6 リリアは結婚するらしい。
「あらやだ。あなたがお嫁に行くに決まってるじゃない」
あっけらかんとイザベラはそう言った。リリアは雷に撃たれたように立ち尽くした。
お茶会から帰って来たイザベラは、ソファーに座って伯爵家に届いた招待状のチェックをしていた。
その背後には家令のジョージが控えている。皺ひとつないテールコートを着ているジョージは、顎に真っ白い長い髭をたくわえた小柄な老人だ。ガルトダット家最高齢の使用人である。老齢のため動作はゆっくりゆっくりで、その手許を見ているとだんだん瞼が重くなると屋敷の皆が言う。
イザベラは読んでいた手紙から顔を上げて、心底不思議そうな顔をした。
「他に誰がいるのよ。うちに」
しばらく沈黙が落ちた。イザベラは青い瞳でまっすぐにリリアを見つめている。
「えっと……リリィお嬢さまが?」
何を言っているんだろう、と思いながら、リリアは遠慮がちに答えた。
「だから、あなたがリリィお嬢さまでしょう?」
そっちこそ何を言っているんだというような顔でイザベラが言った。何故だろう。会話が嚙み合わない。リリアの頭の中は疑問符で埋め尽くされた。
「……いえ、私は侍女のリリアですが」
頭の中を整理するのにしばらく時間を要した後、おずおずとリリアは口を開いた。
「だって、リリィ・ガルトダットとして社交界デビューしたの、あなたでしょう? だから、あなたがガルトダット伯爵家の長女リリィよね」
確かにその通りではあるが、何かが違った。返す言葉を見つけられず、リリアはうっと言葉に詰まった。
「リリア、あなた、結婚を考えている方がいる?」
イザベラが鋭い目つきでそう聞いてきたため、リリアはふるふると顔を横に振った。そんな人はいない。
「舞踏会で知り合った男性に気になる人がいる、とかはある?」
次にそう質問されて、リリアはぼんやりとする頭で考えた。
未婚の貴族子女は結婚相手を探すために舞踏会に参加するのだが、リリアは侍女としてリリィお嬢さまのそばにいるつもりであったために、結婚の意思が全くなかった。故に男性に興味がなかった。
舞踏会でリリアが出会った男性たちは、兄たちに比べると、人間的な魅力に欠ける人物ばかりであった。高圧的に愛人になれと迫ってくる者は上位の貴族に多かった気がする。あからさまに媚びを売って来るような者は、何かと理由をつけてリリアを外に連れ出そうとしたし、貴族と縁を結ぼうと躍起になる資産家たちは、自分の息子を売り込むのに必死だった。息子たちは値踏みするような目でリリアを見ていた。
(ご自分の自慢話ばかりされている方が多かったですね……)
リリアは少しためらった後に、ゆるゆると首を横に振った。
――舞踏会という限定がなければ、ふと顔が浮かんだ人物がいたのだが、結婚相手とはなり得ないので、除外する。
イザベラは、ほんの一瞬だけ目を揺らしたリリアに気付いて、おやっという顔をしたが、そのまま話を続けた。
「あなたがどうしてもアレンが嫌いっていうなら、他を探すけど、そうじゃないわよね?」
リリアはおろおろと目を泳がせて頷く。アレンのことは嫌いではない。しかし、ここで肯定した場合、何をどこまで認めることになるのか、リリアはしっかり考えていなかった。相手は一枚も二枚も上手だった。
「じゃあ、問題ないわね。最近財政も安定してきたから、ドレスくらいは奮発できるわよ。楽しみにしていて。近いうちに生地を選びましょう」
上機嫌でイザベラは微笑んだ。持っていた手紙をすべて揃えると、ジョージが捧げ持つ銀のお盆の上に置く。ジョージは一礼すると、ゆっくりゆっくり部屋を出て行った。
二人きりになると、イザベラは両肩を軽く上げ下げし、ふうっと息をついて目頭を押さえた。だいぶ疲れている様子だった。
「おかあさま?」
プライベートの時の呼び方で、リリアはそっと声をかける。
「お疲れならばお部屋で休まれては?」
「ありがとう。大丈夫よ。……最近、うちにとって良くない噂話が出てきていてね。あなたはしばらくお茶会に出なくていいわ。いつものことよ。少し我慢すれば落ち着くでしょう」
先代の愛人騒動は、時折思い出したように人々の口の端に上った。貴族社会は足の引っ張り合いだ。リルド侯爵家に連なるガルトダット伯爵家の権威を地に落としたままにしておきたい人間はたくさんいる。
