高砂
奈良坂。ここは山城との境で、交通の要所である。税を納め国に帰る運上、長谷詣と思しき輿の女房一行、そして回遊僧を装う次郎もいた。関近傍に検非所を見ると、托鉢をしつつ、人の出入りを見守った。笠をちょいと上げて――
「やはり高砂殿は詰めておらぬか?」
住ノ江より人相を伺っていたが、かようなお人は見えず。はて、いかがせん? 門を潜って、『高砂殿は、いかがはべりつらん?』と物問うても、どうせ邪険に扱われるのは明らか。あの放免からも――
『某も詳らかに知らねど、こはただ事あらじと覚えまする。ちとご戒意を要しましょう』
と用心を促されていた。そこで一旦夜が更けるのを待ち、そこから事を起こすことにした。
「さあらば、腹支度せねばな……」
と笈を下ろし岩に腰掛け、竹皮から屯食、腊、漬物を取り出した。
「うう、寒む寒む。山はよう冷えるの」
麻衾を被った次郎が、手を擦る。すでに夜半、もう頃合いだろう。坂には誰もおらず、不気味に闇が垂れ込めている。足早に検非所に向かうと、門前に篝が灯されていた。物見するに足らず。葦垣は綻ぶこと数多、いづ方より入れそうだ。それに宿直の者どもも、弛緩しているに違いない。天下広しと言え、どこの物取りが、ここに押し入ろうというのか。
「やや?」
関に沙汰ありと聞こえたにやあらん、馬に跨りし検非違使と武士どもが駆け出して行く。門から差し覗くと、しんとして人の気配はしない。されど次郎は用心のため、裸足で音を忍ばせて進む。
「詰所の侍も船漕いでおるわ」
階下から覗くと、あやしき床敷きに瓮や瓶子がまろんでいた。武士がこの寒さの中、深酒して寝込んでしまったらしい。
坪から館に登っても、役人は見えず。やがて案主の文机と、櫃を取り据う房に入った。次郎はそれらを開け、一枚〳〵を片時電覧する。関を通る運上の改め、追捕物取、上意伝達で、高砂を記す文書はついぞ出でず。
「ちぃ、無駄骨よ……」
そろそろ潮時だ、先の検非違使一行が戻ってくるやもしれず。俺の足跡でも残せば、後々厄介となるであろう。役人などと馴れ〳〵しうなりとうない。
その時、文書と文書の間より、折り畳まれた紙背文書がハラリと落ちた。何ぞこは? 他は立派に漉かれた紙というに、内〻で書きつけられた粗末な回状が紛れておった。よく見れば人々の名が走り書きされて、なんと“高砂”の二文字も認めた。
「関より外し人々は、筆を止めて記すべからず。この為し様は他言を禁ず……か」
どうやら使庁との口上伝達で、余所者の次郎には露ほどもわからぬ。ただ“関より外し”、ここが高砂の跡を問う手がかりであった。