手袋 -1-
自衛隊病院、という存在を、僕は初めて知った。ヘリコプターが施設の屋上に着陸すると、待機していた複数人の職員…隊員? によって、ウミは運ばれて行った。僕はヘリコプターから降ろされたまま、呆然とその様子を見ていたが、隊員の一人が、雨に濡れて風邪をひくことを気遣って、中に入るように指示してくれた。
僕は、病院内のどことも知れない待合スペースで、一人座ってウミの処置が終わるのを待った。手には、まだ、ウミの腕に斧を振り下ろした時の感触が残っていた。ウミに痛い思いをさせてしまった。彼女を一番まもらなければならない僕が、なんで彼女を傷つけるような事をしてしまったんだろうか…。いや、でも、やらなければウミは死んでいたかもしれないのだ。あの、ウミを蝕む燐光。間違いなく、燐光石の毒によるものだ。次、いつ、どんなタイミングで、あの光が彼女を殺すとも知れない…。
自然と、涙が溢れてきた。拭っても拭っても、止める事ができなかった。これは、何に対する涙だ? ウミが可哀想だから? 自分の弱さや、運命を呪ってか? このままでは、ウミは確実に死ぬ。もう、ここで浄化作業をやめさせないと、死ぬ。もし、それでもウミが、作業をやめる事を拒んだとしたら…。
ダメだ、悪い想像に取りつかれてしまう。何か、別の事を考えないと。手持ち無沙汰だ。鞄は学校に置いたままで出てきてしまったから、何も持っていない。せめて、編み物の続きでもできれば、気が紛れたかもしれないのに…。
随分経って、半袖の白衣を纏った若そうな医師が、僕のところにやって来た。自衛隊病院…という事は、こういう医者も隊員なんだろうか。
「まさか、自衛隊の病院で診てもらう事になるとは思いませんでした」僕が言った。「ウミは、無事でしょうか…?」
僕は、自分が今まで泣いていた事をできるだけ隠すように、目を強く瞑ってから、訊いた。
「あの娘も君も、大変だったね…。今は、落ち着いたよ。残念だけれど、切った腕は壊死が酷すぎて、元には戻せない…」
医師は僕の隣に腰かけると、ウミに施した治療内容について、簡潔に説明をしてくれた。斧で無理やり切っているので、健康な骨や肉まで潰れてしまっており、もう少し上の部分で再度切断をし直さなければならなかったらしい。麻酔も効いており、今は眠っているとの事だった。
僕は、逆に斧で切断をした前後の状況について、医者から色々と質問をされた。僕は、夏休み明けからウミの様子がおかしかった事、咳や肌荒れ、嘔吐があった事、斧で切断するときには、恐ろしい速度で壊死が展開していた事などを話した。
「自衛隊の人たちは、ウミの腕がどうしてあんな風になってしまったのかを、知っているのですか?」
僕が訊いた。医者は、無言で首を縦に振った。
「毒性の光る石の浄化に、君たちがあたっている、という話までは、実は知っているんだけれど、何故、僕達自衛隊員や警察、消防ではなく、君たちのような高校生にそんな危険な事をさせているのかは、知らない。逆に、君に訊きたいくらいだ」医者は、語気を強めて言ったが、そこで言葉を切った。「…ただね、それを訊いてはいけない、と上から言われているんだ」
それはどういう事だろうか…。ウミがこうして瀕死になっているのに、自衛隊の様な国の機関においても秘密にしなければならない事が、あるのだろうか。
「でも、それだと、ウミの状況が今後悪化したりしても、根治方法は解らない、という事になりますよね?」
「…残念だけれど、その通りだよ。今、君から教えてもらった症状を聞いても、要因が解らない。その光る石と言うのが、どういう毒を持っているのかが解らないとね…」
「血液検査は? 血液採取はしたんでしょう? 血液検査をすれば、どんな毒が要因か、解る筈では?」
医者はかぶりを振った。
「彼女に対する血液検査は禁止されている」
そんな…バカな。禁止する理由なんて、どこにも見当たらないじゃないか。なんて無責任ぶりだろうか。
「自衛隊なんて、国の重要な機関じゃないですか…! どうして、たった一人の女の子を救えないんですか?」
医者は、無言で僕の目を見つめてきた。
「済まない…。詳しい事は、本当に僕も知らないんだ。ただ、彼女が背負っているのは、たった一つの小さな島の運命だけではない、という事は、確かだと思う」
…え? 島の運命…なんと言った?