「トマスさま……今日とてもご機嫌が悪かったです」
ああ、それであんなにトマスがイライラしていたのかと、リリアは納得した。
「まだご婦人内の噂程度なのだけれど、トマスに対する風当たりも強くなっているかもしれないわね、でも、今日機嫌が悪かったのは、単純にあなたにお嫁に行ってほしくないからよ」
その答えに、リリアの頭は再び大混乱に陥った。
やっぱり、自分がアレンと結婚することになっているらしい。
でも、どうして自分なのだろう? ガルトダット家には娘が二人いる。リリアは庶子で使用人だ。リリィお嬢さまはリリアより半年年上で、本妻の娘である。どう考えても、アレンと結婚するのはリリィお嬢さまであるべきだ。
「えっと、私がお嬢さまを差し置いて先に結婚するのはちょっとどうかと……それに、私とアレンさまでは、どう考えても色々釣り合わない気がします」
リリアは遠慮がちにイザベラに声をかけた。
特に器量が良いわけではないリリアが、アレンの隣に並ぶのは……やはり結構辛いものがある。キースやトマスならば、それ程見劣りしないだろうが。――そうか、トマスは当主で無理だから、いっそキースが結婚すればいいのだ。現実逃避を始めた脳内は突拍子もない結論を導き出した。
「あなたが先にデビューしたのだから先に結婚するのは普通だし、あなたとあの子はよく似ているから、あなたが釣り合わないなら、あの子も釣り合わないってことになるわよ。そもそも、アレンと並び立って違和感ない美女なんて、今の社交界には……いるにはいるけどすでに既婚者よ」
こめかみをぐりぐりと押しながら、ごく真面目な声でイザベラが答えた。リリアは返す言葉を見つけられなかった。その美女というのは、先日二人目を出産した子爵夫人だろうか。それとも老男爵の後妻におさまった、資産家の養女だろうか。
「政略結婚の相手としては、アレンはかなりの優良物件だと思うわよ? あれを逃すと、申し訳ないけれど、あなたには自力で結婚相手を探してもらうことになるわ。……正直、いまのうちの現状では、碌な縁談は望めない」
それはリリアとてよくわかっている。アレンは、顔も良くて、優しくて、本当に女性の理想を形にしたような男性だ。
だから、なのだろうか。
遠くから眺めているだけで満足なのだ。優しく声をかけてもらって、微笑みかけてもらえるだけで十分だ。あまりに完璧すぎて現実の人間とは思えないから、隣に並び立とうと思わない。
アレンは王都に戻って日が浅いため、まだ社交の場に出ていない。しかし、一度でも顔を出せば、多くの女性達を惹きつけてしまうだろう。ダンスの申し込みが殺到するに違いない。
(……あ、なんだかすごく嫌です)
アレンが女性たちに囲まれている姿を想像した途端、リリアの気持ちは一気に沈んだ。
兄のトマスはダンスの相手として人気があるから、会場に到着するとすぐに女性陣に取り囲まれてしまう。その際、一緒にいるリリアは完全に邪魔者扱いだった。突き飛ばされたり、ついでのように足を踏まれたり常に散々な目にあっている。「何でこんな平凡な子が妹なのかしらね」「全く似ていないじゃない」そんな陰口を叩かれるのもいつものことだ。嫉妬とやっかみだとわかっていても、やはり傷つく。
トマスに加えて、アレンまでもがリリアのそばにいることになるらしい。……アレンには悪いが、ものすごく嫌だ。
「アレンさまは、絶対に女性にモテますよね……」
思わずといった感じでリリアの口から零れ落ちた言葉を聞いて、イザベラは顔を上げた。眉間に皺を寄せて難しい顔をしているリリアに気付いて苦笑する。年の功で、イザベラにはリリアの思考の流れが手に取るようにわかったのだ。
「そうね。見た目がいいし、人当たりが良いから。女性たちが放っておかないでしょうね。まぁ……多少のやっかみは覚悟なさい。でも、結婚相手としては敬遠されるでしょう。我が国は民族主義が根強いから。アレンは生い立ちが特殊すぎるのよね。だから、うちに話が来たのだけれど」
イザベラは、さて、と言って、居住まいを正し、リリアをまっすぐに見た。リリアは思わず背筋を伸ばした。
「うちには年頃の娘が二人います。一人は小さい頃からアレンのお嫁さんにはなりたくないって言っていました。もう一人はアレンのことは嫌いではないとさっき言いました。さて、どちらと結婚した方がアレンは幸せになるでしょう?」
