人形山 -2-
「出席番号、一番だよね」
入学式の後、体育館の入口で教科書一式を受け取って教室へ向かう道すがら、普段から早足の僕に後ろから駆け足で追いつく様にして並んで声をかけてきたのが、ウミだった。
「ええと、何だっけ…?」
「席順だよ。あいうえお順で、一番でしょ?」
ああ、そういう事か。そうか、気づかなかったけれど、僕は出席番号が一番になるのか。一学年ひとクラスしかないこの学校で、三年間、万事先頭で物事をやり遂げる運命かと思うと鼻白んでしまう。中学の頃は、前に二人もいたのに。
「それは参ったな。あまり目立ちたい性格じゃないんだけれどね」
ウミは、にひひ、と笑って見せた。
「キミの名前、何て読むの? 『あ』から始まるんだろうな、とは解るんだけれど…難しい苗字だよね」
確かに、僕の名前を無条件に読めた人間とはあまり出会った記憶がない。
「『あくつ』だよ」僕は、ウミにそう答えた。漢字では圷と書く。単純な文字なのに、読みは一筋縄ではない。「で、下の名前は『ユウ』」
僕の言葉にウミは、目を輝かせながら、へえ、珍しいんだ、と言った。
「わたしはねえ、『木百合ウミ』だよ。百合に、木と書いて、『きゆり』。面白いでしょ? よろしくね!」
面白いかなあ…。でも、僕は、木百合ウミという名前を聞いて、素敵な名前だな、と思った。海が綺麗な島で生まれて育ったから、ウミ、なんだろうか。
ウミの存在は、とてもありがたいものだった。島や学校の生活に慣れない僕に、色々と教えてくれた。最初の休日には、僕を連れ出して、町…といっても知れた規模だが…を案内してくれたり、役場や交番、スーパーや本屋、金物屋など、生活に入用な場所は一通り教えてくれた。ウミには小学生のアスカという妹がいて、僕を見るなり、お姉ちゃんに彼氏ができた、とからかったが、ウミが慌てて否定したので、なんだか笑えてしまった。僕の祖母とウミは顔見知りだったので…まあ人口が三千人もいないくらいの島では大抵の人が知り合いだが…色々と話も早かった。もしかして、祖母があらかじめ、ウミに僕の面倒役をお願いしておいてくれたのかもしれない、と思ったが、ウミは、それは否定した。ウミは快活な少女だが、僕と同じで両親を早くに亡くしており、家には祖父と、小学生の妹のアスカの二人しかいない関係上、近しい境遇の僕に何らかのシンパシーを感じていたのかもしれないな。
ウミを経由して、友達もできた。彼女の親友のアメリとは必然的に仲良くなったし、アメリの幼馴染の野辺とはその流れで良き悪友となった。高校生活において、僕ら四人は、ひとつのチームというか、グループとして存在した。僕は、違う土地からやってきた人間として、島の生活に溶け込む事ができたのが、なんだか嬉しかった。
そして、結局、僕達は「ンゴロンゴロ」を使うことなく、人数が揃わず試合時には島の大人をかり出しているような野球部へと野辺は足を向け、アメリは当番で図書室へと消えていった。ウミは、家事や家族の面倒があったし、町の喫茶店で週何回かバイトをしていたから、部活動や委員会活動には入っていなかった。僕は、祖母の用事で忙しいような事はなかったが、中学時代にやっていた種類の部活動が島の高校ではなかった事をなんとなしの理由として、やはり部活動には入っていなかった。正確には、部費獲得の人数調整に、頼まれて籍だけを美術部と文藝部においていたり、集会委員という学園祭の時しか仕事のない役職をなんとなく与えられていたりはしたが、まだ忙しい時期でもなかった。そもそもこの島では、学園祭は、島祭というか、村祭…町祭? と合同で行っているらしい。
「でもね、この島の人たちにとっては、重要なお祭でもあるんだよ」
ウミと僕は、帰路が途中まで一緒だ。
「僕は、その祭を見た事がないからよくわからないんだけれど、ウミは小さい頃から参加していた訳だよね」
「うん、もちろん。他にあまりイベント事がない、というのが本当のところかもしれないけれどね。でも、もう何百年以上も、欠かさずに続けられているんだから、わたしたち島の住人にとっては一年で一番特別な日」
「祭というからには、何か由緒があるんだろうか?」
ウミは僕の横顔に視線を送りながら、首肯した。
「ユウくんのお父さんって、地質学者だったんだよね? だったら知ってると思うけれど、人形山は数百年周期で噴火を繰り返している活火山なんだよね。わたしも詳しい事は聞かされていないんだけれど、前回の噴火の時には、島全体が存亡をかけた一大事だったっていうから…」
なるほど、火山信仰というか…山を鎮める為のお祭だという訳か。そんな大事があった後も、こうして人が住み続けているという事は、それだけ、人というものは、生まれた土地に未練があるという事なのかもしれないな。
「何か特別な儀式とかはするのかな? 供え物をしたりとか」
「毎年、大きな篝火を焚くかな。キャンプファイヤーみたいなの」
「そういう扱いなんだ。思ったより、ぐっと近代的なイメージになったな」
ウミは、にひひ、と笑った。
「多分、ユウくんが思ってるよりずっと厳かだよ。神社の境内で早朝から火を焚くんだけれど、大きな藁人形を作って、それを種火にするのよね」
藁人形…だから人形山なのかな?
「藁人形とは、霊験あらたかだね」
「呪いとか、多分そんなんじゃないから安心して。でね、夜、集まった島のみんなで、山からとってきた石を持って、火に投げ入れるの。火が消えるまでね」
「大量の石が必要になりそう」
「そうだね、毎年、消える頃には石が山盛りになってるもんね」ウミは歩を緩めると、僕の顔を少し下から覗き込んできた。「ユウくん集会委員でしょ? 藁人形を作る人手として町内会から呼ばれると思うよ」
ああ…そういう役割なのか。
その時、僕らの背中、高校の校舎と、僕らの眼前、町の方向の両方から、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。急な騒音に驚いて、思わずあたりを見渡してしまった。それから、僕とウミは顔を見合わせた。ウミが僕と同様に驚いている、という事は、このサイレンが、定期的に鳴らされる、島の住民にとって慣れた類の物ではないという事実を示している。
「何かの訓練?」
僕が言った。
「地震…じゃないよね」
「緊急地震速報なら、サイレンよりも前にスマホが鳴るんじゃないかな」
気味の悪い音だ。
「…何も言わないね。何があったのかな…」
「とりあえず町に行ってみよう。何か情報が得られるかもしれない」
僕は、ウミにそう呼びかけながら、高台にあり指定避難所となっている高校に戻るべきだったろうか、と一瞬思ったが、ウミは既に町に向かって走り出していた。大地震で津波が来るとしたら、町は危険だ。