ティーネージ・シンドローム
「ティーネージ・シンドロームって知ってるかい?」
ある日の帰り道。
俺の隣で歩くガリ勉くんこと武内はふとそんな事を言い出した。
「なんだそれ?」
「ティーネージ・シンドローム。それは、僕らのような思春期が必ず一度はかかる病のことさ」
「へえ。どんなもんなんだい?」
「それがね、必ず親や周囲に反抗的になるんだとさ」
「そんなの当たり前じゃねえか。反抗期だろ」
「だがね、それを政府は病と認定したんだよ。そしてそれを治すべく、病院ができたんだ」
「病院……?」
「そうさ。だからね、僕らはこれから気を付けなくちゃならない。うっかりしたらそこに送られちゃうんだからね」
帰宅後俺は、少し気になって調べてみた。
そうしたらやっぱりあった。
「ティーネージ・シンドローム(十代症候群)が新たに認められる 〜教育が目的か、喜びの声相次ぐ〜」
嘘だ、と俺は思った。
この頃政府は言論統制を強めている。
一昔前では信じられなかった程の独裁政治。公の場での政府の批判は勿論、選挙権はあってないようなものになり、SNSなどは全て国の役人に監視されるようになった。
こんな世の中に抗おうとするのは若者だ。
プラカードを持ち、毎日毎日デモ行進する者。俺もその一人だった。
だが、
「そういう奴は牢獄同然の病院送り……」
記事によれば、そこで療養という名の性格矯正を受けるのだということ。
はぁ、と息を吐いて俺はネット記事を閉じた。
翌日、学校へ行くと武内の姿がなかった。
「おい、武内はどこだよ?」
俺が聴くと、後の席の奴は言った。
「デモして捕まったらしい。病院送りになったんだと」
驚きだった。あのガリ勉武内が?という驚きしかなかった。
だが先生からも同じ話があって、信じざるを得なくなった。
その日の昼休み、少し他生徒を脅して弁当を取り上げようとしていた不良男子が引きずられて行った。
こういうのも『教育』の為に病院へ連れて行かれるみたいだ。
クソ、俺は反吐が出そうなのをグッと堪えた。
間も無くして学校の生徒は半減した。
皆、『ティーネージ・シンドローム』らしい。思春期独特な行動だけじゃなく、口喧嘩なんていうことも症状の一部のようだった。
「ひでえよ!」
「放しやがれクソ野郎!」
喚きながら国の警備員に引きずられていくあいつらは、一体この先どうなるのか知れない。
すっかり人がまばらになった教室で、俺はその様子をただ茫然と見つめていた。
――その日はかなり熱っぽくて、だるかった。
「学校行きたくねえ……」
頑張れば登校できる程のだるさだが、友達が毎日悲鳴を上げながら連れ去られていくあの光景を今日も見るかと思うと辛くて立ち上がれない。
行きたくないと言ったら、母親は金切り声を上げた。
「ダメよ、行きなさい!」
行かないと殺されるわ、とでも言いたげに。いや、本当にそうなんだろうけど。
でも俺は行きたくないんだから仕方ない。
口論の末に、俺は部屋に逃げ戻った。
ゲームをして何もかもを忘れようとする。しかしすぐに、下の階から悲鳴が聞こえた。
「いやぁ、いやぁ!」
母親の声と、誰か知らぬ男たちの怒号。
それを聞いた途端俺は気付いた。あいつらが来てしまったんだと。
ドアが勢いよく開けられて、大柄な警備員が入って来た。
「藤森雄! 藤森雄いるか!」
俺と男の目が合う。男の目は、狂気的な色に光っていた。
「どうしたんですか警備員さん。俺は熱があるから……」
その瞬間、男が飛びかかってきて俺は押さえつけられた。
身悶えるがなすすべがない。
「藤森雄! ティーネージ・シンドロームに認定、治療のため数ヶ月の療養を命ずる!」
「お願い、連れてかないでぇ!」
後から聞こえる母の涙声。だが俺も母親もどうする事もできなかった。
「クソぅ……」
俺は間も無く車に乗せられて、病院へ向かった。
