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7 キースは妹を心配する。

「あーあ、来年にはリリアはダージャ領にお嫁に行っちゃうのよね」


 相変わらずベッドの上にうつ伏せになりながら、リリィお嬢さまは可愛らしく頬を膨らませた。周囲には本が大量に散乱している。


「私は、許されるならずっとリリィお嬢さまのおそばにいたいです」


 床に落ちた本を拾い集めながら、リリアが切なげにため息をついた。


「まぁ、ダージャ領はおじいさまのところと隣接してるから、嫌になったらこっちに来ればいいわよ。私もお母様もいるし。そして、ずっと帰らなきゃいいのよ。それか、結婚自体がどうしても嫌なら修道院に入る?」


「こらこら、リリィ。余計な知恵をリリアにつけない」


 笑いながら軽い感じでトマスが窘める。


「もう少し真面目に止めて下さいトマスさま」


 頭痛を堪えるような顔をしてキースがそう言った。


「なに? リリアはマリッジブルーなの? アレンが嫌なの? じゃあやめる?」


「リリア、本当に心底アレンが嫌なら、修道院にでも……」


「だから、変な知恵をリリアにつけないで下さい」


 会話の流れが危険な方面に向かったのを察して、キースが慌てて遮った。この兄妹はリリアの結婚話を何とか破談に持っていきたいらしい。そして、どう見てもリリアは結婚に前向きではなかった。


「しゅうどういん……」


 ぼんやりとした口調でリリアが呟いて、窓の外に目をやる。キースが焦ったように妹の両肩に手を置いて揺さぶった。


「リリア、リリア、修道院に行けば、お嬢さまとずっと一緒にいられるって話ではないから。修道女になったら自由にお嬢さまには会えなくなるからな。修道院に行くなんて言ったらイザベラさまが卒倒するから絶対に言うなよ。この二人はアレンさまに嫌がらせがしたいだけなんだからな」


 締まりのない顔でにやにやしながら、トマスが「失礼な」と口の中で呟いた。もう楽しくて仕方がないという様子である。せっかくの美貌が台無しだった。


 ゆらゆら揺れながら、リリアは顔だけリリィお嬢さまを振り返った。捨てられることを怯える子犬のような目をしていた。


「お嬢さま、リリアはずっとお嬢さまと一緒にいたいです」


「ええ、私は構わなくてよ。じゃあ二人で駆け落ちしましょうか。それかキースと駆け落ちする? 愛の逃避行ね素敵だわ。ふたりでおじいさまのところに来ればいいのよ。キース、お兄さまのことはすっぱり諦めて、私の近くでリリアを幸せになさい」


「だから、ここで話をややこしくするのはやめてください」


 キースが悲鳴のような声をあげた。


「リリアはお嬢さまと一緒にいられればしあわせなのです」


「それは違う。それは錯覚だ。しっかりしろ、リリア」


 この場で唯一の常識人を自負している兄は、現実逃避している妹に必死で呼びかけた。


「まぁ、うれしい。アレンに聞かせてやりたいわ」


「やめてあげてください本当に。そういえば、お嬢さま、アレンさまがリリアに送ってた手紙、全部勝手に捨ててたでしょ。俺、昨日、トマスさま宛ての手紙と一緒にリリアにも手紙を送っていたけど返事がきたことがないって言われてびっくりしましたよ。リリア宛ての手紙は見たことがないって言ったら、アレンさま、そんなことだろうと思ったって、表面的には笑っていらっしゃいましたけど、俺、寒気が止まりませんでしたっ」


「ジョージに頼んで、リリア宛ての手紙は全部、私に直接届けるようにお願いしたのよね。捨ててないわよさすがに。ちゃんと未開封でしまってあります。リリアが社交界デビューの準備で忙しそうだったから、渡すの忘れてたわ」


「……忘れてたって」


 可愛らしく小首を傾げるリリィお嬢さまを、キースは悪魔を見るような目で見た。


 命令には逆らえないとはいえ、ジョージはどういうことになるのか薄々わかっていながら、手紙をお嬢さまに渡していたのではないかと、キースは心の底でちょっと疑った。

 この伯爵家においてアレンの味方はイザベラと自分しかいないのかもしれない。いや、イザベラは屋敷内のすべてを把握している筈だから、リリィお嬢さまがやっていることを全部わかっていて放置していたのかもしれない。そこまで想像してキースはぞっとした。


「お手紙が、届いていたのですか?」


 束の間現実に戻って来たリリアが、不思議そうな顔をして、リリィお嬢さまと同じように小首を傾げた。リリィお嬢さまがするより数段可愛らしかった。


「ええ、預かっているから、結婚式の後にでも渡すわね。二人で一緒に読むといいわ。結構たまってるわよ」


「はい。お嬢さま」


「リリア、そこは怒るところだ」


 キースが肩に手を置いたまま真顔で諭した。


「でも、忘れてしまっていたなら仕方がないです。私がとても忙しかったのは本当ですし。それに、他のお手紙や贈り物はちゃんと届けて下さいましたよ」


 リリアが少し考え込むような素振りをしてから、軽い口調でそう返した。本当に手紙を隠されていたことに関して何とも思っていない様子だった。しかも、リリアの言葉からすると、お嬢さまはアレンからのもの以外は、リリアにちゃんと手渡していたらしい。大きな問題にならなかった訳である。


「……全部隠してたら、すぐにバレてものすごく怒られたのよ」リリィお嬢さまが不貞腐れたように、キースにだけ聞こえる声で言った。それでもアレンからの手紙は渡さなかったらしい。執念を感じる。


