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41 最後の願い。

 

 一通り掃除を終えて、テールコートに着替えて身だしなみを整えてから、紅茶を用意しイザベラの元に向かう。


「ご苦労様キース。……あなたには、今回本当に色々嫌な思いさせたわね」


 同じく着替えて居間で休憩していたイザベラはそう言って、申し訳なさそうに笑った。キースは首を横に振る。


 キースは今回の婚約に関して、イザベラからふたつの命令を受けていた。


 ひとつは、この結婚に対して賛成の立場を貫くこと。

 もうひとつは、イザベラと共に、アレンの味方でいること……だ。


「全員が反対に回って白紙に戻すことができるような話なら楽なんだけど、陛下が承認している以上、わたくしの父は、アレンとわたくしの娘を結婚させるために、ありとあらゆる圧力をかけてくると思うわ。とりあえず、リリアとの結婚を前向きに進めているという体裁だけは整える必要があるの。トマスとリリィには絶対無理だから、本当に申し訳ないけれどキース、がんばってくれないかしら?」

 

 あの日、アレンに恋人がいることを告げられて抜け殻になったリリアを部屋に戻して居間に戻ると、イザベラが疲れ果てた顔でそう言ったのだ。


 全くやりがいを感じられない仕事だった。トマスとリリィお嬢さまはチクチク嫌味を言ってくるし、何もわかっていないリリアは恨みがましい目を向けてくるし、本当にどうして自分ばっかりこんな目にあわなければならないのだろうかと思った。……だが、表には出さないが、もっと追い詰められている人が近くにいたのでがんばれた。


 ――さっさと始末すればよかったですね。


 その言葉を聞いた時、その場にいた全員が、あ、もうこれ、そろそろ限界だなと思ったのだ。


 その数日前、例の誘拐事件が起こる日、ロバートがガルトダット伯爵家を訪れ、リリィお嬢さまとリリアにお土産を渡していた頃、イザベラはトマスとキースを連れて買い物に出掛けていた。

 イザベラは二人を連れ回しながら、楽しそうにリリアの嫁入り道具を選んでいたのだが、何故かすべて銀と水色の組み合わせだった。

 イザベラとリルド侯爵が何をどうするつもりだったのかはよくわからない。ただ、のらりくらりと上からの圧力をかわしつつも、リリアとアレンを結婚させるつもりが全くなかったのは確かだ。

 

 もうすぐ、ドレスの仮縫いらしい。でも、ルークが除隊できなかったから……ドレスの出番はもう少し先になるのかもしれない。……全部アレンが悪い。


 リリィお嬢さまはなんか吹っ切れて急に前向きになったし、リリアはアレンと結婚しなくてすんで安堵しているし、色々あったが、まぁ良かったのではないだろうか。

 先のことは考えない。疲れるから。

 第二王子か……面倒だな。会うたびにお菓子をくれるから好きだけれど。


「でも、相変わらずどっちかを絶対に娘と結婚させろ結婚させろの圧力がすごいのよね……。何、王室の体裁ってそんなに大事かしら? せっかくこっちが譲歩して、アレンの恋人騒動のことは黙っててあげてるのに」


 ……大事です。没落してからガルトダット伯爵家の人間は、色々考え方がおかしくなっていますが、王室の権威に関わるのでとても大事ですよ。と、キースは心の中で言った。


 ……ん? 待てよ。譲歩? 


 イザベラは今譲歩と言わなかっただろうか。ひょっとして脅すつもりだったのだろうかこの人。確かにガルトダット伯爵家は、もう失うものは何もない……


 ……侯爵さまもそれに乗っかるつもりだった、とか、ないですよね?


 リルド侯爵も可愛い孫娘のためなら何でもやりかねない。軍部に顔が利くし第二王子と親しいし。……やめよう。怖い。特に第二王子。


「リリィがいいって向こうが言ってるのだから、やっぱり何とかして来年までに社交界デビューできるまでに育て上げなきゃいけないのよね。……ここはまぁ、リリアじゃなくて良かったと思うべきなのよねぇ。……お互いのためにここは一旦受け入れるべきなのよねぇ」


