付記1 -圷小春人氏の手記-
この文章は、本来ならば博士論文として編纂し、提出をする予定だったが、想定していた通りの定量的データを得る機会を逸した為、手記として残す事にした。従って、ここに記す内容は全て私の主観的な仮説であり、学術的な価値はない事を予め断っておきたい。その為、調査したデータの一切をここには記述しない。
まず、私は当初からこの島の地質に興味を持っていた訳ではない。元々、噴火に伴う地震についての研究を進めていた所、活火山であるこの島に辿り着いた。学部時代はプレート地震を研究しており、和達―ベニオフ帯やホッサマグナなどの調査をしていたが、修士課程に入ってから火山性地震に分野を絞ったのだ。
島で前回の火山が起こったのは室町時代あたりだと予測されている。文献に殆ど残っておらず、まともな調査もされてこなかった為、まずは地層から年代測定を始める必要があったが、それだけ研究対象としてこの島は手つかずであったのだ。前回の噴火から時間が経っている為、運が良ければ火山性地震を実際に計測できるのではないか、という期待もあった(実際、傾斜計設置の提言も行った)。
地質を調べていく上で、阻害要因がいくつも存在した。これは、この島の調査が今までにおいて殆ど進んでいなかった事の大きな原因だと私は理解している。最も私を苛立たせたのは、島の中心である火山、即ち人形山が、厳重に立ち入り禁止とされていた事だ。役場に頼み込んでも一切の許可がでなかった。その理由を訊いても回答を数ヵ月以上も待たされるばかりで、結局、明快な理由を得る事はできなかった。それで私は独自に調査を進めたところ、以下の事が解った。
・人形山は、国有地として管理されている
・管理における実務を任されているのは町役場ではなく、麓の神社(古杜家という家系が代々神主を勤めている)である
なぜ、神社が山を管理しているのか。それは当初、よく解らなかった。山自体が御神体なのかもしれないし、神隠しなどの伝説があり人命が奪われた過去があったからかもしれない。私はやむを得ず、数回に渡り、闇夜に紛れて人形山に忍び込み、複数個所の地質サンプルを入手した。
採取したサンプルを分析したところ、この山が日本の他の土地の地質と明確に異なる点を、私は発見した。特に山頂に近いサンプルに顕著だったのだが、この山の土は、微量の二酸化ウラン、ラジウム、トリウムを含有しているのだ。私は、この島の内部全体が巨大なピッチブレンドを成しているのではないかと仮説を立てた。つまり、莫大なウラン鉱床が眠っている可能性がある。
私はこの仮説をより堅強なものとするため、本土からガイガー計数管を持参する事を決めた。人形山の複数個所の放射線量を測定できれば、この山の来歴がより明確化できると思ったからだ。特に、ウラン資源はこの国にとって重要だ。もし充分な量のウランが掘削で採取でき、それが輸入よりも低コストに実現できるのであれば、非常に重要な鉱山資源を私は発見した事になる。当然、心がはやった。ところが、だ。ガイガー計数管の持ち込みは、禁止された。併せて、これ以上の調査は止めるように警告された。これは、次の二つの事を示している。一つは、既にこの国は、この島に重要な資源が眠っている事を認知している。二つは、裏返せば、この島の放射線量が測定を拒むほど高い事を示している。正直なところ、国家機密が絡むと耳にしたのは、ずっと後だった。そして、これが定量データを得られなかった最大の理由である。
もし、私にこれ以上の調査を進める方法があるとすれば、それは、この島で就職をし、この島に住民票を移す事しかないだろう。そこまでしてこの島の地質を暴く必要があるのか…今の私には解らない。
次に、私が調査の過程で気づいたこの島の不思議な風習について記す。人形山の地質と一部関連が見られるが、根拠は一切ない為、参考情報としたい。