「あら。初めまして藤くん。私は院長の堀田です」
若い女が口紅だらけの唇を歪めて笑う。
これが噂のティーネージ・シンドローム治療院の院長なのか。
「…………」
沈黙していると、顔面に強い衝撃が走った。
なんと女がいきなり殴ってきたらしい。
「い、いってえなあ! 何してくれやがん」
今度は右脇腹に激痛が。気付くと女の細っこい足に回し蹴りされていた。
「しつけのなっていない子ですね。この病院に来る子は大抵みんなそう。だから私どもが教育するのですよ。さあ、あなたはEクラスですね。どうぞ院内へ」
院内は恐ろしい程の純白の空間の中、白衣を身に纏った少年少女が無表情で働いていた。
「この子たちは随分よくなったAクラスの子です。可愛いでしょう? もうすぐ退院なんですよ」
その中に、懐かしき武内の姿があった。
「あ、武内!」
叫んだ瞬間女に殴られ、俺はうめく。
一方の武内はこちらをチラリと見やると、「やあ」とボソリと呟き、すぐにどこかへ行ってしまった。
その瞳にかつての人間らしい色はなく、まるで死体のように思えた。
たった数ヶ月でこうなってしまうのか。俺は身震いせずにはいられない。
だが、
「さぁ、早く奥へ行きますよ」
奥の部屋には、さっきとは対照的に荒れ狂う獣のような声が響いていた。
ここがEクラス、重度の反抗者のクラスらしい。
「少し荒くれものだけど、安心して。日に日に大人しくなってるの。あなたもすぐに仲良くなれるわ」
女はそう言い残してどこかへ行ってしまった。
部屋の中に放り込まれた俺。倒れ込む俺だが、誰一人として俺など気にせずに気が狂ったかのように叫び続けている。
俺は耐え切れず耳を押さえた。だが声は消えない。
「ぎゃああああああ」
「出せ出せだせだせ出してくれよおおおお」
「神様あああああああああ」
気が狂いそうだ。俺もやかましい声を消そうと絶叫した。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
しかし叫んだところでこの地獄から脱せる筈もない。俺に許されたのは、涙を流すことだけだった。
数日後、俺はもう声が出なくなっていた。
生きている理由がない。死のうと何回も試みたが、その度に監視員に止められた。
死ねなかった。
耐え難い生き地獄で、もはやどうしていいかわからなくなっていた。
そんな中、院長の堀田がこんなことを言い出した。
「本日は皆さんに課題を与えようと思います。このクラスからの卒業試験その一です。皆さんがどんなけ偉くなったのか、試させて頂きますね」
試験の内容はこうだ。
「父に、母に、先祖に、そして我が魂に誓います。決して何にも抗わず、善良であることを」
などと、一日間飲まず食わずで唱えろというのだ。
そんなの普通考えて無理だった。だが、それをしないと生き地獄は続く。
それだけは嫌だったから、俺はやってみることに決めた。
結果から言ってやはり無理だった。
耐えられない。口の渇きに喘ぎ、あと少しというところで気絶してしまったのだ。
それからまた一週間ひどい悪意の中で心を無にしていなければならなかった。
だがこの日、また試験は行われる。
「頑張って下さいね」
唱え、唱え、唱え続ける。
こんなことに一体何の意味があるのかなんて分からない。唱え唱え唱え続けて唱えて喉が渇いて張り裂けても唱えて唱えて唱えて唱えて……。
「クリア!」
遠くでそんな声が聞こえた。
俺は今度もぶっ倒れた。
Eクラスは死ぬ思いでなんとか抜けられたものの、Dクラスはますますろくでもなかった。
真っ白な部屋に閉じ込められ、決して何も喋らずに十日を過ごすというこれまた地獄。
どこを見ても真っ白で気が狂いそうだ。何もない筈の壁に女の気味悪い笑顔がちらつき、変な声が聞こえたりと刻一刻と精神が蝕まれていっているのがわかった。
俺が一体、何をしたんだよ?
