人形山 -6-
浄化の日程は、残り三日となった。ウミはもう、殆ど虫の息だった。
その日の浄化を終えた後、僕は、神主を社の外に呼び出した。まだ、ウミに聞かれたくなかったからだ。
僕は神主に、浄化が終わった後、最後にウミを連れて行きたい場所がある、と話した。
「連れて行きたい場所…ですか」神主は訝りながら言った。「それは、どこでしょうか」
その目は鋭かった。死んだあとも、ウミの遺体を決して自由にはさせない、という確固たる意志が感じられた。が、僕は鼻白んだりはしなかった。
「人形山の山頂です」はっきりと答えた。「山頂の神社にある巨石に、連れて行きたいんです」
神主は驚いたように目を見開いた。
「圷さん…あなたは、なぜその存在を…」
僕は一瞬、しまった、と思った。神主から、立ち入る事を禁止されていた区域だったからだ。でも、だからといって、今更どうって事でもない。
「一度、迷い込んで行ってしまった事があるんです。鳥居があって…その近くに、光る巨大な岩があったんです」
神主は目を逸らすと、暫く考えるように、沈黙した。冷や汗が僕の脇を伝うのが解った。
暫くして、神主は頷いた。
「解りました。でも、返答は明日、あるいは当日まで待ってください」
当日…? それは、何故だろうか。神主一人では、決められない、という事だろうか…。
検討をしてくれる、という事だったので、僕はそれ以上は食い下がらず、承諾した。
残り二日。浄化を始める前に、僕はウミに言った。
「今日の分が終われば、いよいよ、明日が最後だよ。本当に、本当によく頑張ったよね…」
ウミは、もう殆ど首を動かす事もできなかったが、視線で僕の顔を追うと、ゆっくりと頷いた。
「…痛みも…感じなくなっちゃった…」ウミが言った。「だから…もう…苦しくないよ…。もしか…する…と…わたし…もう死んじゃってるのか…な…。ユウくん…。わたし…生きてる…?」
僕は、恐らく既に殆ど見えていないウミの目でも解るように、大袈裟になんども首を縦に振った。
「ちゃんと生きてるよ。ちゃんと…生きてる」言葉が詰まった。「ウミが…ウミが、浄化を最後まで無事に終える事ができたら、もう、君は自由だ。今、神主さんにお願いしてるんだ。全部が終わったその時には、僕が、ウミに見たこともないような景色を見せてあげたいってね」
ウミは、もう表情を変えるだけの充分な筋肉が機能していなかったが、それでも微笑んで見せた。
「それ…って…。わたしの…花火…より…も…きれいな景色…?」
僕は、できるだけ大きな声を上げて、笑った。
「それは、ウミが実際に見て、判断して欲しいな」僕が言った。「どう? 行きたい? もう、僕が、ウミの気持ちを無視して、ウミをどうにかしようなんて勝手な事はしない。だから、ウミに決めて欲しいんだ」
ウミは目を閉じて、ふう、と大きく息をつくと、小さく頷いた。
「ユウ…くんが…連れて行ってくれるなら…どこへでも…一緒に…行くよ…。でも…えへへ…今度…は…失敗…しない…で…ね…」
僕はまた、何度も頷いた。
この日、浄化を行うウミは、安らかだった。痛みも、苦しみも、もう感覚が失われてしまっており、呻く事も、咳をする事もなかった。生きている証左とは何か、何が生きている事の定義なのかは、僕には解らない。ただ、そういったしがらみから、ウミが解放されつつあるのは、事実だった…。
浄化を終えた後、神主は僕を社の外に呼び出した。正直、僕はとても緊張した。ウミを山頂に連れて行くことすら、否定される可能性が充分にあったからだ。その場合…恐らく僕は、もう、無理してウミを連れて行く事はしないだろう。そして、その代わり…。
「ウミを…あの娘を、どうかお願いします」神主が言った。「明日、最後の浄化が終わったら、どうぞ、山頂に連れて行ってあげてください」
よかった…。認められた。
「ありがとうございます…」
僕は、深々と頭を下げた。
「でも、二つ約束をお願いします」神主が続けた。「一つに、あの娘が回復するという希望を持たないでください。山頂の岩の治癒効果は…私には解らない物です。二つに、山頂に登るのであれば、降りてくる時は圷さん、あなた一人であるという覚悟をしてください」
僕と神主は、暫く、無言で目線を合わせた。僕は、その言葉の意味や、同時に課せられた義務について、理解できていた。
ついに、最終日となった…。
この日、日中にウミとの面会が許され、暫く会っていなかったアメリや野辺、アスカが訪れた。とは言え、体に負担をかけては最後の浄化に障る可能性があったため、言葉を交わせたのは、いずれも一言、二言だけだった。アメリは始終泣いていたが、アスカは気丈だった。僕には意外だったのだが、恐らくアスカは、ウミが自分の為にバイトを続けていた事実を、知っていた。だからだろう、アスカはウミに、自分はお姉ちゃんみたいにならないから安心して、お姉ちゃんをこんなにした島なんて、すぐに出て行ってやるんだから、と伝えていた。ウミは、それで安心した様に微笑んだ。
夜、言ってしまえば、いつもの通りに、僕は燐光石の探索を終え、山を下りた。不思議な感覚だった。二ヵ月くらいの間だったけれど、こうして燐光石を採取しては、ウミの許に運ぶ。ウミは、いつも元気に僕を出迎えてくれる。お帰り、頑張ったね。そして、何事もなかったかのようにお互い学校に通う。そんな生活も、今日で終わりを告げるのだ。いつまでもこの状態が続けば、ウミは死なないんじゃないだろうか…そんな感覚に襲われた。本当は、こんな形ではなく、何気なく繰り返される当たり前の毎日が、そんな未来が、どこかにあった筈なんだ。
社に戻り、ウミの横に座ると、ウミは幾許か気力が回復しているように見えた。しかし、それはこれからの将来を生き抜くための気力なんかではなく、最後の浄化を終える為の物であることに、僕は気づいていた。
「いよいよ…さいご…だね」ウミが言った。「いままで…本当に…ありがとう…ね…」
僕は、燐光石を唇に乗せてよいものか、躊躇した。だって、この作業を始めたら、ウミは死んでしまう…。いや、そう決まっている訳ではないのは解ってるし、ウミが死ぬことについて、何度も独りよがりに抗ってきたけれど…。でも、やっぱり、乗せなきゃ…。本心かどうかは僕には解らない。けれど、ウミが、自分がトリイコであると知った時からずっと心に決めていた最終目標を、僕がどうにかしてはいけないんだ…。
僕は、一つずつ、ウミの唇に燐光石を当てた。呼吸に合わせて明滅する光は、まるでウミの命の灯だ。それも、静かに、少しずつ、消えていく…。消えていく…。




