郎さん。しばしの間、留守を頼みます。まあこんな所に、下る人はいないでしょうが」

「ほ。聞いたか法師どの? 今度は好き勝手に出て行くなと言うことぞ」

「は」

 ささらはそのような裏を含めたわけではないが、次郎が留守の間、全ての雑用を担ったもなかが、ここぞとばかりに言いつけた。ささらのことを知らぬ次郎は、恥ずかしさのあまり頭を下げてしまった。

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