なんとか苦行を乗り切った頃には俺はげっそり痩せ、元々とは見違えるような体になってしまっていた。
心なんてもはやあるのかないのかわからない。警備員の後に続いてふらふらと千鳥足で歩いていると、堀田院長に出会った。
「うん。随分良くなってるわ。じゃあ次はちょっとお仕事をしてもらおうかしら。頑張れる?」
首を振っても殴られるだけ。俺はほとんど何も考えずに頷いた。
「いっらてっしゃい。頑張ってね」
Cクラス。そこは今までとは別の意味の地獄。
世の中のあらゆる汚物を処理したり、既に腐った廃棄食材を食べてロスを減らしたと表向き示したり。
誰も率先してやらないようなひどい仕事、いや、拷問を毎日やらされる。
文句一つ言った奴は前のクラスに戻されていたから、俺は黙って働くしかない。
それを一ヶ月やり続けて終わった頃には、俺は自分が人間だと思えなくなった。
「よくやったわね。偉いわ。次はBクラス。頑張れるかしら?」
Bクラス。そこの課題はただ一つ。
好きでもない女と体を重ね、子を孕ませる。そしてその女と子供が生まれるまでの間暮らせというのだ。
「最近少子化がひどいでしょう? だから私たちは子供の数を増やそうと頑張っているの。どう、楽しい?」
相手の女、堀田がそう言って笑う。
こんなクソ女と共にいて、面白い訳がない。
だがつまらないと答えたり、そぶりすらもこの地獄を長引かせることになりかねない。俺は作り笑いで「楽しいに決まっています」と答えてやった。
狭い監獄のような部屋の中での生活は続き、やがて俺と堀田の間に生まれた子供には何の愛情も感じなかった。
子供はすぐさまどこかの施設に送られて行ったらしい。
「次のAクラスで最後だから、せいぜい奮闘してね。じゃあ期待してるわ」
ウインクして堀田はどこかへ歩いて行った。
Aクラスの使命、それはティーネージ・シンドローム患者を見つけること。
警備員だけではとても手に負えなくなっていたらしく、俺ら治りかけとされている療養者にも反抗期狩りをさせるつもりでいるようだった。
俺はとうとう許せなくなった。
これ以上こんな地獄を見させるのか。
俺は試験の日、耐え切れずに脱走した。新たに同じ運命の人間をこの手で作るなんて俺にはできなかったから。
逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。
目指すは俺の家。なんだか凄く母に会いたくなったから。
そしてもう少しで辿り着くというその時、目の前に一人の少年が立っていた。
「やあ。久し振りだね」
ガリ勉くんこと武内だった。
あの日、俺が病院に入れられた時と同じ、いいやさらに虚無をたたえた表情で俺を見ていた。
「君はあんなに良い病院にいて、それでも治療できなかったのかな?」
「治療? ふざけてる、馬鹿げてる。あれのどこがちりょ」
腹を殴られ、俺はすっ転んだ。
「どうして……?」
「違反者はね、もっと重い治療がなされるんだ。だから君を連れ帰らなくちゃならない。僕はそういう仕事だからね」
あまりの痛みの遠のく意識の中、俺は思う。
普通じゃない。
それが最後だった。
目が覚めると、嘘のように気持ち良かった。
身を起こし、周りをぐるっと見回す。ああここは病院か。それにしてもスッキリした気分だな。
「手術終わりました。ご気分はいかがでしょう?」
見たこともない医師が笑いかけてくる。俺はそいつに朗らかに言った。
「なんだか心が軽いっていうか、今までのことが嘘みたいっすよ!」
話によると、俺はあれから武内に病院に連れ戻され、とある手術を受けたらしい。
そのおかげで俺はまともに戻れた。
あの修行を嫌がっていた俺が馬鹿みたいだ。これからはもっと真っ当に生きようと思った。
無事に退院した俺は母親の元に戻ってきた。が、「すっかり変わってしまった」と言われた。
「そりゃそうだ。母さん、俺はね、まともな人間になったんだよ」
母は悲しそうな笑顔で頷いた。
俺の知る由もないことだが、規則に違反したティーネージ・シンドローム患者は脳手術を受け、性格が歪んでしまうのだという。
普通はありえぬ方向へ歪んだそれは二度と戻らない。
この先多くのそういった人間がどういう社会を作り上げていくのかは知れない。だが、確実に言えるのは、きっとそれは不幸への道に違いないということだ。