リリアは、ぱちぱちと目を瞬いた。
リリィお嬢さまがアレンとの結婚を嫌がっているというのは初耳だった。
確かに、リリィお嬢さまはアレンが訪ねてくる日は起きて来ないことが多かったし、顔を出したとしても、挨拶もそこそこに眠りに落ちて、そのまま使用人に抱えられて退場という流れが定番だった。リリィお嬢さまは不器用だから、アレンの気を引きたくても、そういう方法しか取れないのだなと、リリアはあたたかく見守っていた――
それはイザベラもわかっていると思うのだが……
「あなたは、あの子とアレンが結婚すべきだとか思っているかもしれないけれど、基本的なマナーも身についてないし、ダンスもまともに踊れないのよ。社交が全くできないお嫁さんもらっても、アレンが困るだけでしょう?」
幼い子供に言い聞かせるように、イザベラはそう説明した。
「お嬢さまは、やればできる子です」
「……絶対やらないから、無理なのよ」
窓の外に顔を向けて、イザベラはふっと笑う。
「わたくしだって、せめてお茶会くらいには参加できるようになって欲しいと思っていた時もあったのよ?」
リリアはイザベラの視線を追って、ガラスの向こうの綺麗な夕焼け空をみつめた。
リリィお嬢様はやりたくないことは絶対やらない主義だった。そして、やりたいことは絶対やった。お嬢さまは自由な人だった。現在進行形で伯爵家の全員が大変苦労させられている。
「まぁ、貴族令嬢としてはどうしようもないけれど、あの子には特別な才能があるわ。あの子の計算能力は天才的よ。誇張なくこの国一番だわ。あれこそまさに、神様からの贈り物よね」
イザベラは頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めている。その目はここではない遠い場所を見ているようだった。
「あの子のあの能力があったから、この家は何とか持ちこたえられたんだわ……」
そう口の中で小さく付け加えたのを、リリアは確かに聞いた。
リリィお嬢さまは計算の天才だった。どんな桁の計算でも、メモひとつすることなく頭の中で解いてしまう。でも、どうやっているのかは自分でもよくわからないのだそうだ。
その能力を頼られて、彼女はダンスを学ぶ代わりに、帳簿書類の検算を手伝っていた。午前中は、ベッドの中でぶつぶつ言いながら書類とにらめっこしていることが多い。
昼間起きていられないのも、突然眠りに落ちてしまうのも、そんな特殊能力の代償なのかもしれない。
「あの子は格式を重んじる貴族社会では生きてゆけないわ。おじいさまも好きにさせてやればいいとおっしゃっているし。トマスが結婚したら、わたくしとあの子はリルド侯爵家に身を寄せるつもりでいます」
その言葉を聞いた時、リリアは足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。
今はイザベラが女主人として屋敷を取り仕切っているから伯爵家にリリィお嬢さまとリリアの居場所はある。しかし、トマスが結婚して、ガルトダット伯爵家が新しい女主人に変わったら、今までと全く同じように、という訳にはいかないだろう。
結婚せずに伯爵家に留まるにしても、他家に嫁ぐにしても、リリィお嬢さまは今のように自由には暮らせない。それならば、リルド侯爵家に移って、母親や祖父と一緒にいる方が幸せだろう。
それでも――
「……私は一緒に行けないのですね」
侍女としてずっと一緒にいるつもりだった。その願いは果たされないのだと、今はっきりと告げられてしまった。それがとても悲しい。
「そうね。あなたはアレンのところにお嫁に行くし。でも言っとくけど馬車で半日くらいの距離よ」
イザベラは窓に顔を向けたまま、リリアをちらりと一瞥した。
「それはもう決定事項なのですね」
あまりに悲壮な顔をするリリアに、イザベラは苦笑して顔を正面に戻した。
「あのね、リリア、わたくしはあなたを追い出そうとして意地悪で言っている訳ではないのよ。ねぇ、あなた、本当にアレンのこと嫌いじゃないわよね? どうしても嫌なら無理に結婚しろとはいわない……」
「そんなことっ。追い出すなんて、そんなこと思う訳がありません」
イザベラは額を押さえて、「そっちは否定しても、こっちは否定しないのね」と呟いた。