この島には、コトリ祭という不思議な伝統の祭が存在している。毎年夏に執り行われるこのイベントは、島の人間の話によると、少なくとも数百年以上は続いているのだという。離島に奇祭が存在するのは、珍しい事ではない。神島のゲーター祭なんかはその代表例だろう。
コトリ祭の内容は珍妙だ。まず、藁で作った等身大の人形を用意する。そして、火を放つと同時に、その周りを三人の巫女が歌いながら踊る。なんと、そのうちの一人は男子であることが必須だという。つまり、巫女を偽装する。踊りが終われば、偽装巫女が自分の服を脱ぎ、火にくべる。そして、祭の終盤には島民が火に石を投げつけて消化するという。
このコトリ祭に関して、気になる情報がいくつかあった。まず、祭については人形山を管理する古杜家の神主が主催しているのだが、この古杜家は十六年に一度、その年に生まれた島の任意の女の子に対し、トリイコ、またはトリコという奇妙な名前を付けるという、今や人権侵害ともとれる風習が残っている。つまり、この島は古杜家が保護し続けている伝統に従い、共通認識としてそのような執り行いをしている。トリイコという言葉が何を意味するかは解らないが、コトリ祭の内容から、ある程度の意味が読み解ける。
まず、藁人形。私は、トリイコとはまさに、この藁人形の事だと考えている。藁人形は、前回の噴火の時に、山の怒りを納める人柱となった巫女を表している。つまり、トリイコとは、島の住民の為に犠牲になった巫女の事なのだ。これが人名だったのか、それとも役割に与えられた名前なのかは解らない。
次に、石を投げて消火をする、という行為。これは、噴火によって島中を覆った降灰の事ではないかと思われる。砂ではなく石を投げる、という事は火山弾あるいは火山礫であった可能性もあるが、もし人形山がウラン鉱であれば、降った石は強力な放射能を持っていた筈だ。恐らく、その影響で多くの島民が被害を受けたと思われる。となると、トリイコが担った仕事はひとつ。放射性物質である石の収集および処理だ。もし、こんな事を行えば、トリイコは短期間に大量の被爆をする事になる。ウランが崩壊してラジウム化したものは、硫化亜鉛や銅といった成分に衝突して自発光を生じるが、このような石がその主たる正体だとしたら、光る石は島民にとって、如何にも恐怖だったに違いない。また、もしラジウムを大量に吸収したとすると、トリイコ自体も体が発光を生じていた可能性は否定できない。
結論、トリイコとは、この島に舞い落ちた放射性物質の浄化を司る、人柱だったのだ。残念ながら、私はまだこの祭を実際に見る機会に恵まれていないが、もしいずれ関わる事があれば、この仮説に従って進行を見守る事としたい。
しかし、この仮説に則った場合、解決できないひとつの疑問が浮かび上がる。それは、何故この歴史的執り行いが、書物や石碑といった有形ではなく、祭という無形文化のみによって継承されてきたか、という事だ。もしトリイコが浄化の巫女だとしたら、その英雄的行動を讃えた石碑なり、墓碑なりあってもおかしくはない筈だ。しかし、この島の殆ど全ての人間は、そもそもトリイコの存在を知らないし、そんな建造物を見た事もないという。この不可思議な様相に論理的な回答を与える為には、やはり、トリイコが放射性物質の浄化を担っていた仮説を無視する事ができない。トリイコは、浄化の後、または浄化の最中において、苛酷な急性放射線症を発症した事は容易に想像ができる。放射能の知識がない当時の人々からすれば、これはトリイコが毒素を体内に取り入れ、濃縮しているからに見えたに違いない。浄化を終えて死んだトリイコの遺体を焼いてしまうと、放射性物質が空中に飛散する可能性がある。そこまで知ってかは想像の域を出ないが、であれば、土葬されたと考えるのが適当だろう。でも、どこに埋葬すればよいのか。町の近くでは、毒が染み出していずれ人々に害を与えるかもしれない。