「……ふふふ。手紙って、時間が経ってから読むとものすごく恥ずかしいわよね。罪悪感抱えて書いた手紙なら尚更でしょうね。ふふふふふ……」


 据わった目をして、リリィお嬢さまが不気味な笑い声を立てた。


「まぁ、あまりに長いこと離れてたからさ、リリアにとってアレンが過去の人になってても仕方ないよね。それを急に結婚しろとか言われても困るよね」


 トマスが、肩を震わせながらそう言った。大変機嫌が良さそうだった。


「距離的にも気持ち的にも完全に引き離したのはあなたたちですよね」


 キースが主従関係をかなぐり捨てて、トマスとリリィお嬢さまを睨みつけた。


「全部先代が悪いのよ。それに、これくらいの妨害で忘れ去られるような存在なんて、最初っから大したことなかったのよ」


 リリィお嬢さまは平然とした顔で言い切った。妨害したことは認めるらしい。


「……これくらい?」


 キースが乾いた笑いを浮かべた。

 トマスはキースとリリアの近くまで歩み寄ると、キースの肩をポンポンと叩いた。


「うん。でもさすがに、ちょっとアレンには悪いことしたかなって、ほんのちょっとだけだけど思うんだよね。僕も若かったよね。だから、アレンがお休みの日に、二人でお外をお散歩しておいで。デートってやつだね。色々話して離れてた時間を埋めてみるといいよ」


 トマスが至極まともなことを言った。しかし、キースはあからさまに疑いの目を主人に向けた。


「いや、キース、大丈夫だって。さすがに何も企んでない。――僕は」


「……やっぱりなんかあるんじゃないですか」


 キースはがっくりと肩を落とした。


「……お針子くらいならできますかね、私」


 ぽつり、と、リリアの唇からそんな言葉が零れ落ちた。


 全員が一斉にリリアを振り向いた。心の中でリリアの言葉を繰り返したため、一瞬の沈黙が落ちた。


「えっと、どこがどうなって今その言葉が出てきたのか、お兄さまに教えてくれるかな、リリア?」


 さすがに虚を突かれた様子で、トマスがリリアの顔を覗き込むようにして尋ねると、ものすごい勢いでベッドから飛び降りたリリィお嬢さまが、ばっちん。と音がするくらい勢いよく、兄の口を塞いだ。


「黙ってお兄さま。これは面白いわ。面白いからこのままそっとしておきましょう。リリア、私たちは何も聞かないわ。ええ、今は」


 生き生きとした笑顔で、興奮気味にリリィお嬢さまはそう言った。昼間いつも眠たそうにしている目が爛々と輝いていた。


「ちょっと、おじょうさ……」


「おだまんなさい、キース」


 びったん。というこれまた痛そうな音を立てて、空いている手でお嬢さまはキースの口を塞いだ。


「ここまできたら、最後まで可能な限り引っ掻き回してやるわ。ええ、そう簡単に私のリリアを渡してなるものですか」


 不敵な笑顔でそう低く呟いたリリィお嬢さまを見て。キースは心の底から恐怖した。何をするつもりかはわからないが。これから心休まらない日々が始まることは確かだった。





 トマスは本当にアレンに手紙を出したらしい。

 数日後アレンからガルトダット伯爵令嬢宛ての手紙が届いた。そこには直筆で、次の週末には休みが取れそうなので一緒に馬車で出かけませんかと書いてあった。

 手紙にはご兄弟もどうぞご一緒にと書いてあったのだが、トマスは作り笑いで固辞し、リリィお嬢さまは心底迷惑そうな顔で首を横に振った。この二人は最早アレンに対する悪感情を隠しもしなくなっていた。

 キースはお目付け役として一緒に行くように主人から厳命された。

 

 リリアが香りの良い庭のバラの花を添えて、了承の旨を伝える手紙を出したところ、では、当日迎えに行きますという返信がきた。手紙と一緒に、焼き菓子も届いていた。お菓子に罪はないわよね。と、一瞬にしてリリィお嬢さまは上機嫌になった。餌付けは有効であると証明された。


 リリアは結婚の話が出てから、ずっと夢の中にいるような感じがしていた。すべてのことに現実味が薄い。お茶会もしばらく参加しなくて良いと言われていたので、時間に余裕がある内にと家庭教師にマナーの確認をしてもらったが、普段ならあり得ないミスを連発して呆れられた。

 

 上の空のリリアを、伯爵家の人間は内心とても心配していた。





 ――そうして、アレンとのデート当日がやってきた。


 リリアの身支度が整ったタイミングで、機嫌良さげなリリィお嬢さまが部屋にやってきた。そして、とんでもないことを言い出した。


「ねぇ、リリア。あなた、ずっとキースの事が好きだったでしょう? ちゃんとその気持ちだけは相手に伝えてからお嫁に行った方がいいと思うの。今から庭で告白なさい」


 待ち合わせの時間は迫っていた。何故にこのタイミングなのかはわからなかったが、こう言い出すともうお嬢さまは後には引かないとリリアにはよくわかっていた。


「ちゃんと愛の告白の言葉も、考えておいたから。今すぐ暗記してね」


 リリィお嬢さまは、小さなメモをリリアに手渡した。そこには見慣れたお嬢さまの字で、愛の告白の言葉とやらが記されていた。目が滑った。


 じゃあ、キースを呼んでくるから。そう言って、お嬢さまは笑顔で去って行った。放心状態でメモから目を上げ、リリアは着替えを手伝ってくれていたメイドを振り返る。伯爵家に勤めて五十年余になるメイドは目を伏せてゆっくりと首を横に振った。


「やらなきゃ終わりません。暗記してください。アレンさまがいらっしゃる前に片付けてしまいましょう」


 静かな声で、彼女は心の底から気の毒そうにそう言った。

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