「……まぁ、いますぐ決心しろと言っても無理よね。生半可ではない覚悟が必要だというのは、わたくしにもわかります。悪意に晒されるのは辛いわ。いつまでたっても慣れないし、疲れるものよ」
イザベラはため息をついた。その顔にはありありと疲労が浮かんでいた。
「でも、他人を貶めることしかできない者たちの言葉に惑わされてはなりません。あなたは伯爵令嬢として必要なすべてを完璧に身に付けています。何も恥じることはありません」
イザベラは表情を引き締めると、ソファーから立ち上がった。
「わたくしは、アレンはあなたを絶対に大切にしてくれると確信しています。だから、あなたはガルトダット伯爵家の長女として、アレンのところにお嫁に行きなさい」
厳しい女主人の顔で、イザベラはそう命じた。リリアは思わず姿勢を正し、気圧されながらもお辞儀をした。
ゆっくりと顔を上げると、イザベラは優しい母親の顔でリリアを見つめていた。リリアの傍までやってくると、そっと抱きしめる。
「……とりあえず、よかったわ、一旦落ち着くところに落ち着いて。幼いあなたが、侍女になるにはどんなことを勉強すれば良いですかって言い出した時は、もうどうしようかと本当にみんなで頭を抱えたのよ。かなり強引な手段に出てしまったけど、結果的にこれで良かったのだと思うわ。あなたは伯爵家の長女として立派に責任を果たしてくれたもの。私とトマスはあなたがいてくれて本当に助かったの」
昔からイザベラは自分の子供でもないリリアやキースをこうしてよく抱きしめてくれた。自分こそが本当の母親であると二人に教え込むように。
「うちの中にリリィが二人いるのは、なかなかややこしかったのだけど、それも後一年のことだと思うと……寂しいわね」
イザベラは包み込むようにリリアの両頬に手を当てた。
ここまでくればリリアにもわかってしまった。
最初から、イザベラはリリアにリリィの身代わりをさせるつもりなんてなかったのだ。
社交の場では、リリアはガルトダット嬢と呼ばれていたし、トマスもイザベラも、意図的に名前を呼ばないようにしていた気がする。他人に紹介するときは、『妹です』とか、『上の娘です』という言い方をしていた。
思い返してみれば、社交界デビューした後であっても、リリアが『リリィ』と呼びかけられることはほとんどなかった。
(もしかして、アレンさまは、今日お茶会に出てきたのがリリアの方だと、最初からわかっていらした……?)。
と、すると、あのトマスさまの「リリィとして出席してね」という言葉は一体何だったのだろう。
リリアは自分がリリィであるように振る舞っていた。アレンは目の前にいるのがリリアだと知っていた。つまり、リリアはとアレンは全くかみ合わない会話をしていたことになる。アレンにしてみれば、意味が分からなかっただろう。リリア本人が目の前にいるのに、リリアは部屋で休んでいるとか言い出したのだから……
(……ああ、だからあんなに困惑した顔をなさっていたのですね)
そして、トマスは空回りしているリリアを面白がっていたに違いない。……憂さ晴らしだったんじゃないかとがっくりきて、リリアは項垂れた。――そして、改めて思った。
(やっぱり、王族だったアレンさまが庶子の方の娘と結婚するのは、良くないと思います)
表向きはリリィ・ガルトダットであっても、リリアは得体の知れない女優の娘だ。いつかその素性が露呈するかもしれない。アレンは最初から本妻の娘であるリリィお嬢さまと結婚した方がいい。絶対その方がいい。是非そうしよう。……美形の間に挟まれるのは嫌だ。
「……リリア、あなたなんか変なこと考えてるわね?」
リリアの表情が陰ったことに気付いたイザベラが、痛くない程度に両頬を引っ張った。
「イザベラさま、アレンさまは、この結婚をどう思っていらっしゃるのでしょうか……」
そう尋ねた途端に、イザベラの体が震えた。あからさまに動揺した顔をして天井を見上げる。当然のごとくリリアは不安を覚えた。
「……婚約者にはリリアをと言ってきたのはアレンだから、政略結婚の相手として納得はしているんじゃないかしら。でも、そうね、アレンの気持ちは、あなたが自分で聞いて確かめるしかないわね」
(自分で、確かめる……? アレンさまの、お気持ちを?)