 はあぁぁぁとばかりにイザベラはため息をついた。やさぐれた様子でテーブルに頬杖をついて窓の外を眺める。


「リリィお嬢さまはやればできる子です」


 キースがそう言うと、ちらりと目だけをこちらに向けて、


「同じことをリリアも言ったわね。確かに、リリアの練習に付き合ってたみたいだから、思ったよりはできてたわ。でも王宮で通用するようになるまでにはまだまだ……」


 そう言って眉間に皺を寄せたまま目を閉じた。


「リリィお嬢さまがどっちかと結婚すれば、なんかよくわからないお祝い金とかいう名目で、ガルトダット伯爵家に結構なお金が王家から贈与されることになってるんですよね。その金でさっさと伯爵家立て直せって話ですよね、これ」


 王家としては、歴史あるガルトダット伯爵家がこのままずっと沈んだままというのは困るのだ。

 現リルド侯爵は、軍部に顔が利くし、今でも内外から絶大な人気を誇るリル王女に望まれた再婚相手ということで、揺るぎない地位を確立している。その孫であるトマスに直接喧嘩を売ってくる者は少ない。

 しかし、リルド侯爵家が代替わりするとなると……そこを狙って、第三王子あたりが、ふたつの家を潰しにかかる可能性がある。

 そうならないために、ルークとロバートが様々な事業を手掛けて着々と資産を蓄えているのだが。


 リルド侯爵家とガルトダット伯爵家は第二王子派だ。第二王子は王位継承争いから一歩引いた姿勢を崩さないが……軍部を完全に掌握している。


 ああ、嫌だな面倒くさい。やっぱりリリィお嬢さまは、アレンとダージャ領に行くべきだ。

 没落したままの方が正直楽だと考えるトマスの気持ちもわからなくもない。


「あんまり言いたくないですけど……イザベラさまが、閣下の再婚命令に従えば、少しは圧力減るんじゃないですか?」


 トマスが伯爵家の当主となった後、イザベラの元には再婚話が結構きている。お相手は、爵位はないが、事業に成功して成り上がって来た、中流階級の紳士たちである。どんな逆境にも負けず凛と立つイザベラに心惹かれる男性は多い……のだと思う。

 しかし、イザベラはそのすべてをそっけなく断っていた。実父の紹介のものであっても……だ。


「絶対に嫌よ。冗談じゃないわよ。わたくしがあの男の命令に従って結婚してどれだけ苦労したと思ってるのよ。女の幸せは結婚して家庭を守ることだとか言ってる奴らなんて、全員甘いものの食べ過ぎで虫歯になって痛みにのたうち回ればいいのよ」


 恨みがましい声でイザベラはそう言った。この人は確かにリリィお嬢さまの母親だった……


「でも、今すぐにって話じゃないんですよね? 息子と娘の結婚がすべて片付いてからでいいから、婚約だけでもって話……」


「トマスが結婚したら、わたくしはおじいさまの所に行きます。あそこでのんびり余生を暮らすと決めているの。わたくしがガルトダット伯爵家に嫁いだのは、ライリーさまの義理の娘になれるからです。わたくしはリリィさまと同じでずっとライリーさまに憧れていたの。私世代の貴族令嬢はみんなそうだったわよ。とにかく素敵だったのよライリーさま、今でも素敵だけど。ライリーさまを『おとうさま』と呼べるようになるためだったら、わたくしはどんなことでも我慢してみせるとは思ってたわよ? でもさすがに結婚してここまで酷い目に遭うとは思ってなかったわ。……キース、わたくしって客観的に見て結構かわいそうよね」


「……相当かわいそうですよね。だから次こそいい人紹介してやるっていう親心……」


「だからそれが迷惑だって言っているのよ。わたくしはライリーさまの近くで、リリィさまの思い出を語りながら、残りの人生のんびり暮らします」


 ぴしゃりとイザベラは言い切った。イザベラの言うリリィさまは、娘のリリィお嬢さまではなく、かつての主であるちいさなリル王女のことだ。ちいさな王女さまは、後に残されるライリーが寂しくないように、もし娘が生まれたら自分の名前を付けて欲しいとイザベラにお願いしていたのだそうだ。


「二度と結婚なんてするもんですか!」


 あ、こりゃ無理だな。と、キースは思った。


 確かに一度痛い目をみているイザベラに、再婚したらどうですかと、キースからはとても言えない。でも、もう十年以上毎日花束を届けてくれている人もいるのだ。さすがにちょっとは考えてあげても良いのではないかと思う。