とすると、埋めるべき場所は、ただひとつ。人形山だ。できるだけ人里から遠ざけたかっただろうから山頂または噴火口内に埋葬したであろう事は容易に想像できる。人形山の土壌は場所にもよるが、特にラジウムの含有量が多い所では概ねアルカリ性なので、土葬でも骨が風化せずに残っている可能性は充分考えられる。もし、トリイコがその骨内に充分なラジウムを含有していれば、風化までは数百年を要するだろう。そして、今でもその骨は、発光し続けている可能性がある。なにしろ、ラジウムの半減期は千六百年にも及ぶ。もしこの仮説が本当であれば、人形山の山頂に登って石碑かなにかがないかを探してみたいし、トリイコの骨を掘り出して調査をしてみたいところだが、ガイガー計数管なしで山頂まで登る勇気もなければ、立ち入り禁止区域にこれ以上黙って入り込むことも困難だ。
もし、私の想定が正しければ、噴火は私が生きているうちに起こるだろう。その時に私に子供があるようであれば、この島に残る事は絶対に避けなければならない。
最後に、この島が国家機密たる理由の仮説を記す。
まず、この島から大量に採取できると思われるウランについてだ。この国にとっての、この島の位置づけ、つまり重要性を語る為には、第二次世界大戦時までさかのぼる必要がある。二號研究。これは理化学研究所の仁科博士の許で進められた、日本の原爆開発作戦の名前だ。それなりに知られた事実だと思われるが、戦時下において日本には少なくとも二つの原爆研究チームがあり、一説によるとアメリカのマンハッタン計画よりも開始時期は早かった。当時、日本は圧倒的に資源に乏しく、国家機密である原爆研究に要する炭素を得るために、配給の砂糖を使うほどだったと言われている。そんな国にとって、充分な量のウランを入手する事が、如何に困難であったか。日本は、同盟国のドイツからピッチブレンド抽出ウランの輸送を試みた。しかし、失敗。近隣国家の学生も総動員してウラン鉱山の開拓も行ったが、充分な開発資源を確保できなかった。結果、広島と長崎に原爆は投下された。当時日本で採用された、六フッ化ウランから熱拡散法で濃縮ウランを得るやりかたでは、どのみち原爆は作れなかったが、それ以降、国内でのウラン確保は国の重要課題として認識されたのは間違いがない。その中で、この島の奇妙な風習に気づいた人間が現れるのは時間の問題だったろう。つまり、この島で純国産のウランを確保できる事は、この国にとって国家保全上の重要事項なのだ。しかし、現代においては、本来、原子力発電所を常に稼働しておけばプルトニウムその他の原爆に必要な核物質が副産物として生成する。ゆえに、原発を稼働し続ける限りは、ウランは輸入物に頼っても問題はない。ここからは完全に想定だが、この国はいずれ全ての原発を止めた時の核物質調達について考えているのではないだろうか。原発が稼働していなければウラン輸入の理由がなくなり、軍事転用を恐れた国家が警戒し始めるのは当然の理だろう。となれば、国内で資源を確保しておくしかない。とはいえ、それを大々的に表沙汰にすることは到底できない。特に、もし人形山が噴火した場合、周辺の線量によってはその存在が海外に知られるリスクがある。だから、国はこの人権を無視した伝統にすがり続ける方針を選択するだろう。絶対に、知られてはいけない機密。先般の痛ましい同時多発テロ事件を受け、世界は今後ますます戦争情勢に突入していくだろう。遠くない未来に、この島のウランを実運用に乗せる可能性は否定しきれない。
以上、あくまでも私の仮説であり、何らかの定量的調査またはエビデンスに基づく検証は存在していない。だから、手記としてここに残す。また、恐らくこの文章は発見され次第、処分されてしまうだろう。したがって、島の高校の協力を得て、図書室の重要文書庫に寄贈する。
二〇〇二年 圷 小春人