イザベラは少し迷っていたようだが、決心したように息をついた。
「いずれあなたの耳に入ると思うから、変な風に伝わる前に先に言っておくけど、アレンはキリア自治区にいる時に、あるご令嬢と噂があったのよね。だからトマスが怒ってしまって、アレンは何度か訪ねてきてくれたんだけど、絶対にあなたたちに会わせなかったの。……あ、噂よ噂だけ。何もなかったってアレンも言って……」
本日一番の衝撃発言だった。一瞬にしてリリアの顔からすべての表情が抜け落ちた。
「……あ、やっぱりそうなるわよね。リリア、リリア大丈夫? もう少し後に話せばよかったかしら。でも、いずれは知ることになるし、あの子たちがまた変なこと吹き込むかもしれないし……うーん……どうすればよかったのかしらねぇ」
真っ青になって固まってしまったリリアの頬をさすりながら、イザベラは言い訳のような言葉を並べた。
「イザベラさまっ、ひょっとして私以外はみんなその噂を知っていたのですか?」
はっと我に返ったリリアが、必死の形相でイザベラに詰め寄る。
「……ごめんなさい。リリアがあんまり毎日がんばっていたから、ちょっとどうしても言い出しにくかったのよねぇ……」
イザベラはあからさまにリリアの視線から逃げながらそう言った。
つまり、自分だけが、知らなかった。そう気付いた時、リリアは文字通りその場に崩れ落ちた、自分のスカートを見つめながら、茫然としている。
「リリア……リリア……ちょっと、しっかりして頂戴。ショックが大きいのはわかったから。……そうだキース。キースはいるかしら? ちょっとリリアが大変なことに……」
使用人が声を聞きつけて呼びに行ってくれたのだろう。すぐに居間キースが駆け込んできた。
「お呼びですか……ってリリア? おまえなんで床に座り込んでるんだよ。おいリリア、リーリーア?」
座り込んでいるリリアの前にしゃがみ込むと、目の前でひらひらと手を振る。反応がないのを確認すると、肩を持って軽く揺らし始める。
「リリア、こんなところで寝るな、リリアっ」
「キース……無意識でしょうけど、リリアが絶対『はい』と言ってくれないの」
困り切った声でイザベラが言うと、キースは手を止めて、ため息をついた。
「だから絶対無理ですよって言ったじゃないですか。俺だって嫌ですよ」
「妹を取られるのが? アレンと結婚するのが?」
「アレンさまは色々問題ありすぎます。正直絶対嫌ですね。……ほら、部屋に戻るぞリリア。さっさと立つ」
やれやれというように、キースは妹の腕を引っ張って立ち上がらせる。リリアはされるがままになっていた。
「……わたくしの命令でも?」
とても悲しそうな顔でイザベラは言った。
「命令ならば従いますよ。理由があるんでしょうから」
キースはリリアを後ろから支えながら振り返ると、何でもないことのようにそう答えた。