 今日届いた可愛らしいバラの花束も、後でイザベラの私室に飾っておこう。花瓶は足りるだろうか。本当に毎日花束は届くから、イザベラの私室はいつも明るく華やかだ。いつも食べ物をくれる紳士のことが、キースは結構好きなのである。


 ――それでも、一緒に歌劇を見に出掛けて行ったりしているのだから、本当はどうなのだろう? 子供が口を出すことではないので、黙っておくけれど。




 居間を後にしたキースは、玄関ホールに来ていた。腕の中に、イザベラへの贈り物であるバラの花束を抱えて。とても可愛らしい花だ。ころんとした丸い形で、幾重にも重なる花弁の中心部に向かうにつれてピンク色が濃くなってゆく。若い青年が、初恋の女の子に贈るような……


 ああ、あの人もこんな色が好きだったなとキースは思い出す。そういうところが、妙に少女っぽい人だった。


 最近思い出しても案外平気だと気付いた、別荘時代のことを思い返してみる。


 先代は女優を厳重に部屋に隠していた。常にカーテンを閉めて扉に鍵をかけ、狩猟仲間にも絶対に見せないようにしていた。それでも心配で、部屋の前でメイジーに見張らせていた。

 伯爵が何故あんな風になってしまったのか、キースにはわからない。


 イザベラは、眉間に皺を寄せながら……諦めたような顔をして言ったことがある。

「劣等感の塊のような人だったから、新しい家族と美しい物語になってしまった父親に対する、何というか……屈折した感情というのか、そういうものがあったのかもしれないわね。物語に出てくる私のことも憎んでたんじゃないかしら」と。


 先代伯爵は、取り返しのつかないことをして、たくさんの人間を傷つけて……自分勝手な人生に幕を下ろした。


 そして……あの人は確かに、男性を惑わす魔性の女だった。


「昔、人買いに攫われて連れて乗せられた船の中で、占い師に言われたわ。おまえの菫色の瞳は呪いの瞳だと。おまえを愛した男は、次々に嫉妬の炎に身を焼かれて死んでいくだろうってね……」


 先代が狩猟で留守にしている時、キースが部屋に忍び込むと、やせ衰えた彼女はベッドの上で力なく横たわっていて、それでも勝気な瞳で明るく笑っていた。マーガレットを産んでから彼女の体調は悪化の一途を辿っていた。どれだけ使用人たちが進言しても、伯爵は彼女を医者にすらみせるのを嫌がった。


 イザベラの言う通り、ちいさな王女さまの美しい物語が、伯爵をおかしな方向に暴走させたのかもしれなかった。……相手の同意がなければ、それは単なる監禁だ。


 女優を取り戻そうと、昔彼女の恋人だった男性たちが血走った目をして別荘まで押しかけて来ることがあった。その度に先代伯爵は猟銃を撃ち鳴らして追い払う。だから、『女優が湖に沈んでいる』という噂が流れた時、『女優は一度も姿を見せなかった』と証言する者はたくさんいたに違いない。……恋に狂った伯爵を恨んでいたのも、同じく恋に狂った哀れな男たちだった。


「私は平気よ。もっとひどい目にあったことなんていくらでもあるんだから。路地裏で死にかけたことだって一度や二度じゃない。褒められるような生き方してこなかったしね……ここで私が死んでも、メイジーさんはあなたを大切に育ててくれる。最後に私にもようやく運が向いて来たってことよ」


 彼女は菫色の瞳でキースを見つめる。そして、キースを通して、誰かを懐かしんでいた。それはきっと琥珀色の目をした男性だったのだろう。


「……私のことは忘れなさい。あなたはお兄ちゃんなんだから、妹をちゃんと大切にしてね。……メイジーさん、こんなことを頼める立場ではないというのは重々承知しているのだけれど、ふたりをお願いします。もうここには来させないで。これ以上醜く弱っていく姿を子供にはみせたくない。……私、女優なのよ」


 扉の向こうで立っているメイジーに、彼女はそう頼んで……それが彼女の姿を見た最後だ。




 先代は空砲を二発、厨房の天井に向かって撃った。森番を威嚇するように。


 使用人たちは、伯爵に内緒で女優を医者に診せようとしていた。だが、それが伯爵に露見して、伯爵は猟銃を持ち出して暴れ始めてしまったのだ。


 メイジーが妹を抱きしめていて、キースの目の前で、森番が先代に体当たりする。

 先代は背中からテーブルにぶつかってそのまま床に倒れる。テーブルの上に食材と一緒に置かれていた瓶が床に叩きつけられた。赤ワインが床一面に広がる。気を失った先代のシャツに赤い染みが広がる。