「それは…どういう意味ですか? 噴火はもうしていないし、燐光石はあの島にしか降っていないし…あの島以外の場所に、影響があるなんて…考えられない」
「あの島の事は、MSA協定における機密に指定されているそうだ。我々のような下っ端自衛官は当然詳細を知らない。もし知っていたとしても、機密を漏らせば自衛隊法に規定されている以上の罰を受ける事になるから、誰も本当の事は話さないと思うけれどね…」
「あの島が…国家機密…?」
全く意味不明だ。この人は、一体何を言っているんだろうか。それは…ウミはそれを知っていたのだろうか。僕だけが、何も知らないのだろうか。
茫然としている僕を尻目に、医者は椅子から立ち上がった。
「彼女は、何日かは入院になると思う。体調が回復次第、島に送っていくよ。その時は僕も一緒に島に渡り、彼女に何かあれば、治療にあたる。まあ、これ以上なにもなければ、出番はないけれどね…」
僕は、その日のうちに島に戻された。夜遅くだったが、学校には町医者が残っていてくれた。僕は、状況を彼に説明した。島が国家機密だ、という事も、隠さずに話した。保健教師が一緒だったら、絶対に話さなかったけれど。
「機密ねえ…」町医者は、煙草に火を点けながら言った。「こんな貧相な島に機密を持たなければならない国家ってのはどんなもんだろうな。しかも、その命運は、お前とあの娘の双肩にかかっている、って訳だ…」
「機密でもなんでも…この浄化作業を早くやめさせないと、ウミは確実に死んでしまう…」
町医者は、鼻を鳴らすと、空に向かって煙を吐き出した。
「キナ臭い話じゃないか。しかし、国が関わってくるとなると厄介だ。奴らにとっちゃ、浄化をやめてもらっては困るだろうからな」
僕は、荷物を教室に取りに戻ると、帰路についた。鞄に入れっぱなしになっていたスマホを確認すると、複数回のメッセンジャー経由の着信があった。…委員長だ。どうして? アメリが連絡をしたのか…。
僕は、夜道を歩きながら通話操作をし、スマホを耳に当てた。程なくして、委員長が出た。
「圷くん? 突然電話をして、ごめんね…。アメリから聞いたわ…。ウミちゃんの事…」
その言葉を聞いた瞬間、図らずも沸いて来た感情は、怒りだった…。
「…あんた、知ってたんだろ…?」
「…え?」
「巫女舞をした人間が燐光石の浄化をするって知ってて、僕とウミを指名したんだろ」
「……」
「ウミは…ウミは、右腕を切断しなければならなかったんだぞ…。それも、僕自身の手で…クソッ!」
「ごめんなさい、私、そんな事になるなんて思ってなかったから」
「古杜家の人間は全員、知っててやったんじゃないのかよ! 適当なタイミングで電話してきて、心配する振りをするんじゃねえよ! あんたは人殺しだ。もし、ウミが死んだら、あんたは人殺しだ!」
言って、僕は勢いで電話を切った。
僕は、スマホを地面に落とすと、両手で目を潰れるほど強く塞いで、泣いた。嗚咽が漏れて、漏れて、仕方がなかった。委員長にあたったところで、仕方がない、そんな事は解ってる。解ってるけれど、感情のやり場がどこにもないんだ。だって、燐光石を運んでウミの腕を壊死させたのも、少しずつウミを殺しているのも、他の誰でもない、僕自身なんだから…。誰よりも、僕が、ウミを殺しているんだ…。僕は…どうすればいいんだ…。きっと、ウミは帰ってきても、本人の意志では浄化作業をやめないだろう。神主も、やめる事を許さないに違いない。それが、本当に機密であれば、尚更だ。
ウミは数日間の入院を経て、島に戻ってきた。僕は、支えを失って風にたなびく、セーラー服の右袖から目をそらさずにはいられなかった…。ウミは、更に痩せ細った様に見えた。けれど、自分の足で歩く事ができていた…左右のバランスに慣れないのか、足取りは決して良くはなかったが…。体調は回復している様に見えた。そして、ウミは相変わらずだった。
「ユウくん、ただいま…だね」
言われて、僕は返す言葉が見つからなかった。何か言葉を発しようものなら、情けないけれど、泣いてしまうのではないかと思ったからだ。
「…うん…お帰り…」
僕は、小声で返事をした。そんな僕を見てか、ウミは、にひひ、と笑った。
「ちょっと、やだ。なんでユウくんの方が元気がないのよ。こうやってまた、お話ができたのに」
そうなんだよな…。この前、ウミとメッセンジャーをして、なんとなく気まずくなってから、ずっと会話をしてなかったんだよな…。なんてつまらない事で、ウミとの貴重な時間を無駄にしてしまったのだろうか…。
「…ごめん、腕の事…。僕、ウミをまもる、なんて言っておきながら、一番傷つけたのは…僕だったかもしれない」
僕の言葉に、ウミは、そうだよ、とっても痛かったんだからね、と言った。それから、クスクスと笑った。
「もうピアノが弾けなくなっちゃったんだから。ユウくんがかわりに練習しておいてよね」




