放免
「往ね往ね! こは坊にあらず!」
影法師の次郎は、野良犬のごと追い払われた。検非違使庁の置かれる左衛門府に向かうため、取次の門番に物を問うたが、宜なるかな。白丁姿の田舎小僧なんぞ、誰が取り合うものか。今は諸国から租庸調が登ってくる盛り、無頼漢が彷徨うゆえ治安も悪い。使もさぞかし事繁く、心を尖らせておろう。
その後、京中の使に『あいや高砂殿の、御行へや知りたる』と尋ねれば――
『高砂? さる者は知らぬ』
『はて、夏よりこの方見ぬお人よ』
などて、確かにそ人を見た者はいなかった。妻の住ノ江は、浮気なんどせぬお方と言っておったが、隠れて女通いする男なぞいくらでもいる。そう疑って、盛場で浮わついた使の話を求めたが、これも出てこない。
「せんかた無き有様よ」
次郎は途方に暮れた。ひょっとすると、人知れず死んでおるかもしれぬ。さあれば、跡求むのも能わ――
「あいや、こは味噌殿にあらずや!」
大路に響もすしゃがれ声に振り返ると、藍染の衣をきた髭勝ちの役人が、裾を持ち上げて駆けて来る。次郎がよく見ると――
「お主――あの武士崩れの頭領か? その姿は如何に?」
「左様で候。ある人より推挙を頂戴して、今は放免となっておりましての」
「をかしきことを申される。やくざ者が、検非違使の下部とな」
「ハハハ。放免は某のように、科を受けし者から選ばれるのです。今はもずに借銭を少しづつ返しております。して味噌殿はいかがなされた? 今しがた、使庁に田舎小僧が参った聞きましたが?」
次郎は、妻の住ノ江の頼みで、夫の検非違使である高砂を尋ねているが、今や跡はかなしと話した。
「ふむ。某が庁に出入りすること輓近で、左様な名はついぞ聞いた試しはありませぬな」
武士崩れの頭領――いや今や放免となった大男は、繁き顎髭に触れて考えた。次郎の前に立つと、聳え立つと言い表す方が適当である。
「そうか……」
「や? そのようなお顔をなさるな。いづ方か知らねど、奥方もさぞ心をすり減らしていらっしゃいましょうぞ。ここは一つ徳を積む機会、某にお任せあれ。なに、これでも使庁の端くれ。別当様の館にでも出向いて、話を聞くなり、文書を覗くなりして、高砂殿の跡を尋ねてみましょうぞ」
「おお、それは願ってもない」
万策尽きた次郎にとって、こは僥倖であった。まさか都のやくざ者から、このような報いを受けるとは。神仏が導く縁はどこに結ばれているか、今更ながら知られる不思議さである。
「某は今より、犯人追捕のため去らねばなりませぬ。事が見え次第、味噌殿にお伝えいたしましょう。しばししばし」
藍染にあらずんば、未だに悪党に見ゆる大男は、次郎に掌を合わせた後、京の人混みに紛れていった。