「キース坊ちゃま、坊ちゃま、私を見て下さい。このメイジーだけを見て下さい」


 喉がつぶれそうな声でメイジーが叫んでいる。


「誰か、誰か、坊ちゃまの目を塞いで! お願い誰かっ!」


 キースの目を塞いだのはコックだ。甘いクッキーの匂いがする手。その手が小刻みに震えていた。


「これは鹿だ。だから、なんの問題もない」


 森番の声がする。その場にいる人間たちに言い聞かせるように。


「早く医者をっ。鹿が目を覚ます前に。早くっ」


 バタバタと大勢の人が走り回る足音。


「キリアルトさん、こっちです。お願いします」


「彼女、意識はあるのかい?」


「わかりません……でも、息はしています」


「伯爵はもうここから連れ出した方がいい。今の内に拘束して馬車に乗せてしまおう。急いで!」


 咽るようなワインの匂い。回る意識。


 ――私にもやっと運が向いて来たってことよ。


 耳のそばでそんな声が聞こえた気がした。


 ――私は、女優だから。


 だから、どんな目にあっても平気なの。この世界は全部お芝居の中……





「キース君、ぼーっとして、どうしたんですか?」


 ルークの声に現実に引き戻される。腕の中には可愛らしいバラの花束。ルークが両手を差し出すから、キースは花束をルークに預ける。ルークが心配そうな顔でキースを見ていた。扉が開け放たれた玄関ホール……ああ、少し茎が長すぎるから、よく切れる花切り鋏を借りるために、園丁を探していたのだ。


 ……それにしても、バラの花束が似合うなこの人。花瓶に入れずに、もうこの人がずっとこうやって持っていれば良いんじゃなかろうか。


 白い軍服を着て、淡いピンクのバラの花束を持って立つルークをぼんやりと眺めながら、そんなことを考える。


「体調でも悪いのですか? ……ひょっとして立ったまま寝てます?」


「……キリアルト」


「……ですね」


 意味が分からないというように、ルークが訝し気な顔をする。この人は、ルーク・キリアルト。貿易商だったキリアルト家次男の息子。そして……いずれちいさな王女さまの土地を受け継ぎ守る人。


「……なんでもありません」


 キースは何かを振り払うように首を横に振った。きっとロバートかルークは知っている。彼女がどうなったのか。でも……


 忘れなさい。彼女はそう言った。だから、キースは彼女の最後の願いを叶えるだけだ。あの人はお芝居の中の女優なのだから。


「ルークさん、あの話、どうなりました?」


 キースは無理矢理笑顔を作って、ルークに尋ねた。ルークは何かを感じ取っていたようだが、気付かないふりをしてくれた。


「どうなるのかわからない話が多すぎてですね……」


「狩猟仲間が証言したんですよね」


 キースは作り笑顔のまま、ごまかしを許さぬ口調で問う。


「……すみません。キース君、今、それ、どうしても聞きたいですか?」


 ルークがキースの視線からあからさまに逃げた。


「……今の気分確実に壊されますけど、大丈夫ですか?」


「……ん?」


 ……なんだかとても嫌な予感がする。すごく嫌な予感がする。一瞬にして別荘での思い出は彼方へと吹き飛んだ。


「教えてください。今すぐに」


 キースは真顔でルークに迫った。しばらく迷っていたが、やがて観念したように、ため息をつく。でも目を合わせてはくれない。


「狩猟仲間たちは証言しました。『別荘には確かに二人の子供がいた。栗色の髪と瞳をした男の子と、赤い髪の小さな妹。兄の方はとても活発で、木登りをしたり、獲物を解体する森番を平気で手伝っていたりしていたが、妹の方は、獲物の血を見るのを嫌がって、いつも隠れてしまったからあまり見たことはない』と」


「何故そうなるっ」


 キースは思わず叫ぶ。確かにマーガレットの方が背が高かった。自分が弟ならわかる。何故に妹?


「キース君、体小さかったし……泣き虫でしたから、遠目だと女の子っぽく見えたんじゃないですかね。服は兄のお下がりを着せられていると思われたのでしょう。リリアさまは木登りとかするから男の子の恰好をしていたし、髪も邪魔になるからと結んで帽子の中に隠していたとメイジーは言ってました。きっとそのせいですね」


 さりげない感じでルークが後ずさってゆく。


「で、その噂が広がることによって、殿下に何の得があるんですかね?」


「……」


 踵を返して逃げようとしたルークの腕を、キースは袖を掴んで引き留めた。


「どうしても、どうしても、今聞きたいですか?」


 いずれ話すつもりはあるけれど、今は嫌だなといったところだろうか。でも、ルークがここまで躊躇する理由がわからない。……余計に気になる。服は掴んだままにしておこう。この人多分また逃げようとする。


「気になるのでさっさと話してください」


「推理ゲームなんですよ『女優が産んだかもしれない伯爵の子供は男の子だった。女の子は赤い髪をした』という結論に導かれるようになっているんですよね」


「……ああ、なるほど、栗色の目と髪をした『女の子』は別荘に存在しないということですね」


 意外ときちんとした目的があった。まずそれに驚いた。でも、ルークは何となく落ち着かない様子で、キースの表情を窺っている。この辺りで許してもらえないかなというように。


「自分たちで推理して、そういう結論に達すると印象に残るでしょう? イザベラさまが双子の女の子を産んだとあれだけ綿密に細工したのに、まだ疑う人もいるのですよ。リリィお嬢さまがデビューすれば自然と収まると思いますが……お二人はよく似ているので。……それでも念には念をということで殿下が……」


「……二人の子供はどうなったんですか?」


 ルークがキースに背を向けて、さっさと逃げようとしたから、服を握っている手に力を込める。


「早くこの花束花瓶に入れないと萎れてしまいます。せっかく綺麗なのに」


 振り返ったルークが至極真面目な顔で言った。


「鋏が要ります。この後取りに行きます」


 じっと睨みつけるキースの視線から、ルークはしばらく逃げていたが、ぼそりと小さな声で言った。


「……二人の子供はキリアルト家に預けられたことにします。噂の信ぴょう性を高めるために、リルド侯爵と私とロバートが、髪型を変えたトマスさまと、赤い髪の女の子を連れて、観劇に行きます」


「………………トマスさまと、誰が?」


 完全に表情をなくした顔でキースはルークに尋ねた。しばらく玄関ホールに沈黙が落ちた。ルークはとても気の毒そうな顔をしていた。


「…………だから、赤い髪の少女が」


「どこにもいませんよね。この色結構珍しいですよね。鬘とかって準備できるんですかね?」


「……みんな身長高いから、遠目だと誤魔化せるとか何とか……。キリアのドレスはゆったりしてるから体型隠せるとか……」


 ……やっぱりか。やっぱりそうなのか。


「……アーサー殿下のやることに比べたら、トマスさまやリリィお嬢さまの悪だくみなんて、可愛らしいものなんですよ」


 ルークはぽつりと言った。

 ……結局あの人か。面白がっているんだな絶対に。


「……リリィお嬢さまは、アレンさまと一緒にダージャ領に行けばいいんだっ。みんなみんなフられてしまえっ」


 泣きながらキースは納屋に向かって走った。





「今、キースの叫び声しなかったかしら?」


 玄関ホールに現れたのはイザベラだった。開けっ放しの扉を見て、何かあったの? とルークに尋ねる。


「例の観劇の話をしたら、泣きながら納屋の方に……」


 ああ、あれね、とイザベラは頷いた。


「実は、わたくしはちょっと楽しみなのよね。内緒よ。……しばらくしたら迎えに行ってあげてね」


 ふふっと笑ってイザベラはルークに向き直る。


「……良く似合っているわね。一本だけもらうわ」


 そう言って、ルークの抱えるバラの花束から一本だけ抜き取って、香りを確かめる。とても幸せそうな顔をして。


「わたくしには可愛すぎるから、リリアの部屋に飾ってあげて頂戴。あと、ルーク、ちょっとかがんでくれる」


 ルークがイザベラの前で少し体をかがめると、空いている方の手で、えいっとばかりにルークの前髪を下ろし、眼鏡を奪い取ってしまった。長めの前髪が目にかかる。少年の頃のように。


「うん、やっぱりあなたはこっちの方が似合うわ。……眼鏡は後で返してあげます」


「え……?」


「視力は悪くないでしょう? バラ、萎れちゃうから早く花瓶に入れてあげてね」


 とても楽し気に笑いながら、大切そうに一輪のバラを胸に抱いてイザベラは行ってしまった。

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